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031 満月の夜はカオスを呼び起こす2

 ジャムサンドを二個も目の前で盗難に会い、悲嘆に暮れる私の前に、こちらを見て「げっ」と明らかに迷惑そうな表情をしたヨシュア殿下と遭遇した。


 こっちこそ、「げっ」と言いたい。


「まぁ、ヨシュア殿下。私に会いに来てくださったのですか?」


 ミランダ様は嬉しそうに声のトーンが高くなる。


「そういうわけでは」


「まぁ、照れなくて良いのですよ」


 ミランダ様は完全に舞い上がっているようで、私をドンと押しのけヨシュア殿下の前に歩み出た。


「では、殿下、ミランダ様。私はこれで。ごきげんよう」


 ジャムサンドの恨みを抱えた私は、食べ物の恨みが爆発する前にと、極力感情を殺した声で挨拶をし、その場を立ち去ろうとする。


「ちょっと、待って」


 何故かヨシュア殿下が私の腕を掴む。


「どうかされました?」


「まずい。触れてしまった。しかも今日は満月だ」


 ヨシュア殿下が焦りながら呟く。


「狼男にでも変身なさるおつもりですか?」


 思わず口から飛び出した。


「冗談を言っている場合じゃないんだよ。何だか、君の香りが……まずいんだって」


 ヨシュア殿下は少し緊張しながらも、興奮を隠せない表情をしていた。目を細め、私の腕をつかむ手の平を汗ばませながら、私をじっと見つめている。潤んだ青い瞳は、まるで宝物を発見した時のように、喜びと興奮が宿っているような、そんな感じだ。


「香りがどうしましたの?あら、殿下、息が荒いですわ」


 ミランダ様もヨシュア殿下の異常な鼻息の荒さに気付いたようだ。


「あ、あの。わ、私はジャムサンドも待ってますし、こ、これで」


 過去二回の経験上、身の危険を察知した私は、必死に殿下の手を振り払おうとする。しかしいくら麗しい顔をしていてもヨシュア殿下は男性だ。結局のところ男女の力の差には勝てず、私の頑張りは無駄な抵抗に終わる。


「はぁ、はぁ、はぁ、い、いいかな」


「いいかなって、駄目に決まってるじゃないですか」


 どう考えたって、殿下の「いいかな」は、私の匂いを嗅がせろということだろう。

 こんなに人で溢れる場所で、そんなの無理だと私は困り果てた。


「マクシミリアン様は一体どこにいっちゃったのよ」


 私がキョロキョロ辺りを見回していると。


「シャーロット様。あなた、まさか」


 ミランダ様は目玉が落ちそうなほど、大きく目を見開き固まる。


「はぁ、はぁ、シャーロット嬢から、とても良い香りが……」


「ちょっと、殿下離して下さいってば」


 私は掴まれた腕を振り払おうとするが、ヨシュア殿下は手を緩めない。むしろ、ますます強く握りしめてくる。それどころか、ツガイトランス状態になっているらしき殿下は、私の腰を掴み自分の方に抱き寄せた。そしてお得意のバックハグ状態になったのち、私の首元に顔を埋めて落ち着いた。


「終わった……」


 私は公衆の面前で、婚約者でもない男性に抱きしめられ、しかも首に顔を埋められるという屈辱を味わうことになった。


「もうダメだわ。人生終了のお知らせなんだけど」


 私はこれから起こるであろう出来事を想像し、涙目になる。


「シャーロット様、これは一体どういう事なのですか?」


 ミランダが私を問い詰めてくる。


「これには深い事情がありまして」


「まさか、殿下に惚れ薬を飲ませたのですか!?」


 あろうことか、ミランダ様は令嬢らしからぬ大きな声で叫んだ。


「ち、違うから、全然ちがいます」


「でも殿下のツガイは私だわ」


「えぇ、でしたら騒いでないで、早急に引き剥がして頂けると嬉しいです」


 むしろお願いしますよ、今すぐにと私はミランダ様に訴えかける。


「殿下のツガイは私だわ。それなのに、ツガイの反応をあなたにしているだなんて、媚薬を飲ませたに違いないわ。誰かー、シャーロット様をお調べになってぇぇぇ!!」


「え」


 ミランダ様が叫び、すぐに周りに人が群がってきた。


「まぁ、なんてこと!!」


「不適切すぎる距離ですわ」


「これは、一体どうしたことだ」


「殿下のツガイは、ミランダ様じゃないのか?」


 人垣のあちこちから声があがる。


「シャーロット嬢が、ヨシュア殿下に媚薬を嗅がせたんです。きっとドレスのポケットに怪しい小瓶が入っているはずですわ!!」


 なぜピンポイントでポケットに入っていると言うんだろう。

 そのことを疑問に思いつつも。


「媚薬なんて嗅がせてないです」


 私は無実を宣言する。


「はぁ、はぁ、君の香りはたまらない」


「いいえ、そこのあなた。ちょっと調べてくださらない?」


 ミランダ様は、騒ぎを遠巻きに見つめる見知らぬ令嬢に指示を出す。


「は、はい。かしこまりました」


 令嬢は素直にミランダ様に従うつもりらしい。殿下にバックハグされた私に近づいてきた。


「失礼いたします」


 大真面目な表情で告げた令嬢は、私のドレスのポケットにいきなり手を突っ込んできた。そして何やらごそごそと手を動かしたあと。


「こんなものが!!」


 令嬢はまるで聖水を発見といった勢いで、頭上に小瓶を掲げる。


「まぁ、それは媚薬に違いないわ。しかも蓋がひらいていますし」


 ミランダ様が大袈裟な声をあげる。


「はぁ、落ち着く」


「私は無実です。そんな小瓶知らないわ」


 このままではまずいと、私は必死に弁解する。


「本当に知らないの。お願いだから、私を疑わないで」


 私は周囲に聞こえるように、無実を主張する。


「往生際が悪いわね。観念なさいな」


 ミランダ様は私を犯人だと決めつけて譲らない。


「私は何もしていません」


「まだシラを切るつもり?」


「ほんとなんです」


 私は必死に訴えかける。


 そんな私たちの修羅場を嗅ぎつけ集まる周囲から、ざわざわとした声があがり始める。


「新聞には、ミランダ様がツガイだって」


「えぇ、私も読みましたわ」


「でもツガイならば、お互い反応し合うものじゃないの?」


「そうね。ミランダ様は殿下を前にしても平気なようだけれど」


「満月なのに」


「そうだな、確かにおかしいような」


 他人事全開なオーディエンスから、ミランダ様を疑う声があがった。


 そうだ、そうだ、もっと言ってやれ。

 私が心でオーディエンスに煽りを入れていると。


「殿下、お慕い申しておりますぅぅぅ」


 突然ミランダ様が私に抱きつく殿下に抱きついた。

 もはや、カオスここにありといった状態だ。


「はぁ、はぁ、やっぱり、僕のツガイは君だ」


 ヨシュア殿下が、うっとりした声で私の耳元でささやく。


「ちょっ、殿下、くすぐったいから、そこで喋らないで下さい」


「シャーロット嬢。僕は君がいないと駄目みたいだ」


 とうとうヨシュア殿下は私の背中に頬擦りをしだした。以前よりずっと症状が悪化している感じだ。


「あぁ、私の王子様ぁ」


 ミランダ様が、ヨシュア殿下に横から体当たりするように再び抱きついてきた。その瞬間、私が手にした皿の上に乗せられていた、最後のジャムサンドが見事床に落下する。


「あ、私のジャムサンド!!」


「はぁ、はぁ、シャーロット嬢、愛している」


「ヨシュア殿下、私のツガイさまーー!!」


 私は泣きそうになりながら足元に落ちたジャムサンドに恨めしい視線を送る。


「一体これはどうなってるんだ……」


 マクシミリアン様の驚いた声が、いまさら私の耳に届いた。


 遅いよ……。


 私は涙目になりながら、マクシミリアン様を睨みつけるのであった。

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