新たな依頼
久しぶりにあの日の夢を見た。
血まみれでベッドに横たわる弟と、周囲でバタバタと走り回る大人達。
何もできず、横で見守る十四才の私がいる。
「......姉さま、僕、エドを守れた?」
「ええ、エドは従者と二人、無事にここまで来たわ。すぐにお父様が、一部隊引き連れて駆けつけたのよ。それで、あなたを見つけたの。もう大丈夫。すぐに医者も来るから、少しだけ我慢してね」
「うん。良かった」
「痛い?」
「うん、痛いし、......苦しい」
「大丈夫よ、大丈夫よ」
「姉さま、エドを守ってね」
その後、大人達に部屋を追い出され、次に会った時、弟は棺の中で眠っていた。
場面が変わる。
また鐘の音が聞こえる。ああ、弔いの鐘の音がたくさん。私は護衛達五人と、ひっそりと家を出た。
そしてまた場面が変わった。
伯母の顔が見える。
「イリス、いつまで籠っているつもり? うっとおしいわね。居候するなら、私の役に立ちなさい。
恋愛相談のサロンを立ち上げることにしたの。あなたが主催しなさい。貴族の内情調査を兼ねてのものだから手を抜いたらダメよ」
イリスが目を開けると、霞がかかったようにぼんやりと、ベッドの天蓋が見えた。一度目を瞑り、ぎゅっと目頭に力を入れてから目を開けると、今度は視界がクリアになった。
弟が殺された事件には、妾腹の王子を推す一派が関与していた。国を乱さないよう、事件は事故として処理され、イリスは弟との約束を守り、幼馴染の王子を見守り続けた。
三年が過ぎ、王太子が十五歳になる頃、常に側にいるイリスに対する噂が広まって行った。
王太子を束縛する年上の悪女。
そして、事件が起きた。
一年後の今、イリスは、隣国の王妃である伯母の元、レンティス国の王宮に住んでいる。
あまり良い目覚めではないけど、今日は新しい依頼人との初回の面談がある。イリスは軽くほほをぺしぺしと叩き、頭を振って気分を変えようとした。
◇ ◇ ◇
依頼人は、場所がわからないよう、目隠しをして馬車でここに運ばれて来る。王妃様のサロンなので、そんな扱いにも文句も言わず従ってくれる。
ビクターは、目隠しを外されて、少しぼんやりした様子で室内を見回している。そんな彼にソファを勧め、まずは寛いでもらえるよう、室内に控える侍女の一人にお茶の支度を言いつけた。
室内は明かりを絞り、カーテンを引いているので外の様子は見えない。
イリスはいつも通り黒いドレスを纏い、結い上げた髪にベールをかぶりマスクを着けている。鮮やかな色はいっさい身に着けない。
こういう装いをすると、大柄で豊満な肢体とあいまって、年齢不詳に見えるようだ。噂ではサロンの主催者は30歳前後の未亡人だそうだ。18歳の乙女としては心穏やかではないが、王妃様は、それを面白がっている。
「初めまして。ビクター・モリス様。お待ちしておりました。私は、このサロンの主催者です。ノワールとお呼びください」
いつもの挨拶をして、にっこりと笑って客を見つめた。
まあ、ゴールデンレトリバーみたいな男性ね。サラサラした金茶色の髪に黒色の目。そして整った優し気な顔。きれいで賢そうで善良そう。こんな男を振るなんて、贅沢な御令嬢だこと。
今日のお客様はモリス侯爵家嫡男のビクター様、22歳。
後継者として侯爵家の執務全般を手伝っており、広大な領地の運営と資産管理の一部を既に担っている。社交活動にも積極的。
学問、剣術に優れ、眉目秀麗、人柄も良いと評判。婚約者は美人の誉れ高いカイン伯爵家のアンヌ嬢で結婚間近。
まさに順風満帆の人生を送る男が悩みを抱えているなんて、人は解らないものだ。
さて、情報の再確認をしなくてはと、ソファに座り、書類をめくる。
ビクター様の相談内容は婚約者とのすれ違いについて。
2年前に婚約し、お互いに好意を持ち合っていたはずが、半年前から急に態度が変わり、よそよそしくなった。きっかけが思い当たらず、アンヌ嬢に聞いても答えてもらえず、せめて、理由が知りたいというものだ。
ふーん。よくある心変わりとしか思えないし、少し探ったらわかりそう。簡単な相談事の部類だわね。
そんなことを考えていると、ビクター様がぽつぽつと話始めた。
「よろしくお願いします。シャノワールに、こんなありふれた相談事で恐縮です。王妃様から相談に行ってみないかと連絡をいただいた時は驚きました。どこで私の悩みをお知りになったのか不思議でしたが、とてもありがたいです」
容姿と同じく、声も話し方も誠実そうでいい感じだ。
「この半年、何もわからないままで、途方に暮れていました」
そう話す彼に、改めて詳しい経緯を説明してもらった。
かいつまんで言うとこんな感じだ。
婚約者はこの初春18歳になった。18歳になるのを待って結婚する予定だったが、体調が悪いと伸ばし伸ばしになっている。
実際、ずいぶん痩せてしまい、顔色も悪いので心配しているが、本人は何でもないと言いはるし、婚約者として主治医に問い合わせたら、体に異常はないので、気に病むことがあるのではないかと言われた。
思い切って婚約破棄したいのか聞いてみたが、黙ってうつむくだけで何も言ってくれない。それ以降は目を合わせようともしなくなってしまった。
「とにかく、僕を避けるようになった理由が知りたいのです。両親から結婚式について聞かれていますが、説明のしようもないのです」
「それは、何とも落ち着かない状況ですわね」
確かに、その状態のままで放置されたら、たまったものではないだろう。
ゆっくりとお茶を飲み、少し考えてから聞いた。
「態度が変わった、一番初めがいつだったか、わかりますか」
「三月頃、彼女の誕生日パーティーの半月ほど後です」
少し考えてから、パッと顔を上げた。
「そう、誕生日パーティーではいつも通りの彼女でした。次に会ったとき、結婚式の相談をする予定だったのです。急に態度がよそよそしくなったのは、確かその日からです」
「では、誕生日パーティー前後のことから調査しましょう」