シェリはやっぱり弱いみたいです。
「うう…暗いよぉ…怖いよぉ…」
ランタンを抱えながら、シェリィは屋敷の廊下を歩いていた。
シェリィが泥棒が居る場所とドアに願った結果、ドアは此処に繋がった。
「泥棒さん…早く出てきてぇ…」
シェリィは黒塗りの闇に向けて、震え声で呼び掛ける。
廊下の壁には一定間隔で蝋燭たてがあったが、使える蝋燭の刺さっている物は殆ど無い。
“ガシャン!”
「ひぅ!?」
シェリィはランタンを抱きしめながら、その場にしゃがみ込む。
この世界では自分は孤独らしいと悟ったシェリィは、臆病な性格が更に悪化していた。
「シェリは強い子、シェリは強い子、シェリは…」
真上に微風を感じたシェリィは、ふと顔を上げる。
サーベルの切っ先が、シェリィの額の少し上あたりにあった。
「!?」
シェリィは、咄嗟にその身を横に逸らす。抱えていたランタンは転げ落ちたが、幸い蓋は開かず火事になる事は無かった。
頭には当たらなかったものの、サーベルはシェリィの右の太ももを貫き、シェリィの足を虫ピンの様にその場に固定してしまう。
「うぎゃあああああ!!!」
「チィ…外したか。」
天井から、一体のドラゴニュートが降りてくる。
シェグである。
「ひぐっ…酷いよ…何でこんな事するの…」
「はん!強盗に向かってよくそんなセリフ吐けたもんだね!」
シェグは、シェリィの太ももに突き刺さっているサーベルを乱暴に引き抜く。
「う”ぐっ…」
「赤い血…?気化もしない…成る程、どうりで頭お花畑な訳だ。人間!」
シェグは、シェリィの脳天に向けてサーベルを振りかぶる。
足に重傷を負ったシェリィには、身動きをとる術は無い。
「冥土の土産に良い事教えてやるよ、人間。魔物の世界じゃなぁ、弱肉強食が絶対のルールなんだよ。」
「じゃくにく…きょうしょく?」
「おお、そうさ。…もしかして知らないのか?」
シェリィは、泣き濡れた顔を縦に振る。
少なくとも、シェリィが学校で教わった事の無い単語だった。
「知らないなら教えてやるよ。」
シェグは、人差し指でシェリィを指す。
「弱い者はそうやって肉となり、」
シェグは、親指で自分を指す。
「強い者がそれを食えるって事さ!解ったか?」
シェリィは相変わらず泣いていたが、首をもう一度縦に振る。
「おーそうかそりゃ良かった。じゃあ今度こそ…」
「待って。」
「今度は何だ!」
「しぇ…シェリをお肉にしちゃ、駄目だと思う。」
「…は?おいおいおい、さっきの話聞いてたのか?だから弱い奴は…」
「ご主人様は、凄く綺麗好きなんです。でも、ここの床はシェリのせいで汚れちゃいました。ご主人様、きっと凄く怒っちゃうと思います。」
シェリィは必死に言葉を紡ぐ。
「あ?だからどうしたんだよ。」
「このままだと怒られるのはシェリだけだけど、シェリがここで死んじゃったら、この床が汚れた原因はあなただけになっちゃいますよ。」
「だからどうしたって…」
次の瞬間、シェグはシェリィの言っている意味を理解する。
「ご主人様に“怒られちゃいますよ”?良いんですか?ドラゴンさん。」
見た感じは毅然とした態度のシェリィだったが、本当は激痛と失血で気絶寸前だった。
「良いんですか?」
「解った!解ったって!見逃してやるよ!…たく、弱っちい癖に頭だけは無駄に回りやがって…」
観念したシェグは、その場から立ち去ろうとする。
「…待って下さい…何も盗んでませんよね…?」
「あ?」
「シェリ…自分から言うつもりは無い…けれど…何があったかご主人様に聞かれたら、素直に答え…ますよ。」
「ああもう!何なんだよ全く!」
シェグは、黒ローブの下に隠していた盗品を全てその場に置いていくと、ジオと同じく窓から出て行った。
「…はぁ…」
シェリィは自身の切り裂かれた太ももを、悲しい目で見つめる。
怪我の割には意外にも、若干止血していた。
「…あと一人だから…もう少しだけ頑張って…シェリ…」
シェリィは、自分で自分を奮い立たせようとする。
しかし実際には、もうシェリィには元気は無かった。
「ぜぇ…ぜぇ…もう少しだけ…動いて…」
シェリィは自身の纏っている麻布のワンピースのスカート部分の一部を破り、破り取った布切れをばっくり割れた太ももにきつく巻きつける。
「ふゅぐっ!」
その応急処置には激痛が伴っていたが、お陰でシェリィの足は、辛うじて機能を取り戻す。
泥棒はあと一人、今の今まで物音なども一切聞き取れなかった辺り、他の二人とは格が違う事が伺える。
ふとシェリィは、自分がどうしてここまでして屋敷に奉仕しているのかを考える。
どっちみち床を汚してしまった自分はタダでは済まないし、泥棒を撃退したなど信じて貰えるかどうかも怪しい。
では何故、トラウマレベルの重症を負っても、こうして立ち上がろうとするのか。
答えは、何となく分かった。
「シェリは…奴隷だから…シェリは…買われたから…」
シェリィは、立ち上がる。
「ううん…違う。ご主人様がシェリに、美味しい物をくれたから…!」
決意を胸に、シェリィは一歩踏み出す。
「う…あうぅ…」
シェリィは、そのまま倒れる。
やはり、意思の力だけでどうにかなる怪我では無かった。
「…シェリ…全力で頑張ったよね…」
朦朧とする意識の中で、シェリィは自分に言い訳する。
避けられぬ死は、職務怠慢には十分な理由になり得た。
カチャカチャカチャ…
遠くの方から、金属部品が軽くぶつかり合う音を立てながら、9本足のランタンがシェリィの元へと向かって来る。その足の一本が、一本の鉄の棒を持っている。
不活性化しただけで、ランタンはまだ生き物のままだった。
「…何?」
シェリィはぼんやりと疑問符を浮かべる。
ランタンはシェリィの元に辿り着くや否や、火の入っている扉を開け、金属の棒の先端を炎にあて始める。
ランタンの中の炎が、明らかに本来の機能を超えて燃え上がった為、鉄の棒はあっという間に赤熱する。
「…何…やってるんだろ…」
目の前で繰り広げられるランタンの奇妙な挙動を眺めながら、シェリィはゆっくりと、甘美な眠りの中へと堕ちていく。
ジュッ…
最初は音。
それから次に、
「ひぎぁあああああああぁぁぁぁぁぁ!!?」
この世の物とは思えない程の激痛が、シェリィに襲いかかる。
シェリィは暴れようとするが、ランタンの7本の黒い足がそれを阻む。
両手足と胴体、それから頭を床に押し付けられている。
シェリィは少しずつ首を動かして、激痛の発生源の様子をその目で捉える。
「ひぃぐ!?にゃ…にゃにしてるの!?」
ランタンが、赤熱した鉄の棒をシェリィの太ももの傷口に押し当てていた。
シェリィの太ももは内側から焼かれ、人肉の焦げる甘ったるい香りが漂う。
太ももの痛覚が鈍ってきた頃、シェリィはようやく焼けた鉄から解放される。
「は…あは…ひ…酷いな…」
ピクピクと痙攣しながら、シェリィは恨みの篭った視線をランタンに向ける。
「シェリ…君になんか悪い事…したのかな…」
すっかりくたびれたシェリィは、ふらふらと立ち上がる。
そして、自分が先程よりも大文楽に立ち上がれている事に気が付く。
太ももの傷口は焼き潰され、出血が完全に止まっていた。
「もしかして…治療、してくれたの?」
シェリィは9足ランタンの方を見るが、9足ランタンはただのランタンに戻っていた。
「ありがとう。ちょっぴり痛かったけど、助かったよ。」
シェリィはランタンを抱え上げると、一番近い扉の前に立つ。
その間シェリィは一瞬だけ自分の足の状態を確認したが、余りにもグロテスクだった為、これ以降自分の足は見ない事にした。
「泥棒さんの居る場所に、行きたいな。」
扉が開く。
その向こうは、食堂だった。