シェリ、ネズミ退治します
“チチチ…”
不浄の皇帝。それが、シェリィの前に現れた巨大ネズミの名前だった。
ドブマウスと呼ばれる最下級の魔物が、悪魔の力の残滓により変異した個体。それが、この王族姿のネズミの正体だった。
「こんにちは。ネズミさん。」
シェリィはその巨大ネズミに、にこやかな挨拶を送る。
そのネズミが有害な魔物だと言う事を、シェリィは知る由も無かった。
“チチチ…キキ…”
ネズミはシェリィの目の前まで近付いていき、鼻先をひくひくと動かす。
シェリィを、敵としてでも獲物としてでもなく、無害な餌として認識したが故の行動である。
「…ネズミさん?」
一向に喋り出さないネズミに、シェリィは不信感を抱き始める。
山羊頭の悪魔が居る屋敷なのだから、王様の格好をした大きなネズミが居てもおかしく無いと考えたシェリィ。
“キキイイイイイイ!”
不意にネズミは、シェリィの頭めがけて噛みつきを繰り出す。
「ひっ!?」
シェリィは咄嗟に身を屈めたため、頭を失わずに済む。
ネズミの前歯が打ち付けられた際に飛び散った数粒の火花が、シェリィの肩に降りかかる。
流石に熱は感じなかったが、シェリィは恐怖を植え付けられる。
「ネズミさん…貴方…まさか、ただのモンスター…?」
モンスター。
この世界においての、太古の昔より存在する出自不明の害獣達の呼び名。
“キィィチチチチチッ!”
王ネズミが鼓膜に悪そうな甲高い鳴き声を放つと、屋根裏部屋に存在する隙間と言う隙間全てから、無数のネズミが溢れ出て来る。
「ふええええええ!」
シェリィは慌ててドアを開け。屋根裏部屋から脱出する。
屋根裏部屋の出口の向こうは、先程まで居た食堂では無く、ガラクタの山が点在する長い廊下。
見るからに高級そうなランプや小型シャンデリアで飾られては居たが此処も長年放置されていた為、部屋全体が異様に埃っぽかった。
「ごめんなさいぃぃ!」
シェリィはその長い廊下を、何処に向かうとも決めずにひたすら走る。
その背後からは、濁流の如くネズミの群れが迫っている。
「はぁ…はぁ…痛!?」
シェリィは、地面に落ちていた短刀の刃を踏み、あまりの痛みに転倒する。切り裂かれた左足の裏からは、少量とは言えない量の血が流れ出ていた。
「うう…終わった…」
迫り来るネズミの群れと、まともに動かない足。
シェリィは、死を覚悟する。
不意に、シェリィの踏んだ短刀が赤色のオーラを帯び始める。赤色のオーラは短刀に纏わり付き、刃の部分に実態の無い赤い刀身を形作る。
先程まで薄汚れた短刀だった筈のものが、シェリィの血により赤い剣へと姿を変えた。
「はぁ…はぁ…どうせ死ぬなら…せめて…!」
シェリィは赤い剣を手に取り、ネズミの群れに向けて一振りする。
赤い斬撃が放たれ、斬撃に切り裂かれたネズミの群れは鮮血と共に一気に散りじりになる。
赤い刀身が、僅かに痩せる。
散らばったネズミは再び集結するが、シェリィの斬撃が再び直撃した為再び散りじりになり、残ったネズミも何処かに逃げ去り、以後群れが再集結する事は無かった。
「あれ?もしかして、シェリの勝ち?」
屋根裏部屋に繋がっているドアを豪快に突き破り、巨大ネズミが現れる。
「だよね…まだ終わりじゃ無いよね。もう負けないよ!ネズミさん!」
シェリィは、赤い剣をネズミに向けて振り回す。
ザシュンと言う軽快な音と共に様々な形の斬撃が放たれるが、その殆どは巨大ネズミに回避されてしまう。
「ううう…戦ったことなんて無いんだから、もうちょっと手加減してよ!」
シェリィは剣を振り続けるが、斬撃の命中率はますます下がっていく。
運良く当たっても、巨大ネズミ相手では、僅かに傷を負わせる程度の威力しか発揮しない。
「えい!えいえい!…あれ?」
斬撃が放たれなくなったので、シェリィは不思議に思い、手に持っている物を見てみる。
赤い剣は、汚れた短刀に戻っていた。
「あうう…」
ネズミはシェリィに突進しているが、ガラクタに阻まれ中々進めていなかった。
しかしそれでも、確実にシェリィに近付いてはいた。
「痛!?」
不意にシェリィは、肩に痛みを覚える。脛、首筋、頰と、痛みを覚える箇所はみるみるうちに増えてく
シェリィの体のあちこちを、小さなネズミ達がが噛んでいた。
異様に鋭利な歯によって、既に皮膚の下の肉の部分まで噛みちぎられていた。
「止めて!お願い!…痛い!」
シェリィは、肩に噛み付いているネズミを短刀で突き刺す。
ネズミはその一撃で絶命し、直ぐ様ミイラのような状態になる。
そして短刀に、僅かに赤い光が戻る。
「もしかして、血?」
シェリィは体に纏わり付いたネズミを次々と刺し殺し、自身の体に付いたネズミの掃討を完了させる。
短刀は、僅かに刀身が赤く光っていたが、剣の形成とまではいっていない。
“ガゴン!ガシャン!”
ガラクタの山を薙ぎ倒しながら、巨大ネズミはどんどん迫っている。
「ふぅ…ふぅ…ママ…パパ…見てて…!」
シェリィは、自身の脇腹に短刀を突き刺す。
「うぅぐっ…!」
血を吸い出される感覚を確認した後、シェリィは短刀を抜く。
担当は、再び赤いオーラの剣に変化する。
“チイイイイイ!”
「ご主人様、許してください!」
シェリィは、シャンデリアに向けて斬撃を放つ。
ロープを断ち切られたシャンデリアは重力に任せて落下していき、巨大ネズミに落下する。
“ヂイ!”
巨大ネズミが一瞬怯んだ隙に、シェリィは斬撃を、今度は巨大ネズミの両隣のガラクタ山に向けて放つ。
衝撃によりガラクタの山は崩落し、巨大ネズミはガラクタの下敷きになってしまった。
「はぁ…はぁ…クラクラする…」
短刀による出血、それからネズミの歯による疾病が原因である。
“ガタ…ガサガサ…”
ネズミを押しつぶしているガラクタが、ゴソゴソと動く。
魔種のモンスターが、この程度の事で倒れる訳が無い。
「じゃあもうせめて、いっしょに死の。ネズミさん。」
シェリは、脇腹に出来た刺し傷に再び短刀を突っ込み、気を失うギリギリまで血を吸わせると再び抜く。
短刀は、赤い大剣になっていた。
「全部、ぶつけるから!」
シェリはその赤い大剣を、ガラクタの下のネズミに直接投げつける。
シェリ自身は殆ど力を入れていないにも関わらず、大剣は赤い軌跡を描きながら勢い良く投げ出され、
“ズバシャア!”
“ヂ…”
巨大ネズミの体の、頭から尻までを貫いた。
幾ら魔物と言えど所詮はネズミベースの魔獣型。頭と心臓を破壊されたので絶命した。
「はぁ…はぁ…パパ…ママ…お兄ちゃん…今…行くね…」
シェリィは仰向けに倒れ、そのまま気を失った。
………
「…う…」
シェリィは、ふかふかのベッドの上で目を覚ます。
破れた麻布のワンピースは着ておらず、代わりに全身の傷と言う傷全てに包帯が巻きつけられ、右腕には点滴も付けられている。
「お前に、質問がある。」
ベッドの横に立っていたバルフェアが。抑揚の無い声でシェリィに話し掛ける。
「な…何でしょうか…」
絶対に怒られる。
心当たりがありすぎる。
せっかく一命を取り留めたシェリィだったが、早速生きた心地がしなかった。
「この王冠に、見覚えはあるか?」
バルフェアはシェリィの腹の上に、人が被るには大きすぎる王冠を乗せる。
「おうぐっ…」
思い王冠に腹を圧迫されたシェリィは、嗚咽を漏らす。
「も…申し訳ございません…シェリの事を食べようとしてきたから、つい…」
「やはり、あれを殺したのはお前か。」
シェリィは目に涙を溜めながら、コクリと一つ頷く。
「ごめんなさい…物も壊しちゃったし、部屋も散らかしちゃったし、ご主人様の物も勝手に使っちゃいました…」
「良くやった。」
「…へ?」
「ああ。数百年間の悩みのタネが、まさかたった一万ゴールドで解消されるとは!」
バルフェアは、シェリィの腹の上の王冠にパンチを喰らわせながら、興奮した様子で話し続ける。
「実は言うと、最初は人間のお前にそこまでの期待はしていなかった。せいぜい掃除が出来るペット、程度の物かと。」
バルフェアは、懐から一本の短刀を取り出す。
シェリィが、ネズミ退治の際に使った物である。
「しかし実際はどうだ?俺が百年かけても顔すら拝めなかった親玉ネズミを、【ヴァンプダガー】一本で仕留めたときた。これほどまでに素晴らしいしもべを持ったのは初めてだ。」
「えっと…もしかしてシェリ、褒められてる?」
バルフェアはシェリィのお腹の上に、件の【ヴァンプダガー】と、脈打つ様に蠢くこぶし大の桃色の肉塊を置く。
「うわ!?何これ!?」
当然シェリィの注意を惹くのは、短刀よりも肉塊である。
「【不浄の帝王のコア】。お前が自らの手で勝ち取った物だ。」
「し…心臓…?」
「心臓では無い。魔力により肥大化した一個の細胞だ。」
「あの、何でも良いですけど、シェリがこれを貰っても、何にも使えないですよ?」
「何を言っている。お前にはちゃんと、物を消化する腹があるだろう。」
「…え?」
シェリィは再び、その脈打つ塊に視線を戻す。
表面はツルツルしており、形はいびつな球体。質感としては卵の黄身に近い。
まさかこれを食べろと言うのだろうか。
「い…嫌です!こんな物食べたら、絶対にお腹壊しちゃ…」
シェリィが言葉を発する為に開けた口の中に、バルフェアはその肉塊を突っ込む。
「ほぐっ…ごくん。」
シェリィは、それを反射的に呑み込んでしまった。
これがシェリィの、人外第一歩となった。