028 コリン様のアトリエ訪問1
その日私はジュリエットと共に、コリン様の案内で西地区の古びた建物が立ち並ぶ、細い路地を進んでいた。
路地には洗濯物が干され、子どもたちが元気に遊び回っている。通りに面した露天売りたちは声を張り上げ、商品を売り込んでくる。そんな活気ある路地の一角にアトリエがあるということで、コリン様が導くままに私たちは進んでいく。
アトリエの建物は古い煉瓦造りの家で、周りには他の建物がぎっしりと建ち並んでいた。
ドアを開けると、真っ白な壁紙が目に飛び込んできた。そこには制作途中なのか塗りかけのキャンバスが壁を背に、いくつか床に置かれている。
部屋の中央には、大きなキャンバスがイーゼルに立てかけて置かれていた。その前に椅子が置かれていることから、どうやらコリン様が現在取り掛かっている作品のようだ。
「わぁ、こんな作品も描かれるのですね」
私は感嘆の声をあげ、コリン様の作品らしくない、鮮やかに彩られた少女の絵に見とれる。
黒塗りがされた背景に、こちらに、はにかむ笑みを浮かべるバストアップで描かれた少女。艶やかな銀糸の髪が毛先一本まで丁寧に描かれており、瞳の色は空のように透き通った青色だ。
間違いない、私がヨシュア殿下の瞳に使えなかったウルトラマリンブルーが使われているに違いない。
繊細なタッチで描かれた少女は、とても純粋な笑顔をこちらに向けており、見る者を魅了する力があった。
「発表している作品の一貫したテーマは、メメント・モリだからね。死を意識すると、無性に生も描きたくなるんだ」
コリン様は立ち止まり、壁に飾られた絵をどこか誇らしげに眺めながら告げた。
「確かに死と生は、近しいものですものね」
私はしみじみと思いながら呟く。
「そうだね。生きているからこそ、死という終わりが見えてくるものだしね」
コリン様は描かれている女性に負けないくらい美しく微笑み、答えてくれた。
絵を描く事は描く題材に真摯に向き合う事でもある。そしてコリン様がテーマとして掲げるメメント・モリという言葉には「自分がいつか必ず死ぬことを忘れるな」とか「死を想え」と言った意味が込められていると言われている。
そういった作品世界を追求するということは、常に死ぬことの意味と向き合う事を意味する。そして生と死は表裏一体。だからこそ、死を描くことで生を意識するという、コリン様の気持ちはわからなくもない。
「この作品は発表されないんですか?とても素敵だと思いますわ」
いつもはコリン様の絵に難色を示すジュリエットが、私たちが見つめる絵に対し褒め言葉を口にする。私はそんな彼女の問いかけを耳にし、この絵がそれだけ良い作品だということの証拠だと思った。
「お褒めの言葉をありがとう。ただ、私は描いていて情熱を感じるものしか、発表しない事にしているんだ」
コリン様の口から飛び出した言葉に、私とジュリエットは思わず顔を見合わせる。
今の言葉を言い換えると、生を描いた絵は、コリン様にとって情熱を感じるものではないと言う事になるからだ。
「こんなに素敵なのに」
ジュリエットが小さな声で呟く。
「まぁ、人それぞれ、描きたいものは違うから」
私は複雑な表情を浮かべるジュリエットに告げる。
気持ちとしてはジュリエットに完全同意だ。私も発表された作品より、こちらの明るい絵の方を部屋に飾りたい。しかし描きたい題材は作者の自由。私たちがとやかく言える立場にはない。
「お茶を用意しよう。適当にその辺の椅子に腰をかけてくれ」
「ありがとうございます」
ジュリエットが礼を述べる。
「どうぞ、お構いなく」
私も慌てて付け足した。
「私が君たちを構いたいんだ。だから気にしないで」
コリン様は爽やかな笑顔と共に、スラリと伸びる長い足を動かし、隣の部屋に消えて行ってしまった。
「うわ、見て。流石売れっ子画家。こんなに絵の具がたくさんあるわ」
ジュリエットが、壁に立てかけられた棚に置かれた絵の具を、興味深そうに見つめる。
「貴族のパトロンが沢山いるって話は、本当なんだね」
私もカラフルな絵具が並ぶ棚を眺めながら答える。
「しかも、彼のパトロンは貴族の未亡人ばかりらしいし」
「コリン様は美しい人だからね。きっと綺麗な宝石を欲しがるように、みんなが手に入れたいと思うのかも」
我ながら良い例えだと満足しつつ、私は隣の部屋に続くドアを見つめる。
生憎彼の姿は見えないが、食器がぶつかる音やポットのお湯が沸く音が聞こえてくる。
「えぇ。だから彼も貴族のような生活を送っているんだろうけど……でもねぇ。なんか、私は好きになれないのよね」
「ジュリエットが苦手なのは、彼の作品だけじゃないの?」
私はコリン様に聞かれてはならないと、ドアに視線を向けたままたずねる。
「正直どっちも。何だか病んでそうだし」
「それはコリン様が色白だからそう思うんじゃない?」
私はコリン様の血管が透き通るほど白い肌を思い浮かべる。儚げで美しい青年である事は間違いないが、見方を変えれば、不健康そうにも見えてしまう、その気持ちは何となく理解できた。
「そういう病むじゃなくて、精神的にってこと」
「あ、そっちか」
「もう、相変わらずシャーリーはズレてる」
ジュリエットが笑いながら私のおでこをツンと突く。
「でもま、この作品は素晴らしいと思うけどね」
ジュリエットが壁にかけられた少女の絵の前に立つ。
「確かに」
私もジュリエットの隣に並び、先程話題にあがった少女の絵から感じ取れる、和やかな雰囲気に浸る。
「この子はコリン様が好きなのかな」
なんとなく感じたままを私は口にした。
描かれた少女の瞳は、澄み切った空のように美しく輝くウルトラマリンブルーの青い瞳で、ただひたすら優しい表情をこちらに向けている。
「え?どういう意味よそれ」
「んー……何かね、そんな気がするの」
自分でも上手く説明できない。けれど私は、少女がこちらを見つめる瞳を前にし、コリン様の事を想っているのではないかと感じたのだ。
「まぁ、言われてみれば、これはツガイを見つめている時の瞳かも知れないわね」
「え?そうなの?」
私はジュリエットの指摘に驚き、声を上げる。
「だって、こんなに透き通る表情を他人に向けている人なんて見たことないもの。もしこの子が恋をしているのだとしたら、それはツガイに対する、絶対的な愛情からくるものなんじゃない?」
ジュリエットは真っ直ぐに前を向き、真剣な眼差しで絵を見つめている。
「なるほど」
ジュリエットの表情から察するに、冗談ではなく本気で言っているようだ。
「だとすると、例のコリン様が亡くされたというツガイって、この子なのかな」
「どうだろ。でもまぁ、こんな幸せそうな表情になれるのだとしたら、恋はしないよりした方がいい事は確かだし、私にもツガイが現れないかなって、つい願ってしまいたくなるわ」
「でも、変態的にツガイに反応する人もいるし。誰しもが綺麗な気持ちでツガイを思うわけじゃなさそうな気がするけど」
私は失礼を承知でヨシュア殿下を思い浮かべ、ジュリアに忠告をしておく。
「重みある言葉をありがとう。だとすると、この子は相手にも愛されてる、幸せなツガイなのかもね」
「あーそっか。ツガイはその思いが受け入れてもらえないと、狂うらしいから」
私は図書館で目にした本の内容を思い出し、ヨシュア殿下がやたら私に触れたいと願ってしまうのは、私が彼に反応しないから、本能的に危機を感じ、必死になっているのかも知れないと思った。
「噂が本当だとして、コリン様がツガイを亡くされたのだとしたら、そのせいで、私には病んでるように思えちゃうのかも知れないわ」
「なるほど。それならわかるかも」
私とジュリエットは絵を見つめながら、小声でコソコソと会話を交わす。
「はい、お茶だよ」
いつの間にか、私とジュリエットの後ろにコリン様が立っていた。
「きゃっ」
「うわ」
私たちは同時に小さな悲鳴を上げ、コリン様を振り返る。
「ごめん。驚かすつもりはなかったんだ」
トレイを手にしたコリン様は、申し訳無さそうに私たちに謝った。
「いえ、こちらこそ、すみません」
「ごめんなさい」
私たちは恐縮しながら頭を下げる。
「いや、君たちは悪くないよ。さぁ、お茶にしよう」
コリン様は私たちの会話内容には触れず、優しく微笑む。
「はい、お言葉に甘えて」
「ご馳走になります」
私たちは彼の言葉に従い、窓際に置かれた小さなテーブルセットに足を進めたのであった。




