真面目だけが取り柄の私が悪役令嬢になった理由~断罪を受け入れたらツンデレ王子に執着されてしまいました~
ざまぁを目指してみました。
現世で貧乏だった学生の私はある日、借金だらけの父親から珍しく焼き肉をご馳走してもらいました。
初めて食べる焼き肉にとても感激しましたが、会計間際になり、父親が「トイレに行ってくる」と言い、そのまま戻ってきませんでした。
父親が無銭飲食で逃げてしまったと気付いた私は、慌てて父親を追いかけました。走って外に出た私に向かって店内から店員さんの叫ぶ声が聞こえました。
店員さんに謝罪をしようと後ろを振り返ったその時でした。
キキキキキキ――ッ!!
目の前に車のライトが見えました。
ドンッ!!
鈍い衝撃音と共に私の身体はゆっくりと宙に浮かびました。
ああ、私食い逃げしたまま死んでしまうのでしょうか……
死ぬ間際、私は無銭飲食の罪を後悔しながらゆっくりと意識を失っていきました。
それが私の最期でした。
◇
結局焼き肉店に支払いをすることが出来ず食い逃げという重罪を背負った私は、気がつくと磔にされ、これから火炙りの刑を受けようとしているところでした。
――あれ、確かに重大な罪は背負ったけれど火炙りは行き過ぎでは……?
私が状況に理解できず混乱していると、処刑場の執行席に座っている冠を被った金髪碧眼のいかにも王子様らしき端正な顔の人物が忌々しそうに私を睨み付け言葉を掛けてきました。
「罪人ヴァイオレット・ジュディオンよ、最後の言葉を述べよ!」
えっ?誰ですか、その方?
でも、王子様らしき人が見ているのは私に間違いないようです。
それならば、と私は食い逃げに対する懺悔をすることにしました。
「私はとても償うことの出来ない大きな過ちを犯してしまいました!罪を認め、この身をもって罰を受けようと思います!」
磔の姿勢で喉にも縄が食い込んでおり、大きな声が出しにくかったのですが、罪を償う気持ちを知ってもらうため精一杯の声で訴えました。
「なんと」
聴衆からはどよめきが起こっていました。
えっ?どうしましたか?罪を認めてはいけませんでしたか?
私は訳が分からず王子様に視線を送りました。
王子様も私を凝視し、信じられないという顔で私に声をかけてきました。
「その言葉は真実か?」
「はい。真実でございます」
「くっ、……」
王子様は私の返事を聞くと顔を下に向け、直ぐに片手で額を押さえ空を仰ぎました。
「はははははっ!!」
それからとても愉快そうに大声で笑い始めました。
なんなのでしょう?王子様の情緒面がとても心配になってきました。
「命惜しさにようやく己の罪を認めたか、この悪女め!」
そう言うと王子様は尚も楽しそうに言いました。
「私はこれが聴きたかったのだ!高慢で決して自分の非を認めないお前が、罪を認め罰を受けると言ったのだ!!堪らない!とても愉快で興奮する!」
ああ、やはり私はこの王子様が心配です。こんな危ない性癖をお持ちの人物がこれからこの国を引っ張って行って大丈夫なのでしょうか?
愉快そうに笑う王子様の横で死刑執行人が松明に火を灯し出しました。
ああ、いよいよ火炙りが執行されるのですね。
一瞬王子様の情緒を心配した私ですが、今度は再び訪れる自分の死に覚悟を決め、ギュッと強く目をつぶりました。
今度もしも生まれ変われるのなら、贅沢は望まないので普通の人生を歩みたいです。
私はぎゅっと目を瞑り心の中で神様にお祈りをしました。
「止めよ」
静かな声に周りにいた人々は何を言われたのか理解できずに固まっていました。
私も中々点火されない様子にそろっと目を開きました。
私の視界には落ち着いた様子で点火を中止するよう命令している王子様の姿が映りました。
何がどうなっているのでしょうか。というか、この王子様の情緒、本当に心配です。
「この処刑は中止だ」
ざわっと民衆がどよめきました。
「なぜですの!?」
民衆のざわめきに混じって悲痛な叫び声が聞こえてきました。
声のもとを辿ると、苺色のふわふわな髪の毛をしたお人形さんのようなとても可愛らしいご令嬢が王子様の腕にすがって抗議の声を上げていました。
「私がヴァイオレット様に散々嫌がらせを受けてきたことを今更お忘れにでもなったのですか!?」
ヘーゼル色の瞳を不安気に揺らし必死に刑の執行を訴えているご令嬢の姿を見て、キィンと私の頭の中に過去の出来事が物凄い勢いで流れ込んできました。
◇
愛らしい苺令嬢の名はアイラ・フォスターと言いました。
私は先程から情緒が不安視される目の前のオスカー・マクミラン王子とアイラ嬢との仲を邪魔しようと色々と悪事を画策する陰険、陰湿な王子様の婚約者であるヴァイオレット・ジュディオン公爵令嬢。
登場人物や背景から考えて、ここはどうやら前世で私が読んでいた小説『苺物語~愛され令嬢が王室に嫁ぐまで~』の世界の中のようでした。
つまり私は死んで罪を償うためにこのヴァイオレットに生まれ変わったということでしょうか?
こんな正に罰だけを受ける瞬間に前世での記憶が甦るとは余程神様を怒らせてしまったみたいです。
でも、それであれば今のこの状況は神様にとってもよろしくない展開なのではないでしょうか。
「オスカー殿下!どうか、私をこのまま火炙りにして下さいませ!!この罪を背負って生きていくことは神様がお許しになりません!」
私は私の件で揉めている物語の主役達に必死で懇願しました。
そうです。私は小説ではここで焼かれて死ぬのです。その後、ヒロインは王子とめでたく結婚し幸せに暮らすという王道の物語なのです。
私がここで死ななければどうなるでしょう。
現に今物語のヒロインと王子は口喧嘩の真っ最中です。このような展開は物語の何処にも書かれていませんでした。
「オスカー殿下!あの悪女もそう申しているではありませんか。あの女は生きていても人々のためにはなりません。身分が高いことを良いことに権力を振りかざし威張り放題、自分を飾り立てることに夢中で莫大なお金を使い込む。権力と欲にまみれた最低の女なのです。私も毒を盛られ危うく殺されるところだったではないですか?」
ヒロインであるアイラ様がヒロインらしからぬ鬼の形相で王子に捲し立てています。今のアイラ様は苺令嬢と愛らしい別名を持っているお方には到底見えません。蛇苺のようです。
しかし、このヴァイオレットもアイラ様のおっしゃる通り本当に救いようのない人間であることは間違いありません。毒を盛るなどと、立派な殺人罪です。食い逃げが可愛く思えるほどの罪です。いえ、食い逃げも重罪ですが。
やはり私はこのヴァイオレット共々処刑されなければいけません。
「確かにヴァイオレットは最悪の女だ。あいつは私の婚約者ではあったが、私の見てくれと地位にしか興味を持っていなかった」
主役のお二人が私のいる前で私の悪口を延々と言い続けている光景をいたたまれない気持ちで黙って聞いていましたが、ついに王子が業を煮やし、アイラ様を邪魔そうに横に押し退け、こちらに向かって歩いて来られる姿が見えました。
王子は私の目の前まで来ると磔にされている私を見上げ、静かに呟きました。
「ヴァイオレット、そなたを生かしてやろう」
宝石のような青い瞳が真っ直ぐに私を捉えた。
「……いけません」
私は首を縄で縛られたまま可能な範囲でフルフルと小さく首を横に振って申し出を拒みました。
「死んでこの身で罪を償いたいのです。このまま罪を赦されれば今まで私から数々の嫌がらせを受けてきたアイラ様も救われません」
「私は気が変わったのだ。お前を処刑するのは簡単だ。もはや、死刑が確定しているお前は私の気持ち次第でいつでも処刑することが出来る。だが、お前のそのまるで人が変わったかのような姿をこれで見られなくなるということが今は些か惜しくなってしまった。高慢ちきなお前がいつ殺されるかも分からない状況でしおらしくしている姿をもう少しこの目で楽しみたいのだ」
この王子はなんて堂々と人として最低なことをおっしゃるのでしょうか。私は言葉を失い王子を見下ろしました。
「ふふ、磔にされていてもやはりお前は美しいな。そのお前の激しい性格を表しているかのような燃えるような赤い髪や意思の強そうな翡翠色の瞳。私はお前の容姿はとても気に入っていたのだ。――磔を下ろせ!」
王子の一言で兵士が数名駆け付け磔の台から私を磔ごと下に降ろしました。
そして王子は腰に差していた剣を抜くと私を拘束していた手足と首の縄を乱暴に切り取りました。
私はゆっくりと磔台から身を起こすと拘束されてくっきりと縄の跡がついた手首をすりすりと撫で、王子を見ました。
私を見下すような冷たい視線でしたが、その瞳の奥には私への微かな欲情が見てとれ、私は背筋がゾッとしました。
「私をどうしようというのです?」
私はしおらしく王子に尋ねました。王子はニヤリと意地悪く口角を吊り上げ
「そうだな、お前は処刑前に公爵家から追放されているから帰る場所がないな。本来なら処刑より軽い刑ではあるが、このまま他国への追放か修道院行き、あるいは娼館行きもあるな」
と答えました。どれも今まで散々我が儘に生きてきたヴァイオレットであったなら到底我慢出来るものではありませんでした。
しかし、私なら前世で貧しい暮らしや苦労を沢山経験しているので、何とか生きてやっていけそうな気がしました。
娼館に関しては私では知識や経験が乏しく、お客様を満足させる自信がないので雑用係で許して貰いたいところではありますが。
「では、修道院行きか国外追放でお願い致します」
ふむ、と考えながら私は王子に希望を述べてみました。
するとすかさず王子の突っ込みが入りました。
「お前が好きに決められる訳がないだろう」
――ですよね。
そう思いましたが口にするのは何とか耐えました。
「お前は取りあえず暫くは私の監視下に置くことにする」
「つまり?」
どのような処遇なのかさっぱり分からずわたしは尋ねました。
「私の世話係とする。よいな。お前に当然拒否権はない」
何と。元婚約者を王子の世話係にするとは。
とんでもない提案に私は絶句してしまいました。
「お前にとっては耐え難い苦痛であろう」
愉快で堪らないという風にククっと王子は肩を揺
らして笑っていました。
相当歪みきった王子の性格に私は本格的にこの王国の未来を心配してしまいました。
その傍らでプルプルと怒りで身を震わせている苺令嬢にその時の私は気付いていませんでした。
***
ヴァイオレット・ジュディオン元公爵令嬢。17歳。悪役令嬢らしい派手な見た目はヒロインと違ってお色気を駆使してオスカー王子を誑かそうとするため、無駄に豊満な胸とメリハリの効いたナイスなボディをお持ちです。
断罪前は胸を強調したようなドレスを好んで着ていたようですが、王子のお世話係となった今の私には不要の産物です。
まあ、公爵家から追放されたため、自分の着替えなど一切ないのですが。
王子に与えられた小さな使用人部屋で、私はクローゼットに用意された使用人服に袖を通しました。
令嬢時代は侍女が着替えを手伝ってくれていましたが、当然今は侍女などいるはずもなく。
しかし、使用人の服くらい前世の記憶を持つ私にかかれば当然のように一人で手早く着ることが出来ました。
やはり胸が少し苦しかったので、今度こっそりさらしを巻かせて貰おうと考えました。
派手さを際立たせる緩やかなウェーブの胸まである赤髪は後ろ手に編んで一括りにし、大分すっきりと纏めました。
鏡を見ると、何処からみても悪役令嬢に見えない地味な使用人が出来上がりました。
これで、他の方から見た目に関して不快な思いを抱かせる心配はないでしょう。
私が鏡の前でくるくる周りながら鏡の中の自分の姿に満足していたその時でした。
――コンコン
ドアをノックする音が聞こえました。
「はい」
私は返事と共にピシッと姿勢を正しました。
返事の直後にカチャリと扉が開かれるとそこにはオスカー王子の姿がありました。
「……ほう?」
王子は変わり果てた私の姿を上から下までじっくりと眺めると
「案外似合うじゃないか」
とニヤリと笑い、なんと褒めてくださいました。
「ありがとうございます」
私も我ながら似合うなと思っていたので素直にお褒めの言葉を受けとりました。
「……褒めてない。嫌味だ」
冷たい視線で一瞥されました。相変わらず心配になるくらいの歪んだ性格です。
「私はこれから何をしたらよろしいでしょうか?」
気を取り直して私はこれからのお仕事について王子に尋ねました。
「今日は城下町の偵察に行くのでお前も付いてこい。」
「はい?」
「聞こえなかったのか?城下町の偵察だ」
「えーと、それは世話係が行くものなのでしょうか?護衛とかなら騎士を連れていくべきですが……」
「誰がお前なんかを護衛にするか」
「そうですよね」
話が噛み合っていないような気がしましたが、断れる立場でもないので王子のご命令通り今日は城下町の下見に付き添うことになりました。
***
馬車の中では私と王子が一緒に向かい合って座っていました。オスカー王子は私をずっと見ていましたが、私は王子の視線には気付かない振りをして外の景色を眺めていました。
婚約していた頃は、何度かこのようにお出掛けをしたこともありました。
あの頃はまだ前世の記憶がなかったのでひたすら我が儘なヴァイオレットの様子が思い出されました。
『もう少し丁寧に馬を走らせることは出来ないのですか。小石を踏まれる度にお尻が痛くてたまりませんわ』
などと以前の私は言ってましたね。その時の王子は
『ああ、すまない。御者には私から言っておこう』
と優しいお言葉を述べられていましたが、今の私がまた同じようなことを言ったら
『なら、お前は馬車から降りろ。そして馬車に遅れることなく付いて来い』
的なことを言われそうです。余計なことは言わない方が賢明ですね。一人でうんうん、と頷いていたら王子から声が掛かりました。
「着いたようだ。降りるぞ」
どうやら目的の場所に着いたようでした。私は世話係なので先に馬車から降りようと素早く席を立ちました。しかし、王子の方が私よりも先にさっと馬車から降りてしまいました。
私も慌てて馬車から降りようとすると王子が私の前で手を差し伸べていました。
これはもしかしてエスコートですか?
以前の私なら王子の婚約者であり、公爵令嬢だったのでエスコートは自然にされるものだと思っておりました。
しかし、今の私は身分不明の王子の世話係です。
エスコートされるような立場ではありません。
私が手を出せずに戸惑っていると王子の方から強引に私の手を握り、グイッと馬車から引っ張るように私を降ろしました。
「私を待たせるな。とっとと降りろ」
「も、申し訳ございません」
苛立った声に私は思わず謝罪を述べました。
ふん、と王子は鼻を慣らしそのまま私の手を引いて歩き出しました。
「……殿下。手を繋いだままです」
私が周りの目を気にして小さな声で囁くと王子は聞こえなかったのか私の声に答えず、更にぎゅっと強く私の手を握って歩き続けました。
王子の耳が僅かに赤くなっていることに気がついた私は、
「殿下、寒いのではないですか?耳が赤くなっております」
と労いの言葉をかけました。
「う、うるさい!黙って付いてこい!」
労っただけなのに怒鳴られてしまいました。私は王子の背中をじとっと睨むようにして歩きました。
「ここだ。入るぞ」
目的地に着いたようでドアの上の看板を見るとどうやら仕立て屋のようでした。
ご自分のお洋服を作るのでしょうか?
カラン、とドアベルが勢いよく店内に鳴り響き中に入ると、とても上品な雰囲気のサロンが目に飛び込んできました。
「いらっしゃいませ、オスカー殿下。お待ちしておりました」
上品な女店主が頭を下げ挨拶をしてきました。
この方は確か、ジゼル・マンシェット夫人です。王室のお抱え仕立屋で、彼女の作るドレスはとても上品かつ最先端のデザインばかりで新作ドレスが発表される度話題になり、上流階級の貴婦人達が我先にとドレスを手にしようととんでもない値でマダムジゼルのドレスを買い落とされるとか……。
かつての私もマダムからドレスを買おうとしたこともありますが、ど派手で胸を強調したどちらかといえば下品なドレスを好んで着ていたヴァイオレットとマダムジゼルのドレスは相性が悪く、私はマダムジゼルのドレスを残念ながら一着も持っていませんでした。
「あの……?」
私は何となく気後れして王子とマダムジゼルを交互に見ました。
そんな私をまじまじと眺め、マダムジゼルはにっこりと上品な微笑みを浮かべ言いました。
「これはこれは。ヴァイオレット様は大分お変わりになられたようですね。今のヴァイオレット様なら私のドレスもとてもお似合いになられるでしょう。ああ、腕が鳴りますわ」
そう言うと私はマダムジゼルにさっさと試着室に連れて行かれました。
試着をすること数時間―――
私はぐったりと試着室に添えられた椅子に腰を降ろしました。
つ、疲れました……。
疲れた私とは裏腹にマダムジゼルはオスカー王子とわいわいドレスについてお話されていました。
「どれも大変お似合いですわ。この中からお気に入りはございましたか?」
「ふむ。今試着したもの全部王室に送って貰っても良いか」
「もちろんでございます」
とんでもない話をされていました。
私は疲れた身体に鞭打ち王子のもとに詰め寄りました。
「このドレスは勿論、アイラ様へのプレゼントですよね?」
すると王子は怪訝そうなお顔をされ、
「何故アイラにお前が着た物をわざわざ贈る必要がある?」
と言われました。やはり、私のドレスとして購入されるようです。
「私は殿下のお世話係に過ぎません。このような高価なドレスは着る機会すらございませんのでご厚意は大変ありがたいのですが、受け取る理由がありません」
「お前は服のセンスが壊滅的に悪かったから」
「はい?」
会話がまた噛み合っていないようです。そしてさりげにさらっと失礼なことも言われました。
「お前は自分で自分の価値を色々と下げていたのだ。そのひとつがドレスだ。マダムジゼルのドレスを着た瞬間にお前の地の底まで落ちていた品性が私の足元位まで上がったぞ。感謝しろ」
感謝しろと言われましても、失礼極まりないことを言われていますが。そして先程の会話の解答も未だに貰えていません。
「私は世話係なのでマダムジゼルのドレスを着る機会などありませんと何度も申しております。どうぞ王室のお金をそのような無駄なことに使わないで下さい」
今度ははっきりとお断りの言葉を述べてみました。
マダムジゼルは「まあ」と感心したような声を漏らし、王子はまたもや唖然とした表情をされていました。
「よもやお前の口からそのような言葉が聞けるとは思わなかった……」
ポツリと王子が独り言のように呟きました。
「ご自身の贅沢よりも国の財政を心配なさるなんて本当に殊勝なお考えで頭が下がりますわ。そして殿下にそのように堂々とご意見されるなど中々誰にでも出来ることではございません」
「あの、いや、そのですね……」
そんな大層な気持ちで言ったわけではないのですが、マダムジゼルが嬉しそうに言葉を続けました。
「ヴァイオレット様の国を思う素晴らしいお心遣いに非常に感銘を受けましたので、このドレスは全て私からプレゼントさせて頂きます」
なんと!全てタダでくれるらしいです。ど貧乏だった前世の私はタダより怖いものはないと知っているので恐怖に身体が震えました。
「ふむ、それなら受け取っても問題ないな」
王子が私の方を見つめ最早否定は許さないという圧を込めて確認してきました。
いやいやいや、タダより怖いものはないのです!
私は震える声で反論しました。
「で、ですが、このドレスを着る機会など私にはありませんのでクローゼットに入れておくだけのドレスになるにはあまりにも勿体無いかと……」
「舞踏会に着ればいいだろ」
唐突に王子がさらりと爆弾を落としました。
「世話係が舞踏会に参加するのですか?」
私は思わず聞き返しました。
「そうだ」
しれ、っと王子が答えました。
「そのようなこと、聞いたことがありません!ましてや私は罪人です。王国主催の舞踏会に出られるはずがありません!」
非常識な王子に対し私は必死で説得を試みました。いかに私が価値のない人間かを王子に説得しているうちに段々と心が荒んできました。
「これが殿下の私への報復ですか?私が社交界で冷たい視線を受けて惨めな気持ちになることをお望みですか?」
それならとっとと報復を受けて断罪されたいと思いました。
「違う!!」
私の言葉に王子が語気を荒げ答えました。
「私は心を入れ替えたお前ともう一度やり直したいのだ。私はお前のことを以前からずっと好いていた」
「そ、そんなこと」
突然の王子からの告白と、今までの王子の言動から好かれている様子が全く感じられなかったため、私はすぐに言葉を受け入れることが出来ずにびっくりして咄嗟に言葉が出ませんでした。
少しして気持ちが落ち着くと今度は色々な疑問が浮かんできました。
「それなら何故世話係など回りくどいことをしたのです。この使用人服は?」
私はまず今の処遇についての質問をしました。
王子はコホンと一つ咳払いをしてから答えました。
「それも全てお前を試すためだ。お前がこのような仕打ちを受けてまた以前のような本性を現すか見たかったのだ」
なんと。驚く私の目の前で更に王子は言葉を続けました。
「しかし、お前は怒り出すことなく現状を受け入れた。そして、贅沢も望まなかった。それどころか国の金を無駄に使うなとまで私に対して意見した」
話しながら王子の私を見る視線にどんどんと熱が籠っていくのを感じました。
「お前は私の婚約者に相応しい女性になった。そして処刑の際にも申したが、下品な服さえ着ていなければお前の見た目はとても私の好みだ」
ぎゅっと私の両手を王子の大きな手が包んできました。性格のせいで忘れがちでしたが、オスカー王子の整ったお顔に見つめられ私は思わずどぎまぎしてしまいました
「ア、アイラ様はどうされるのですか!?」
そうです。そもそもこれはアイラ様がヒロインの恋物語。私は悪役令嬢です。私が処刑されそうになったのはアイラ様を私から救うため、アイラ様の受けた苦しみを私に償わせるためだったはずです。
「お前の罪は全てアイラが仕組んだことだった」
またもや王子が爆弾発言をしてきました。
◇
「どういうことです?」
何故かマダムジゼルが鼻息荒く、私より先に王子に食い気味に尋ねてきました。流石の王子もマダムジゼルに若干引き気味でしたが、話を続けました。
「アイラは私と出会う前にも何組かの貴族の婚約をダメにしている女だったのだ。身分の高い者を次々と狙ってはその令息を利用し、更に家柄の良い令息に乗り換えるという手口を使っていた。そして学園に入学して遂に私に接触してきたのだ。はじめからアイラの狙いは私だったのだろう。私はそれまでの被害者達から話を聞いていてな。アイラを何とかして欲しいと懇願されていたので敢えてアイラを自分の懐に飛び込ませたのだ」
私の読んでいた小説の苺ちゃんとは大分イメージが違うことに私は違和感を覚えました。
確かに物語の中でも苺ちゃんは王子と結ばれる前に何名かの素敵な殿方達と出会うのですが、彼女の愛らしさと純粋さに物語の殿方達は自然と惹かれていき、彼女のシンデレラストーリーの手助け要員となっていくのです。『苺物語』は相手のいる殿方に色目を使い、婚約破棄をさせた挙げ句に次の殿方に次々と乗り換える性悪ヒロインのお話しでは決してありませんでした。
考え混んでいる私をチラリと横目で見てから王子は更に話を続けました。
「私に近付いたアイラは私達の婚約も破棄させようとお前の性格を利用しわざとお前の目の前で私にアプローチをかけてきた。単細胞なお前はアイラの望む通りに数々の嫌がらせ行為や暴言を吐き、周りの評価を落としていった。そしていよいよ私達の婚約披露パーティー目前でアイラは最後の仕上げとしてお前を完全なる悪役に仕立て上げるため、自作自演で毒を盛り飲んだのだ。当然死なない程度の量を調整してな」
なんと。苺姫はやっぱり蛇苺でしたか。ヴァイオレットが悪役令嬢になったことも全て苺姫の計画通りだったということでしょうか。苺ちゃん、可愛い顔して恐ろしい子…。
私が驚いて言葉を失っていると王子は更に話を続けました。
「お前の処刑を大っぴらに行い、事前に取りやめることは元々私が考えたシナリオだった。それでアイラの本性を暴こうと思った。思った通りアイラはヒステリックに私に詰め寄ってきていた。その後も私を追いかけ、執務室にまで乗り込んできてボロを出したよ」
一介の令嬢が王子の執務室に無断で入ってくるなどとそれだけでも罪に問われる行為をアイラ様は行ったのですね。それだけ頭に血が上っていたということでしょうか。
それにしても好いている婚約者を嘘とは言えアイラ様同様騙し磔にしてしまうこの王子の性格は如何なものかと思いますが。若干私に対する私怨を感じてしまいます。ジロリと王子を睨むように見ると私の気持ちを感じ取ったのか気まずそうに王子はパッと私から視線を外し誤魔化すように言葉を続けました。
「アイラは私に向かってこう言ったのだ――」
『私はこの物語のヒロインなのよ!ヴァイオレットを処刑しなければこの物語は終わらないの!私は皇后になって幸せになる運命なのよ!なのに、何故殿下はいつもあの我が儘で下品なヴァイオレットばかり気にするの?あの女は殿下のことなんてこれっぽっちも見ていないわ。あの女は殿下の地位にしか興味がないのよ』
「ご自分のことを棚に上げてよくもぬけぬけとそんなことを申されましたわね」
マダムジゼルが王子の話を聞いてぷりぷりと憤慨しながら言いました。
その意見には私も同意でした。
「その後アイラは感情のままに自白してしまったのだ」
その時の光景を思い出したのか、王子が疲れたような表情でふう、と短く息を吐きました。
『あの女をこのまま皇后にしてはダメよ。殿下が不幸になるだけだわ。殿下のことを一番に考えているのは私よ。殿下のためにあの女を排除しようと私がどんな覚悟で毒を飲んだと思ってるの!?』
アイラ様の一国の王子に対し無礼で常軌を逸した言動の数々に、私は驚きと静かな怒りが込み上げてきました。
話を聞く限りアイラ様も私と同様に転生者だったと言うことですよね。
それならば苺姫の違和感の正体も納得です。
アイラ様の中身がどなたかは存じ上げませんがその方の転生によって、どうやらこの物語自体が大幅に変えられてしまったようです。
その変わってしまった物語の悪役令嬢として私が転生してきたということですね。
本来ならとっくに断罪され、この世にいるはずのないヴァイオレットがここにいます。
アイラ様の中の人があまり頭がよろしくなかったことが私にとっては不幸中の幸いでした。
それにしても、王子の話で一つ気になることがありました。
「殿下はアイラ様が私を挑発していると気がついていたのに何故そのままにしていたのですか?婚約破棄を望んでおられたのならともかく、好いて下さっていたのであれば私の評判が下がることは殿下にとっても望ましくないことだと思いますが」
「それは……」
言い淀む殿下の代わりにまたもやマダムジゼルが身を乗り出して答えました。
「ヴァイオレット様が殿下に対してヤキモチを焼くお姿が見たかったのですね!ああ殿下、色々と拗らせておりますが私殿下のお気持ちも分かりますわ!ヴァイオレット様が殿下に対してどんどん可愛げのない傲慢な態度を取るから不安になってしまってついつい反応を試してしまったのですね」
マダムジゼルの言葉に図星を指されたらしく王子がカアッと真っ赤な顔になりました。
「そうではない!ええい、マダムジゼル!先程からちょいちょい会話に入ってくるんじゃない!」
悔しさから王子はムキなってマダムに反論されていました。
王子の様子をポカンと見ていた私の頭の中に再びヴァイオレットの記憶が流れ込んできました。
『どうしたらオスカー様は私を見て下るのかしら』
彼女も自分に自信が持てなかったのです。
派手な見た目と高飛車な態度は自分の弱さを見せないための彼女なりの武装でした。
素直じゃない王子の態度に不安でいっぱいの彼女はいつしか自分も素直になることが出来なくなっていました。
『ああ、また王子に対して冷たい態度を取ってしまったわ。どうして私達はこんなにも衝突してしまうのでしょう』
そこに突如としてピンクの髪のふわふわで可愛らしい苺姫と呼ばれるアイラ様が現れました。自分には真似することが出来ない素直で可愛らしい姿にヴァイオレットはどんどん追い詰められて行きました。それこそがアイラ様の狙いであり、ヴァイオレットはまんまとアイラ様の罠にはまってしまったのでした。
アイラ様が婚約者であるオスカー王子と楽しそうにされる度に彼女の心は醜く暗く歪んでいきました。
それでも心の奥底では彼女は素直な苺姫が羨ましくて仕方ありませんでした。
『生まれ変われるのなら私も苺姫のような素直で可愛らしい女性になってオスカー様と幸せになりたい』
頭の中でヴァイオレットの心の声が響きました。
――そうなのですね。ヴァイオレットが私の魂を呼び寄せたのですね。
断罪直前のヴァイオレットの願いが死んでしまった私に届いのだと、私は唐突に理解しました。
「オスカー殿下」
私はマダムと言い合いを続けていた王子に声をかけました。
「オスカー殿下はもう少し素直になられた方が良いと思います。殿下の好意は余りにも分かりにくいです」
私は記憶の中のヴァイオレットの気持ちを思い、王子に進言しました。
「殿下が素直になられていたのなら私達の関係もこのように色々と拗れることはなかったのです」
「何を生意気な」
私の言葉に王子がムッとなり、私を睨むように見てきました。
「そういう所です。そんな突き放すような言葉ばかりおっしゃるから私もてっきり殿下に嫌われていると思い性格がひねくれてしまったのです」
ヴァイオレットの気持ちを代弁すべく私は話を続けました。
「もっと私達は素直な気持ちで話し合い、分かり合うべきです」
私の誠実な思いを聞いた王子は思い当たることが多々あるらしくうっと短く呻いて、観念したように下を向いて答えました。
「……分かった。私ももっと素直な気持ちをお前に伝えていく」
そして何かを決意すると再び私の手を取り、
「ヴァイオレット。王子としての私も勿論だが、私自身をしっかりと見てくれ。そしてありのままの私を受け入れて欲しい。私はお前とこれからの人生を一緒に歩んで行きたいのだ!」
真っ赤な顔で王子がプロポーズしてきました。
『あいつは私の婚約者ではあったが、私の見てくれと地位にしか興味を持っていなかった』
ふと私の処刑の時にアイラ様と王子が口論されていた時の言葉が思い浮かびました。
家に戻ってこない父親をアパートで一人で待つ私の姿が王子と重なりました。
王子も地位と利用価値でしか自分を見ない人達に囲まれ、ある意味孤独だったのでしょう。
婚約者であるヴァイオレットも素直になれなかったためにほんの僅かだったとしても王子に寂しさを与えていたのは事実でした。
そんな王子の微かな孤独を感じ取り、私の心が切なさでキュッと締め付けられました。
引っ掛かる所はちょこちょこありますが、不器用ながらも王子の私への愛情は感じることができました。
私はこの素直じゃない王子に初めて優しく微笑みました。
「はい。このような私で良いのなら」
そしてプロポーズを受けたのでした。
***
結局、前世での罪を償うことが出来なかった私は再び王子の婚約者となってから贖罪のため、この世界で慈善事業に力を注ぎました。
公爵家の追放の話もアイラ様を騙すための王子の嘘であったため私は元公爵令嬢ではなく公爵令嬢のままでした。
いつしか私は国民から聖母と呼ばれる存在になっていましたが、私自身はそんなことなど露知らず、真面目に日々を過ごしていました。
「ヴァイオレット、今日も孤児院を訪れる気か?」
ブスッとした表情でオスカー王子が声をかけてきました。
「そのつもりですが」
私は王子の気持ちを察して言葉を続けました。
「殿下もご一緒して下さると子供達も喜びます」
「……そなたもか?」
チラリと私の方を見て王子が尋ねました。
「勿論です。私も殿下と一緒に行った方が楽しいです」
私はにっこりと笑って答えました。王子は満更でもないようにふん、と笑って
「生憎私は忙しくてな。今日はそなた一人で行ってこい」
断るんですか、と思わず声に出して突っ込みそうになる所を何とか耐えました。私は今までのやり取りを思い返しながら、
――この王子と一緒になったらこの先も突っ込みだらけの日々が待っているのでしょうね
と何だか可笑しくなってきてくすりと笑みを漏らしました。
「何かを企んでいるような微笑みはやめろ」
赤い顔になりつつも相変わらず人の気持ちを全く理解できない王子に対して私が思わずムッとした表情をすると、不器用な婚約者はほんの少しあわてながら謝罪の言葉を口にするのでした。
***
アイラは結局ヴァイオレットを陥れようとした罪で爵位を剥奪され平民としてその後の人生を送っていた。
「くそ。前世でろくな生活が出来なかったから今度こそ金持ちになろうと思ったのに。可愛いらしい少女に生まれ代わったのにこれじゃあまた元の人生と同じじゃねーか!」
働きもせず、前世でギャンブル漬けとなり多額の借金を背負った男は前世で貧しい生活を送っていた一人娘と焼き肉を食べた時のことを思い出していた。
「娘をだしに食い逃げしたっけな。あのあと俺は借金取りに殺されちまったが、残された娘はどうなったんだろうな。まあ、幸せにはなれなかっただろうな。」
男は住んでいたボロいアパートで当時娘が好んで読んでいた小説を何となく時間を持て余していた時にパラパラと読んだことがあった。
年頃の娘が好みそうな甘い恋愛話に男は読みながら何度も「うぇっ」と舌を出した記憶があった。
――まさか自分がその小説のヒロインになるとは思いもしなかった。
「次こそ大金持ちになってやる!」
王子は失敗したが、この容姿を利用すればいくらでも金持ちの男は引っ掛かるだろう。
アイラとなった男はそう決意すると次のターゲットを探しに夜の街に繰り出すのだった。
結局手当たり次第に男を引っ掻けたアイラに因果応報として罰が下るのはそう遠くない話であった。
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