035 王子様は馬車に乗って修羅場に現れる
我が家は、曽祖父の代の時「鉄道の発展こそが産業革命を加速させ、経済の発展につながる」と絶対的に信じ、無理をして領地のあちこちに鉄道網を敷いた。
その結果、地域の経済が活性化し、商品や人がより迅速かつ安価に移動できるようになったため、我が領地の産業が発展し、それがバーミリオン伯爵家の大きな収入源となった。
しかし、鉄道事業は巨額の資金が必要であり、運営にも多大なコストがかかる。その上、貴族がこぞって鉄道事業に参入した結果、競合が激化し、我が国では鉄道会社の合併が相次ぐ事となった。
つまりより安い運賃でより早く、そして鉄道会社同士がより効率的な貨物輸送を行うことで、需要を取り込もうとした結果、地理的条件や交通需要などの面から、弱小路線となった我がバーミリオン伯爵家が保有する鉄道事業が失敗し、多くの借金を背負う事になったのである。
そして現在。二代に渡り何とか立て直しに成功し、鉄道事業で背負った借金は完済済み。新たな鉱山も発見されたし、貧乏なりに領地を守り立てようと父は頑張っている。
それを頭ごなしに馬鹿にされるのは、納得がいかなかった。
けれど、身分の事で喧嘩をふっかけたのは私だ。
失敗したなと、密かに反省するも時すでに遅し。
「貴族年鑑からその名が消える日も近いかも知れませんわね」
ミランダ様が小馬鹿にしたように、私に言い放つ。
「あなたの家だって、いつ事業に失敗するかわからないじゃない」
私は言い返してみるものの、飛ぶ鳥を落とす勢いであるマーシャル商会が、倒産する事はなさそうだと、内心思う。
「あら、ご心配ありがとう。けれど、我が家が潰れるような事になったら、あなたのお父様も困るんじゃないかしら?きっと貴族仲間の皆様には、愛想をつかれていらっしゃるのよね。だから我が家に融資を頼みにいらしたのでしょうから」
「なっ……」
私は怒りで顔が熱くなるのを感じた。
我が家は貧乏だ。けれどそれで誰かに迷惑をかけているわけではない。
領民から税金を多く取っているわけでも、父が悪どい事業に手を染めている事実もないはずだ。
しかも鉱山の事業に関しても、融資のお願いに行っただけで、ミランダ様の父親が嫌だと思ったら、断ればいい話。
それなのにどうして貧乏なだけで、ここまで馬鹿にされなくてはならないのか。
理不尽すぎると、私はその場から逃げ出そうと足を進めかけた時。
「あれ、シャーロット嬢。珍しいね、どうしたの?シリルは今日委員会で残っているけど」
絶妙なタイミングで、停車した馬車から呑気な声がかかる。
今だけは殿下が白馬の王子様に見える。乗っているのは黒塗りの立派な馬車だし、引いてる馬は黒いけど。
「殿下……」
「やぁ、シャーロット嬢」
馬車の窓を全開にし、こちらに笑顔を見せるヨシュア殿下。
「ヨシュア殿下!!」
ミランダ様の驚いたような声が響き。
「「「「ごきげんよう」」」
一斉に衣擦れの音を響かせ、一糸乱れぬ勢いで淑女の礼をとる女子学院の生徒たち。私はあまりの統率力の良さに、怒りを忘れぽかんとしてしまう。
「やぁ、みんな元気そうだね」
笑顔で手を振るヨシュア殿下に、女子学生たちは頬を染めながら嬉しそうな表情になる。
「ところで君たち、何かあったの?」
「いいえ!何も!」
先ほどまで私の事を嘲笑っていたミランダ様が、満面の笑みで否定する。
「そう。ならいいんだけど。で、シャーロット嬢はどうしてここへ?」
ヨシュア殿下に再びたずねられ、私はこの場から逃げ出せると、ホッとする。
「ヨシュア殿下に会いに来ました」
「え、そうなの?」
意外だと言った感じで驚く殿下。
「どうしてもお伝えしたいことがあるんです」
この場に残されたらたまらないと、私は藁にも縋る思いで伝える。
「なるほど。じゃ、乗って。悪いけど彼女を僕の馬車に」
ヨシュア殿下が御者台に乗る従者に告げる。するとすぐに従者が降りてきて、馬車のドアを開けてくれた。
「いけませんわ。未婚の男女が二人きりで馬車に乗るだなんて。ヨシュア殿下に要らぬ噂が立ってしまいます」
ミランダ様が怒った声で告げる。
「でも、この場に馬車を停止させたままの方がまずいかな」
確かにヨシュア殿下の大きな馬車が停止したせいで、騎士学校の校門は渋滞中。後ろに長い列が出来ている。
「とりあえず乗って」
ヨシュア殿下に急かされる。
「ちょっとシャーロット様、殿下に失礼ですわよ」
ミランダ様の声が背後からかかるが、私は無視する。
「失礼します」
御者が地面に置いた木箱に足をかけ。
車内から伸びた、ヨシュア殿下の手を迷わず取り、素早く馬車の車内に乗り込む。そして殿下の向かいに腰をかけた。
「出して」
ヨシュア殿下がコンコンと手にしたステッキで天井を叩き、馬車はゆっくりと走り出す。
「では、皆さま、ご機嫌よう」
救世主の登場に余裕を取り戻した私は、窓から顔を出し、ミランダ様達に笑顔で別れを告げた。
相手を挑発し、完全に言い負けた一戦ではあった。けれど、逃げるが勝ちという勝利もある。
今回の私はまさにそれだ。
「ふぅ」
去り行く馬車に、悔しそうな顔を向けたミランダ様達の姿が小さくなり、私はようやく背もたれに体を預ける。
「君は何というか、トラブルに巻き込まれやすいタイプなのかな?」
向かいに座るヨシュア殿下が私を揶揄うように告げる。
「私がミランダ様に絡まれるのは、主に殿下のせいだと思うのですが」
他人事全開なヨシュア殿下に、チクリと釘を刺しておく。
「言わせてもらうけどさ。君がさっさと僕に反応してくれれば、ここまで問題は大きくならないはずなんだけど」
ヨシュア殿下が愚痴っぽく私に告げる。
その言葉を聞き、私は本来の目的を思い出す。
「反応で思い出したのですが、私のこれに心当たりはありますか?」
私は首元を隠すよう、しっかりと固結びにしたハンカチを外す。そしてヨシュア殿下に自分の首元をしっかりと見せる。
「今日友人に指摘されたんですけど」
「あー、なるほど」
ヨシュア殿下は驚く事なく、私の話を受け入れた様子で相槌をつく。
「しかも友人は王城にあるモザイク画の壁画でこれと同じ紋章を見たって言うんです」
「へー、観察力のある友人なんだね」
「彼女も絵を描くからでしょうね。って、そういうことではなくて、これをご存知なんですか?」
「うん」
ヨシュア殿下はすんなりと認めた。
「え、何なんですか?」
「とても言い辛いんだけど」
なぜか渋る様子のヨシュア殿下を前に、私は嫌な予感がした。
「それ、僕のツガイである証拠の紋章だと思う」
「え?」
私はピタリと固まったのち、すぐに思考を再起動させる。
「昨日はお話しされていた、ツガイの紋章ってことですか?」
「残念だけど、そう考えていいと思う。僕の胸元にもそれと同じ紋章が浮き出てきてるし」
ヨシュア殿下は無意識なのか、心臓のあるあたりを制服の上から触れた。
「で、でも王族にしか現れないんですよね?」
「あー、言うの忘れてけど正しくは王族と、王族のツガイにも現れるんだ」
「え、そうなんですか?」
私は驚きすぎて、思わず声が大きくなってしまう。というか、そんな大事な事をなぜ昨日のうちに教えてくれなかったのか。
事前に教えてさえくれれば、出待ちもしなかったし、ミランダ様に絡まれる事もなかったはずだ。
そう思った私は、殿下を恨む気持ちが少し込み上げる。
「良くも悪くも、国を左右する立場の人間だからね。魔法なんかが信じられていた時代の文献によると、間違いがないように竜族の魔術師により、そういう魔法がかけられているせいだと記載されている」
「間違いですか?」
「昔から王族の周囲には、その立場を利用しようとする人間が多く存在するってこと」
ヨシュア殿下はため息混じりに肩を落とす。
きっと力なく落ちた肩には、私にはわからない重圧やら、苦労やらがのしかかっているのだろう。
私は無言で、ヨシュア殿下を見つめる。
「でもま、君には悪いんけど」
ヨシュア殿下は再びこちらを向き、私と目が合うとにっこりと微笑む。
「僕のツガイ捜索事件は、これにて一件落着ってことだよね?」
私に告げる殿下の笑顔は見惚れるくらい、爽やかで美しいものであった。




