シェリを寝かせてください…
夜、皆が寝静まった頃。
バルフェアの屋敷の前に、3人の盗賊が現れた。
鱗で覆われた皮膚。翼や角、それから尻尾の備えられた体。二足歩行で、それぞれが3m程の身長。
3人とも、小型人型ドラゴン、通称ドラゴニュートである。
三体とも黒く塗装されたレザー製の軽装鎧と黒ローブと言う格好をしており、角や翼や尻尾まで黒く塗られている。
「お前ら、とうとうこの日が来たぞ。悪魔の屋敷に、手を付ける日がな。」
先頭を行く一体目のドラゴニュートの名前は、ミヌ。
かつては傭兵団として働いていたが、種族間の戦争の激化に伴い一昨年に引退。
今は盗賊団の団長として、仲間と共にコソ泥を繰り返して生計を立てていた。
「なあなあアニキにアネゴぉ…やっぱり辞めようぜぇ?ここ、すげぇ不気味だぜ?」
ミヌの右隣を固めるのは、ジオ。
ミヌの実の弟であり、盗賊団最初のメンバーである。
「はぁ…嫌なら先帰っても良いんだぜ?」
ミヌの左側に立つのは、二人の姉兼3人の中の紅一点、シェグ。
バルフェアの留守の情報を嗅ぎつけ、今回の盗みの計画を建てたのは彼女だった。
この3人で、ミヌの盗賊団の全メンバーだった。
「さあお前ら、駄弁ってないで早く行くぞ。お宝が待ってる。」
ミヌが二人にそう号令を飛ばすと、3人のドラゴニュートは一斉に飛翔し、夜闇に隠れて消えていった。
実際の所、バルフェアの屋敷には大した物は無かった。
ーーー
「…くぅ…すぅ…くぅ…」
優しい月光に照らされながら、シェリィは見る者が居ないのが勿体ない程の愛らしい寝顔を浮かべ、穏やかな寝息をたてていた。
“ガシャン!ガシャコン!”
「…何?また、ネズミさん?」
シェリィの安息のひと時が、キッチンから響いてきた物音により儚くも破壊される。
「…体が痛いな。それに、まだ夜中…ふわぁ…」
寝ぼけたシェリィは、キッチンの物音を聞かなかったことにして再び眠りに就こうとする。
“カラカラ…ガシャン!”
「調べるのは。明日でもいっか…」
“ガコン!ガラガラガラ…”
「…やっぱり無視はダメだよね。うん。」
シェリィは筋肉痛の身でベッドから這い出る。
どんな些細な問題でも、解決するのがしもべの義務だと、シェリィはそう結論付けた。
そう考えでもしない限り、深夜にベッドを這い出る気が起きなかったからだ。
「うう…ちょっと怖いな…」
シェリィはオイルランタンを片手に廊下に出て、壁に飾られていたロウソクの火をランタンの中に灯す。
ランタンはシェリィが片手で持つには重かったので、シェリィはそのランタンを抱えるようにして持った。
「物音がした部屋に行きたいな。」
シェリィはそう言って、屋根裏部屋のドアをそっと足で開ける。
真っ暗な室内。ランタンの光を反射して怪しく輝く食器類やガラクタの数々。
ドアの向こうは、件の物音の音源であるキッチンだった。
「お邪魔しまーす…」
シェリィは静かな声でそう言いながら、ゆっくりとキッチンへと入って行く。
高低差と温度差により、ドアは独りでに勢い良く閉じる。
「ひぅ!」
バタンと言う音に驚いたシェリィは、一瞬その背筋を凍らせる。
シェリィは驚いた拍子に、自己防衛本能の一環として無意識の内に、ランタンを抱えている手から僅かにフラックスを出してしまっていた。
「どど…どうしよう…こんな真っ暗じゃ、ネズミさん捕まえられない…」
カタカタと、ランタンが震える。
「ひゃい!?」
シェリィは驚いてランタンを離すが、ランタンはその下部から8本の黒い足を出現させ自力で着地したので割れなかった。
「どうしよう、使うつもりは無かったのに。…でも。」
8本の足で蜘蛛のように歩くランタンを見て、シェリィはほんの少しだけ安堵感を得る。
模擬生命体により、シェリィの孤独感がほんの少々薄れた。
「動きは気持ち悪いけど、慣れてみるとちょっと可愛い…かも?」
8足ランタンを観察するシェリィの視界の端で、黒く大きな物が動く。
「…!!!」
シェリィは、声にならない悲鳴をあげる。
「もしかして…お…おおお化け…とか?」
怯えるシェリィを尻目に、8足ランタンがガラクタの山へと潜る。
「ひ…酷い!君だけ逃げるなんて!」
ほのかに輝くガラクタの山。
シェリィはその場に縮こまりながら、キョロキョロと周囲を見回す。
気のせいなどでは無い。
この部屋に、シェリィよりも大きな何かが居る。
「うう…何か使えそうな物は…」
シェリィは足元を見てみる。
床には主に、食器類が落ちていた。
「これとか?」
シェリィが手に取ったのは、主にパン生地などを伸ばす為に使う木製のローラー。
捧げた血の量に比例し威力を伸ばし続ける魔法の短刀よりは、随分と心許無い得物である。
しかし今はこれくらいしか見当たらないので、シェリィはそれを構えて、顔を上げ、全身真っ黒のドラゴニュート、ジオと目が合う。
「ひやああああああ!?」
シェリィは叫ぶ。
「のあああああああ!」
ジオも、同じくらいの声量で叫ぶ。
「はぁ…はぁ…」
「ぜー…ぜー…」
二人は、互いの顔を見つめ合う。
この瞬間、ジオは初めて人間を、シェリィは初めてドラゴニュートを見た。
「こ…ここ怖くなんてありませんよ!」
シェリィは尻餅をついて座りながら、伸ばし棒をジオに向ける。
「俺だって、使い魔一匹如きぜんっぜん怖かねえぞ!」
ジオも同じく、腰に帯びていたサーベルを抜きシェリィに向ける。
その時、ランタンの隠れていたガラクタの山が四方八方にバラバラになる。
「のあ、今度は何だ!?」
ジオは自身に向けて飛んできた物を切ったり躱したりしたので、怪我は追わなかった。
「ふぇう…こ、今度は何?」
シェリィはジオと大体同じ反応をしながら、自身を守るように目の前に現れたそれを見る。
先程までただのフラックスだった足の先端が、全て鋭利なナイフに変わった8足ランタンである。
ランタンは前4本の足をシャキシャキと擦り合わせ、ジオを威嚇する。
フラックスが本来持っている動物的な本能と、ジオへの敵対と言うシェリィの潜在意識が合わさった結果の挙動である。
「次から次へと…だから俺は反対したんだよ!」
ジオはサーベルを振り下ろすが、ランタンに二本のナイフで受け止められる。
ランタンは、受け止めているのとは別の二本のナイフでジオに切り掛かる。
「だよな。やっぱそうなるよな!」
ジオは、切り掛かってきたナイフへと対応しようとする。
「止めて!」
シェリィがそう叫ぶと、ランタンの動きはピタリと止まる。
「…は?」
ジオは、目の前の状況に暫し困惑する。
シェリィは、子鹿のように震える足で立ち上がる。
「こんばんは。貴方は、喋れるんですか?」
シェリィは震えながらジオに二歩近づき、ジオは三歩後退する。
「な…何だ?まさか、お前をもう喋れなくさせてやるぞ、的なニュアンスのあれか?て、言うかそもそも、お前何者だよ!」
ジオはサーベルをシェリィに向け続けているが、その刃はシェリィの膝と同じくらい震えている。
「シェリはそんな酷い事はしないよ!シェリはこのお屋敷の奴隷で、夜中に物音がしたから見に来ただけ。…って、信じて貰えるかな。」
ジオはサーベルを持ったまま、シェリィを注意深く観察する。
背丈は自分の半分以下、武器となる身体的特徴も武装も無し、魔力の気配も下の中程度。
そして何より、シェリィの何と無害そうな見た目な事か。
「何だよ…驚かせやがって…」
ジオはへなへなとへたり込む。
「驚かせてしまったのなら、ごめんなさい。」
自分も同じくらい驚き恐怖したシェリィだったが、自分から謝罪をする。
シェリィがうっかりで生み出した8足ランタンは、いつの間にやら8本のナイフとランタンに戻っていた。
「それで、貴方は何ですか?ドラゴンさん?」
「ドラゴンさん?へへ、ドラゴンさんて、おめぇなぁ。」
ドラゴン最下種のドラゴニュートにとって、ドラゴンと言うのは直球の褒め言葉だった。
「俺はジオ。この屋敷には、仲間と一緒に泥棒する為に来た。」
「シェリは、シェリィって言います。此処のご主人様に買われて…」
シェリィは少しの間沈黙する。
シェリィの中で、軽い思考エラーが起こったのである。
「泥棒?」
「おう。」
一瞬間が空く。
「違うんだよぉぉぉぉ!」
次の瞬間、ジオが泣き叫び始める。
「ふぇあ!?」
「最初は反対したんだよぉ!盗賊団なんて、違法だし危ないし正直ダセェから止めとけってさぁ!でもミヌの奴が聞かなくてよぉ!実際、俺が加入したのも成り行きみたいなものだったし、俺は完っ全なる被害者なんだよぉぉぉ!頼むから信じてくれぇ!物とか一切盗ってないからご主人に告げ口とかしないでくれぇ頼むからぁ!」
自分の倍以上の大きさの物に目の前で泣きじゃくられ、シェリィはどうして良いか解らなくなる。
「えと…その…」
シェリィはその小さな手で、ジオの頭をポンポンと撫でる。
「そんな事はしません。シェリは、誰にも痛い思いはして欲しくありませんから。」
「グスッ…本当かい?」
「はい。本当ですよ。」
シェリィは、冷徹な主人とは正反対でとても心優しい性格の持ち主だった。
「ひっく…本当にありがとう。屋敷の奴隷とやら。最後に教えて欲しい。お前、種族は何だ?」
「シェリは、人間ですよ。」
「そうか。人間か。ははは。」
少し間が空く。
「…は?」
ジオが、低く冷たい声で聞き返す。
「お前、人間なのか?」
「え…ええ。そうですよ。」
かつてドラゴニュートは、かつてモンスターは、人間に虐げられてきた。
かつて、魔物は魔物と言う理由だけで搾取され、虐殺されてきた。
「そうかよ…俺たちの村焼いた…人間かよ。」
ジオの口元が、僅かに火の粉を帯び始める。
「この種族が…俺たちドラゴニュートがコソ泥業なんざに頼んなきゃ生きていけ無くなった理由そのものか…」
「そんな…」
シェリィは、芽生えかけた友情が一瞬で崩れ落ちる瞬間を見た。
それも、自分が人間だったと言うのが原因で。
「…じゃあな、人間。残り二人呼び戻すのはちょっと怠いから、テメェで見つけて追い出しといてくれよな。」
ジオはそれだけ言うと、キッチンの開いた窓に身を滑り入れ、あっという間に夜闇の中へと溶けていった。
「これが…差別…」
シェリィの目から、涙が3滴ほど零れ落ちた。
「あと二人…今夜はもう、眠れないかな…」
シェリィは、かなり遠くの方から微かな物音を聞いた。