059 まさかの事態に遭遇中2
コリン・ウィンドリアという人物は、「森の奥深く、そして深く」という、深緑を基調とした中に、一人の少女が描かれた、油絵の作品で一躍有名になった画家だ。
若手の画家の中で彼の人気は、容姿の美しさもあって、群を抜いているだろう。
そもそも彼の作品は、静けさと神秘さ。それから寂しさと、全体的に仄暗さを感じさせるような少し不気味なものが世間に受けた。
けれどそういった絵を彼が描けるのは、亡くしたツガイを未だに求めているツガイ狂いだから。
私はその事を身をもって知り、彼のように狂気的には、到底なれないと感じた。
そして、その事を理解した平凡な私は、画家人生に絶望的になっている。
「あぁ、あのキャンバスは、君をモデルにした絵だ。ここで続きを描こうと思ってね」
私の視線の先、部屋に置かれたキャンバスに顔を向けるコリン様。
どうやらさっきアトリエに置いてあったものをここに運んだらしい。
正直コリン様が私に危害を加えない確証があるならば、彼の制作風景を見学したい。もちろんそれは恋心なんて邪な気持ちではなく、純粋に彼が描く私がどんなものなのか気になったからだ。
それに、彼がどのように色を重ねていくのかが気になるし、絵の具の使い方や筆の動かし方といった、具体的な技術や手法を学ぶ良いチャンスだと思った。
「そうよ、私は常人だけど、一連の工程を見て学ぶことができるじゃない」
その事に気付いた私は、気持ちが上向きになった。
「君のどんなに苦境に立たされていても前向きな所は嫌いじゃない。今までの子はみんな怯えてばかりで、私を愛してくれなかったからね。それは物足りなくもあったから」
コリン様はまたもや不審な言葉を発した。
聞くのが怖いような気がする。だけど知りたいという欲求を放置する事は出来ない。
何故なら私は画家の卵だから。
すうっと息を吸い、私は意を決して口を開く。
「今までの子ってどういう意味ですか?」
「今までのモデルの子だ。あの子達が怯える姿は、確かに私の心に響くものがあった。でもそれはあくまでも絵を描く上での話だ。君とは違うから、安心していい」
コリン様は美しく微笑む。
けれど私はもはやコリン様の美しい笑顔ごときでは、全然安心できない。
「それって」
どういう意味ですか?という言葉を慌てて飲み込む。なぜなら、朝食にいつものように硬いパンと格闘している時、シリルと交わした会話を思い出したからだ。
確かあの時連続殺人について話していて、被害者はいずれも十六歳前後の女性。死因は全て絞殺による窒息死。そして被害者に共通するのは……。
「銀の髪色を持つこと……」
まさかコリン様は、すでに殺人まで犯したと言うのだろうか。
「コリン様の絵にリアリティがあるのって、まさか本当に人を」
殺したんですか?と言う問いはあまりに恐ろしくて口にできなかった。
私は緊張と恐怖を覚えながら彼を見つめる。すると彼は、ふわりと微笑む。
「画家、作品、モデルは三位一体として、作品の創造と理解において密接に関連しているものだ。これは君も良く理解できるだろう?」
私は頷く。
それぞれの要素が互いに影響しあい、芸術的な体験や鑑賞の豊かさを、この世界に生み出している事は間違いない。
「つまり簡単なことさ。画家である私が自分の心を揺さぶられるような納得するものを追求していった結果、人が死を意識する瞬間に見せるその表情こそ、最も美しく感じるものだと気付いた。だから作品の為にモデルに協力してもらっているというわけさ」
悪びれず、正当である理由を淡々と口にするコリン様。
悔しいけれど、それはある意味正解だと感じる自分もいる。
だってリアルに勝るものはないのだから。
美術の世界は特に、作成者も鑑賞者もリアルにこだわるべきだと、少なくとも私はそう思う。
現に、多くの画家がインスピレーションを受けるのは現実世界で実際に感じた事からで、それを作品へと昇華し残すのが仕事だ。そして、絵を楽しむ鑑賞者は、作品の前に立つことで、作者が作品に込めた想いを細部まで感じ取る事が出来る。
なぜなら、色彩や筆致、構図などの要素が織り成す美しさや複雑さはもちろんのこと、質感や光の反射など、作品が持つリアリティを写真では到底捉える事が出来ないからだ。
何より作者が作品に込めた情熱や感情、それから妄想的な熱量は、どうしたって実物からしか伝わらない。
それは視覚、聴覚、触覚、味覚、嗅覚、これら五感と言われるものを通じ、人はこの世界を理解し、行動を調整し、生活を豊かにすることができる生き物だから。
だから、コリン様の言うように実体験する事は制作活動において重要だ。
けれど人の死に、恐怖に怯える表情に、いくら創作意欲を掻き立てられたとしても。たとえその結果、仕上がった作品を多くの人が評価していたとしても。
それらが殺人を犯していい理由にはならない。
「コリン様は間違ってる」
私は世の中に評価された作品の裏側を知り、やりきれない気持ちで告げた。
「そうだね。でも君は私の特別なイルゼだから、手放す事はないし、君だって私の気持ちがすぐに理解できるようになるさ」
コリン様は気分が変わったのか、こちらに歩いてくると、私が陣取るベッドに腰を下ろした。
ベッドがギシリと音を立て、私はビクリとする。
「君が私にとって、特別な理由を知りたい?」
「はい、知りたいです」
逆らってはいけない。
本能的に身の危険を感じた私は、素直な気持ちそのまま答える。するとコリン様は満足そうに頷いた。
「君は私と同じ、ツガイ狂いになるからだ。私が恐怖を与えなくとも、君は勝手に狂うだろう。それこそ長年私が追い求めていたものなんだ」
私は今度こそ本気で「これはまずい」と気づく。
なぜなら、ツガイを見つける事自体が困難な現代で、さらにツガイ狂いになる者を見つける事なんて、不可能に近い確率だと思ったから。
だけど、そんな不可能を可能にしてしまった出会いが今ここにある。
コリン様はきっと私を手放さない。
その事に気付いた私の体は小さく震え出す。
そんな私をよそに、コリン様は私の髪を優しく撫でながら続ける。
「ツガイを求め狂う姿こそ人間の本能そのものだ。しかし、人はそれを狂気と名付け、遠ざけようとする。けれど私の絵を前にした鑑賞者は見ることに徹することができるわけだ。安全圏から作品に込められた狂気を覗き込み、おかしな事にそこに美を感じている。それはなぜかわかる?」
私は小さく首をふる。
「そこにはツガイという本能に導かれた、無償の愛があるからだ」
コリン様の青い目は深淵をのぞく者の目だった。それは人として越えてはいけない一線を越えた先の世界に魅入られてしまった人間のもの。
私には無理だと思った。
確かに、深淵をのぞく事は魅力的に見える。それで自分の作品が新たな境地に辿り着けるのであれば、のぞいて見たいと思う気持ちを抱えている。けれど、飲み込まれてしまうのは嫌だ。
まだ知らない世界もあるだろうし、知らない感情だってきっと沢山ある。それらに出会った時、受けた気持ちや衝撃を、私はもっと絵に残したい。
何より私はまだ殿下の裸を見ていない。
だからツガイ狂いになんて、なりたくはない。
狂った先で見る裸に、価値なんてもうないはずだから。
「さ、話はここまで。君には生きててもらわないと困るからね。さぁ、食べよう」
「嫌です」
私が首を横に振るのを気にする事なく、コリン様は手にしたお皿からスープを、スプーンですくうと私の口に近づけた。
「ほら口を開けて」
私は必死に唇を閉じ顔を背けるが、強引にねじ込む様に口に入ってきたスプーンにより、結局それを飲み込んでしまう。
味は拍子抜けするくらい、普通に美味しいスープだ。けれど、私にはその行為が気持ち悪くてたまらなかった。しかもスープを飲ませる事に成功したコリン様が恍惚とした表情で私を見ているのも怖い。
「スープが溢れているよ」
コリン様が私の唇についたスープを、血管が透き通るくらい白い手で優しく拭う。
「もうやめましょうよ。ツガイ狂いの苦しさをコリン様は、誰よりも理解しているはずじゃないですか」
私はコリン様に懇願する。
自分が助かりたい気持ちもある。
けれど、間違った事を正したいと願う気持ちもある。
だって、一度は心から惹かれた人だから。
ちゃんと罪を償って欲しいし、人が羨む才能そのまま、絵を残す事で社会貢献してほしい。
「そうだね。確かに私はツガイ狂いだ。だからこそ、もう後戻りはできないんだよ」
恍惚とした表情のコリン様は、私の唇を撫でながら続ける。
「私が最終的に望む完璧な作品は、死を望み狂気にまみれた者同士が残す生。ツガイ狂いの子だ。そのために必要なのは、君と私の子どもなんだ」
「っ!」
あまりにも衝撃的な発言に、私は言葉を失う。
まさかここに来て、自分の貞操の危機が訪れるとは思ってもいなかったからだ。
「む、無理です」
「大丈夫、私たちの相性は悪くないはずだから」
コリン様はそう言って、私に再びスープを飲ませる。
私はそれを飲み込む事を抵抗し、口を噤む。けれど次第に息が苦しくなり、結局は口を開け飲んでしまう。
「また溢した。君は本当に手がかかる。それすら愛おしいけれど」
コリン様は私の口の端からこぼれたスープを拭うと、そのまま私の唇をなぞった。
その行為が気持ち悪くて仕方ないのに、体が動かない。
「私は殿下の……」
私は必死に声を絞り出す。
「殿下の裸しか見たくありません!!」
叫ぶように告げた瞬間、ドアがバタンと大きな音を立てて開いた。驚いてそちらを見れば、そこには青い騎士学校の制服を着た殿下とシリル。それからマクシミリアン様と、王城で私を媚薬の犯人扱いした近衛騎士達が揃って立っていた。
そして乱闘騒ぎもなく、部屋になだれ込んできた近衛騎士達により、コリン様はあっという間に捕らえられてしまった。
「これはどういう事か説明してもらおうか、コリン・ウィンドリア」
ヨシュア殿下は聞いたことのないくらい低い声で、近衛によって後ろ手に拘束されるコリン様に向かって告げた。
「でも何はともあれ、君が無事で本当に良かった」
コリン様の言葉を待つ間に、殿下は私の腕を強く引き、自分の胸に引き寄せた。
「ヨシュア殿下……」
私は彼の胸の中に抱きとめられる形となり驚くも、すぐにその温もりに安心してしまう。
さっき夢で見た時より、ずっと温かくて広くて、リアルな筋肉を感じる。
そのせいで、一刻も早く生の裸を見たいと願う気持ちが、密かに再熱してしまった。
「何もしていませんよ。スープを飲ませてあげていただけです」
コリン様は事実を口にする。
ただし、それは一部を切り取ったものだ。
私は今までの悪事を暴露すべきかと悩む。けれど、ヨシュア殿下の腕の中の居心地があまりに快適なので、ひとまずその感触を満喫する事を優先させた。
「シャーリー、大丈夫?って、鍵外すから、少し離れてもらっていいかな。何か家族のそういうの、すごい気まずいんだけど……」
私に駆け寄ってきたシリルは、苦笑いしながら告げた。
彼の右手には、確かに鍵が握られている。
「す、すまない」
ヨシュア殿下がハッとした表情で、パッと私から離れてしまった。
「とりあえず、コリン・ウィンドリアを上で待たせている警らに引き渡しておいてくれ。ここから先は彼らの管轄だ。彼女からの事情聴取内容は、追って連絡するとも伝えておいてくれ」
ヨシュア殿下がテキパキとした声で指示を出す。
「君はやっぱり、殿下をツガイ狂いになる前に救えたようだ。残念だけどおめでとう」
近衛に引っ張られたコリン様が、私に微笑む。
その笑顔は、彼を素敵だといつも私に感じさせていた優しい笑みだった。
「私も残念です。私をモデルにした、あの絵の完成をさせてあげられなくて」
私は最後にコリン様に思い切り、嫌味をぶつけたのであった。




