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008 裸が駄目なら、アポロン様で

 私は、王立騎士学校に通う双子の兄、シリルと王都で二人暮しをしている。


 普通は伯爵家ともなれば、王都に立派なタウンハウスがあるのが普通だ。しかし、我が家は伯爵家の前に「貧乏」という、不名誉な二文字が付随する残念伯爵家。


 そのため、経費削減を徹底した父と、私より六つほど歳上であるエディ兄様の閃きにより。


『タウンハウスは、どうせ社交シーズンである秋から冬にかけてしか滞在しない屋敷だ。経費を考えたら、裕福な商人にでも、屋敷を貸し出した方がいいだろう』


『確かに。家賃収入が見込める上に、人が住めば屋敷も無駄に傷まない。父上、ナイスアイディアです』


 そんな軽い感じで会話を交わしたのち、我が家のタウンハウスを、お金持ちな商人に貸し出す事になった。


 そのため、王都で暮らす私とシリルは、貴族にあるまじき家。つまり同じデザインでつながった一連の住宅、通称テラスハウスに住んでいる。


 貴族の娘としては、少しばかり問題があるかも知れない。しかし侮るなかれ。とにかく広くて大きいカントリーハウスと違い、シリルに用がある時は大声を出して呼べばいいし、掃除や食事の準備など、必要最低限だけ使用人に任せ、口煩い侍女がいない生活は、プライベート時間が充実するので、わりと気に入っている。




 ◇◇◇




 その日、授業を終えた私は、王都のターミナル駅までジュリエットの馬車に便乗させてもらい、そこから徒歩で家に向かい歩いていた。


 因みにジュリエットは、胸を張り「伯爵家の娘」だと主張出来るタイプの実家もち。


 それに対し経費削減の為、馬車など持たない私は、毎日王都のターミナル駅まで歩き、そこからジュリエットの乗る馬車に便乗させてもらい、学校と家を往復している。


 たまに荷物が多い日は仕方なく辻馬車を呼ぶ事もある。しかし極力歩くことにしている。


 それも全て、経費削減のため。


 絵の具代、キャンバス代などなど。美術学生は何かと物入りなのでお金がかかるからだ。


 そんなわけで私はターミナル駅から数ブロックほどの距離にある、我が家に向かって歩いていた。そして、通りの角を曲がった瞬間、私は異変に気付く。


「なにあれ」


 視界に飛び込んできたのは、家の前に停車する黒塗りの馬車。


「まさか、借金取り?」


 状況的に咄嗟にそう思った。しかし、我が家は貧乏ながらも何とか借金せず暮らせている筈だ。


「だとすると、一体あれは……あ、もしかしてシリルがお友達を呼んでるとか?」


 私は見慣れない状況に対する答えを、すぐさま導き出す。よくある事ではない。しかしシリルが友人を呼ぶ事はたまにある。


「なんだ、そういうこと。でも呼ぶなら先に言っておいて欲しかったけど。ま、いっか」


 納得した私は、家路を急ぐ。


 御者と従者らしき男が待機する馬車の横を、何事もなく素通りする。そして、歩道から続く石造りの階段を数段ほど上がり、玄関に向かう。


 我が家の扉は隣の、そのまた隣の家と全く同じもの。黒く光沢のある木で作られ、真鍮の取っ手と部屋番号のプレートがついている、ごくごくシンプルなもの。


「パイン通り、五百五。我が家確認、よし」


 いつも通り、ドアに取り付けられた番地のプレートを指差し、間違いなく我が家だと確認する。というのも、何度か間違った家の鍵穴に、鍵を無理矢理差し込もうとして、泥棒扱いされかけた事があるからだ。みんな同じドアのデザイン。この点はテラスハウスの不便なところと言えるだろう。


 我が家である事をしっかりと確認した私は、扉の鍵を開けて家の中に入り、帰宅を完了させる。


「ふぅ」


 ようやく家についたと、私は一息つく。


「お帰りなさいませ。そしてお邪魔しております。どうぞ私の事はお気になさらずに」


「うわっ」


 猫の額ほどではあるものの、玄関の踊り場に黒いスーツを着た見知らぬ紳士が立っていた。


「お気になさらずって」


 それはいくら何でも無理だというもの。


「ここは私の家、ですよね?」


 私は閉めたばかりの玄関の扉を開け、扉に貼り付けられた番地番号を確認する。するとやはり「パイン通り、五百五」と金色のプレートが輝いている。


 そっと扉を閉め、私は謎の紳士と向き合う。


「あなたは一体」


「お気になさらず」


「そういう訳にはいかないわ。不法侵入で」


 訴えるわよと言いかけ、私の言葉はシリルの声にかき消される。


「あ、シャーリー。おかえり。丁度良かった」


 キッチンから銀のトレイを持った青年が現れた。私と揃い。銀色の髪色に、紫の瞳を持つ人物は、間違いない。私の双子の兄シリルである。


「ねぇ、シリル、この人だれ?」


「お客様の護衛兼従者。丁度紅茶の用意が出来たところなんだ。いいからリビングにきて」


 私に告げるや否や、シリルは狭い廊下を奥へと進む。


「なるほど、護衛」


 私は玄関脇。まるで置物のように立つ紳士の顔を見つめる。


 護衛だという青年は、中肉中背で端正な顔立ちと鋭い視線を持っている。彼の黒い髪は整えられ、髪型は洗練された大人っぽいスタイルだ。彼の瞳は深い蒼色であり、その中には知性と忠誠心が宿っているように見えた……まぁ、護衛って聞いたばかりだし。


「紅茶が冷めてしまいますよ、お嬢様」


「…………」


 遠回しに「立ち去れ」と言われたような気がした私は、渋々シリルの後を追いかける。


 よくわからないが、私の予想は的中。今日はシリルが友達を学校から連れ帰ったようだ。


「挨拶くらいは、しといた方がいいよね」


 何となく気が乗らないけれど、シリルにもリビングに呼ばれている。


 それに騎士学校に通う、シリルの友人を見るチャンスはレアだ。私が通う美術学院と同じ地区にあるとは言え、通う場所が違えば会う機会など皆無。そのためシリルにどんな友人がいるのか、私は良く知らない。


「よし」


 意を決した私は、廊下を進み、居間の扉を開ける。


「失礼しま……す!?」


 私は居間にある深緑色のソファーに腰をかけている人物を見て、絶句してしまう。


 そこにいたのはまさに完璧と言わんばかりの容姿をした青年だったからだ。彫刻のような整った輪郭があり、きちんと整えられた、流れるようなはちみつ色の艶やかな髪。目は深いブルーで、星空を想わせるような輝きを持ち、そのまなざしは誰もが惹きつけられるもの。鼻筋は高く、口元には常に微笑みが浮かんでいるかのような印象を、こちらに与えている。


 間違いない。今私の目の前で微笑む美しい青年は数日前、媚薬により私に発情して変態と化していた、匂い嗅ぎたがり王子こと、我が国の第二王子ヨシュア殿下だ。


「丁度良かった。とりあえず、ここに座って」


 自分の隣に座れと言わんばかりに、ソファーの座面をポンポンと叩くシリル。


「え? どうして……」


 私がそこに座らなくちゃいけないの?と、訳がわからず戸惑う私。


「どうしてって、あ、なるほど」


 何か閃いたといった表情で、シリルがその場で立ち上がる。


「こちら、ルトベルク王国の第二王子であられる、ヨシュア殿下だ」


「流石に、それは知ってるけど」


 突然の紹介に困惑しつつ答える。シリルには天然な所があるので、たぶん今それが炸裂したのだろう。


「殿下とは、騎士学校で同じクラスなんだ」


「なるほど」


 貧乏伯爵家の次男であるシリルがまさか、高貴なお方と知り合いだとは思わなかった。しかしすぐに納得する気持ちになる。


 私の記憶が正しければ、ヨシュア殿下は現在十六歳。つまり私たちと同じ歳。さらに王族の王子は代々王立騎士学校に通う事が通例となっている。よってシリルと顔見知りであるということ。その部分に何ら不思議な点はないからだ。


「殿下、こちらは僕の妹、シャーロットです」


「こんにちは、シャーロット・バーミリオンです。お会いできて光栄です」


 貧乏であろうとなかろうと、伯爵家に属する娘である事に変わりはない。私は淑女の礼を取り、形式張った自己紹介をすませる。


「あ、あなたが……」


 こちらを確かめるように、しっかりと見つめてくるヨシュア殿下。


「シリルの妹、シャーロットです」


 私は戸惑いつつ、再度名乗る。


「ああ、ごめん。私はヨシュアだ。よろしく」


 その笑みで軽く百人は失神間違いなし。爽やかな笑顔を向けられた私の胸は嫌でも高鳴る。


「よ、よろしくお願い致します」


 人を殺しかねない素晴らしい笑みから顔を物理的にそらすため、平静を装いながら私はもう一度お辞儀をする。


「とりあえず、ここに。座って話そう」


 シリルはソファーに腰を下ろすと、偉そうに自分の横を再度示す。しかし、私は特に話したい事もなければ、そういう気分でもない。


 なんせ目の前の王子様には酷い目に遭わされたのだから。媚薬で仕方がなかったとは言え、私が心に負った傷はまぁまぁ深い。


「実はこの前の件について、謝罪にうかがわせてもらったんだ。もし迷惑でなければ、君に迷惑をかけた事を謝罪したいと思って。せめて何か謝罪の品を贈らせてもらえたらと考えているのだけれど」


「謝罪の品ですか?」


 思わず聞き返す私。まさかそんなものが貰えると思っていなかったからだ。なんせ私は媚薬を飲ませた犯人だと、あらぬ嫌疑をかけられたのち、勾留されたのだから。


「……確かに謝罪の品に値するかも」


 思わず呟く私に、シリルの腕が伸びてくる。


「いいから、ほら」


 シリルは強引に私の腕を掴み、自分の隣に腰掛けるよう促してくる。


「わかったってば」


 仕方なく、私はシリルの指示に従い彼の横に座る。


「私の近衛達が勘違いで、君を詰め所に勾留したこと。本当に申し訳ない。何より、媚薬を飲まされたとは言え、あなたに対し、あ、あのような事をしてしまい、本当に申し訳ない気持ちで一杯なんだ」


 ヨシュア殿下は深く頭を下げて詫びると、そのままの姿勢で固まってしまった。正直、恐れ多すぎるシチュエーションだ。


「いや、謝っていただければそれで……」


「それでは私の気が済まない。こちらの誠意を示すためにも、あなたの望む物を贈らせてもらえると助かるのですが」


 顔をあげ、こちらに顔を向けるヨシュア殿下の視線は真剣そのもの。どうやら彼は本気で言っているようだ。


「望みと言われても、裸を見せて欲しいってことくらいしかないしなぁ……」


「は、はだっ!?」


 ヨシュア殿下は目を丸くすると、慌てふためくように首を左右に振る。


「い、い、いくら何でもそれは無理です」


 真っ赤になり、うろたえるヨシュア殿下。


「もしかして、声に出ちゃってた?」


 一応シリルに確認する。


「しっかり出てた」


 シリルが呆れたような目で私を見つめる。


 何とも言えない空気が部屋の中を漂う。


「そ、そうだ! 麗しの彼氏に会う機会を作って欲しいです」


 咄嵯に思いついたアイデアを口にする。


「は!? シャーリー、図々しくないか?」


 シリルが凍える視線を私によこす。


「つまり、あなたにはすでに婚約者がいるという事でしょうか?」


 ヨシュア殿下は、突如真面目な表情になると、私に問いかけてきた。


「いいえ、おりません。今のところは」


 私は今後婚約者が出来る可能性をしっかりと、示唆しておく。


「ならば、麗しの彼というのは一体?」


「王城の庭園に飾られている、ベルヴェデーレのアポロン像のことですよ。妹はアレに夢中なんです」


 ヨシュア殿下の素朴な疑問に、シリルが正解を伝える。


「アポロン像、どれの事だろう」


 殿下は顎に手を当て思案している様子だ。


 つまり、ヨシュア殿下は私たちの彼の事をご存知ないらしい。


 確かに王城内には至る所に、美術マニア眉唾物の彫刻作品が普通に置かれている。それらを毎日視界に入れていると、イチイチ気にしなくなるのだろうか。


 なんと、勿体ないことでけしからんこと。そう感じた私は、少しだけ意地悪をする事にした。


「ベルヴェデーレのアポロン像は、殿下が媚薬を飲んで、発情して、私の首元に顔を埋めていらっしゃった時にもたれ掛かっていた台座の上にある素晴らしい像ですわ」


「…………本当に、すまない」


 シュンと肩を落とすヨシュア殿下。


「いえ、お気になさらず。それで、みんなで写生大会をしてもいいですか?」


「みんな?シャセイ大会?」


 ヨシュア殿下が不思議そうに首を傾げる。


「妹は王立美術学院に通っているんです。みんなとは、そこのクラスメイトの女子のことで、写生大会とは、同じ場所に集まり実際の風景や被写体を描いて競い合うイベントの事です」


 シリルが私の説明に、補足する。


 さすが十五分ほど私より早く生まれただけある。たまには役に立つこともあるようだ。


「なるほど、そういう催しがあるのか」


「はい。実際の裸を見たい。その望みが叶わぬのであれば、せめてアポロン様でお願いします」


 私はつい前のめりになり、ヨシュア殿下に懇願する。


「は、裸は無理、です。しかしアポロン像の方は、父上に頼み、何とかしようと思うので、ご、ご安心ください」


 ヨシュア殿下は、私に怯えた表情になりながらも、力強く了承してくれた。


 彼は私の想像する王子様、社交性ばっちりのパリピで陽キャとは程遠い感じがする。この前は錯乱状態の変態だったけれど、今の大人しそうな彼が本当の姿なのだろうか。


 それにやっぱり見た目は最上級に美しいので、出来れば裸をデッサンさせてもらいたかった。とは言え、アポロン様を愛でる権利は獲得した。


 怪我の功名とはこういう事を言うのだろう。


「ヨシュア殿下、ありがとうございます」


 私は、みんなにいい報告ができると、満面の笑みを浮かべたのであった。

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