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006 裸を見たい欲求は募るばかり

 王立美術学院では外部からモデルを呼び、デッサンの授業が行われる事がある。この授業では、芯に細い鉛片が使われた鉛筆を使い、スケッチブックに模写をする。


 絵を描く際に実物を見ることは、非常に重要だ。なぜなら実物を見ることにより、色や形、質感などを正確に捉えることができるから。さらに、実物を見ることで、その物体がどのような空間に存在しているのかを理解し、立体的な描写が可能となる。


 つまり実物を見ることは、絵を描く上で欠かせない要素の一つなのである。


 私は女子ばかりが隔離された教室に足を踏み入れた。


 大きな窓から差し込む陽光が、広い部屋を明るく照らしている。壁には、今や有名な画家として名の知れた美術学院のOBが寄贈した、様々なサイズのキャンバスが掛かっている。どの作品もそれぞれ独特の世界観を持った、素晴らしいものだ。


 部屋の中央に置かれた机の上には、裸体の人形が置かれており、周りには各々好みの位置に配置したイーゼルとイスが並んでいる。


 そんな中私たちは、一心不乱にデッサンに真剣に取り組んでいた――ということはなく。


「すまないね、午後は男性モデルを呼んだ授業だから。君達はいつも通りアレを模写したデッサンを提出してくれればいいとのことだよ」


 私たち女子生徒を押し付けられた可哀想な担任ダミアン・パーカー教授は、アレの部分で裸体の人形を指すと、逃げるように部屋を出て行ってしまった。


 気の弱い教授は、きっと私たちの非難めいた不満たっぷりな視線に耐えられなかったのだろう。


「ねぇ、私たちって、差別されるためにここにいるの?」


「いいえ、学ぶためにここにいるはずよ」


「うぅ、またアレの絵か……」


「でも課題を提出しないと、成績に響きますもの」


「描くしかないってことね」


「そういうこと」


 クラスメイト達が諦めたように、自分のスケッチブックに鉛筆を滑らせ始める。


「貴族の女性だからって、どうして男性の裸を見ちゃいけないの?筋肉のつき方一つとっても、実物を観察しなければわからない事って、沢山あるのに」


 白紙状態のスケッチブックを前に私は、鉛筆回しをながら、つい愚痴をこぼす。


「仕方ないわよ。品位のある、しとやかな貴族の女性は、はしたない事をしてはならない。大昔の誰かがそう決めたんだもの。その教えがある限り男性の裸なんて公共の場で見たら、風紀に反する事になるんだから」


 私とは対照的。ジュリエットはすっかり現状を受け入れているようだ。


 キャンバスに立てかけられたスケッチブックに、サラサラと滑らかに鉛筆を動かしている。彼女のスケッチブックには全裸の男性が横を向く姿が、見る間に輪郭を成し描かれていく。


 私が手元を見つめているのに気付いたジュリエットは、鉛筆を動かす手を止めた。


「ほら、シャーリー手を動かす。鉛筆を回して遊んでいても課題は終わらないわよ?それに、私たちには、この全裸の美しい青年、ダビデ様がいるじゃない」


 ジュリエットが鉛筆で部屋の中央を示す。そこには、先程教授が「アレ」扱いをしたもの。大理石で出来た、筋肉が美しい彫像がある。


 ダビデ王がゴリアテとの戦いに向かう直前の緊張感溢れる瞬間を描写した像だ。


 力強さと若々しい美しさの象徴と絶賛されているダビデ像は、休めの姿勢とも言われる事のある、片脚重心の姿勢で立っている。左右非対称の均衡美でありながら調和のとれたこのポーズのことを、美術用語ではコントラポストと言う。


 因みに、みんなの彼氏アポロン様もコントラポストの構図で今なお、王城の庭園に佇んでいるはずだ。


 肩まで持ち上げられた左手には、石を挟んだスリングを持ち、降ろした右手には静脈が膨らみ、スリングの両端をまとめた部分を隠し持っている。


 左に傾けた顔の中心にある目は前方をしっかりと見据え、彫刻のダビデ様の表情は集中し、決意に満ちたもの。


 ただし、私たちに与えられた全裸のダビデ様の大事な部分には、白い紙が張り付けられている。担任曰く、未婚女性ばかりが集まるこのクラスでは、ダビデ様も恥ずかしくて見せられないとのこと……。


 そんなダビデ様を前に私はつい愚痴が飛び出す。


「ダビデ様は確かに筋肉の張りとか、力強くて美しいけど、だけどこれは彫刻。実際こんなに完璧に腹筋が割れている人なんているのかな?それにダビデ様はなんか可愛いし……」


 私たちの椅子に囲まれた部屋の中央。背の高い机にダビデ様はちょこんと乗せられている。


 そう、私たちに与えられた彫像は、美術館に併設するお土産屋さんで売っていそうな、指の先から肘くらいまでしかない、ミニサイズのダビデ像なのだ。


「ほら、今日も私たちみたいな巨人の熱い視線に耐えきれず、横を向いちゃってるし」


「シャーリー。あれはもともと、そういうポーズだから」


 私の冗談に対し、横からジュリエットが的確な指摘を飛ばしてくる。


「確かに私たちのダビデ様はちょっと小さくて可愛いらしいわ。だけど、全くの想像で男性の裸を描けと言われないだけ、随分マシだと思わなくちゃ」


 ジュリエットは手を動かしながら前向きな発言をする。


 確かに彼女の言う通り、現在女性画家として活躍する先輩方の時代は、小さなダビデ様すら与えてもらえなかったそうだ。


 その頃に比べたらミニサイズで、たとえ大事な部分に白い紙が貼られていたって、ダビデ像を与えられた私たちのほうが、ずっとマシなのだろう。


 そもそも王立美術学院に通う私たちに対し、特に貴族社会から向けられる視線は、決して心地よいものではないのだから仕方がない。


『いずれ家庭に入り夫を、家族を、家庭内で支える女性が本気で絵を学ぶ意味があるのか?』


 そんな、どちらかというと否定的な意見の方が多いのが現状だ。それでも私たちが入学を許可されているのは、先代の王妃様が、女性が知識を得る事に対し前向きに考えて下さり、後ろ盾になって下さっているから。


『女性も興味のある事を、男性と同じように学ぶ権利があるはずですわ』


 声高らかに貴族院に提言され、長らく男子にしか入学が許されていなかった美術学院に女性の入学が許された。それからまだ十年も経っていない。だから私達は二期生だ。


 現在美術学院の卒業生となり、今や社会で活躍する一期生である先輩女性画家たちの働きで、男性モデルの裸を生で観察することが叶わない哀れな二期生のために、ミニダビデ像が用意された。


 つまり、このミニダビデ像は、ある意味女性における社会的地位向上の証でもある。


 そう考えると、ミニダビデ様に不満をぶつけてはいけない気がしてきた。


「そうだよね、確かに私たちは一期生の先輩達よりは恵まれている」


 そもそも、生身の男性の裸を見たいだなんて、贅沢な悩みなのだ。


 そう割り切った私は、課題を仕上げなければと、小さなダビデ様を見つめる。そしてサラサラと滑らせるように、スケッチブックに乗せた鉛筆を躊躇いなく走らせ、線を重ねていくのであった。

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