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029 コリン様のアトリエ訪問2

 コリン様のアトリエの中。路地に面した窓ぎわに置かれたテーブルで、私たちはお茶会を開く事になった。


「あぁ、椅子が一個足りないか」


 銀色のトレイを持ったコリン様が、困った表情になる。


「あ、私が持ってきます。あれをお借りしてもいいですか?」


 先程コリン様について噂話をしていたという、後ろめたさもあった私は、慌ててたずねる。


「女の子に頼むなんて悪いけど、でもいいかな?椅子はあれで大丈夫だから」


「了解しました」


 私は室内にあった椅子の一つを手に取り、窓際に置かれたテーブルの傍に置く。


「いつもは一人か、もしくはモデルの子と二人でこの席を囲む事しかないから」


「モデルは、いつも同じ子なのでしょうか?」


 シャーロットの鋭い問いかけを聞きながら、私は椅子に腰かけた。私が席につくと同時に、コリン様が手慣れた様子で紅茶を入れてくれる。


「そうだね。実際にはいつも同じ。というわけではないけれど、私が頭の中で描く少女。そのイメージに近い子にお願いする事が多いから、結局のところ同じ子だと私は認識しているかな。はい、どうぞ」


「ありがとうございます。素敵なティーセットですね」


 私は受け取ったティーカップの美しさに、思わず感嘆の声を漏らす。


 そのティーカップは白い陶器でできており、淡いピンク色のバラが、しなやかな茎に咲いている図柄が繊細に描かれていた。ピンク色のバラの下には、淡い緑色の葉っぱが広がっており、色の対比のせいか、とても華やかに感じる。さらに、金色に塗られたティーカップの持ち手は、スワンのような美しい曲線を描いていた。


「コリン様がご自分で選ばれたのですか?」


 あまりに素敵なティーカップだったので、思わずたずねる。


「そうだよ。これはマーシャル商会に頼んで西部地方にある小さな工房から、特別に仕入れてもらったもので、なかなか王都では手に入らないものなんだ」


「そうなんですね」


 私は思わずカップを手に取り、まじまじと眺めてしまう。


「実のところ私が気に入ったというより、女の子ウケが良さそうだと思って。実際大成功のようだし」


 コリン様は、私に向かってウインクをした。


「確かに、素敵です」


「ふふ、シャーリーは、すっかりコリン様の思惑に引っ掛かったってことね」


 ジュリアがくすくすと笑みを漏らす。


 正直「やられた」と思わなくもない。

 けれど、素敵だと思ったのも事実で……。


「貴族のご令嬢は、目が肥えているから心配だったけれど、お気に召して頂けてなによりだ」


 コリン様はシンプルなバタークッキーが乗ったお皿をテーブルの中央に置きながら、私たちに微笑んだ。


「可愛いものを好きな気持ちに、貴族かどうかは関係ないですから」


 弁解しつつ、私はカップを持ち上げる。すると、紅茶の良い香りが鼻腔をくすぐり、気持ちが落ち着くような気がした。そして、そのまま口に運ぶ。


「美味しい」


 口当たりがよく、爽やかな風味が広がっていく。私はあまり紅茶には詳しくない。けれどこれは、高級品で間違いなさそうだ。


「うん、良い味だ」


 コリン様も同じ感想を抱いたようで、満足げにうなずく。


「ところで、二人は今、どんな作品を描いているのかな?」


「私たちは女性のために開催されるコンクールに出展する絵を描いています。自画像なんですけど、とても難しくて。だから気分転換もかねて、コリン様のアトリエを見学させて頂きたくて、ご連絡しました」


 私はありのまま、現状を包み隠さず伝える。


「あぁ、マーシャル商会のだね?自社製品を使い、自画像を描くというものだろう?私たちの間でも話題に上がっていたよ」


「はい。それで……」


「もしかして、私に描いて欲しいとか?」


 私の言葉を遮り、コリン様がいたずらっぽい笑みを浮かべる。


「ま、まさか。流石にそんなズルをしたい訳ではありません」


 慌てて否定する私を見て、コリン様はくすりと笑う。


「コンテストの趣旨を考えると、自画像に政治的な意味合いを含むべきだと思います。けれど私たちの多くは、女の幸せは結婚してこそという教育を受け、育ちました。だから、女性の社会進出を訴えること、それはとても勇気のいることなんです」


 ジュリエットが、私たちが抱える悩みを代表し、告白する。


 そもそも美術学院に通う、数少ない女子生徒の多くは実家が貴族籍の子しかいない。そのため、絵を学びたい気持ちはありつつも、自分たちを取り巻く世界において、結婚をしないで絵を描き続ける未来。それが夢物語であると悟り、「趣味でも絵を描く事を許してもらえればいい」と、どこか諦めかけている部分がある。


「なるほど。君たちは見かけどおり、良く躾けられたご令嬢ってことか」


「その通りだと思いますわ」


 ジュリエットが潔く認め、私も大きく頷いた。


「私の知るゲオルク・マーシャルという人物は、野心あふれる男だ。彼の商会がここまで大きく発展したのも、時に冷酷とも思える判断を下せるからだろう。それを考慮すると、確かに今回のコンクールで入選を目指すのであれば、女性の人権問題に絡む作品を選ぶ。それは近道のように思えるが」


 コリン様は一旦そこで言葉を切り、紅茶を口に含む。そして少し間をあけた後、再び話し始めた。


「審査員を頼まれた者の多くは、王立美術協会のメンバーだ。著名な彼ら全てが、女性の社会進出を望んでいるわけではない。慎ましやかであれと思う人物も未だかなり多く存在するのが現状だ」


 私の脳裏にデッサンでいつも酷評するユルゲン・キューネル教授の顔が浮かぶ。彼もまた、女性が絵を描く事に反対する人物だから。


「だったらなぜ、反対の思想を持つ人が、今回のコンクールの審査員を受けたのですか?」


 ジュリエットが単刀直入にたずねる。


「画家はお金がかかる職業だからね。いつだってパトロンの存在が不可欠だ。つまり、後援者の意向次第だとも言える」


「ええと、後援者の方が女性の社会進出に賛成されているから、自分はそうは思わなくても、審査員を引き受けた。となると入賞する作品はやっぱり、女性の自立を連想させる自画像なんじゃないでしょうか?」


 私の問いかけに、コリン様は首を横に振る。


「残念だが、そこまで簡単ではないだろうね。目に見えて男性優位な世の中を変えようとする意思を示す作品ばかりが賞を取れば、そもそもの目的である、マシャール商会の新作絵の具チューブが売れなくなってしまうだろうから」


「確かにそうですわね。絵の具を購入する層は、圧倒的に男性が多いもの」


「それは言えてる」


 ジュリエットの言葉に私は同意し、コリン様もうなずいてみせる。


「コンクールに入賞したい気持ちはわかる。だが、果たしてそれは本当に正しいことなのだろうか」


 コリン様は真面目な表情で私たちに問いかけた。


「正しくない、とおっしゃられるのですか?」


 ジュリエットが静かに聞き返す。


「いや、そうは言っていない。ただ、君たちが入賞したいという気持ちを優先し描いた絵。その作品が入賞し、世間に広まった時、一体君たちはどう思うかなと思っただけだ」


「私は……嬉しいです。自分の絵が認められて、評価されることは、とても光栄なことだと思いますから」


 ジュリエットは戸惑いながらも、率直な気持ちを口にした。


「うん。そうだよね。私も、そう思います」


 私もジュリエットに同意する。なぜなら賞を取れば、この先絵を描き続ける事に対する、自信にもなるし、周囲を納得させられる理由にもなるからだ。


「では君たちは、一生与えられたテーマに沿うような、模範的な作品を描き続ける事で満足できるということだろうか」


 コリン様はあっさりと言い切った。


「そ、それは嫌かも」


 私が思わず呟くと、コリン様は苦笑いをする。


「そもそも今回、女性たちが芸術に参加することで、女性の権利や平等を主張する一つの手段として機能する事にはなる。だから今回行われる女性のためのコンクールのテーマが「自画像」なのは、ある意味理にかなっていると言える」


 コリン様はそう言うと、私たちの方へ視線を向けた。


「ただ、だからといって、政治的な思想を作品に込めなくてもいいんじゃないか?人は年と共に変化し、成長していくものだ。今こうして悩める自分をありのまま描くこと。それは今の、十六歳の君たちにしか出来ないことであって、政治云々な部分は、もっと成熟した大人の女性に任せればいいと思うけどな」


 コリン様は言い終えると、私たちに向かって微笑んだ。


「ありのままの、そして悩める自分……」


 私は呟き、スッとその言葉が心に浸透してくのを感じた。


「本末転倒になりかけていたと言うことですわね。確かに私は褒められるから絵を描きたいわけではないですもの」


 ジュリエットがまるで、私の気持ちを代弁するかのように、コリン様に告げる。


「あぁ、なんだか急に恥ずかしくなってきちゃった」


 私は脱力し、コリン様を見つめる。


「私もコンクールに入賞したいと、ちょっと熱くなりすぎちゃったみたいですわ」


 ジュリアも照れた様子で、紅茶カップに口をつける。


「真剣に悩めること。それもまた、君たちくらいの年齢だからこそ出来ることだ。恥じる事はないさ。さ、真面目に悩んだ後は、糖分を補給しないと」


 コリン様がおどけた調子で私たちにクッキーの皿を差し出した。


「いただきます」


 私は早速クッキーに手を伸ばす。


「おいしい!」


 サクッとした食感と共に口の中に広がったのは、バターの芳ばしさと甘さだ。悩みが一個吹き飛んだ今食べるクッキーは、今まで食べたどのお菓子よりも美味しく感じ、幸せな気分になれた。


「実は私は、コリン様が苦手でしたの。けれどその苦手は大変失礼だったと、謝罪いたしますわ」


 ジュリエットがコリン様に頭を下げた。


「そう言ってもらえると嬉しいな。私でよければいつでも相談に乗るよ」


 優しく微笑むコリン様は、もはや私にとって救世主のように思えた。


「それにしても、コリン様はどうしてこの場所をアトリエにされたのですか?」


 ジュリエットの言葉を受け、すぐ横にあるアトリエの窓の外を覗き込む。大きな窓からは、西地区の街並みが一望できた。すぐ下の路地では、酔っ払いが道端に寝転がっている。


 確かにコリン様くらい有名な画家であれば、もっと治安の良さそうな、美しい景色の広がるエリアを借りる事が出来そうだ。


「生活感溢れるこの場所だからこそ、いいんだ」


 コリン様は窓から外を指さす。


「例えばあそこにいる酔っ払い。昼間から酔っ払うその理由は、仕事がないだとか、妻に家を追い出されたとか、きっとそんなところだろう。彼は、日々の生活の中で、不満や怒りを抱えている。でもこの場所では、そういう人が多く存在する。だから昼から酒を飲んでいても、そのまま道端で寝転んでいても誰にも咎められないし、気にもかけてもらえない。それが彼を取り巻く現実だ」


 コリン様はまるで死んだように路地に横たわる酔っぱらいの男性に、憐れみのこもる視線を向けた。


「けれど、この光景は、数ブロック先にある小洒落た地区では、あり得ない常識となる」


 確かにここから数ブロック先に進んだ場所には、中流階級と呼ばれる人たちが多く住まう住宅地がある。そこでは、すぐそこに外出するだけでもみな着飾る事が常識だ。それは、持つべき者として、周囲の視線を気にした生活を送らなくてはならないからだ。


「つまりコリン様は、取り繕った世界に魅力を感じないという事ですか?」


 私は感じたことそのままをたずねる。


「そうだね。ここでは生と死が隣り合わせであるような人が多く住んでいる。だからこそ、彼らを見ているとインスピレーションが湧くんだよ。さ、今度は君たちに、私の作品を講評してもらおうかな」


 コリン様がおどけた口調で立ち上がる。私は彼の背中で揺れる、まるで馬のしっぽのような髪を見つめ、「やっぱり出来た大人は、いう事が違う」とひとりごちたのであった。

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