010 王城の中庭で優雅にお茶会
ヨシュア殿下が用意してくれたテーブルを私たちみんなで囲んでいる。
因みに開催者となる彼は不在。
私たちにいらぬ気を使わせないようになのか、それともただ単に忙しいからなのか。
その真相は今のところ闇の中だ。たぶんこの先もきっとわからないままだろう。
「うわ、夢みたい」
感嘆の声をあげる私の前には、美しく飾られた銀製のお盆がいくつも置かれており、その上には、様々な種類のお菓子が載せられている。
まず、目を引くのは、色鮮やかなフルーツタルトだ。パリッと焼けたタルト生地の上には、いちごやブルーベリー、ラズベリー、マンゴー、キウイなど、たくさんの果物が並べられている。
贅沢で色鮮やかな果物がこんもり乗った、フルーツタルトは、目で見るだけで楽しい気分になれるもの。
その他にも、小さなカップに入ったカラメルソースがたっぷりかかったプリンも用意されており、甘く香ばしい匂いが漂ってきて、頬が勝手に緩んでしまう。
もちろんお茶会の定番、クッキーやマドレーヌ、スコーンといった、様々な焼き菓子もお行儀よく並べられている。
普段節約を余儀なくされる私としては、残った分をお持ち帰りしたいくらいだ。けれど貧乏と付いたとしても私は一応バーミリオン伯爵家の娘。
そこは断腸の思いで我慢するしかなさそうだ。
ならばここで悔いのないようご馳走になるしかない。
ふんだんに用意されたお菓子を前に、貧乏精神に囚われた私は、とりあえずプリンに手を伸ばす。
「それにしても、コリン・ウィンドリア様って、不思議な人だったわよね」
ジュリエットが紅茶カップに手を伸ばしながら、私に告げる。
「確かに。でも急にいらして教えてくれるだなんて、ちょっといい人だよね」
私はさりげなく、先程握られた手を見つめる。
現在、プリンを食べるためにスプーンをしっかりと握りしめた私の手。
手で絵の具を混ぜたり、キャンバスに直接触れたりすることがよくあるため、色が指に移ることは日常茶飯事だ。
勿論、普段から気をつけてはいるけれど、王立女学院の生徒よりは、明らかに黒ずんでいると言えるだろう。
それでも私は一応年頃の娘には変わらない。
社交界デビューを果たした私に対し、身内のシリルでさえ手を握るなんて事はしないし、素手ならなおさらのこと。
だから鉛筆を持つ手をコリン様に上から握られた時、正直固まるくらいには衝撃を受けた。
けれどコリン様の手は、私の手とは違い、力強く、男性らしい、骨ばったゴツゴツした手だった。それを目の当たりにした私が、握られた衝撃を上回り、うっかりドキドキして、五感が刺激されるくらい素敵な男性の手だったと思う。
やはり実物に触れること。その大切さを身をもって実感した一件だ。
「シャーリーは手なんか握られちゃって、鼻の下が伸びてたしね。なんか二人ともいやらしかったわ」
ジュリエットが上目遣いで私を見た。
「!?」
衝撃的な言葉をかけられ、思わずとろけるプリンが鼻から飛び出すところだった。
「や、やだ、本当に伸びてた?わ、私もいやらしかったの?」
ナプキンで口元を押さえながら、確認するようにジュリエットを見つめる。
「冗談よ。赤くはなってたけどね」
明かされた事実にひとまずホッとした。
そもそもあんなに大人っぽい人が私に色仕掛けをしてくるわけがないし、私だって彼と特別な関係になりたいなんて、微塵も思ってなかった。
だからいやらしいなんて、そんなの有り得ない。
ジュリエットのことは大好きだけれど、やっぱり時折からかいが過ぎる気もしなくはない。
「因みに私は、なんだかコリン様を少し怖いと感じたわ。いい人には違わないんだろうけどね」
「どうしてそう感じたの?」
ジュリエットの言葉を意外だと感じ、その理由をたずねる。
「何だろう。見惚れるくらいにとても綺麗な人だし、デッサンの指摘ももっともだった。でもあの人の目が笑ってないと言うか、獲物を狙う蛇のような目って感じて、なんだかゾッとしちゃったのよねぇ」
ジュリエットは自分の腕を抱き締めると、ぶるっと震えてみせた。
「あー。それは分かる気がする」
蛇の目というジュリエットの感想については未確認でよくわからない。けれどいきなり手を掴まれた時は驚いたし、去り際に自分の名前を口にされた時は、少し怖かった。
「でも、あの人に手伝ってもらったデッサン。すごく良かった。ほんの数秒手伝ってもらっただけなのに、がらりと絵の雰囲気が変わって。私はもっと頑張らないといけないなって、そう思えたわ」
私は本音をジュリエットに暴露する。
確かに少し怖い思いもしたけれど、彼が手を加えてくれたデッサンは、それを全て帳消しにするものには違いない。
「確かにあの人の描くものは、不思議な魅力があるよね。何と言ったら当てはまるのか……あ、リアリティ溢れる、そんな感じ」
「わかる、わかる」
私もジュリエットと同じ感想を抱いていたため、彼女の言葉に深く同意する。
「それにミニダビデ様には悪いと思ったけど、アポロン様は大きさもあって、迫力が違ったよね」
私はアポロン像の表面にできた無数の細かい凹凸を思い出す。あれらの線、一つ一つにきちんと意味があり、その結果迫力ある作品に仕上がっていた。
けれど私たちに与えられたミニダビデ様ではそれがわかりにくい。
つまり、迫力あるデサッサンにならないのは、私たちの技量不足だけではなく、観察対象物にも、問題があるという事になる。
「所詮、レプリカは本物にはなれないのよ」
ジュリエットがさらりと口にした言葉に、全くその通りだと頷く。
「やっぱり本物の肉体美を、ますますこの目で見てみたくなるわ」
今日の一件で、私は改めてそれを実感した。
「確かに。結局はそこに行き着くわよね」
そう口にすると、ジュリエットは再び自分の描いた絵を見つめ始めた。
そんな彼女を横目にしながら、目の前にあるお菓子を眺め、どれに手をだそうか一人悩んでいると。
「わ、この焼き菓子、マーシャル商会と王室がコラボしたやつだ」
クラスメイトのパティが嬉々として、マドレーヌに手を伸ばす。
「マーシャル商会って、ラピスラズリを輸入しているところだよね?」
私は確認するようにたずねる。なぜなら、自分の興味が偏っている事を実感する身としては、マーシャル商会は、絵の具に使われる鉱石の輸入を取り扱う商会としてのイメージしかないからだ。
それが何故、お菓子のマドレーヌと繋がるのか私にはさっぱり予想がつかない。
「そうそう。そのマーシャル商会であってるよ。あそこは手広くやってるからね」
返ってきた答えに、鉱石から焼き菓子なんて全然共通点がなさそうなのにと、素直に驚く。
「輸入事業で小麦とかを扱うし。でも王家のオフィシャルグッズを任されるまでになったなんて、凄いわね」
ジュリエットが感心したような声をだす。
輸入事業と聞けば、何でも手広くというのは納得できる気がした。
「今や王国の貴族達より、ずっとお金持ちかも」
クラスメイトの指摘に対し心の中で「確実にうちよりはお金持ち」と付け加えておく。
「マーシャル商会のお嬢様が、お姉さまと同じ王立女学院に在籍してるらしいんだけど、一度着たドレスは二度と着ないらしいわ」
声を落としたリリアが私たちに得意げに告げる。
「まさか、そんなことってある?」
「でもマーシャル商会ならありえそう」
仲間たちの中から、驚きと納得の声が同時にあがる。
私は興味津々といった感じで、みんなの話を聞きながらマドレーヌを見つめる。
マドレーヌの中央に、王家を示す竜の紋章が刻印されている。もはやそれだけで、ただのマドレーヌが宝石と同等。高級で尊い物である気がしてしまうから不思議だ。
「ここだけの話。マーシャル家は、娘をヨシュア殿下と結婚させて、ルドベルク王国での地位を絶対的な物にしたいと考えているらしいわ」
「あ、ドレスを二回着ないのはその子よ。確か名前は」
「ミランダ・マーシャル」
輪の中から一人の名前が飛び出した。
「そうそう。黒髪に琥珀色の瞳で、とても綺麗な子らしいけど、わりと苛烈な性格らしいよ」
「私、その噂を聞いたことがある。ヨシュア殿下が声をかけた女の子を、階段から突き落としたって」
「え、じゃあ……」
みんなの視線がなぜか私に向けられる。
「シャーリー、気をつけてね」
「私からも忠告しておくけれど、なるべく一人で行動しないようにね」
「誘拐されたら、私たちが本気の似顔絵を描いて、力になるから」
最後の言葉は確かに心強い。しかしみんなは肝心な事を忘れている。
「ヨシュア殿下と話をしただけで、階段から突き落とされるわけでしょ?だとしたら、殿下に王城に招待されて、お茶会まで用意してもらったみんなも、かなりまずい状態だと思うんだけど」
私が指摘すると、みんなは一斉に「あっ」という顔になった。
「でも、殿下が直接声をかけたのも、そもそも、この話を持ってきたのもシャーリーじゃない」
ジュリエットは言い終えると、涼しい顔で紅茶カップに口をつけた。
「そっか、ということは、シャーリーがいれば、私たちはミランダ嬢に狙われない」
「確かに」
「シャーリー、ファイト!」
「流石、マーシャル商会。マドレーヌがしっとりしていて美味しいわ」
手のひらを返したように、私を応援し始めた友人達をジト目で見つつ。
「ここでマーシャル商会に媚を売っても無駄だから」
私は負け惜しみを口にすると、みんなの真似をして、マドレーヌに手を伸ばすのであった。