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014 危うく出禁になりかける

 贅を尽くした王城のサロン。私は筆を手に、ヨシュア殿下の前に立っていた。

 背後には、騎士服に身を包む近衛騎士が私たちの状況を見守っているという状況だ。


 尖った鉛筆の芯が紙の上を滑る音や、削る音が、静かな部屋に響き渡っている。


 薄いレースのカーテンがひかれた窓の外からほんのりと部屋に差し込む光が、紙の上で明暗を作り出す私の手元を程よく照らす。その仄かな光の中で、私の手元がやや暗くなり、手にした筆の影が紙の上に投影される。それはまるで、私の手が作り出す線がヨシュア殿下の顔の上で軽快にダンスを踊っているかのよう。


 私は集中し、作業に没頭する。その間も軽い風が窓を通して入り込んできて、ヨシュア殿下の、実りをつけた麦のように明るく輝く髪を揺らす。


 静かな部屋の中で黙々と行われる作業は、集中力を高める反面、細かい音や匂いがより感じられるもの。そんな状況が逆に私の創作意欲を、そして悶々とする気持ちを更にかき立てていた。


 美術学院の黒いワンピース型の制服の上に、灰色の薄汚れたスモックを羽織る私は殿下を描くために王城に通い出して、今日で三回目。


「やっぱり、見たい」


 誰にも聞こえないよう、小さな声で呟くこと二十九回。私は男性の、ヨシュア殿下の裸が見たくてたまらない気持ちに囚われていた。


 もはや自分は変態の域に達したかも知れないと、そんな自覚をしそうになるほどだ。


 そもそも、このシチュエーションが悪い。


 絵を描くということは、描く対象の表情や輪郭をじっと見つめ、髪の毛や服のシワといった、細かい部分を注意深く描き出す作業のこと。


 そのため、私は邪な気持ちを全て捨て去り、この場に一人の画家として立っている。


 けれど、時折揺れるヨシュア殿下の恥じらうような視線。かと思うと、何故か切なげな表情で物思いに耽るように、どこか遠くを見つめたり。欠伸を殺して目尻に涙を滲ませてみたり。


 くるくる変わる表情や筋肉の変化を見逃さないよう、私はヨシュア殿下に全神経を集中させているわけで。


 息を吸う度に動く喉仏や、少しだけ丸みのある肩から伸びる腕の筋。そういったものを目敏く見つけては、私の中に「丸裸にしたい」という欲望の熱が、メラメラと灯っていくのである。


 お陰で、静寂な部屋の空気とは真逆。私の体温は自然に上昇し、心臓が早鐘を打ち続けているという状況。今回の仕事を受けた事により、私の寿命は三年ほど縮んだ気がする。


「見たい、服の下に隠れた肉体美を……」


 密やかなる欲望をとうとう三十回も口にした私は、パタンと筆を机においた。そしてキャンバスを立てかけたイーゼルの脇を通り過ぎ、椅子に座るヨシュア殿下の前に立つ。


「ヨシュア殿下、やっぱり第ニボタンまで外されたほうが、具合が良さそうですわ」


 私はさり気なく露出を増やすべきだと、主張する。


「え、そ、それはやりすぎなんじゃないかな?すでに、タイも外したし、第一ボタンも開けたし。こ、これ以上は流石にまずいというか、恥ずかしいというか」


「いいえ、男性の喉仏のぷくりとしたでっぱり。それは女性をドキリとさせるパーツですから。婚活用の肖像画には欠かせない部分かと」


「ほ、本当だろうか」


 私に疑いの眼差しを向けた後、ヨシュア殿下は、部屋の隅に控える黒髪に深い蒼色の瞳を持つ青年に、助けを求めるように顔を向けた。


 最近、私も顔馴染みになりつつある、近衛騎士で殿下の従者でもあるらしい、マクシミリアン様だ。


「それは個人の好みによると思います。人によって異なる美意識がありますので、全ての女性にとって男性の喉仏が魅力的とは限らないかと」


 マクシミリアン様は、飄々とした顔と声で殿下に余計な助言をする。


「な、なるほど。そういう事のようだよ。シャーロット嬢」


「…………チッ」


 思わず伯爵家の娘である事を忘れ、舌打ちしてしまった。


「!?」


 ヨシュア殿下の目がこれ以上ないほど見開かれる。ちょっと滑稽だ。


「失礼しました。では喉仏の件はいいとして、もう少し腕まくりをしてもらってもいいでしょうか?」


 胸元をはだけさせろ。確かにそれは難易度の高いお願いだった。すぐに反省した私は、違う部分からのアプローチ。つまり、腕から攻める事にした。


「え、腕まくり?」


「そうです。夏、ものすごく汗ばむ季節は、流石の殿下も半袖になりますよね?」


 だから、腕まくりなんて、別に大したことではないとさり気なく誘導する。そして私は今か、今かと、ヨシュア殿下の腕に注目する。


「そうだな。確かに暑い日は、上着を脱ぐこともあるよね。でも何でだろう、今はやめておけと、僕の中で警笛が鳴っている気がする」


「くっ……」


 これでだめならば。


「正直に言います。私は見たいのです。ヨシュア殿下の筋肉質でありながら、男らしく引き締まった腕が見たいのです!!」


「!?」


 私の本音に、ヨシュア殿下の顔がみるみると赤く染まっていく。


「……そうなんだ。君は見たいんだ。そ、そこまであからさまに懇願されると、断るのも悪い気がしてきたような」


「じゃ、勇気を出して開放的に、衣服なんて脱ぎ捨て、殿下の美しい肉体美をありのまま解放して下さい。さぁ、さぁ!」


 私は必死の形相で訴える。するとヨシュア殿下は、私の迫力に押されたように、後退り、椅子の背にピタリと背中を貼り付けた。


 残念ですが、それ以上逃げられません。

 観念しろと私は視線で訴える。


「う、うん。分かっ」


 私の情熱に負けたらしいヨシュア殿下が、シャツのボタンに指をかける。私はゴクリと唾を飲み込み、「ついにこの時が」と固唾を飲んで見守っていると、思わぬ邪魔が入った。


「お待ちください殿下。ダメです。シャーロット嬢も、殿下をこれ以上煽らないように。こう見えて殿下は押しに弱いので、やめてあげてもらっていいですか?」


 横から伸びてきたマクシミリアン様の逞しい腕が、ヨシュア殿下の腕をしっかりと掴む。


 絡み合う男性二人の腕を見て、私はハッとする。


「どうしよう、たまらなくいい。筋肉質な腕が二本。えっやだ。何この気持ち。尊い……」


 私の心の中に今まで感じた事のない、神々しい物を目の当たりにしたかのような、特別な感情が芽生える。


「な、何か、シャーロット嬢がおかしいようだけど」


「まずいですね。我々の絡み合う腕を目の当たりにし、新たな性癖を開花させてしまったようです」


「せ、せ、せいへきって」


 マクシミリアン様に手を握られ、困惑気味のヨシュア殿下は私を見つめてくる。


「殿下はこのまま、服を着ておいてください。脱いだら最後、私にまで脱げ、見せろと要求してくる事は間違いありませんので」


「え、彼女は誰でもいいの?ま、まさか彼女は、男を手玉に取る、悪女だったりする?」


 ヨシュア殿下の頬がひくついている。

 その怯えた表情を見て、私はふと我に返る。


「まぁ、男性なら誰でも。あ、でも出来れば程よく筋肉がついている人が希望ですけど」


「うわぁ、そこで本音を漏らしちゃいます?あなた伯爵家のご令嬢ですよね?」


 マクシミリアン様は私に軽蔑の眼差しを向ける。


「そうか。そうだよね」


 ヨシュア殿下は何故か、納得した様子で深く息を吐いた。


「えぇと、あの」


 何となくヨシュア殿下を落胆させてしまった事を理解した私は、慌てて取り繕おうとするけれど、言葉がなかなか出てこない。


「いいんだ。分かってる。僕に魅力がないから、そんな事を言ってくるんだ。君も、僕の身体を見たところで、何も面白くないだろうし」


 ヨシュア殿下は肩を落としながら、哀愁漂う背中を私に向ける。


「え、い、いえ、そんな事は決して。ヨシュア殿下の裸体はとても美しく、芸術的な価値がある筈です。少なくとも私には価値あるものだと信じていますから」


 私は慌ててフォローするが、ヨシュア殿下は力なく首を横に振った。


「いいんだ。いいんだよ。僕は自分の不甲斐なさを知っている。僕がどれだけ努力しても、僕より優れた人間がいる事も知っている。だから、君の期待に応えられないのも仕方がない」


 いじけるヨシュア殿下。


「そんなことないですって。殿下のその発達途中な身体も、ある意味貴重。なぜなら期間限定なものですから」


 賢明に励ますも、ヨシュア殿下は小さく首を振る。


「無理をしなくて大丈夫だよ。それよりも、マクシミリアン。近衛である君の方がよっぽど筋肉質なんだし、彼女に見せてあげればいいさ」


「は?ちょっと殿下、気を確かに。しっかりなさって下さいよ」


 困り果てた様子で、マクシミリアン様は、ポリポリと頭を搔く。


「君は経験豊富だし、女性の前で身体を見せる事くらい、どうって事ないだろう?彼女が喜ぶんだ、見せてあげたら?」


「喜ぶはずがないでしょう」


 肩を落とし、ため息混じりに呟くマクシミリアン様。


「いいえ、喜ぶ自信はありますわ!」


 私は自信たっぷりに微笑む。


「ほらやっぱり。どうせ僕なんて」


 ヨシュア殿下はさらに背中を丸めた。


「シャーロット嬢。いい加減になさって下さい。出禁にしますよ」


 拗ねる殿下が面白くて、つい悪ノリしてしまった私は、悪魔の角が見えそうなほど、恐い顔をしたマクシミリオン様に叱られたのであった。

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