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015 私たちが絵を描けるということ

 飛ぶ鳥を落とす勢いだと噂のマーシャル商会が、金属性の絵具チューブを発売する。しかも何と使い捨てらしい。


 そのニュースは、一般の人を置き去りにし、画家達の間で大きな話題となり、またたくまに界隈に広まった。


 勿論、私を含む王立美術学院の女子生徒も例外ではない。


「使い捨てってことは、空のシリンジを洗わなくていいってこと?」


「つまりそういうことじゃない?」


「じゃ、外で絵を描く時、もっと楽になるってこと?」


「でも、(すず)製のチューブらしいから、多分相当高価なんじゃない?」


「確かに。そもそもこの学校に通うだけでも、言い顔をしなかったのに、高価な絵の具が欲しいなんて親に言えないわ」


「絵を描かない人にとっては、絵の具の価値なんてわからないものね」


 などなど。私たちもクラスメイト達と、新発売の使い捨て絵の具チューブについて、積極的に意見交換していた。


 元来、私たちが絵の具を保存する際、今までは私がうっかり落とし媚薬と間違えられた豚の膀胱袋。それから、注射器のようになった、真鍮やガラス製のピストン式のシリンジを利用するのが一般的だった。


 けれど、豚の膀胱は、しばしば破裂して穴があいてしまう為イマイチ使い勝手が悪い。ピストン式のシリンジは、新しい絵具を充填する際に、シリンジの中をきれいに洗わなければならないという手間のかかる作業が付いてくる。


 よって、画家もしくは画家の卵達にとって「使い捨て」しかも、持ち運びに便利な「チューブ」という響きは、大変魅力的なものだった。


 ただし「でもお高いんでしょう?」の部分は抜いてだけれど。


 特に私のような貧乏な者にとっては、羨ましいけれど手に取ることなく、憧れで終わるものだと当初から諦めモード。


 使う人が増え、量産され、安価に手にする事が出来るようになるまで、果たして私は生きていられるのだろうかと、そっちの方が心配なくらいだ。


 絵描きに限らず、何事も楽をするにはお金が必要だということ。十六年生きてきて、身に染みてそれを感じていた。


 それでも画期的な商品には変わりなく、美術界隈に足を踏み入れた者たちはこぞって、新しい絵の具チューブの話題で盛り上がっていた。


 そんな中、さらなる朗報が私たちの担任によって、もたらされる事となる。


「マーシャル商会の絵の具チューブ発売記念パーティーで、コリン・ウィンドリア様が、新作を発表されるそうだ。その席に、是非とも君たち女子生徒を招待したいと学院に申し出があった」


 誇らしげな顔で私たちに告げる教授。


 無理やり押し付けられた教え子たちが、ようやく世間にその存在を認められるかも知れない。少しはそう思ってくれているのか、担任のダミアン・パーカー教授が嬉しそうな声ですぐに話の続きを語り始めた。


「彼はうちの卒業生だからな。次世代の若者代表として、君たちを招待したいそうだ。当日は著名な画家も集まるそうだし、顔を売るチャンスでもある。必ず参加するように。以上だ」


 ダミアン教授の話を聞き終えた時、私は心の中でガッツポーズをした。


 なぜなら、お金持ちの物だと諦めていた絵の具チューブを、参加記念で一本くらい貰えるかも知れないと淡い期待を抱いたからだ。


 ダミアン教授が教室を出ていった途端、みんなが興奮した様子で口を開く。


「やだ、コリン様ってやっぱり素敵」


「ほんと、顔よし、腕良し、才能よしって、天は二物を与えずっていうけど嘘よね。少なくともコリン様に限っては、三物は与えられてるんだもん」


 言い終えたパティは「あの人の彼女が羨ましい」とため息まじりに呟く。


「でもさー、あの人が描く作品って、なんかこうグロい感じがしない? あれを見てると、正直、内面に問題ありって感じがしてちょっと怖いんだけど」


「そうかなぁ。芸術性があると思うけど。私は好きよ」


「まあ、あんたはちょっと変わった芸術家肌だしね」


 盛り上がる仲間たちの話題は、年頃の娘らしいものへと変化する。


「ドレスどうしよう」


「確かに悩むよね。パトロンが見つかるかもだし」


「やめてよ、女を武器にしたら一足先に頑張ってる先輩たちに悪いわ。私は自分の見た目でお金を出してくれる人ならいらない。私の絵に価値を見出してくれる人がいいわ」


 学級委員長のリリアが凜とした声で言い切った。


 確かにパトロン問題は、本気で画家になりたいと願う者にとって、悩みの種だ。


 そもそも、よっぽどの事がない限り、多くの画家は経済的な安定を得ることが難しく、生計を立てるために努力しなければならない。


 なぜなら、画家は自らの作品を販売することで収入を得ようとしても、市場での需要や作品の評価により、収入が大きく変動するからだ。


 簡単に言えば、欲しい人が沢山いれば高く売れるし、いなければタダの紙切れということ。しかもその評価は、数字で表せるものではなく、実に曖昧なもの。


 そんなシビアな世界に生きる画家の主な収入源は、貴族やマーシャル商会といった富裕な人々からの依頼を受けることに尽きるだろう。とは言え、常に依頼を抱えているのは一握りの人だけ。多くの芸術家は、そもそも依頼されない。されたとしても足元を見られて報酬が十分に貰えないといった状況で、貧困状態に陥ることが多いというのが現実だ。


 さらに問題なのは、芸術家の地位や社会的評価が確立されていないということ。芸術家は他の職業と比較して社会的地位が低いと言われている。そのため、芸術家の権利や福利厚生が保護されていないのも問題だと、ダミアン教授は良くぼやいている。


 だからみな、経済的な支援や援助を提供してくれるパトロンを探したいと願っている。そして絵の具チューブ発売記念パーティは、そもそも芸術に興味がある人が参加するだろうから、まさに「自分を売る」チャンスだ。


「確かに色仕掛けをするくらいなら、親に泣きついて絵の具を買ってもらうかも」


 パティが泣き真似をしながらそう言うと、みんながクスクス笑う。


「そもそも、絵の具を買うお金がなかったら、絵がかけないもの。まぁ、私たちは実家が貴族籍持ちだから、こうして呑気に絵を学べているのは確かよね」


 リリアの意見にみんなで頷く。


「このクラスに貴族籍を持つ子しかいない理由はまさにそれよね」


「市井で暮らす私たちくらいの子は、働くのなんて当たり前だろうし、もう結婚して家庭を守る子だっているだろうし。そういう子たちからしたら、私たちが学んでいる事なんて道楽としか思えないだろうし」


「結局のところ、淑女になれと女学院に通う事を押し付けるのではなく、何だかんだ文句を言いつつも、美術学院に通うことを許してくれた親に感謝ってことね」


 ジュリエットが私たちを取り巻く現状の本質に言及する。


「もう、今はとりあえず、パーティのこと考えよう!」


 暗くなった雰囲気をかき消すように、明るい声が教室内に響き、私たちは着ていくドレスの話で盛り上がる事となる。


 確かに私はみんなに比べたら貧乏だ。

 けれど、ジュリエットの言う通り、好きな事を学べている。


 それは本当に幸せな事なのだと、この日強く感じたのであった。

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