062 値上がりする絵
『若手有名画家コリン・ウィンドリアがまさかの犯人!?』
『ツガイ狂いの苦しみに迫る』
『犯人検挙の裏には、ヨシュア殿下のツガイ問題が隠されているとの情報が!』
そんな見出しが踊る新聞が、連日ルトベルク王国中を騒がせている。
私はコリン様が逮捕の日された翌日、ヨシュア殿下による事情聴取をみっちり受け、あの日あった事の顛末を全て話した。
もちろん彼が私に少女の殺害を仄めかした事も含めてだ。
同時進行でコリン様のアトリエは警らによって家宅捜査され、殺人を示す証拠となる品が続々発見されたそうだ。
中でも決定的だったのは、トムス川の脇にあるプラタナスの木の枝に首を吊った状態で見つかった少女たちの絵が、彼の残したスケッチブックに残されていたことだった。
彼の卓越した人物描写技術のため、スケッチブックに描かれた少女の絵が、亡くなった少女たちと瓜二つであると認定され、それが動かぬ証拠となってしまったのである。
自業自得ではあるけれど、なんとも皮肉な事だと私は思う。
「あいつが描いたシャーリーの絵がもし売りに出されたら、過去最高額を記録するだろうってさ」
新聞を読みながら紅茶を啜るという、伯爵家の子息にあるまじき、行儀の悪さを発揮するシリル。
私は、そんなシリルの向かい側で、硬いパンを咀嚼する事により、フェイスラインを今日もすっきりさせる事を余儀なくされている。
「それって、地下室にあったイーゼルに立てかけられていたやつだろ?あの時密かに持ち出せていたらなぁ……あ、シャーリーが監禁された事に対する賠償金代わりに、今から請求とか出来ないのかな」
広げた新聞から顔をのぞかせたシリルは、期待した表情をこちらに向ける。
私は優雅に紅茶を口に含み、パンを柔らかくしてから飲み込んだ。
「無理よ。しかもあれは未完成じゃない」
「わかってないな。あいつが逮捕された事により、コリン・ウィンドリアの新作は二度と世に出る事がなくなった。つまり、彼の作品は今後値が上がる一方らしい」
「それはそうね。ある意味亡くなったも同然だし」
私はシリルに同意する。
絵画の世界においては、作者が亡くなり新作が登場しない未来が確定した時、過去の作品が一気に値上がる事があるからだ。
「目の前にお宝があったとは。実に惜しい事をした。お願いだからシャーリーは、僕の分も絵を描いてから死んでくれると有り難い」
シリルは家族だと思って、とんでもない事を口にする。
「画家が亡くなったら、絵が高く売れるなんて、幻想よ」
「幻想?」
首を傾げるシリルに私は画家における切ない現実を説明する。
「たとえば今私が死んだとする。でも私の絵は値上がりしない。あ、でも一枚くらいは殿下が買ってくれるかも知れないわ。けれど、私が今まで描いた作品のほとんどは、領地の屋根裏にひっそりと置かれる事になるでしょうね。そして誰の目にとまる事なく、何代かそこに放置された後、いつかゴミ箱に捨てられちゃう運命を辿るわ」
自分で口にして、朝から暗い気分に包まれた。
「あー、でも確かに今のままだとそうなるか」
シリルは納得したような声をあげる。
そんな彼の態度も悲しい。
「そもそも絵って、欲しい人が居て初めて値が付くものだからね。欲しい人が多ければ自然に絵の価値が上がり、値も上がるという仕組みである以上、欲しがる絵を描けるかどうか。そこにかかっているというわけ」
二度と新作を発表する事が難しいであろう、コリン・ウィンドリアの絵はまさにその典型的とも言える例だ。
彼の絵は欲しいと願う人が多い。だから今後もどんどん価値が上がるのだろう。
殺人犯の描く絵より、魅力的に思われない私の絵。その現実を思うと悔しいし、報われない世界だとも虚しくなる。
「私の絵みたいに、誰にも評価されなくて、誰も欲しがらなければただの布切れでしかないってわけ。むしろ油を塗って下手な絵で汚されている分、普通の真っさらなキャンパスより価値が下がる可能性の方が高いかも知れないわ」
「な、なるほど」
「そして、この世界には私のような、絵描きが実に多く存在するのが現実なんだから」
コリン・ウィンドリアのように、作品に大金を払っても手に入れたいと人が惚れ込むものを描き上げ成功する者は、ほんの一握り。
画家を目指す者の殆どが、自分の描く世界を認められる事無く生涯を終える事を余儀なくされるのである。
なぜなら、ほとんどの絵描きは、生きて行くために何処かのタイミングで絵を描く事を諦めざるを得ないから。
私たち美術学院の女子生徒たちだってそうだ。
貴族社会に属する私たちの多くは、結婚という文字がちらついたタイミングで絵を描く事から離れる事を余儀なくされる事が多い。
『女性は嗜みを越えて絵を描く事を良しとしない』
淑女のルールブックにその文字が記載されている限り、よっぽど先進的で寛容な心を持った相手を選ぶか、結婚を諦めるか。どちらかの選択をしなければ、生涯をかけ真剣に絵に取り組む事なんて出来ない。
私だってきっとそうなる。いくら殿下が絵を描いていいと言ってくれても、周囲の目がある。
ヨシュア殿下の評判を下げるくらいなら、私は絵を描く事に対する情熱を、嗜み程度に留めておく必要があるのかも知れない。
「シャーリー、ジャムが制服にたれてるけど」
シリルの指摘でハッとし、私は下を向く。
すると硬いパンにたっぷり塗ったイチゴジャムが黒い制服のスカートの上にポトリと落ちていた。
「うわ、最低」
私はパンから手を放し、慌てて水差しからナプキンに水を注ぎ、制服に垂れたジャムを拭き取った。
そんな私に対し、シリルが呆れたように溜息をつく。
「シャーリー、まさかまだ、あいつのことを好きなの?」
「まさか。私はただ、自分の人生設計を頭で組み立てていただけよ。絵を頑張れるのはいつまでかなって」
「殿下なら理解ありそうだけど」
「そうは言っても周囲が許さないわ」
私はもう一度ナプキンに水差しの水を注ぎ、汚れたスカートの部分をナプキンで叩きながら、シリルに答える。
「そうかな。殿下は君が幸せになる事を第一に選びそうだけど。なんせシャーリーの事を考えて、ツガイの感情を抑え込もうとしちゃうくらいだし。そのせいで危うくツガイ狂いになるところだったわけだしさ。普通の感覚なら、それこそ力ずくでシャーリーを服従させると思うけど」
シリルはサラリと恐ろしい事を口にする。
もしかして、彼はサイコパス思考を持った危ない人間なのかも知れない。
家族として今後の彼の動向には目を光らせておくべきかも知れないと、私はスカートのシミを叩きながら密かに思う。
「殿下はさ、周囲に気配りできてしまうが故に、自分を抑え込み我慢している所があるんだよ。学校でも、控えめっていうか。まぁ、色々考えてそうしてるんだろうけどさ」
「わかる。普通あのタイミングで私にキスしないとか、あり得ないもの」
「…………」
いくら待ってもシリルから返事がないので、私はスカートのシミから顔を上げる。すると向かい側に座るシリルは目を大きく見開き、口をポカーンと開けていた。
「あ、私はいま、爽やかな朝にそぐわない言葉を発しました。しかも家族の前で。ごめんなさい」
何か言われる前にシリルに謝っておく。
「確かに。いやいや、そうじゃなくて。二人はもうそんな関係なわけ?」
シリルが半ば呆れ気味に、新聞を畳みながら質問を投げかけてきた。
スカートのシミがだいぶ取れた私は、今度こそジャムを垂らさないよう、慎重にパンを口に運びながら答える。
「そうよ。だってツガイだもの。触れ合うのは自然なことだし」
「なるほど……え?つまりヨシュア殿下は君の意思を尊重して我慢していたのに、もうそんな事があったって事?」
どうやらシリルは情報を処理しきれていないようだ。
つい相手に触れたいと願い、手が伸びてしまう気持ち。もしかしたらこれは、ツガイにしかわからない感情なのかも知れない。
「まぁ、私が殿下の裸をデッサンする日も、そう遠くはないってこと」
呆れ果てたような表情になったシリルは、首を左右に振りながら深いため息をつく。そして椅子の背もたれに寄りかかった。
「なんていうか……僕の知ってる淑女ってもっと恥じらいや奥ゆかしさを持つ人だと思っているんだけど。シャーリー、君は違うようだ」
「いいじゃない。私は知的好奇心を満たすためなら、積極的に行くタイプなの。ここだけの話、肉食系女子なのよ」
「シャーリー、言葉を選んでくれない?君は一応殿下のツガイで、僕の妹でもあるんだから」
シリルは今度こそ呆れたように苦笑いするのであった。




