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037 陰謀渦巻く私の周囲1

 シリルに引きずられるように校舎を飛び出した私。そんな私を待ち構えていたのは、自分の意気消沈した姿が映り込むくらいピカピカに磨かれた黒塗で、高い車輪と細長い窓が特徴的な馬車だった。金色の飾りが施された馬車の屋根は曲線美を描き、美しい芸術性が感じられる。


 その馬車を見て、私は驚く。


「これって、ヨシュア殿下の馬車じゃないの?」


 以前自宅となるテラスハウスの前に止まっていた馬車と同じものだし、私をミランダ様から救ってくれた時もこの馬車だった。確信した私はシリルにたずねる。


「シャーリーが、腰を抜かすほど落ち込んでいるらしいって、僕に連絡が入った事を知ったヨシュア殿下が貸してくれたんだ」


「貸してくれた?」


「そう、殿下はまだ授業中だから。あ、そうだ。殿下からの伝言。こんな時にそばにいてあげられなくてすまない。だってさ」


 シリルが淡々と伝えてくれた。


「ツガイとは言え、家族じゃないし、授業を抜け出す事は許されなかったから。すごく落ち込んでたよ」


 気遣うようにシリルが知らせてくれる。

 今はその気持ちだけで有難い。


「でもいいのかな?」


 陛下から貸してもらった馬車よりもランクアップしたヨシュア殿下専用の馬車に、さすがの私も「本人不在なのにいいのだろうか?」と気後れする。


「僕たちが借りている馬車は一度城に戻るけど、殿下の馬車は常に学校で待機してるから。この方がすぐに迎えにいけるだろうからって」


「そうなんだ。あとでお礼を言わなきゃだね」


 色々な人に迷惑をかけてしまっているようだ。

 私は後ろめたい気持ちになり俯く。


「とにかく、帰ろう」


 シリルは私の手を取り、馬車に乗る。シリルと向かい合って座ると、馬車ごと付いてきてくれた御者により扉が閉められた。そしてゆっくりと動きはじめる。


「それで、犯人に心当たりはあるの?」


 つり革を握るシリルに問われ、私は首を振った。


「……全然ない」


「本当に? 思い当たる節はないの?」


「全くない」


「そうか……。まぁ、自分では気づかないうちに人の恨みを買うって事はあるしな」


「恨み?」


 シリルが決めつけたように口にするので、つい聞き返してしまう。


「嫌がらせするだけなら、あそこまでズタズタにしないと思う」


 窓の外に向けていた顔を戻し、シリルが大真面目な顔で私に告げる。


「犯人は物に当たるタイプだったから、ストレス発散したかったとかじゃない?」


 恨みを買うようなことをした自覚がない私は、そうであって欲しいと意見を述べる。


「君の顔が描いてある作品を切り裂いた。それは犯罪心理学的に、憎悪の表れそのものだと思うけど」


 シリルは眉間に深いしわを寄せた。


「専門家じゃないから、ハッキリとは断言出来ないけど、どう見ても顔を切り裂くなんて、君に悪意を持っている証拠だよ」


 シリルの言葉を聞きながら、私は脳裏に刻まれた、ズタボロになったキャンバスの残骸が思い出す。言われてみると、あれは私への精神的な攻撃であるような気がしてきた。普通なら描かれた人物の顔を前に、切り裂くなんて躊躇するはずだから。


 少なくとも私は、いくら作者本人に恨みがあったとしても、作者が作品に込めた思いを想像し、あんなふうに無慈悲に切り裂くことは出来ない。


 でもそれは私が絵描きの卵だからそう思うのかも知れない。同時に、作品をズタズタにされてここまで精神的ダメージを受けるのもまた、私が絵描きだからなのだろう。


「やだな、誰かに恨まれるような記憶はないんだけど。強いて言うなら、ヨシュア殿下に裸を見せろって迫ったことくらいなのに」


 今思えばあれは不敬極まりない態度だった。けれど神が造った最高傑作が人の裸体なのだから、仕方がないというもの。


「ねぇ、ヨシュア殿下が私を恨んでいたら、こんなふうに馬車を貸し出してくれないよね?」


 一応シリルに確認してみる。すると彼はあからさまに呆れた顔をこちらに返す。


「殿下が犯人である可能性はない。自分のツガイを殺すわけないんだし」


「そっか、まぁそうだよね」


 シリルの見解は正しいと思える。確かにツガイである私に嫌がらせをしたとしても、ヨシュア殿下にとって何の特にもならない。それにヨシュア殿下は私が絵を描く事に対し、理解ある素振りを見せていた。


 よって、私の絵を攻撃する事はなさそうだ。


「あ、だとしたらさ、絵を描く女性に対し抗議したい人の犯行とか」


 ヨシュア殿下は理解ある人だ。けれど世の中には、女性が趣味の域を越え絵を学ぼうとする事を良しとしない人がいる。私はそういう思想を持った人物の犯行なのではないかと、推理した。


「その線も薄いだろうね。被害にあったのは、シャーリーの絵だけなんだから」


「あー、たしかに」


 またまたシリルの言う通りだ。政治的思想による反抗なら、みんなの絵も揃って破壊するはずだ。その方がメッセージ性が高いだろうから。


「となると、やっぱりピンポイントで私の事を恨んでいる人がやったんだ」


 それはそれでショックだ。

 私は思わず頭を抱える。


「加害者は君に対し、敵意や嫉妬を持っている可能性がある。そして、加害者は君を傷つけることで自分自身を満足させようとしているのかもな」


 やたら乗り心地の良い馬車のせいか、シリルはまるで犯罪心理学者かのように、饒舌に語る。


「もしかして、シャーリーが殿下の婚約者である事に対する攻撃なんじゃないか?」


 シリルが思いついたように告げる。


「でもこんな事をしても意味ないし」


 少なからず私の事をヨシュア殿下のツガイだと認めたくない人はいるだろう。とは言え、ツガイは絶対だ。絵を割いて抗議したところで、私と殿下が結婚に向かう事を何人たりとも阻止できない。


 むしろ作品をボロボロにする目的は、私に絵を描かせないこと。そんな気がした。


「とにかくさ、しばらくは目立つような事をせず、大人しくしていた方がいいと思う。学校だって休んだ方がいいかも」


 どうやらシリルはそれを言いたかったようだ。

 シリルが家族として心配してくれている気持ちはありがたい。けれど、このまましおらしく泣き寝入りするほど、私は気弱な性格ではない。


「とにかく恨まれてる可能性があるとして、そっちの捜査は騎士団の警ら部に任せるわ」


 その代わり私は、自分が出来ることに早速取り組もうと、シリルを見つめる。


「あのさ、行きたいところがあるんだけど」


「え」


 私が告げるとシリルは驚いた表情になる。


「一応聞くけど、どこに?」


「そんなの決まってる。リキッド・アンド・ローデンよ」


 私は行きつけの画材道具屋の名を、きっぱりとシリルに告げたのであった。



 ◇◇◇



 私は悪いと思いつつ、ヨシュア殿下に貸し出してもらった馬車に別れを告げ、城下にある馴染みの画材屋、その名も『リキッド・アンド・ローデン』にシリルと共に足を運んでいた。


 リキッド・アンド・ローデンは古くから続く店の一つであり、王立美術学院の生徒には、割引き価格で絵の具や画材を提供してくれる、とても有り難い存在の画材屋だ。


 木製の棚板がずらりと並ぶ、落ち着いた雰囲気を漂わす店内には、豊富な種類の絵の具や画材、絵画や肖像画のフレーム、画材用具の手入れ用品などが所狭しと陳列されている。


 絵の具棚には、自家製の独自の配合で生み出された絵の具は勿論のこと、有名なブランドの絵の具、はたまた海外のものなど、つい目移りしてしまうほど多くの絵の具が取り揃えられている。


 しかも、それぞれの商品の陳列棚には、色や特性などについての情報が詳しく記載されているという親切さ。それらの解説をじっくり読んでいると、あっという間に時間が溶けてしまうので要注意だ。


 またリキッド・アンド・ローデンは、店内にいる白いエプロンを身に着けた店員の質が高い事でも有名だ。彼らは顧客のニーズに合った絵の具を選ぶのを手伝うだけではなく、絵の具の調合方法や描画技術についてまで、無償でアドバイスをしてくれる。


 そのため、リキッド・アンド・ローデンには自然と芸術家たちが集い、絵画やアートについての情報交換をしたり、新しい絵の具や技術について学んだりする場ともなっていた。


 そんなリキッド・アンド・ローデンに私が足を運んだ理由は一つ。ロッカーに入れていた絵の具をダメにされてしまったからだ。


 私の作品をめちゃくちゃにした犯人は、どうやら私にコンクールに出て欲しくないようだ。だったら、私は絶対に作品を提出してやると、むしろやる気に満ちていた。


「トニー、マーシャル商会から発売されたばかりのやつ。絵の具チューブが欲しいの。在庫はある?」


 私はカウンターにいた馴染みの男性店員、トニーを捕まえるなり、早速本題を切り出す。


「悪い。その絵の具はマーシャル商会が引き取っていったばかりなんだよ」


 ピンと横に伸びた髭をねじりながら、申し訳なさそうな表情を私に向けるトニー。


「引き取って行ったって、一体どういうこと?」


「新作絵の具の評判が思いのほか好評らしくてね。マーシャル商会に注文が殺到しているらしい。そんな中、商会の贔屓筋からの大量注文が入ったとかなんとか。だから商会の営業が、うちに卸した店舗在庫を全て買い取りにきたんだよ」


「え、じゃ、再入荷はいつなんですか?」


 嫌な予感たっぷり。私はカウンターから身を乗り出し、トニーの顔をまじまじと見つめる。


「簡単に作れるものではないからな。しばらく品切れ状態が続くと思うぞ」


「しばらくってどのくらい?」


「そうだな、一ヶ月はかかるだろうな」


「えーっ!?」


 私は悲鳴を上げながら、「それじゃ、コンクールに間に合わない」と思わず頭を抱えた。


「それって困るんですけど」


「ああ、俺も困っているよ。写生に適した時期の到来前に、絵の具チューブの流通が間に合わないなんてな。そもそもマーシャル商会は売る気があるのかって、疑いたくもなるってもんだ」


 トニーは苦笑いを浮かべている。


「それは確かに……」


「すみません、マーシャル商会の営業が店舗の在庫を引き取りに来たのは、いつですか?」


 私の横で、静かに話を聞いていたシリルが眼光鋭くたずねる。


「昨日の午後だ。って、バーミリンオン伯爵家のお坊ちゃん、お嬢ちゃんがこんな時間に制服のままうろつくなんて、いったいどうしたんだ? 学校はもう終わったのか?」


 トニーは私とシリルの姿を目にして、怪しむような視線を向けてきた。


「今は、実家からお父様が出て来ているから、家族の時間を優先してるんです。ありがとうトニー、またね」


 私はそそくさと話を打ち切ると、シリルと共に店を出たのであった。

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