018 絵の具チューブ発売記念パーティー3
マーシャル商会が一押しする、使い捨て絵の具チューブの発売記念パーティーに参加する私は、マーシャル商会会長ゲオルグ様の娘であるミランダ様に絡まれた。
さらに、突如現れた新進気鋭の画家コリン様には揶揄われた。
けれどコリン様に、顔を覗き込まれ「今度私のアトリエにおいで」と告げられた私は、有名画家のアトリエという言葉に大変魅力的な気持ちになった。
だから「是非、お願いします」と伝えようとしたところで、私たちの前にヨシュア殿下が登場。しかも麗しのお顔を不機嫌に歪ませて。
「まぁ、ヨシュア殿下。いらして下さったのですね?」
先程私と話していた時よりも、数オクターブほど高い声を出したミランダ様が、とてもフォーマルでエレガントな印象を受ける、ブラックのシルクジャケットを羽織る、ヨシュア殿下に声をかける。
「兄に急な用事が出来たんだ。だから私が代わりに」
ヨシュア殿下は、なぜか私を睨みながらミランダ様に告げる。
「何で君はコリンといるの?そもそもどうしてここに?」
「招待されたんです」
どう見てもヨシュア殿下は、私にたずねている様子だったので、素直に答えておいた。
そもそも招待もされていないのにこの場所にいたら、無銭飲食のち不法侵入の罪で警ら隊に捕まる事は確実ですし。
そんなことも想像できないなんて、ヨシュア殿下はわりとうっかり屋さんなのかも知れない。
「招待されたのは、言わなくてもわかるよ。私が君に聞きたいのは、なぜコリンに、不適切な距離を許したのか?という点についてなんだけど」
ヨシュア殿下はため息混じりに、しつこくたずねてきた。
なるほど。どうやらうっかり屋さんは私の方だったようだ。
「それは、目にも止まらぬ早さで、私の目の前にいらしたからです」
後は任せたという意味を込め、私はチラリとコリン様に視線を送る。
「殿下、彼女は別にあなたのツガイでもなければ、婚約者でもない。たとえ顔見知りだとしても、交友関係にいちいち口を出すのはいかがなものかと。嫌われますよ、そういう余裕のない男は」
コリン様は、いつもの爽やかな笑顔のまま、ヨシュア殿下にサラリと告げる。
私の中で「さすが二十歳を越えた大人の男性は言うことが格好いい」とコリン様の株がグググとあがる。
「くっ……」
コリン様の、飾らぬ物言いに、ヨシュア殿下は悔しそうな表情になった。
勝負あり、今回はコリン様の圧勝だ。
「殿下は、もう父と話されました?」
ミランダ様がすかさず、不穏な空気に割って入る。
「先程少しだけ」
ぶすっとした顔でヨシュア殿下が答える。
「皆様にご挨拶なさったのですか?」
「いや、とりあえず今日は、ゲオルグ殿に挨拶しに来ただけだから」
「でもせっかくですし、皆様に殿下を紹介させて頂けませんか?よろしかったら、私がご一緒いたしますので」
ミランダ様が、にこりと微笑む。つられたように、ヨシュア殿下も穏やかに微笑む。
そのやり取りを見て、私は危険で厄介な二人が去っていく。
そう思い安堵したのだけれど。
「いや、遠慮しておく」
ヨシュア殿下があっさり断ると、ミランダ様は、とても悲しげな表情になり、「そう……ですか」と呟いた。それからみるみると、ミランダ様の目の際に涙が溜まっていく。
「ヨシュア殿下。あなたは人生経験が浅く、恋愛経験もなさそうなので仕方がない部分はありますが、断るにしても、もう少しスマートな言い方というものを学ばれた方がよさそうですね」
周囲を気遣ってか、小声で注意するコリン様。
どうやらコリン・ウィンドリアという人物は、誰に対しても物怖じしない人物のようだ。
「も、申し訳なかった。では、ミランダ嬢のお言葉に甘え、やっぱり会場を案内してもらおうかな」
ヨシュア殿下が、慌てて取り繕うように告げる。そしてズボンのポケットから、白いシルクのハンカチを取り出し、ミランダ様に差し出した。
ポロポロと涙を流していたミランダ様が、ぱぁーっと明るい表情になったかと思うと、ヨシュア殿下に近づき、彼が差し出したハンカチに手を伸ばす。
「ふぅ、一件落着ね」
ジュリエットが呟いた時、会場を横切る風が吹き抜けた。
その瞬間、すべての出席者の髪が舞い上がり、ドレスの裾が風になびいた。会場に舞い降りた風は、庭園に咲く花々の甘い芳香を私たちの元へと運ぶ。それはまるで会場を浄化し、新鮮な空気を私たちに届けにきてくれたかのよう。
思わず私は、「五感を研ぎ澄ますチャンス」と目をつぶりかけた、その時。
「うっ、な、何だ……こ、これは……」
突然ヨシュア殿下が、苦しみの声を上げる。
「ヨシュア殿下!?」
私たちは、一斉に目を丸くして声を上げた。
「っ……くそっ!ま、またか」
苦しげにヨシュア殿下は吐き捨てると、そのまま地面に膝をつく。
「殿下!!どうなさいましたか!」
ミランダ様が慌てた様子で、ヨシュア殿下に声をかける。
「だ、大丈夫……。ただ、急に気分が悪くなって」
「誰か、お医者様を――」
「大丈夫ですか、殿下」
膝をつくヨシュア殿下の傍に寄り添いながら、ミランダ様が叫びかけた声を遮るように、私たちの後ろから声がかかった。
慌てて振り向くとそこには、ヨシュア様と同じように黒いテールコートに身を包む、マクシミリアン様の姿があった。彼が来たならもう大丈夫だと、私はホッと胸を撫で下ろす。
「殿下は、きっと会場の雰囲気に酔われたのでしょう。ミランダ様、休憩室をお借り出来ますか?」
マクシミリアン様は肩を貸しながら、ヨシュア殿下を立ち上がらせる。
「もちろんですわ。こちらへどうぞ」
ミランダ様が先導するように、歩き出す。
「あ、そうだ」
殿下の肩を支えるマクシミリアン様は振り向くと、なぜか私に視線を向けた。
「シャーロット嬢、大変申し訳ないのですが、汗を拭う布と水を殿下に用意して頂けますか?」
「え、あ、はい」
思わず、勢いで了承してしまう。しかしふと、ここは我が家ではない上に、「なんで私が?」と素朴な疑問が脳裏に渦巻く。けれど具合の悪いヨシュア殿下を前に、「どうして私が?」と呑気にたずねるのは、憚られるという状況だ。
「ありがとうございます。さぁ、殿下参りましょう」
「す、すまない。た、頼む」
マクシミリアン様に促され、ヨシュア殿下が弱々しく返事をする。
そして二人は、ミランダ様先導のもとゆっくりと会場から出て行った。
「一体、何があったのかしら?」
呆気に取られたような顔をしたジュリエットがワインを一口飲み、呟く。
「わからないけど、とりあえず私は、水と布を用意しなくちゃ駄目っぽい」
「そうね。後でどうなったか教えてね」
私は変わらず「なんで私が?」と不思議に思いながらも、ジュリエットにしばしの別れを告げ、その場を立ち去ろうとしたのだが。
「なるほど。そういうこと」
突然、コリン様が一人納得したような言葉を発する。
「どういうことですか?」
私は歩きだした足を止め、コリン様の顔を見上げる。
「そうだな。殿下は、おそらくこの会場で、何らかの魔法をかけられたんだよ」
「え、魔法ですか?」
私は驚きの声を上げ、コリン様を見つめた。
流石に魔法だなんて見たこともないし、そもそも非科学的すぎる。そして十六歳である私は、魔法を信じるにはもう色々と大人の世界を知りすぎている。
またもやからかわれているのだろうかと、私はコリン様に訝しげな顔を向けた。
「それは、運命の魔法ですよね?」
ジュリエットがコリン様に確認しながら、なぜか微笑む。
「そうだね。この国だけに伝わるとても魅力的で、けれど厄介でもある魔法だ」
コリン様はそう言うと、少し困ったように微笑んだ。
「え、魔法で運命で魅力的なのに厄介って、一体どういうこと?」
ジュリエットにはわかって、私にはわからない。
その事実を悔しく思い、たずねる。
「シャーリー、あなたにもそのうちわかるわ。今はとにかくヨシュア殿下の元に急いだ方がいいんじゃない?」
混乱する私にジュリエットは微笑むと、早く行けとばかり視線を殿下達が消えた方向に向けた。
「まぁ、それは、そうか」
魔法の意味はわからない。けれどヨシュア殿下が苦しそうで、私はマクシミリアン様にお願いごとをされた。それが私を取り巻く現状だ。
「じゃ、ちょっと行ってくる」
私は二人に挨拶すると、近くの給仕係に頼み、タオルとお絞りの在り処をたずねたのであった。