007 裸に飢えし私たち
何だかんだ文句を言いつつも、みんなが集中し始めた。すると教室には、紙の擦れる音や、友人同士で話し合う小声が響くだけとなり、独特の静寂が漂う。
程なくしてジュリエットが得意げな声をあげた。
「出来たわ」
「え、もう?」
私はまだ、ダビデ様の筋骨隆々な腕の筋肉に魂を吹き込んでいるところだ。
「どれどれ」
ジュリエットは席を立つと、イーゼルに立てかけてある自分のスケッチブックから少し離れた。そして、自分の仕上げたデッサンを眺め、仕上がりをチェックする。
「流石に数十回、同じモデルを描いていると、描き上げる時間も早くなるわね」
愚痴っぽく呟くジュリエット。
私は横から彼女の描いたダビデ様の絵を見て、思わずため息をついた。
「だけど、ジュリアのそれ、また線が柔らかすぎるとか、男性独特の力強さが足りないとか、絶対酷評されるよ」
ジュリエットの描いたダビデは、輪郭が細めで柔らかく描かれている。私は彼女の描く優しい絵が好きだ。けれどこの授業、人物デッサン担当のユルゲン教授は「男らしい線の描き方」とやらを私たちに学ばせたいらしい。
そのせいで、私たち女子生徒の描く男性に対し「もっと男らしく、強いタッチで」だとか「ここの筋肉の付き方が丸みを帯びていて、まるで女性のようだ」などと、酷評する事が多いのである。
「そうよね。自分でもそう思うわ。ダビデ様を描くのもこなれてきちゃったから、つい事細かに観察するのを忘れちゃうのよね。だけど私の中のダビデ様は、これで定着しちゃったんだもん」
ジュリエットが口を尖らせる。
「そもそもさ、こんな小さいダビデ様を見て、本物の男らしさをダイナミックに描けって、それはやっぱり無茶ってもんだよね。あーあ、男の人のリアルな裸を見てみたいなぁ」
やはり思考の行き着く先は、どうしたってそこになる。
「私たち麗しの乙女の前で、上半身を見せてくれる男子、何処かに落ちてないかな?」
私は冗談交じり、笑いながら願望を漏らす。するとダビデ像を挟み、向かい側で絵を描いていた、クラスメイトが同意するように、大きく頷いた。
「出来たら、見た目のいい人がいい」
「勉強の為に、それなりに筋肉もあった方がいいわ」
「それにおじいさんは、まだいいかな」
「それはそれで勉強になりそうではあるけど」
「男子と言っても子どもじゃ嫌だよね」
「確かに。それは甥っ子の洋服を剥げば、ワンチャンあるし」
クラスメイト達が会話に加わり、あっという間に「男子の裸」という、他では絶対口に出来ない議題で盛り上がる。
みんな私と同じ。すでに何度も描かれている、小さなダビデ像では物足りないのだ。私もいちいち「わかる、わかるその気持ち」と頷きながら、みんなの意見に耳を傾ける。
「そう言えば、リリアのお姉様って王立女学院に通ってらっしゃるのでしょう?誰か騎士学校の知り合いとか紹介してもらえないの?」
「無理無理、上半身とは言え、私たちの前で裸になってくれる男子を探せって、どんな顔してお願いすればいいのよ。しかも女学院に通う姉にだよ?絶対無理だって」
私はリリアの意見に大きく頷いた。
女学院と騎士学校は普段から交流があるとは言え、流石にそれはキツイ。
そもそも王立女学院は家庭の天使になることを学ぶ場所。それに比べ天使になるどころか、「男性の裸を見たい」と悪魔のような事ばかりを願う私たちとは、正反対に位置する学校なのである。
そんな品位ある人達に、たとえ家族だとしても「裸を見せてくれる男子を紹介して欲しい」なんて、口が裂けても言えないだろう。
「確かに、裸を見せろって、キツイわよね」
「言葉だけ聞いたら、もはや痴女だもんね」
「こんな欲望を、お母様に知られたら、退学させられちゃうかもだし」
「それだよね……」
クラスメイト達は、一様に難しい顔になる。
流石に自分の口から「裸を見せて下さい」と、男性に頼み込むミッション。それはあまりに難易度が高い事だと、私たちは共通認識している。
それ故に見たい欲求は深まるばかりなのだが。
「だけど、男子の裸は見たいわよね。本物をスケッチしたい、切実に」
一人が本音をさらけ出すように口にしたその言葉に、私たちは肩を落としながらもこれまた一斉に大きく頷いた。
「そうだよね、私がいつも指摘されるデッサンの狂いとか、どうしろって感じだし」
「そもそもダビデ様自体が、彫刻として完璧に見えるように調整されて造られているんだもんね。頭とかやたら大きいし」
「そうそう、だから私の絵もこれ以上修正しようがないのよ」
わかる、わかると、またもや頷く私たち。
「そうよね、ダビデは正面から見れば完璧に均整の取れた美しい彫刻だけど、横から見ると案外バランスがおかしいもの」
「となると、やっぱり、本物の男性の裸を見たいという着地点に落ち着くと」
そこでみんながまた同時にため息をついた。
結局のところ「男子の裸を人体観察の一環として、絵の肥やしにする為に見てみたい」という、私たち女子生徒の壮大なる野望は、今の社会に蔓延る価値観ではかなわない夢なのだ。
「あ、やだシャーリーが居るじゃない!」
「は?」
リリアが私の名前をいきなり口にして大興奮しだした。
「だってシャーリーの双子のお兄様って、王立騎士学校のシリル様でしょ?」
「えっ、シリル様の裸が見られるの!?」
「あー!!マリナ、鼻血出てる!ハンカチで早く止血しないと!」
「いけない、スケッチブックに赤い花を咲かせちゃったわ」
クラスメイトが謎に興奮しだし、一気に部屋の温度が上がる。そして、みんなが一斉にこちらに顔を向けた。その顔は期待に胸を膨らませるといった輝かしいものだ。
「悪いけど無理。シリルは絶対、騎士道精神がなんちゃらかんちゃらで、淑女に裸を見せるなんてとんでもないこと。そう言うと思うから無理だよ」
みんなには申し訳ない。けれど、嘘を言って期待させるのは悪い。よって私は、心を鬼にして、みんなにきっぱりと「無理だ」と告げたのである。
「ちなみに、シャーリーはシリル様に裸を見せてもらえないの?」
「やだ、気持ち悪い」
素朴な疑問に即答する。
「まぁ家族の裸をジッと見つめてデッサンするのは、難易度高いわよ」
ジュリエットが私の肩を持ってくれた。
「じゃ、シリル様じゃなくてもいいわ」
「そうね、こうなればもう、騎士学校の生徒なら誰でもいい」
「筋肉がついてれば、尚更いい」
「というか、騎士学校の男子生徒は、何故我ら美術学院の女子を誘わないのか」
「そうね、誘われればそこから痺れ薬でも飲ませて、上半身裸を確保してみんなで愛でる事、いいえ、スケッチすることができるのに」
「それ犯罪!」
「「「ははははははは」」」
みんなが盛り上がる中、私の隣に居るジュリエットが、胸に抱えた自分のスケッチブックの上部に顎を乗せてポツリと小さな声で呟いた。
「そういう、外に出たら壁の染みのくせに、妙に前向きで肉食系なところが避けられている原因だと、私はそう思うけど」
それは私にもぴったりと当てはまる事だ。しかし、私は完全に他人事全開。ジュリエットの的確な指摘に「その通りよね」と、大きく頷くのであった。