003 媚薬に侵された美男子発見3
美の極致を具現化したような、圧倒的な美しさを持つアポロン様の彫像。その台座の前に落ちていたのは、潤んだ瞳で悶える美男子こと、我が国の第二王子ヨシュア殿下だった。
「あの、大丈夫ですか?」
指名手配されたくない私は、仕方なく声をかける。すると、ヨシュア殿下は小さく首を左右に振った。
どうやら駄目らしい。
この状況から察するに、どうせ飲み過ぎただけだろうと、私はたかをくくる。
そもそも王子様というものは、万国共通で陽の気をまとい社交に長けたパリピな存在。それは全世界で共通認識なはず。
オフィシャルの写真で見る彼は、高潔で清潔で実直そうな麗しい王子殿下に見えた。けれど実際はお酒にだらしなく、妖艶な雰囲気から察するにかなりの遊び人なのかも知れない。
なんか少し、がっかりだ。
とは言え、どんな人であろうと王子殿下には変わりない。手間がかかる人だなと思いつつ、私はひとまず声をかける。
「えーと、私よりもっと役立ちそうな人を呼んできますので、しばしお待ち……キャッ」
その場を立ち去ろうとした瞬間、腕を強く掴まれた。そのせいで私は、アポロン像の台座に背をつけたヨシュア殿下の股の間に、見事背中から尻もちをつく羽目になった。
「いたたたた」
涙目になりつつも、独身の男女にとって不適切な距離に収まる自分に直ぐに気付く。誰かに目撃されたら最後、私はふしだらな女だと社交界で格好の餌食になってしまう。
私は今年社交界にデビューしたばかりの初々しい十六歳であって、一般的には結婚適齢期に入ったばかりの未来ある女性だ。だからいくら美男子だったとしても、男性と密着するのは勘弁願いたい。
デビューシーズン開幕早々、悪い意味で噂になるのは伯爵家の娘として確実にまずい。何ならすでに傷物の娘として、家族のお荷物になる未来が私には見え始めているような……。
「す、すま、ない。はっ、はっ」
彼の荒い息が私の髪にかかり、ゾクリとする。
「ち、ちょっと喋らないで下さい」
私は慌てて四つん這いになると、犬のように手足を使い、その場から逃げ出そうと試みる。しかし、ヨシュア殿下の腕は逃すまいといった様子で、私の腰に力強く絡みついてきた。
その結果私はまた、ヨシュア殿下に背後から羽交い締めにされてしまう。
「まさか、貞操の危機?」
「ち、がう……び、媚薬を」
「媚薬?」
思わず振り返ると、そこには先程よりも辛そうな表情を浮かべるヨシュア殿下がいた。
しかもかなりの至近距離で、ため息のような吐息を吐き、実に色っぽい表情を私に向けている。
なるほど、出会って三秒、私に抱きついたのは媚薬のせいらしい。
「状況は理解しました。で、私にどうしろと?」
私は引きつった笑顔をヨシュア殿下に向ける。
「こ、このまま嗅がせて欲しい」
耳元で囁かれた言葉に、私はギョッとする。
「お、お断りしますッ!!」
私は叫ぶように告げた。
媚薬の効果でそうなっているのかも知れない。けれど背後から羽交い締めされているだけでも困った状況なのに、何が悲しくて匂いまで嗅がせなければいけないのか。
私はアポロン様を見に来ただけなのに。
「とりあえず、離して下さい」
「ごめん、無理みたいだ」
「そこを何とか」
「……落ち着く」
すぅぅと私の匂いを容赦なく嗅ぐヨシュア殿下。
どうやらこちらの願いは叶いそうもない。ならばと、私は自力で逃げ出す事にする。
しかし、踏ん張って前に体を倒すも、背後から回された殿下の腕はしっかりと私の腰に回されており、身動きが取れない。
麗しい見た目に反し、しっかり男性なのだなと呑気に思う。ただこの状況は、男性であればあるほどまずい事に変わりない。
「離して下さいってば」
「ごめん、でも無理みたいだ」
「そこを何とか!!」
貞操の危機を感じながら、必死に抵抗を試みる。しかし普段絵筆しか持たない私のひ弱な腕力では、腰に回る殿下の腕を引き離す事など不可能なようで。
「媚薬って、力も強くなるんですか?」
「……ごめん!!」
突然謝罪の言葉を叫ぶとヨシュア殿下は、私の首筋に麗しい顔を近づけ、思いきり匂いを嗅ぎ始めた。
「なっ!?」
あまりの事に、私は目を白黒させる。
「落ち着く」
ヨシュア殿下は私の首筋を犬のようにクンクンと嗅いでいる。
一体何をやっているんだろうこの人は……というか、もしかしてただの変態なんじゃ。
新聞社にこの破廉恥で衝撃的な事実をリークしたらいくらもらえるだろうかと、心が売国奴方面に全力で傾いた時。
「こんなにいい香りがするなんて、君は僕のツガイかもしれない」
「媚薬のせいです」
とんでもないと、慌てて否定する。
「どうしよう、君の事が好きになりそうなんだけど」
「め、滅相もない!」
むしろ迷惑だしと、私は渾身の力を振り絞る。そして、ヨシュア殿下に羽交い締めにされているという、実に情け無い状態から再度脱出を試みようとしたその時だった。
ガサッという音と共に、四角く切りそろえられた生け垣から一人の男性が飛び出して来た。
「で、で、で、で、でんカッ!!」
私たちの目にも当てられぬ悲惨な状況を目にし、黒い騎士服を着た男性は叫び声を上げた。そしてその声に反応するように、ザッザッと複数の足音がこちらに近づいて来る。
「はぁ、いい香りだ。たまらない」
ヨシュア殿下が変態的なセリフを呟いた瞬間、騎士服の男性達が生け垣からわらわら現れた。
最悪だ。私は殿下に首筋を嗅がれながら、齢十六にして、人生終了だと天を仰ぐ。
「一体これは」
「どうなってるんだ」
「で、殿下、お気を確かに」
「ひとまず、この状況はまずい」
「そうだな」
話し合いをサクッと済ませた騎士達は、私とヨシュア殿下を力ずくで引き剥がした。
その反動で私は地面に投げ出される。一方ヨシュア殿下は、駆けつけた騎士達に囲まれ手厚く保護されているので、その姿がこちらからは確認できない。
騎士よ、レディに優しくないとは一体。
私は放置されたまま、思わず薄目になる。
「まさかこの子が、殿下のツガイなのか?」
訝しげな視線を私に向けた騎士が、とんでもない事を口にした。
「違います。媚薬らしいです」
私は誰も手を貸してくれそうもない為、自ら立ち上がりながらヨシュア殿下から聞いたばかりの状況を報告する。
「媚薬だと!?」
「本人が言ってました。では、私はこれで」
全くひどい目にあった。私はお役目御免と、そそくさと、その場を後にしようとした。
「ん?コレは何だ」
一人の騎士が芝生の上から丸い物体を摘み上げた。
騎士が白い手袋でつまむそれは、どうみても私が買ったばかりの絵の具だった。
「怪しいな」
「まさか殿下はこれを」
「調べるに値するな」
騎士達は統率が取れた様子で、一斉に私の方にジロリと視線を向けてきた。
「それは豚の膀胱に入った絵の具ですわ」
やましさの欠片もない私は、正しく堂々と主張する。
「ぶ、豚の膀胱だと!?」
「そんな保存方法、聞いたことないぞ」
「怪しいな」
「殿下に結婚を迫る、不届き者かも知れん」
どうやら全力で疑われているらしい。
私はこちらを睨みつける騎士達に怪しい者ではないと示すべく、優しく微笑んでみた。
なぜなら、笑った顔は世界で一番可愛い、何でも許せちゃう気がすると、父から良く言われるからだ。
「とりあえす、騎士団の詰め所に」
「そうだな。悪いが拘束させてもらう」
「えっ」
私の手首に無情にもぐるぐると縄が巻かれる。
「ほら、歩け」
私は追い立てられるように足を運びながら「無実なのに酷い」と、心の中でしくしく涙を流すのであった。