020 ツガイである可能性
運悪く二回もヨシュア殿下にバックハグをされているという、あり得ない状況に遭遇した私。しかもこの状況を招く原因は、私がヨシュア殿下のツガイかも知れないから。
それを私に知らせるヨシュア殿下は、熱を帯びた瞳で私を見つめている。そのとろけるような甘い表情に、不覚にも私はドキリとしてしまい慌てて正面に顔を戻す。
「で、でも、私は殿下をいい香りだと思いません。そもそも、本当のツガイならお互い、本能的に惹かれ合うものですよね?」
私は必死で反論する。
ツガイの相手が我が国の王子、ヨシュア殿下ともなると、「ツガイなんてロマンチック」などど、浮かれてなんていられない。
彼の見た目に反して筋肉質なその肩に乗った、重積の方が目の前にチラつくからだ。
「悲しいことに、君は僕の体以外に興味がないみたいだけど。でもさ、僕の体に執着するということは、ツガイの可能性もあるってことだって、一時はそう疑っていたんだ。だけど君はマクシミリアンの裸でも良いと言うし」
ヨシュア殿下は、私の腰に絡めた手にグッと力を込める。
「だけど僕は君から放たれる体臭に反応し、まるで媚薬を盛られたかのように、苦しくなり、心臓が早鐘をうち始める。そして、君に触れてこうして香りを嗅ぐと自然に心が落ち着いていくんだ」
思いの丈を吐き出したらしいヨシュア殿下は、私の首元に顔を寄せると、すぅっと鼻で大きく息を吸い込んだ。
「きゃっ。だ、だからやめて下さい。そもそも、今は普通に戻られたみたいだし、離してもらえます?」
「それはできないよ」
「なんでですか」
「心地良い、心が満たされる。そして何より手離してはならないと、そう心が訴えかけてくるから」
ヨシュア殿下は私を抱き寄せる腕に力を込める。もはや「逃すまい」という強い意志を嫌でも感じてしまい、私は困り果てる。
「そ、そんな事言われましても……そもそも片方だけがツガイに反応するなんてことがあり得るのですか?」
私は冷静にこちらを見下ろす、マクシミリアン様に問いかける。
「そうですね。同じ時期にお互いを認識するとは限らない。確かにそのような話を聞いた事はあります。けれどそれは、なかなか珍しいケースではないかと」
マクシミリアン様は、「だからこそ、殿下のパターンは判断が難しい」と呟きながら、首を横に振る。
正直ヨシュア殿下に今のところ、ツガイを示すような感情を抱かない私は「どうしたものか」と困り果てている。ただ、どうみてもヨシュア殿下のこの反応は尋常ではない。もしこれをシラフで行っているのだとしたら、かなりの変態だ。
「もし仮に、殿下が私の香りに反応されているとして、今後私はどうすれば良いのでしょう?」
私は相手も相手なので、一応失礼のないよう言葉を選びつつ質問を重ねる。
「満月になると、こう、何となくまずい気がするんだ」
ヨシュア殿下がはぁと私の首元でため息をつく。
「ひゃっ、ま、満月ですか?」
「ツガイを求める者にとって、満月は感情が一番昂りやすい時期だと言われておりますから」
先程私が解答した満月というキーワード。今度はそれを、マクシミリアン様が認めるような発言をする。
やっぱり満月は関係あったじゃないかと、私はマクシミリアン様を睨む。しかし素知らぬ顔を返されてしまった。
「満月には、君にしばらく会わない方がいいのかも知れない。次は、君を抱きしめるだけでは、すまなくなってしまう可能性だってあるわけだし」
思い詰めたような声で告げるヨシュア殿下。
「ツガイへの想いが叶わなければ、それはもはや苦痛でしかない。そう言いますからね」
マクシミリアン様は、苦虫を噛み潰したような顔を浮かべた。
そんなマクシミリアン様の表情を眺める私の脳裏に「ツガイ狂い」という言葉が浮かぶ。
もしヨシュア殿下が本当に私のツガイで、だけど私が拒絶したら、彼に殺されるかも知れないという事だろうか。
何となくしんみりとした雰囲気漂う中。私はふと気付く。
「あ、あの。満月の日って、夜会やら舞踏会が開催される確率が高いと思うのですが」
昔から満月の日は、ツガイが見つかる確率が高いと言われている。そのため我が国では、満月を狙って積極的に人が集まる催しが行われるのが常だ。
となると、私も出かける確率が上がるわけで、それはヨシュア殿下にも当てはまる。
「そうなんだよ。僕たちは年齢も同じ。お互い婚活中。となると君と僕は鉢合わせする機会が自ずと増えるわけで」
「ですよね」
私は相槌を打ちながら、自らを取り巻く環境を振り返る。
そもそも貧乏だろうと伯爵家に属する者として、私にも付き合いがある。それに私としても、永遠に実家のお荷物でいるわけにはいかない。むしろ実家が貧乏だからこそ、出来れば持参金を多く用意せずとも、王立美術学院に通い、変わり者だと思われがちな私を、快く嫁にしてもいいと言ってくれる、出来ればお金持ちな相手を見つけなければならないという使命を背負っている。
そう、私の婚活は実に難易度が高いもの。よって足止めされている場合ではない。だから満月の夜に開催される催しに一切参加出来ない。それは私にとって「かしこまりました」とすんなりと了承するわけにはいかないこと。
「正直、私の実家は貧乏ですし、私自身は、貴族の方から敬遠されがちな王立美術学院の生徒ですし、お金持ちな相手を早めに見繕いたいというか。その為にはデビューしたばかりの今シーズンは勝負どころなんです」
私は切実なる思いを吐き出す。
「君を取り巻く事情は、シリルに聞いている。だから君が真剣に将来の相手を探していること。それは理解しているつもり。けれど」
ヨシュア殿下はそこで言葉を濁すと、無意識なのか、すぅと息を大きく吸い込んだ。
「ひゃっ! だ、だからやめて下さい!」
「す、すまない。でも君の香りを嗅ぐと落ち着くんだ」
ヨシュア殿下は小さな声で「ごめん」と私に謝ってきた。
何だか落ち込む殿下に対し、申し訳ない気持ちになりかけた。けれどすぐに、私は悪くないと思い直す。
「シャーロット嬢。君には悪いとは思う。しかし君には僕のツガイである嫌疑がかけられた状況なんだ。君が僕のツガイかも知れない。それだけは、頭の片隅でいいから覚えておいて欲しい」
ヨシュア殿下は、懇願するように私の耳元で囁く。
「ひゃっ、わ、わかりましたから。だからそこで喋らないで下さいってば!」
くすぐったくてたまらない私はギブアップ。
ここはひとまず、ヨシュア殿下にバックハグされているという状況を打開するためにも、最大限譲歩しておいた方が良さそうだ。
「わ、私もツガイを見つける方法についての本でも、図書館で探して読んでみますから」
私はヨシュア殿下を見上げると、とろんと蜜が垂れたようになる彼の青い瞳をじっと見つめて提案する。
万が一、私がヨシュア殿下のツガイだったとして、それはとんでもなく偉い人の所に嫁ぐ事になる事を意味する。そんな恐るべき事実に対し、私なんかで務まるのだろうかと、今は不安でしかない。しかし、本当に私が殿下のツガイだった場合。逃げることなど不可能だ。
なぜなら、ツガイとはそういうものだから。
よって、万が一結婚となる場合のあれこれの部分に思考を巡らせるのは、ひとまず後回しにする事にした。
とりあえず今を、殿下が私に張り付くこの今の状況を、とにかく何とかしたいとご機嫌を取るような発言をしてみたのだが。
「そ、そうか。僕との事を前向きに考えてくれるんだ。ありがとう」
ヨシュア殿下はパッと顔を輝かせると、感極まったようにぎゅっと力強く私を抱き締めてくる。
「いえ、婚活の出会いを奪われるのが困るからです」
前を向いた私は、即座にヨシュア殿下の都合の良い勘違いを否定する。
「……君が僕に反応してくれれば、もうそれは必要なくなるのに」
何故か不貞腐れたような声をあげるヨシュア殿下。
「そうですね。ヨシュア殿下の反応は、確実にツガイに対するものですからね。シャーロット嬢さえ反応すれば、なんら問題のない、むしろ「第二王子のツガイ発見!」と、国を上げた慶事となるのですが。すんなりといかないのは、殿下らしいというか、何と言うか……実に残念です」
マクシミリアン様が、眉根を下げこれみよがしなため息をついた。
現在部屋の中に漂うのは、何となく「私のせい」という、謎にこちらが責められるような雰囲気だ。
「ぜ、善処します……ところで、今回の件について、陛下は何とおっしゃっておられるのでしょうか?」
私は話を変えようと、咄嗟に思いついた事をマクシミリアン様にたずねた。
「陛下としては、ヨシュア殿下のツガイ発見に喜びたいお気持ちを抱えつつも、いまのところあなたがツガイでない可能性も否定出来ないため、この件については慎重にせよ、とのことです」
「慎重に、ですか」
私は、これのどこが慎重なのだろうかと薄目になる。もし殿下の思い違いで、この状況が世間に露呈したら、私は傷物にされた娘確定だ。そうなってしまえば、さらに嫁の貰い手がなくなるというのに。
「それにもし、ツガイの件とは別の部分でヨシュア殿下とあなたが心を通じ合わせるような事があった場合。殿下にとって本来のツガイが現れた時、あなたには身を引いてもらう事になります。ですから慎重に、と仰っているのかと」
「あーなるほど」
確かに私が一切の反応を示さない状況である以上、これは何かの間違いである可能性は捨てきれない。最悪、媚薬を嗅がされている可能性だってないとは言い切れない状況なのだろう。
何より私とヨシュア殿下が、このような状況を繰り返すうちに何のはずみか、お互いを好きになってしまうような事があったとしたら。そしてもしお互いがツガイではなかったら。
その先に待つのは辛い別れだ。
私は陛下が何を言いたいのか。それが理解できた。
「でも今日はきちんと君に説明出来て良かった。これでようやく肩の荷がおりるよ」
ヨシュア殿下はホッと安堵のため息をつくと、私を拘束していた腕の力を緩める。
私は今がチャンスとばかり、殿下の腕の中から逃げ出した。
「あっ」
ヨシュア殿下が名残惜しげな表情を私に向ける。
宙を浮く、伸ばした腕が切ない哀愁を漂わせていた。
「それでは、私はこれで失礼致します。それと、この件は陛下のおっしゃる通り確定するまで、くれぐれもご内密にお願いします」
私はペコリと頭を下げると、殿下に背を向け、さっさと退散しようとする。
「シャーロット嬢、そんなに慌てて逃げなくても……」
背後からヨシュア殿下の切なそうな声が追いかけてきた。しかし私は、それを完全に無視して、逃げるようにその場を後にしたのであった。




