017 絵の具チューブ発売記念パーティー2
マーシャル商会の新作だと言う、金属性の使い捨て絵具チューブの発売記念パーティに、運良く招待された私たち王立美術学院の女子生徒達。
音楽隊が演奏する軽やかな音色が響く庭園は、美しい花々が咲き乱れ、木々の葉が風に揺れている。
そんな中、本日のメインイベントである、新進気鋭の若手画家、コリン・ウィンドリア様の新作がお披露目された。
それは簡単に言うと満月の中、恐怖に怯える少女が繊細なタッチで描かれた美しい絵だった。
その絵を目の当たりにしたジュリエットと私は、「あまり好きになれない」という意見から、どうしてそう思うのかまでを話し合う事となる。
そして彼の絵の中にいる、何処か仄暗い雰囲気を含む少女に対し、私たちは自分をつい重ねてしまうからだと気付いた。
しかし、芸術という分野は正解のない曖昧なもの。
唯一言えるのは、その人の持つ感性や多様性を表現する事に意義があるということだ。よって、好き嫌いが分かれるのは仕方がない。そもそもコリン様は、私たちなんかよりずっと世間に認められた画家だ。
つまり、世間は様々な大人の思惑も含め、コリン様の絵を高く評価しているということ。そして未だ、世間から一ミリも認められていない私たちは、人の作品を批判している暇を絵を描く事に当てた方がいい事だけは確かだ。
ジュリエットと私は、改めてその事を感じていた。
そして現在私とジュリエットは、若い女性に声をかけられ、同時に振り向いたところ。
「あら、驚かせてしまったかしら。ごめんなさい」
さえずる鳥の声といった感じ。驚く私たちの前に現れたのは、清楚なピンクのドレスに身を包んだ美しい女性だった。
髪の毛は夜に溶け込むような黒で、まとめられた髪型からは、やや乱れた髪の毛が、うなじに向かって流れ落ちている。その髪をまとめている髪飾りは、薄暗い場所でも煌めく金色の薔薇がモチーフとなったもの。そして私たちを真っ直ぐ見つめる澄んだ瞳は、暖かいキャラメルを思わせる琥珀色だった。
一貫して整った顔立ちをしており、上品な笑顔がとても素敵な女性だ。
「突然お声がけしてしまい、申し訳ございません。はじめまして。わたくし、ミランダ・マーシャルと申します。以後お見知りおきを」
品のある立ち振る舞いで淑女の礼を取りつつ明かされた名に、私とジュリエットは瞬時に顔を見合わせたあと、慌てて口を開く。
しかし、譲り合いの精神など皆無。自己主張に命をかける美術学院の生徒らしく、私たちは同時に口を開いてしまう。
「はじめまして、私はラングレー伯爵家のジュリエットと申します。とっても素敵な会に参加出来て光栄ですわ」
「はじめまして、私はバーミリオン伯爵家のシャーロットと申します。本日はお招き頂き、ありがとうございます」
言い終えた私たちは、完璧にシンクロした淑女の礼を取る。
それから同時に向き合い、気まずい顔を交換しあった。
そんな貴族の娘にあるまじき失敗をした私たちに対し、ミランダ様は扇子を口元にあて、くすくすと声をあげて笑い出す。
「ふふっ。ごめんなさい。お気になさらないで。美術学院の生徒さんらしい挨拶だと思っただけだから」
可憐な笑みを浮かべながら、そう口にしたミランダ様の意図がわからない。
なぜなら、美術学院の生徒は良い意味で面裏なくズバズバ物事を口にするからだ。その環境に身を置く私たちは、淑女の駆け引きに疎い。
その結果、「これは許されているの?」という疑問が脳裏に渦巻き、ジュリエットと私は、引きつった笑みをとりあえず顔に浮かべた。
「ところで、失礼だけど……。シャーロット嬢は、ヨシュア殿下と懇意にされていると小耳に挟んだのですけれど、それって本当ですの?」
どうやら彼女には、私たちの失態など全く問題ではないようだ。その証拠に、ネチネチ挨拶について語る事はしなかった。その代わり直球の質問を投げかけられ、私は固まる。
なぜなら脳裏に、アポロン様を眺めながら突如開催されたお茶会において、ミランダ様が「ヨシュア殿下が声をかけた女の子を、階段から突き落とした」という、クラスメイトが何気なく口にした、実に恐ろしい話を突如思い出したからだ。
「私の問いかけは聞こえなかったのかしら?」
早く答えろと言わんばかりに急かされ、私は慌てて口を開く。
「えーと、懇意と言えば懇意とも言えます。でもそれは、ビジネス的なものなのでミランダ様のご想像するようなものではございません」
私はしっかりと、ビジネスの関係であるという点を主張しておく。
「そうなんですね。実は、私もヨシュア殿下と懇意にしておりますの。今度開かれる我が家のパーティではエスコートをお願いしている所ですのよ」
嬉しそうに話すミランダ様。しかしその目は、猛禽類そのもの。どうやら私を牽制しているようだ。
「まぁ、それは素晴らしいですね」
自分は敵ではないとアピールすべく、彼女の言葉に大袈裟に声を反オクターブ上げて同意する。
「えぇ。私たちのような爵位を持たぬ、市民階級である者が、殿下にエスコートされるだなんて、とても名誉な事だと父も喜んでおりますの」
ミランダ様はさり気なく、庭園の中央。
人の群れの中心にいる彼女の父、ゲオルグ様に視線を向けた。
確かに、この国の権力の象徴とも言える王子殿下にエスコートされる。それは誰にとっても何物にも代えがたい、大きなステータスになるだろう。
特に爵位を持たない、しかし我が家なんかよりよっぽどお金持ちそうなマーシャル家の人間であれば、その機会は天にも昇る名誉な事だと思うのかも知れない。
そして殿下との繋がりを持ち、ゲオルグ様はさらなる商会の発展へと繋げようとしている。
私は著名な画家が多く招待された事実。それから娘がわざわざヨシュア殿下の事を口にした状況から見て、マーシャル家は良くも悪くも、人に上手く取り入る才能に優れ、それを足掛かりとし、商売に繋げ成功しているのだと気付く。
「それにしても、ミランダ様のドレス、とても素敵ですわね」
状況把握とばかり、静かに様子をうかがっていたジュリエットが、居心地の悪い空気を払拭すべく話題を変えてくれた。
「ふふ、ありがとうございます。これは王家御用達のデザイナー、ヴィクトリア・ローレンス様にデザインして頂いたものですの」
彼女は、自らのドレスの裾を持ち上げる。そこには、金色に輝く糸で縫い取られた薔薇と月桂樹の葉の模様が美しく刺繍してあった。
私はその刺繍を眺めつつ、「一体いくらするんだろう」と、実に貴族にあるまじき庶民的な考えが浮かぶ。
「シャーロット嬢は、こういったドレスにあまり興味がありませんの?」
突然ミランダ様は、私が本日袖を通すパステルイエローのドレスに言及する。
「ごめんなさい。そのドレスのデザインは、昨年の流行りのように思えたので、つい気になって」
ミランダ様は、申し訳ないといった表情を作る。
確かに私が袖を通しているドレスは、昨年の夏休みに領地に帰省したついでに地元の衣料品店で仕立ててもらったものだ。
一応既製品ではないものの、王都の流行りとは若干違う。でもそれは、スカートの裾に縫い込む刺繍糸の、色の違いといった程度。普通ならば、気にならない程度だ。しかし、流行りに敏感なミランダ様は、目ざとく気づいたらしい。
そしてわざわざ指摘してくるあたり、彼女にとってもはや私は敵対勢力であると認定済みだということ。
問題はやり返すかどうか。
お土産で絵の具チューブが貰えるならば、ここはミランダ様にゴマスリをしておくべき。けれどお土産がないのであれば、遠回しに流行りに疎いと馬鹿にされた事に言い返しておきたいような。
究極の選択に私がしばし迷っていると。
「ふぅ、ようやく抜け出せたよ」
心地よく低く響く声が、緊迫した状態である私たちの耳に飛び込んできた。
声の主は間違いない。本日の主役でもある、コリン・ウィンドリア様である。
「あら、コリン様。お疲れ様です。キャンバスへの試し書きは、もう済まされたのですか?」
ミランダ様は先ほどまでとは全く違う、まるで花が咲いたような笑顔をコリン様に向けた。
「いいや、そもそも描くつもりなんてないよ」
「あら、お父様ががっかりすると思いますわ」
「他人が汚したキャンバスに、私の絵を描くつもりなんてさらさらないよ。何より私は、綺麗な女性を愛でる事に忙しいから」
コリン様はさらっとそう口にすると、全ての女性を虜にするような、魅力的な笑みを私たちに寄越した。
「そう言えば、シャーロット嬢は私の新作を見てくれたかい?」
唐突に名指しで話を振られた私は、驚きつつ口を開く。
「はい。この場所からでしたけれど、しっかりと拝見させて頂きました。大変素晴らしい作品で、表題に合った世界観が繊細なタッチで表現されていて、思わず絵の中に引きずり込まれそう。そんなふうに感じました」
私は当たり障りないよう答える。するとコリン様はグィと身を屈め、私の顔に自分の顔を近づける。その瞬間ふわりと、ほんのりとした甘さが私の鼻孔に届く。そして私は、嫌でも彼がすぐ傍にいるという事実を意識させられてしまう。
「嘘はいけないよ。夜空を彷彿させる、君の深い紫色の瞳は、私の絵を受け入れ難い物として、捉えている。違うかな?」
コリン様は、確信を持って問いかけてきた。私はその問いに対し、肯定も否定も出来ずに口ごもってしまう。
何よりコリン様の顔が近い。背中を押されたら、キスしてしまいそうなほどに近すぎる距離に、私の思考回路はショート中。
もはや何も考えられないという状況だ。
「コリン様、近すぎますわよ」
ミランダ様の咎めるような言葉を受け、コリン様は笑顔のまま姿勢を正す。
「あぁ、ごめんごめん。あまりにも美しい瞳だったものだから。ついね」
悪びれることなくそう口にした彼は、形ばかり謝罪の言葉を口にしながら、再び私の顔へ視線を落とす。
「今度私のアトリエにおいで。君をモデルに描きたいから」
「下心丸出しの君のアトリエなんかに、いくわけがないだろう」
突然乱入する、冷ややかな声。
一難去って、また一難。
私たちの前に、なぜか不機嫌そうな顔をした、ヨシュア殿下が現れたのであった。