昇陽。そして、苦味は消えず青く沁み込む
それは梅雨に入る間際。心地良く深呼吸のできるほんのひと時の、わずかな季節の出来事だった。
世界が長雨に悩まされる季節の音が、すぐ其処に響いているなど微塵も感じさせない、とても過ごしやすい湿度と気温。見た目だけは気分の良い空気に包まれた、からっとした陽気の日曜から始まる話。
6月の上旬としては、驚くほどによく晴れた、突き抜けるような青空だったことをとてもよく覚えている。
その頃はまだ、子どもの数も今よりもずっと多く。本当に冗談ではなく全国的に、一学年ごとの人数が今の倍は学校に溢れていて。一億総中流、そんな夢物語が一部とはいえ実現していた夢のような泡沫の、誰もが世の中はまだまだ良くなると盲目的に信じていた、そんな時代。それは地域も同様で。地区ごとの子供会には溢れんばかりの活気が満ちて、活動も活発に広がっていた。
その時代、区域ごとに子供会が乱立と云ってよい程組織され、社会の一部として大人と子供が一緒になって汗を流し、笑顔で毎週行事を組んで活動していた。子供会同士が対抗で様々な競技で競い合ったりと、学校とはまた別のコミュニティが盛んに運営されていて、そしてそれが普通にまかり通っていた。そんな今から見るとファンタジーとしか思えないような、昭和と呼ばれた頃の話だ。
その年、僕は小学校の四年生になって初めて、ようやく【青葉会】というその地区の子供会のソフトボールクラブへの入会を許され、張り切っていた。
保育園から小学校中学年にかけて、一時的にボールみたいにまん丸に太っていた僕も、中学卒業間際にはある程度ダイエットに成功し痩せはしたが。この頃はまだまだ微妙に小太りで、まだまだ走るのは得意ではなかった時期だった。だからといって参加したくなかったわけでは全くなく、できるならしたいとずっと思っていたのだった。
だから運動が得意な同学年たちが次々に三年生から参加していく中、体型を理由に後回しにされていたこともあり、大人たちの許可が出たときは本当に嬉しかったのだ。そこは間違いない。
もちろんレギュラーなど夢のまた夢でしかなかったのだけれども。それでも子供会対抗の町内ソフトボール大会は様々な対抗戦の溢れる中でも地域の花形だったので。チームに入れるだけでも当時の子どもにとっては途轍もなく名誉な勲章なのだった。
今では想像もつかないかも知れないが、そういうせせこましくも大らかな、そんな時代があったという話だ。
学年が変わり、春先の行事もクラス替えの友達作りもGWも無事に過ぎ、みんなの心も落ち着いてきた初夏の入り。とうとうその年の大会に向けての練習が、始まった。
「がんばれー! ○○ちゃん走れーそこだ今だスライディングー!」
「ちょっと待てやぁそこの審判やり直せ! 今のは完全にセーフのタイミングだろぉ!?」
学校や行政が関わっている訳でもないのに、毎週日曜日には弁当持参で一日中練習や練習試合があって。大会が近づくと親たちも張り切って集合し、20ℓ入りのどでかい大型水筒を幾つも持参し練習にすら終日応援についてきて、練習なのに応援に精を出していた。
皆、真剣だった。それだけ熱意が溢れていた。
スポコンという言葉が死語ではなかったその時代、練習は極めて本格的でスパルタだった。
元野球経験者の人がボランティアでコーチとなり、走塁やノックの守備練習や練習試合など組んで陽が落ちても土まみれで汚れ、ドロドロになるまで練習に打ち込んだ。練習場所は地主さんの無償提供で、道具は子供会の集めた寄付資金から。労働力の一切をボランティアで確保して、そして町も税金で球場をいくつも造成しては協力した。簡易ながらも地域ごとにナイター設備までをも網羅した、そんな贅沢なバブルの最中の黄金時代。
「みんなっ、一旦しゅうごー! うん、良い整列だな! さて、ここにいるのが今日からチームに参加することになった、浦井大祐くんだ。みんな仲良く、ビシバシ鍛えてあげてくれよー!」
「よ、よろしくおねがいしますッ!!」
新品のまだ硬いグラブとユニフォームに包まれて、声の大きなコーチに肩を叩かれながら紹介された僕は、緊張でカチコチになりながらも、先輩たちの前であいさつを一礼する。
早めに参加した小柄な年下も一部にはいるが、皆運動の得意な連中なので体格も良く、同年代もいるはずなのだがダイエットあがりで背も小さい自分よりも全員年上にみえていて、ちょっと緊張。というか、怖くもあり。普通に一番下っ端には違いないので下手に出ておく。
「よ! よろすくお願いします!」
噛んだ。もう一度と張り切って大声で挨拶したらこの体たらくだ。どっと笑いが巻き起こる。「よろすくー!」の大合唱だ。唇を引き締めて我慢する。
(はやく後輩できないかな……)
「はは! そんな緊張しなくていいぞ! じゃあまずは、いつもの様にストレッチからのランニングから始める。後輩に良い所を見せようとして、張り切り過ぎて怪我するなよ!」
「「「「「「「はい!!」」」」」」」」
いきなりの大音声の綺麗な合唱に、それだけで内心圧倒される。小学生とは思えない体格の良いコワモテばかりの先輩たち。その中で、初日から少しげんなり走りながらも、笑顔は崩さずその日の練習をなんとか終えた。季節柄まだそこまでの暑さではないはずなのに、したたり落ちる汗の量だけで泥だらけになっている。初心者関係ない練習の洗礼にへとへとになりながらも、悪くない気分で初日を終えた、はずだったのだが。
(……、いまいち、とけ込めないな……)
初日だけではなく、二回目、三回目の練習が終わっても、残念ながらチームの皆となんとなくいまいちギクシャクというか、仲間になり切れていない感じが続いていた。
挨拶以外の会話ができていないのだ。
練習が終わった後の恒例のコンビニ買い食いにも、今日も誘われないまま終わってしまった。まあ、誘われても家庭の事情で応えられないのだけれども。
基本がインドア派で、あまり運動をしてこなかっただけではなく。自分への自信の無さと生来の慣れるまでは人見知りの癖、そして特殊な家庭事情のせいで、初日にせっかく話しかけてもらえても最後まで上手く返事ができなかった。初日の練習後のカラオケに誘われたのを断ってしまったことが、孤立にに拍車をかけていた。
(こういう時、どうすればいいんだろう……?)
誰かから話しかけてもらえるまで待つのではなく、自分から話しかけたり誘ったりすればいいのだろうけれど。
(それができるくらいなら、人見知りにはなったりしてないよな……)
自嘲する。だが、事実だった。そこへ、
「どうした、悩みか?」
そういって肩を叩いてくれたのは、コーチの中沢さんだった。
ちょっと付き合え。そう言って、屋台のラーメン屋に連れていかれた。どうやら行きつけの店らしい。
「あのぅ? どうして誘ってくれたんですか?」
了解の言葉を口に出す前に強引に連れてこられたラーメン屋台は、美味しかった。奢りだからなおさらだ。ただ、なぜ誘ってくれたのかが分からなかった。無言で食べきり、醤油ラーメンの残ったスープに反射する夕焼けと裸電球の照明の光を見ながら、僕はようやく疑問の声を発していた。
「ん? 美味いだろ、ここ?」
すでに大量の麺をすすり終え替え玉を注文していた中沢さんが、疑問の声を発してきた。
(違う、そうじゃない。聞きたいのはそこじゃない)
「いえ、その、そちらではなく……」
あぁ、なるほど。そんなニュアンスの表情を浮かべた沢田さんは、口の中の替え玉を飲み込んだあと、「ん、夢だったのでね」と、そう答えた。
「夢?」
コテンと、首を斜めにし疑問の顔を浮かべていると、沢田さんは麺を時々頬張りながらも詳しく説明してくれた。
「○八先生で見てから、悩んでいる少年を屋台に連れ込んで励ますシチュエーションに憧れていてねえ」
つまりは、そういうことなのだった。
(なんだそれ?)
詳しく聞いて損をした。そんな呆れた表情が見えたのだろう。スープをすすりながら横目で苦笑したコワモテ鬼コーチは、言い訳するようにイタズラっぽい目つきで語りだした。
「俺もな、学生時代人見知りだったんだよ」と。
曰く、中学高校と同じ野球部にいたにも関わらず、自分だけチームメイトから打ち上げに誘われなかったこととか。そんなことが続いていた時、同じように当時の監督にラーメンに誘われて、救われたのだと苦笑しながら話してくれた。
(お節介だな)
そう、子供らしくなく思いながらも、有り難いとは思うので、お礼だけは言っておく。ただ、これが何かの役に立つとは思えなかったが。
感謝はしていた。ただ、それほどまでに、自分の中の人見知りと人間不信は根強かっただけの話だ。
その数日後のことだった。
僕は五年生の先輩たち数人と、同学年だがチームとしては一年先輩数人の人間に囲まれていた。
「おい、お前! なんで毎回先輩の誘いを断ってんだよ!」
つまりは、そういうことだ。誘われないことを寂しく思いながらも、たまに誘われても家庭の事情で断るしかない自分。矛盾しているその対応は、そりゃ周りから見たら腹も立つだろう。今回も、練習後の誘いを、誘い自体は嬉しかったが仕方なく断って帰ろうとして、今度こそ怒らせてしまい、囲まれたところだった。
「……すみません」
とりあえず謝ったが、(面倒臭いな)と思ったことが顔に出たのだろう。
「コイツ!」
先輩の一人が殴ってきた。いきなりだった。だが、その程度の喧嘩は日常茶飯時だった時代だ。誰も止めず、何もいわずに囲みを作った。逃がさないというよりも、単純にリングを作ったという認識だ。繰り返すがそこはそういう時代だった。
子どもの力とはいえ、何度も殴られれば痣にもなる。喧嘩の経験は無かった。最初は恐怖した。焦った。だが、家での理不尽と恐怖でその辺りの感情に無意識に麻痺していた僕は、この更なる理不尽に怒りが勝った。
殴り返した。倍また殴られた。殴り返した。またやられた。とうとう涙が出てきた。それでも負けたくないと思った。
周りもまた盛り上がり、挙句に「おおっと!浦井選手、泣いています! 泣いていても手をゆるめません!」などと誰かが実況を始める始末。後輩なのに一年先輩のあいつの声だろうか。
悔しいのか怒りなのか分からないが、また泣けた。泣きながら殴り返した。結局、喧嘩など慣れていない人間のこぶしが効く訳が無く。だんだん亀の様に顔を防御するだけになっていく。
そんな場面が続き、心が折れる寸前だった。
「何をしている!!」そう声が掛かったのは。
「大丈夫かぁ?」
あの後、コーチの声でバツが悪くなったのか、みんなそのまま逃げて行った。ぽつんと残された泣き顔の腫れた僕を、コーチは手を引き、またも屋台に連れ込んだのだった。
「大丈夫に見えますか?」
繰り返すが、その頃の自分は本当に捻くれていて。普段は猫をかぶれるが、それが剝がれるともろにヒネて無礼な口調になる慇懃無礼な子供だった。これも、家庭内で理不尽に屈している反抗が歪に表れた結果だったのだろうと、今なら判る。だが、その頃の自分には分かるはずもなく。ただただ、助けてくれたコーチにお礼も言えずに目の前のラーメンを眺めるだけのお子様だった。その天邪鬼の呟きにも、コーチは苦笑いしただけで、スルーしてくれた。
「さっきは止めたが、子供の喧嘩にこれ以上大人が出て行くわけにもいかん。次は止めない。ただなあ。格好良かったと思ったぞ」
聞き間違いかと思った。聞き間違いじゃなかった。もう一度、格好良かったとコーチは繰り返した。
「あいつらに悪気はない。ただ、普段の憤りや疑問を君に問い詰めたら言い返されたからカッとなったに過ぎん。そこは君の言い方も悪かったから、そこだけは反省して直した方が良いけどね」
それでも、とコーチは続ける。
「あそこで逃げず、安易に謝らなかったからこそ、きっとあいつらは君の事を認めたよ」
だから、今日は自分を誇って食べて帰れ。そう言って笑ってくれた。
本当に、良い人だった。その言葉で、どれだけ救われた気分になったかは、僕にしか分からない。でも、その時はお礼も何も言えなかった。
いつか言おうと思っていた。レギュラーを取れたらお礼を言おうと思っていた。頑張って頑張って、一か月も経たないうちにセカンドの控えを任されるようになった。嬉しかった。僕は自分の事で精いっぱいだった。
だから、知らなかった。
僕を送ってくれたコーチが、家の親たちに、勝手に屋台で食べさせたことや帰りを遅らせたことを嫌味たらしくヒステリーになじられていたことを。そしてコーチが理不尽にも僕の怪我について謝罪させられていたことも、知らなかった。知らなかったのだ。何も。何一つ。
親の理不尽に反発しながらも、とことんまで自分は子供に過ぎなかった。そしてお子様で考えが浅く何も知らない不運な僕は、コーチにありがとうも言えなかった駄目な僕は、コーチという存在の責任に対して無知だった子供の僕は、最悪な形で恩を仇で返すことになる。
その日も、そんな、なんてことない繰り返しの一日だった。そのはずだった。
「セカン! フライ、いくぞぉ‼」
大柄なコーチの良く通るがなり声がグラウンド全体に響き渡った。
「はい!」
汗まみれの僕が応えていた。
もう少しで弁当の時間で体は食を欲していた。それ以前に四年生だ。まだ体ができておらず、慣れない一日練習にちょっと辛く感じながらも、持ち前の負けず嫌いを発揮して負けない声で返事を返す。
土日の一日練習が始まって一か月と少し。6月に入った最初の日曜。僕はレギュラーではなかったものの、セカンドのポジションの二番手を任され出していて、張り切って練習を続けていた。
だが、疲れのたまり始める昼前の時間は、【前にならえ】で一番前という小ぶりな小学四年生にとっては、やはりちょっと辛くて。だから上を見上げるのが一瞬遅れた。
一瞬だった。その一瞬が全てを決めた。
急いで見上げても視界内にボールはなく、初夏の太陽が燦々と目に入り、チカチカしてグローブで光を隠す。視界を遮る直前の太陽の中に、見失った小さな白いボールが見えた気がした。次の瞬間だった。
グローブと頭部のほんのわずかな隙間を通り抜け、天高く舞い上がったソフトボールが右目の真上に落下した。
右の眼球が爆発したかと思った。
身の毛のよだつ様な悲鳴を上げて、僕は意識を手放した。
気が付いたら暗闇だった。
右半分の視界が何もなかった。
左だけで周りを見る。僕はベッドに横になり、闇色の知らない天井が見下ろしていた。
起き上がろうとした途端、右目が痛んで呻きを上げた。生まれて初めてとも言えるあまりの痛みに全身が硬直する。思わず右目に手をやると、どでかいガーゼが右顔面全体を覆っていた。
「あ、気が付いたのね? ……大丈夫?」
部屋の外から、声を聞きつけた女性看護師さんが駆けつけて、優しく声をかけてくれた。その間にもう一人の男の看護師さんが、人を呼びに行ったようだった。
そう、そこは、市民病院の眼科の入院病棟の一室だった。
しばらくして、呼びに行った看護師さんと共に、医者の先生と両親が心配そうな、それでいて情けないやつを見るような、複雑な表情で駆けつけ、ベッドの周りに集まった。
先生が軽く僕に痛みなどの質問をしたのち、現状を話してくれた。
目にフライのボールが直撃して気絶し、救急車で運ばれたこと。
応急処置が終わって、痛み止めを打たれて、眠っていたこと。
今日はもう次の日になっているということ。
眼球破裂だけはなんとか免れたが、ひどく内出血をしていて、二週間の入院と手術が必要だということ。
そして、最後に。手術が上手くいっても、視力は完全には元には戻らないかもしれないということ。を、ゆっくりとした口調で、子供だからと誤魔化さずに、丁寧に真剣に伝えてくれた。
両親のうんざりする様な表情を見る限り、先に話を聞いていたようだった。
「……そう、ですか。わかりました。教えてくれて、ありがとうございます」
と、そう応えた。そう言うしかなかった。
自分の、少なくとも今年の、大会もレギュラー争いも、終了したのだ。それが分かった。その時はまだ、実感が薄く、そうとしか言えなかった。
そうして僕は、眼科に入院した。
6人部屋だったので、他はおじいちゃんとおばあちゃんしかいなかったけれど、だからこそ余計に可愛がられた。
お菓子の絶える時が無かったほどだ。
動くと目の奥がじくじく痛く、不安だけが募ったけど、だんだん実感してきたレギュラー落ちとか激しいスポーツがもうできないかもしれないとか、未来を考えることだけでも辛かったけど、だからって暗くしていたら周りがよけい辛そうで可哀想な表情になったので、常に笑顔でいることにした。
というか、目が痛いのが玉に瑕だが、あんまり受けた記憶の無い程の歓待ぶりに、家よりもリラックスできている気さえしていた。
優しい老人たちに心配をかけたくなくて、明るく見える振る舞いで病棟の中を探検した。
リネン室という意味の解らない名前の部屋でシーツの山を崩して怒られた。
本をたくさん読んだ。病院の図書室には行けたので、何冊も何冊も借りてきた。目に負担があるからと言われたが、手持ち無沙汰で読みふけった。
記憶力には自信があったので数ページ分を記憶して丸暗記でそらんじたら盛大に拍手されて褒められた。そんな時は病室のおじいちゃんおばあちゃんの前で、ちょっとだけ本当の笑顔が出せた。
時に先生に呼ばれて検査をした。
「安静に」と怒られながらも聞いた話で、右目の真上からまともに当たったせいで、眼窩と呼ばれる目の入っている空洞の骨が少し広がってしまい、顔の左右のバランスが悪くなるかもしれないとも言われた。そのせいで、頭痛持ちになるかもとも。
でも、今さらどうしようも無いし、今はまだ頭は痛くないので、気にしないことにした。
それよりも、あのコーチが、コーチを辞めたとお見舞いの人から聞いてしまったことが気になっていた。何度も何度も家へ謝りに来て、泣いていたそうだ。
内心愕然とした。申し訳ない気持ちで一杯になった。まだお礼も何も言えていないのに、とても酷いことをしてしまった。恩を仇で返してしまったと誰にも見えない布団の中で震えて泣いた。
コーチは何も悪くないのに。
僕がドジって取り損ねただけの話で、コーチの責任じゃないというのに。
僕の親はヒステリーで癇癪持ちで、すぐに他人のせいにしてニュースを聞いては他人の悪口を言う人で、なのに自分が悪い時ですらちゃんと謝らないような人たちだから、色々酷いことを言われたのだろうなと、本当に気の毒に思った。
申し訳なかった。けれど、入院中の子どもには、できることが何も無かった。いつかこれも込みで土下座してでも謝りたい。そう思うしかなかった。
そうこうしている内に、十日が経った。
そこで、奇跡が起きた。
もうすぐ手術という頃になって、異変が起きた。目の腫れが引いてきたのだ。何もしていないのに。
日に日に元の大きさに戻ってゆく目玉と目の周りの肉と腫れ。
先生もとても驚いて唸っていた。原因不明。でも、良いことなら、原因不明でも良いよねきっと。僕がそう言うと、皆が笑顔になってくれた。
とうとう大きな手術は必要ない大きさにまで腫れも内出血も縮んでしまった。痛みも緩くなってきた。
軽い、メスを使わない手術を受けて、僕はあっさりと退院した。できてしまった。
手術直後、全身麻酔で痺れる中で、ぼんやりとでもちゃんと物が見えていて涙が出た。ガーゼを取った途端、時が経つにつれだんだんと視界がハッキリしてきて嬉しかった。
やはり、顔の左右のバランスだけは元には戻らないらしい。でも、仕方ない。潰れなくて本当に良かった。
そうして家に帰ってきた僕は、それを見た。
自分の事よりずっとショックで愕然となった。
一年生の頃から飼っていた犬の【コロ】が、動けない程に弱っていた。
右目が腫れて、別の生き物みたいな出来物が張り付いたように緑色にでっかく膨れて膿んでいた。
「な……なんで……?」
誰にともなくそう呟いた僕の言葉に、祖母が返した。
「お前さんが目を怪我して入院してから、どんどんとああ成りおった。こちらもお前さんにつきっきりで、餌と水を替えてやることしかできんかったんで、病院に連れて行ってやることすらできーせんかった。ほんに申し訳ないことをした。
けんど不思議なことに、あやつはあんなになってもうめき声ひとつ上げん。まるで、願掛けにでも耐えてでもいるかのようでなぁ」
その言葉を聞いて、僕は確信をもった。
信じた。
どこの誰が「そんな事あるはずない」と言ったとしても、否定しても、非科学的だと言われようとも、信じたんだ。
(……コロが、身代わりになってくれたんだ……)と。
それも、コロ自らがそうしてくれたのだと。
信じた。そして、これまでずっと笑顔に隠して耐えてきた辛さや悲しさや寂しさや不安が一気に押し寄せ、今度こそ涙が溢れて止まらなくなった。
ぼたぼたと涙を落としながらゆっくりとコロに近づき、泣いたまま横たわる頭を撫でる。
フサフサだった茶色い毛並みが湿気っていた。泥みたいなものとよく分からない汚いものでドロドロだった。
でも、気にならなかった。汚れるのも気にならずに抱きしめて、痛くならないように気を付けながらかき抱いた。
(ごめんね……ありがとう……ありがとう、コロ!)
ゆっくりと優しくまた撫でると、コロの口元が小さく緩んだような気がした。
その日から、僕はコロにつきっきりになった。
学校から帰るとすぐに犬小屋に行き、常に一緒にいた。コーチのことは気になったけど、家も知らないし、本当に申し訳ないし薄情だけど、目の前のことの方が大事だった。こちらが片付いたら謝りに行こうと思って今は心に仕舞いこんだ。
餌をやり、水をやり、うまく呑み込めない時には小さく砕いてちょっとずつ飲み込ませてやった。ブラシをかけ、体を拭いた。負担にならない程度に目薬を差し、ガーゼを当てて汚れたら取り換えた。
僕は、医者じゃない。子どもで、無知だ。
何の意味もない行為だとは分かっていた。治療にすらなっていないと分かっていた。
でも、何かしてあげたかった。何とかしてあげたかった。感謝しているのだと少しでも伝えたかった。
抱きしめて、撫でる。動かない目と動く目が、僕を見つめた。静かにずっと見つめていた。
そして、数日が過ぎ。
コロが忽然と姿を消した。
鎖と首輪が杭について残っていた。切れそうなほどボロボロになって惨めに地面で汚れていた。
呆然とした。立ち尽くした。
なんで?だとか、どうして?だとかがグルグルと頭を廻り、そしてしばらくしてハッと気づく。
(首輪が、ここにある……つけて無い⁉ だとしたら、野良犬として保健所に捕まっちゃう‼)
子どもながらに、保健所に連れていかれた野良犬がどういうことになるかは、大体わかっていた。殺されるのだ。
血の気が引いた。
今のコロはそんなに速く動けないのだ。そのはずなのだ。
(簡単に捕まっちゃうよ‼)
「探さなきゃ……」
なぜ居なくなったのか分からなかったが、それでも探さなくちゃと急いできびすを返した僕を、止めた人たちがいた。両親だった。
探しに行くなと両親は言った。
いつ居なくなったかすら分からないなら、どこに居るかも分からない。なら走って探しても意味は無い。僕もまだ退院したてで病み上がりで本調子ではない。だから安静にしていなければならない。ちゃんとポスターを作って張り出しておくから、と。
正論で、子どもの僕には反論することができなくて。悔しくて悔しくて唸ってまた泣いた。
最近、泣いてばかりだと思ったが、それでも泣けて仕方なかった。何もできない自分が悔しかった。
次の日にはポスターが作られた。貼って回った。でも、三日経っても、コロは全く見つからない。情報もまるで集まらなかった。
(コロが死んじゃう! コロが死んじゃう‼)
焦りだけが募ってゆく。学校に行くことすらも嫌で嫌でたまらなかった。気もそぞろで、すぐに助けに行きたくて行きたくてたまらなかった。
大好きだったコロ。
助けてくれたコロ。
目の恩返しもまだまだできていないのに。
自分は誰に対しても恩返しすらできないのか。そういう薄情な人間なのか。そう思って絶望した。目が潰れるかも知れないと言われた時よりも動揺した。気が狂うということはこういうことなのではないかと生まれて初めて実感した。
そんな折だった。
心配で食べ物も喉を通らない僕を見かねて、祖母が辛そうに教えてくれた。苦しそうに、ポツリポツリと。言いたくなんてなさそうに、悪いことをした後に懺悔するかのように小さな声で。
「言うなって、言われとったんだがねぇ……。コロはなぁ、もう治らないって、動物病院で言われたんよ。そんでな、お前にもうつるかも知れないってさ。そんでね。そんでさ、仕方なくね、仕方なくなんだよ? お前の両親がさ、あの二人が話し合ってね、そんで……」
その先を聞きたくなかった。
なんとなく分かってしまったからだ。
真っ青な酷い顔になった僕に、祖母の言葉が刺さってゆき、続いて伝えた。
「コロはね、あの二人が、捨ててきたんだよ。箱に入れてね、首輪を取ってね、車で遠くへ、戻って来れない所まで行って……」
「なんでだよ‼‼‼」
生まれて初めて祖母に怒鳴った。優しい祖母に怒鳴ったのは、後にも先にもここだけだった。
怒りでどうにかなりそうだった。驚いた顔の祖母の顔も一切気にならなかった。
「なんでだよ‼‼‼‼⁉」
生まれて初めて全世界に対して怒鳴っていた。
(なんで? そんなのは分かっている。分かりきってる。僕の為だ。少なくともあの人たちは、僕の為にやってやったと、良いことをしたと思ってやったんだろうさ)
いつもそうだ。こっちのことなんて何も考えてなくて。理不尽に怒鳴りつけて、理不尽にヒステリーをぶつけてきて、理不尽に押し付けて、理不尽にダメ出しして。いつもいつも理不尽に毎日貶してきて。帰りもちょっとでも遅くなったら怒鳴ってきて。友達の家にも行ったことが無くて。恩を受けた人にも悪口行って貶してきて。テストを一問間違えただけでダメ人間扱いしてきて。ちょっと言い返しただけで「お前みたいな親の恩を忘れて言い返すようなバカは人間じゃねえ!」扱いされて。「人間なら親が間違ってても逆らうな!」とか理不尽なこと言って両側から脅してきて。そして理不尽に大切なものを奪っていくんだ、あの人たちは!
だけど、けれども、そういうことだ。
なんのことは無い。結局は。
つまりは、「僕の、せいか……」
「ちぃくしょおぉおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお‼‼‼‼‼‼‼‼‼‼‼‼‼‼‼‼」
喉から血がでる程の生まれて初めての叫びを上げて、僕はその日、生まれて初めて家出をした。
真っ暗な夜の道をひたすらコロの名前を呼んで歩いた。
でも、見つからない。
ときおり、遠くをゆっくりと通り過ぎる車の窓から、僕の名前を呼ぶ声がした。親戚のおじさんの声。
きっと僕を探すのに、親戚一同をかき集めたんだろう。子どものことよりも自分たちの恥を極端に嫌うあの人たちにしては、妥協したものだ。ご苦労さまなことだ。
僕はもう、あの人たちを、心の中では親と呼びたくなくなっていた。
(親戚のおじさんたちには申し訳ないけど、今はまだ、戻れないよ……)
物陰に隠れてやり過ごす。
コロがまだ見つかっていないから。
今出て行くと、もう家から出してはくれないだろうし。なにより、両親に向かって何を喚くか自分でも自信がなかったから。あの人たちも、また今度もステレオでヒステリー怒鳴りするだけだろうし、そんなもの聞きたくもない。
それに、コロがまだ見つかっていない。
今では、あの話を聞いた後では特に。コロが生きているとはもう思えなかった。聞いた時点で一週間が経っていた。あの病状だ。捕まっていても捕まっていなくても、生きてはいないのだろうと諦めていた。
(でも)
それでも、見つけたかった。
死体だとしても見つけたかった。
見つけて謝って、見つけてありがとうをまた伝えて。どんな姿だろうと見つけて抱きしめて自分の手で埋めてお墓を作ってあげたかった。
それだけだった。
もう、それだけしか頭になかった。
一晩しかない。
明日には見つかって連れ戻されてしまうだろう。部屋から出してもらえなくなるだろう。
(今しかないんだ。今しか、今見つけるしか)
焦っていた。もう涙も出ない。涙の枯れた涙だらけの汚れた顔で深夜の町や深夜の田舎道をあちこち歩く。疲れた?そんなことはどうでもいい。
意地になっていた。見つけないと、自分のこれからの人生がまともに過ごせない気がした。
なのに、見つからない。見つけられない。
(僕は、そんなに神様に嫌われているんだろうか?)
恩のある相手の、家族が酷いことした相手の、死体を、謝るために、ありがとうを伝えるために探したいというそんなチンケな願いすらも叶えてくれない程に、僕は神様にもこの世界にも嫌われているのだろうか。
それでも、少なくとも倒れるまでは探すのを止めないと決めていた。倒れる前に止めたなら自分で自分を一生許せないだろうと思えた。
橋を通るときは、車から見つからないように欄干や歩道のブロックに隠れて匍匐前進して渡った。
堤防を通るときは、見つからないように堤防の下側の背よりも高い草の暗い泥の中を踝まで浸かってぐちゃりと歩いた。
夜中になって。それでも、何の成果も無かった。見つからなかった。
分かっていた。判っていたんだ。
祖母は「車で、戻って来れない遠く」と言った。小学生が一晩歩いたって探せる範囲に居るわけがない。解っていたんだ。
(でも、何もしないままでいたくなんて、無かったんだ……!)
疲れて、ボロボロになって。たどり着いたのは、家からかなり離れた場所の海岸の、堤防の先にある灯台だった。
真っ暗な灯台の元暗しの中、真っ暗闇の海を見ていた。
灯台のコンクリの根元にもたれて座る。
不思議と、怖くは無かった。友達から、夜の海の中からは死んだ者の腕で引きずり込まれると聞いていたけど。でも、全く怖くなかった。
もう一度思う。
きっとコロはもうとっくに死んでいることだろう。
せめて見つけて埋めてやりかったけど、それも叶わなかった。というよりも、自分で諦めるために分かっていたことを確認しただけなのかもしれないと、子供心に難しいことを考えていた。
「助けて、やれなかった……」
自分がヒーローだなんて思ってない。
でも、助けてくれた相手に感謝とお返しくらいはできる人間だと思っていたのに。
「コロ……僕は、お前に、何をしてやれた……? 何をしてあげられた?」
自問だけが浮かんで消えてくれない。
そして、気絶するかのように眠りが来た。
気が付くと、目の前にコロがいた。
都合の良い夢だとハッキリ分かった。コロの目が両目とも綺麗だったからだ。
自分で自分が情けなくなった。情けなくて泣きたくなった。
(夢でも、また、逢えたね……)
情けない顔で、それでも、伝えたい事を伝えたいと思ったので、そう言うと、コロは優しく笑った。とことん都合の良い夢で情けなさが増してゆく。
「……ごめんよ、ごめん。僕たちは、お前に酷いことを……」
涙が流れた。
情けなさが地面を越えて地下に潜って下に行き心が潰れるかと思ったその時、コロは困ったような顔をして、近づいて涙を舐めた。
「……コロ……?」
ビックリして顔を上げると、コロはもうそこに居なかった。最初からいなかったみたいな風で薄暗い明るい闇で。
uwOoooooooooooh‼
最後に遠吠えが遠くに聞こえた。
気が付くと水平線に朝日が見えていて、横たわったまま周りを見回すと、野犬が周囲を囲んで寝そべっていた。ちょっと怖かったけど、襲ってくることはなかったので、汚れて寝そべる自分をきっと仲間と思ってくれたのだろう。それとも港の魚をたらふく食べた後で気分が良かったのかもしれない。
周りを刺激しないように起き上がり、あちこち寝そべる犬達を踏まないように灯台を後にする。ふと思いついて振り返った。
「!!」
犬たちが全員こちらを見ていた。背景の朝日の逆光をものともせずに犬達が優しい顔で笑っているかのように見えて、瞬きをした次の瞬間にはもう、犬達は興味を失ったかのようにそっぽを向いた。
それでも僕は、犬たちの優しい瞳を写真の様に写した朝日から目を離せなかった。
失うかもしれなかった目を見開いて、無かったかもしれない視界の先で、眩しい先にコロがいた気がした。
気のせいだ。
幻だ。
自分の願望が見せる都合の良い幻覚だ。
分かっていた。理解していた。それでも僕は声を殺して泣いていた。犬たちの安眠を妨げる声を上げることだけはしないと、意地でも声を殺して静かに泣いた。
家に戻った。
一時間を越えて怒鳴られた。
それを黙ったまま、静かに僕は聞いていた。
つい昨日まで恐れていた両親への恐怖が消えていた。
この人たちは、一生死ぬまで変わらないのだろう。相手の気持ちを考えることも理解しようとすることも一生無いのだろう。子どもの気持ちを考えることも、きっと無い。
僕だってまだ十年生きただけの子どもで。何も理解できていないのかもしれないけど。
それでも、今回の一連の冒険で、気づいたことがある。
子どもにとって、人間にとって、一番必要な事は。生きていくために、何かに成功するために、本当に必要なことは。
自信、なのだろうと思う。能力でもなく、実力ですらない。根拠なんてなくていい。自信さえ存在するならば、たとえ実力が低くても、成功の確率は上がるのだと今は思う。
僕の意識が、何かを捨てて何か大切なものを得て、変わったように。心が感じる両親の姿が、変わったように。世界を変えられなくても、自分の中の世界を自信は変えてくれるのだと思う。
【自信】というものは、人間にとってそこまで大切なものなんだと思う。なんで自信がついたのか、論理的な説明何てとてもできそうにない。完全に思い込みでしかないのかもしれない。何一つ、やり遂げられたことなんて何も無かった。それでも。自信が付いたと思えた。
勘違いかもしれない。いつかまた、自信がなくて泣くかもしれない。けれど、信じた。僕の中には幻だけど、コロがいる。
だから、子どもがこんなことをいうことはおこがましいのかもしれないけど。だからこそあえて言わせてもらうなら。
親の本当の仕事とは、【子どもに自信を与えてあげること】なんだと思う。決して、自信を根こそぎ奪う事なんかじゃないんだと思う。
目を開けて肩を震わせて怒鳴り続ける両親を見る。そういう意味で、この人たちは親失格だ。子どもの目で見ても失格だ。どうしようもない人間たちだ。正直軽蔑する。
この人たちを許すことは一生ないだろうと思えた。この人たちがしたことは、やっぱり良くないことだと思うから。でも、この人たちは僕の為にしたと、少なくともこの人たちはそう思っている。その認識を変えることは一生できないだろうし。それが真実僕の為になっているかといえば、まるでそうではないけれど。
それでも、僕は、僕の為にしてくれたことに怒ることは、もうできなくなっていた。軽蔑しても、貶しても、信用なんてもうできなくても。それでも、憎むことだけはもう、できない。
怒鳴る両親をみて、(ちっさいな)と、力を抜いて小さく苦笑する。それを見てまた怒鳴り声が増えたけど、もう僕の心を傷つけることはできなくて。最後までじっと聞き終えた後、僕は現状を受け入れていた。怒りと憤りを消さないまま、全てを飲み込んだまま、受け入れていた。
数日間、学校を休んで、部屋から出るなと言われてそうした。
考える時間も、それを飲み込む時間も必要だったから。
これからも、僕は生きてゆく。
生きてゆかなくてはならない。
まだまだ辛いことも腹の立つことも恨みに思うこともきっとたくさんあるのだろう。
でも、それでも、僕は見た。
幻だったとしても、幻覚だったとしても、都合の良い自分の頭と心が見せた夢だったのだとしても。
それでも、僕はコロやあの犬たちの笑顔と眩しい朝日を死ぬまで忘れないだろう。
辛いときにはきっといつも思い出すだろう。
そして、それを覚えている限り。
コロが助けてくれたことも、それに対する感謝の気持ちも忘れないだろう。
「なら、きっと僕は頑張れる」
なんとなく、ちょっとだけ大人になった気がした。許せない人たちをもう、見上げるほどでかくは、見えなくなっていたから。
窓を開けた。
コロを繋いでいた杭とヒモと首輪がまだ、そこにあった。
そっと窓から外に出て、首輪だけ持って戻る。
もはや乾いた泥を払って机の引き出しの奥にしまった。
いつか、僕も間違えるかもしれない。人を傷つけるかもしれない。誰かの恨みを買うかもしれない。
「その時は、僕を正気に戻す手伝いを、頼むよ、コロ」
そして引き出しを僕はそっと仕舞った。
そしてコーチの家を探して、ありがとうと感謝を伝えよう。そう思った。コーチは悪くないんだと、せめて、伝えたかった。それで何かが変わることは無いのだとしても。それでも。そう、思った。
その時隠した首輪と一枚だけ残ったコロの写真は、笑顔のまま、今でも机の中で笑っている。
終