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021 嬉しいお誘い

 ヨシュア殿下のツガイかも知れないという衝撃の事実を知らされた。しかし、私の中に存在するであろう「ツガイ反応スイッチ」は未だ無反応のまま。


 それどころか、私がヨシュア殿下に対して思うのは、今まで通り「裸を見せてほしい」と願う気持ちだけ。勿論それは変態的な意味ではなく、全てはデッサンスキル上達のため。画家の卵として自然に発する探究心からくるものだ。


 そもそもミランダ嬢を筆頭に、ヨシュア殿下を狙う独身女性は多い。よって、殿下が媚薬を盛られていないという可能性も否定できない。となると、私は運悪く媚薬を盛られる現場に二回ほど偶然遭遇しただけ……。


 そんな嘘みたいな可能性も捨てきれないという状況だ。


 しかし私はその場しのぎで咄嗟に口にしたとは言え、ヨシュア殿下に「図書館でツガイに関する本を借りてみる」と約束した。


「気は向かないけど」


 約束は約束だ。そう思った私は、ツガイについて詳しく書いてある本を数冊借りてみるかと、休日を利用して一人図書館に向かったのであった。





 ◇◇◇





 石造りの柱とアーチの通路を通り抜け、王立図書館の入り口をくぐる。するとそこは重厚な書棚が立ち並ぶ大広間が広がっていた。天井は開放感たっぷりといった感じで高く、壁には古い彫刻が飾られている。


 何より図書館の扉を開けた瞬間、鼻を掠る古本独特の匂いはどこか安らぐもの。それから、書棚の上から下まで詰まる本たちの、見事な装丁や手書きの見返しに、私は目を奪われた。


「たまには図書館もいいかも」


 浮かれた気分のまま、入館手続きを済ませる。


 それから、静かな雰囲気に包まれる図書館内を、該当の本が陳列された場所に向かう。


 通り過ぎる棚には古い革装丁の書物や、精密に描かれた地図、歴史的な資料など、様々な種類の書物がきちんとジャンル分けされ収められていた。


 壁には、装飾的なフレームに飾られた数々の絵画が掛けられており、私の目を存分に楽しませてくれる。


 窓の外からは、柔らかい日差しが差し込み、暖かな光が室内を照らしている。私は図書館の静謐な雰囲気と美しい装飾にうっとりとしながら、ツガイに関する本を探し始めた。


「うわ、色々あるのね」


 私がまず手を伸ばしたのは、『ツガイの見つけ方に失敗した私が教える、失敗しないためのツガイ発見術』と書かれた比較的薄い書物だ。その隣にある『ツガイに惑わされないための百の秘訣』という本も気になったが、ひとまず発見術の方を選んだ。


 私は表紙を開き、ぱらぱらとページをめくる。


「ふむ……なになに? そもそも、ツガイとは?」


 私は本の冒頭に書かれている項目を黙読する。


【ツガイとは】


 ・ツガイは、相性が良い組み合わせを指す。

 ・ツガイはかつて竜族であった者がさらなる進化を遂げるために、自ら備えたものとも言われており、本能的なものである。

 ・ツガイを見つければ、効率よく優秀な子孫を残すことが可能だと言われている。


「竜族って、ファンタジーの世界じゃないんだし。でも……ヨシュア殿下と私がもし本当にツガイなら、いずれ子供を産みやすいってことか」


 だとすると、高貴な王族の血筋を後世にのこすため、王族の方々は一般人よりもツガイセンサーが発達しているという、その理由がわかる気がした。


 私は納得する気持ちのまま、本の続きに目を通す。


 ・ツガイを認識した場合、相手への異常な固執、性的欲求が高まる事がある。

 ・ツガイのどちらかを失った時、もしくは相手に認められない時、ツガイは絶望感を感じ、その悲しみに耐える事が出来ず、相手に対し攻撃的になるなど、精神的に不安定になる事があるので要注意である。


「ツガイが相手に認められない時、攻撃的になるって……なにそれ、怖いんだけど」


 これが事実であるならば、ヨシュア殿下のツガイが私で、このまま彼にツガイ独特の何かを感じなかった場合、ヨシュア殿下は私に害を加える存在になりかねないということだ。


「えー、それは勘弁なんだけど」


 本に記載されているからと言って、全部が本当の事かどうかはわからない。けれど少なくとも過去にそういう事実があったからこそ、こうして本に記載されているわけで。


「ほんと、要注意だよ」


 私は人知れず、事の重大さを知り怯える。


「というか、片方だけがツガイだと認識している場合について、もっと詳しく書いてないのかな」


 この場所に足を運んだそもそもの理由を思い出す。


 私は手にした本の先をパラパラとめくってみる。しかし、この本には私が必要だとする情報について、細かく記載されていなかった。その事に少しガッカリしながら、次に手に取ったのは、『ツガイを見つける方法〜独自の発想でアプローチ〜』と題された分厚い本だ。


「えーっと、ツガイを見つけるためには……」


 私は最初の項を読み上げる。


【ツガイを見つける方法】


 一、趣味や嗜好が似たもの同士を満月の夜に集める。

 二、一人一人、自己紹介する。

 三、その中から不快に思わない人を選ぶ。

 四、二人きりにしてみる。


 ここで駄目なら、一から繰り返し。四で上手く行けば、それはあなたのツガイである可能性が高いと言えるでしょう。


【ツガイが見つかった場合】


 五、お互いに相手を好きになる。

 六、恋人関係になり、結婚。

 七、子供ができる。


「ふぅん……まぁ確かに、ツガイを意識するには、お互いが好きにならないとダメなのかもね」


 私は納得して、次の項へと視線を移す。


【意中の相手を自分のツガイだと思わせる方法】


 一、相手の話をじっくり聞き、共感したり、アドバイスをしたりする。

 二、ちょっとした気遣いや、服装などを褒める。

 三、相手が興味を持つ話題について話す。

 四、街中などで、偶然出会ったふりをする。

 五、"運命"という言葉を使う。


「……」


 私は無言で本を閉じた。なぜなら、この本も私の求めているものではなかったからだ。しかも今回の本は題名詐欺も甚だしいもの。ツガイという絶対的な関係を装い、相手を騙す方法が記載されているようだ。


「何なのこれ」


 私はガッカリな内容に、若干不快な気分で本を元の場所に戻そうと、本棚に手を伸ばす。すると、その指先が隣の本に触れてしまう。


「あっ」


 バサバサと音を立てて、床に落ちる本たち。私は慌てて拾い上げようとしゃがみ込む。


「大丈夫?」


 不意に頭上から降ってきた声に顔を上げると、そこにはこちらを見下ろし、優しく微笑む美しい黒髪の青年がいた。


 最近マーシャル商会の絵の具チューブ発売パーティで顔を合わせたばかり。

 新進気鋭の若手画家、コリン・ウィンドリア様だ。


「手伝おう」


 コリン様が親切にもしゃがみ込み、落とした本を拾うのを手伝ってくれた。


「ありがとうございます」


 何故こんなところにコリン様が?と驚きつつ、一緒に本を床から拾い上げてくれているコリン様に感謝を伝える。


「怪我はない?」


 本棚に本を差し込みながら、コリン様が私にたずねる。


「はい、平気です」


「それは良かった。本は知識を与えてくれる素晴らしい物でありながら、画家にとっては時に、凶器にも成りうるからね」


 コリン様はおどけた調子で口にする。確かに本のページで指を切ったり、分厚い本を手の上に落としたり。画家にとって大事な指先を本で傷付けることは、たまにある。


「ふふふ……そうですね」


 私はコリン様の言葉に笑みをこぼし、相槌を打つ。


「ところで、君はツガイを探しているのかな?」


 コリン様は、私が拾い手にした本の表紙を見つめたままたずねてきた。因みに彼が見つめる先にある本の表紙には、『ツガイの落とし穴!でも、踏んでみたいかも?』という、かなり恥ずかしい題名が記されている。


「あ、いえ……」


 思わず本の表紙を隠すように、慌てて本棚に本を押し込んだ。


「この書架に並ぶ本の題名。それから今の君の反応を見る限り、君にはすでにツガイが見つかってしまったという事か」


 コリン様はがっかりした様子で肩を落とす。


 なんでそんなにわかりやすく気落ちするのだろうか。これは私の問題なのに。


 私はコリン様の醸し出す雰囲気の意味がわからず首を傾げる。


「いや、王立美術学校のOBの一人として、私には常々思うところがあってね」


「思うところですか?」


「才能豊かな女性が結婚を機に創作活動を断念し、家庭に入るのは残念だと思っているんだよ」


「私は……」


 正直自分にそこまで才能があるかどうかわからない。もちろん、いずれは画家として認められ、我が国を拠点とする芸術団体。王立美術協会のメンバーになりたいと密かに願う気持ちもある。


 一方で、私は貧乏のつく伯爵家の娘だ。いつまでも実家の世話になるわけないはいかないという現実も抱えている。


 つまり私は、学生中に世間に認められるような作品を残せなかった場合、条件の揃う相手と結婚するしかない。そして現在、ヨシュア殿下のツガイ問題に巻き込まれ、「条件の揃う相手と結婚する」というミッションですら、かなり難易度の高いものとなってしまっている。


「君のベルヴェデーレのアポロン像のデッサン。あれは素晴らしいものだったよ」


「そう言って頂けると励みになります。ありがとうございます」


「今の時代、女性が芸術の世界で活躍するには、社会的な観念や制約があるせいで簡単なことではない。けれど女性が絵を描いてはいけない。そういう法律はないのだし、何より、私は君の才能を埋もれさせたく無い」


 コリン様は真剣な表情で私に告げる。


「私に才能があるかどうか。それは別として。でも、褒めてくださりありがとうございます」


 私は照れる気持ちのまま頬を赤らめ、お礼を言う。


 実のところ、何度もコリン様が褒めてくれるアポロン様のデッサンについて、それだけで私の才能がわかるのだろうかと疑う気持ちはある。けれど、世間に名の知れた画家に褒められるというのは、それがお世辞だったとしても素直に嬉しい。


「そうだ。君さえ良ければ、今度私のアトリエを見せてあげるよ」


「いいんですか?」


 私はすっかり忘れていたけれど、魅力的でまたとないチャンスに心ときめく。


「美術学院の友達と共に、予定を合わせて来たらいい。そうだ。折角だからみんなで絵の勉強会をするのはどうかな?」


「いいんですか?でも創作のお邪魔になるんじゃ」


 破格の申し出に私の心は浮かれる一方、コリン様の貴重な時間を割いてまで、そんなことをお願いしてもいいのかと不安にもなった。


「気にしないで。我が国における芸術分野の発展のためだしね。そのために、才能豊かな後輩たちに時間を割くこと。それは先を進む者に課せられた使命だと思っているから。君たちが私のアトリエを訪れる事で、創作意欲を刺激されてくれたら、それが私へのご褒美だ」


 コリン様は、爽やかに微笑んだ。


 芸術業界そのものまでに思考を巡らせているコリン様は、その見た目の美しさも相まって、もはや「芸術の神アポロン様そのものだ」と私は感動すら覚える。


「では、お言葉に甘えてもいいですか?コリン様のご都合のよろしい時に、みんなで見学させて頂きたいです」


 私はコリン様の優しい笑顔に見惚れながら、しっかりお願いをしておく。


「もちろん、みんなでおいで。そうだ、連絡はここに」


 コリン様は上着の内ポケットから、一枚の名刺を取り出し私に差し出す。


「ありがとうございます」


 私はまるで有名な絵画をもらったという気分で、コリン様の名刺を有り難く受け取る。咄嗟に「これを売ったらいくらになるんだろう……」などと不埒な事を思いつき、即座にその思考を投げ捨てた。親切にしてもらったくせに、あまりに失礼すぎるからだ。


 貧乏が染み付いた自分がうらめしい。


「じゃあ、そろそろ失礼するよ。それと、悩める時こそ筆を持つべきだと思う。君は絵を描ける人なのだから」


 コリン様は最後に私にアドバイスを残し、その場に仄かに香る、爽やかなシトラスの匂いを置き去りにして立ち去った。


「なにあれ、素敵だったんだけど……」


 窓から差し込む光の中、コリン様は颯爽とした足取りで出口へと歩いていく。その後ろ姿を見つめながら、私は圧倒された気持ちのまま立ち尽くす。


「でも確かに……コリン様の言う通りかもしれないわ」


 コリン様の助言に感銘をうけた私は、彼の姿が消えた後も、「今描くべきもの」それは一体何なのか。しばらくその場で考え込んでいたのであった。

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