016 絵の具チューブ発売記念パーティー1
あっという間に、マーシャル商会が主催するパーティー当日になった。
満月がとても綺麗な夜。パーティー会場となるのは、王都にあるマーシャル商会会長ゲオルク・マーシャルが所有する屋敷。通称マーシャル邸だ。
彼の邸宅は、立派な白い外観と広い敷地が特徴的な、まるでお城のような大邸宅だった。そんな邸宅の中でも、特に広く美しい庭園でパーティーは開かれている。
貴族や著名な画家たちを始めとし、多くの招待客で溢れるパーティー会場は、周囲の木から吊るされた、鳥かごをシャンデリアに見立てた照明が煌めき、幻想的な雰囲気に包まれていた。
会場の中心には、新しい絵の具チューブの展示ブースが設けられており、会場内にはさまざまな色の絵の具で描かれた、鮮やかな絵画が飾られている。
さらに、デモンストレーションとばかり、招待された画家たちが、イーゼルに立てられた巨大なキャンバスに集っている。彼らはキャンバスに向かい、試し書きとばかり新しいチューブを使いながらサラサラと即興で絵を描き込んでいた。
その様子を覗き込む人々は、マーシャル商会の新作絵の具チューブを使い、野外での色彩表現が自由自在にできることに興奮を隠しきれていない様子だ。
タキシードに身を包んだマーシャル商会会長ゲオルグ氏も、自らの新製品のパフォーマンスとばかり、ライオンのイラストを披露し、招待客の拍手を浴びていた。そして、彼の妻であるイザベラ・マーシャル夫人も美しいドレスで会場を歩き回り、招待客とおしゃべりを楽しんでいる。
庭園の芝生の上には、白いテントと白いテーブルが並び美味しそうなフィンガーフードや飲み物がふんだんに用意されており、招待客はみな華やかなドレスやスーツを着用しにぎやかに会話と食事を楽しんでいた。
音楽隊が演奏する軽やかな音色が、庭園に響く中。輪の中に入り、絵を描く勇気のない私とジュリアは豪華な料理を楽しみつつ、ワインを飲みながらほろ酔い気分で談笑していた。
「画家を呼んでその場で絵を描かせるなんてさ、商品に自信がないと出来ない事だよね」
私はブルーのドレスに身を包むジュリアに小声で話しかける。今日のドレスには、ラベンダー色のビーズが散らされており、庭園の光に反射しキラキラと輝いて見える。彼女の青みの強い、黒い髪色にとても良く似合っている、とても素敵なドレスだった。
「しかも、さりげなくみんなでワイワイ描き込んでいるけど、どれも我が国を代表する著名な画家って所が凄いわよね。あの巨大な試し書きのキャンバスには、もはや値がつけられないわよ」
ジュリアは、広場の中央。巨大なキャンバスに群がる人々を眺めながら、感心したような声をあげる。
確かにキャンバスを囲むのは、作品名とその名がすぐに頭に浮かぶ人達ばかり。招待客はマーシャル商会会長、ゲオルグ氏の交友関係の広さを嫌でも見せつけられている感じだ。
「確かに。共同制作みたいなもんだもんね。お金がある所に人は集まるのね」
ジュリアに同意しつつ、実直な感想を漏らす。
「皆様、おまたせしました。ルトベルク王国が誇る新進気鋭の画家。コリン・ウィンドリア様の新作を発表致します。勿論、今からお見せする絵の作成には、我がマーシャル商会より発売される、絵の具チューブが使用されております!」
ゲオルグ氏が、会場に集まった人々に向かって叫ぶと、人々の視線は中央に新たに置かれた、布がかけられたキャンバスに集中した。
「では、コリン様、どうぞ一言お願いします」
ゲオルグ氏は、黒いタキシードに身を包むコリン様の背を押した。
「ご紹介に預かりました、コリン・ウィンドリアです。今日はこのような場にお招き頂きまして、誠にありがとうございます。この新作は私の人生において、最も素晴らしい作品となりました。ぜひ、皆さまにも見ていただきたいと思います」
コリン様は、緊張しているのか少しだけ早口になりながらも、無事挨拶を終えた。
「では、コリン様の作品を今この場において披露いたします。皆様、是非ご一緒に、カウントダウンをご唱和下さい。五、四、三、二、一」
ゲオルグ氏のカウントダウンの声に合わせるように、会場の人々の、揃ったカウントダウンの声が響く。
「ゼロ!!」
カウントが終わると同時に、キャンバスにかけられた白い布がめくられた。
あたりは一瞬、時が止まったような静寂に包まれる。
「おおーー」
「実に素晴らしい」
「流石、コリン・ウィンドリア様!」
「色の深みが凄いな」
会場全体から称賛する声があがる。
姿を晒したばかり。大きなキャンバスに描かれていたのは、夜の闇に浮かぶ満月と、まるで天の川が降り注いだかのような無数の流れ星の群れ。
絵の中心には、ハッと目を瞠るほど、美しい少女が描かれている。少女は一輪の真っ赤な薔薇を持ち、とても幸せそうな表情で、こちらに微笑んでいる。
そして何より目を惹くのは、少女の背後に描かれた煙が立ち上るようなモヤモヤとした存在だ。まるでタバコの煙のようなそれは、少女の命をねらう鎌を持った亡霊のように私の目には映る。
好き嫌いが別れそうではあるが、人の心を惹きつける不思議な魅力がある絵なのは確かだ。
「何と言うか、絵の中に漂う不気味な美しさが、コリン様らしいよね」
私は曖昧な感想を口にする。
「わかる。確かに繊細なタッチとか、深みある色使いとか、そのテクニックは盗めるものなら盗みたい。でも何か、私は好きになれそうもないわ」
どうやら、ジュリアも私と同じような感想を持ったようだ。
絵の中に描かれた白いワンピースを着た少女はとても美しく描かれている。しかし彼女の微笑みが、迫り来る恐怖に、防衛本能が働きつい笑ってしまったと言った印象を受ける。その証拠に微笑む彼女の目は、怯えたもの。恐怖におののく目のように、私には受け取れた。
しかしながら、少女の動揺している自分を自嘲しているかのような曖昧な笑み、もしくは、淋しく辛い孤独な心境を表しているかのような、複雑な表情が、絶妙なバランスとなり、あり得ないほど美しく表現され、描かれている事だけは確かだ。
「この絵の題名は?」
参加者の中から声があがる。
「メメント・モリ」
コリン様の低い声が響く。
「自分がいつか、必ず死ぬ事を恐れるな」
私は明かされた作品名の言葉が持つ意味を呟く。
「なるほど、わかったわ」
ジュリエットが突然、私の顔を見つめる。
その表情は「閃いた」である。
「何がわかったの?」
私はたまらずたずねる。
「私がコリン様の絵を好きになれない理由よ」
「え、じゃ、私にも教えて」
「彼はいつも、私たちくらいの社交界デビューしたての若い女の子を題材にするじゃない?」
「うん」
「そんな若い子を、コリン様は必ず絵の中で殺そうとするからよ」
ジュリエットは絵を見つめたまま、小さな声で続ける。
コリン様の作品に共通するのは「死」だと私も気付いていた。けれど言われてみると、ジュリエットの意見はあながち間違っていない気がする。
「自分と同じくらいの子が殺されるなんて悲しいし、嫌でしょう?だから、私は彼の絵を心から素晴らしいとは思えない。何処か、嫌悪感を感じてしまうのだと思うわ」
言い終えた彼女は、本当に嫌そうに眉間に皺を寄せている。
「わかるかも。でもそれって私たちの感受性が強いだけかも知れないよね」
私は僅かな時間ではあったが、コリン様と共に描いたスケッチブックのアポロン様を思い出す。
あのデッサンに描かれたアポロン様は、私が描いた線を、コリン様が数本なぞるだけで、まるで魔法がかけられたかのように、今まで描いたものとは違う質感を持つものとなった。
コリン様の指先からは、私にはない力強さと優雅さを感じたし、何より私の事を、「君には才能がある」と褒めてくれた。その記憶が色濃く残る私は、どうしたってコリン様の作品自体はどうであれ、彼の事は嫌いになれない。
「感受性が強いか。ま、それも一理あるかも。それに、死をテーマにする作品は多いしね」
ジュリエットが、私の意見に同意しつつ、話を続ける。
「未だツガイを見つけられず、婚約者もいない。それどころか画家として認められたいという、切実な気持ちを抱える私からすれば、私と同じくらいの年の少女を描くなら、せめて幸せな笑顔であって欲しいと思うの」
ジュリエットは「ま、傲慢な願望だけど」と付け加え、苦笑いする。
確かに彼女の言いたい事は、わかる気がする。
社交界デビューをしたばかり。現在十六歳である私たちは、実際のところ不確定な未来に対し、悩める事が多い。だからこそ、せめて絵の中の少女くらい、私も明るくあって欲しいと思う。
「結局のところ、自らが納得する作品は、自分で描けって話なんだけどね」
ジュリエットがおどけた様子で告げた時。
「こんばんは」
背後から聞いた事がない、甲高い女性の声が響いたのであった。