シェリ、本当は…
ビルジライミの屋敷の地下は、長い廊下だった。
両方の壁には均等に牢獄が並べられていたが、その殆どは空だった。
「ひっ…!」
稀に、一人分の古びた人骨が入っている事もあった。
シェリィはそんな廊下を、下着姿でとぼとぼと進む。
何度も後戻りしたくなったが、首輪がそれを許さなかった。
逃げ出す事も叶わず、結局シェリィは廊下の突き当りの、腐りかけの木のドアの前に辿り付いてしまった。
(大丈夫…きっと大丈夫だから…)
シェリィは冷たいドアノブを捻り、立て付けの悪い不気味な扉を開く。
結論から言えば、全く大丈夫では無かった。
「う…ううう…」
所狭しと並べられた数多の拷問器具を前に、シェリィは絶望で膝から崩れ落ちた。
「おお。来たんだね。シェリィ。」
ビルジライミは部屋の中心に置かれた、電源の入っていない電気椅子に座り、何かの金属部品を磨いてくつろいでいた。
「いやぁ、まさか本当に来るとは思わなかったよ。流石バルフェアの奴隷ちゃん。良い子だねぇ。」
「ぐす…ひっく…ありがとう…ございます…うう…」
首輪に導かれ、シェリィはビルジライミの前まで来る。
処刑器具には、そこで最期を遂げたであろう人々がそのまま放置されている。
「さあて、来てくれたなら歓迎するよ。」
ビルジライミは立ち上がり、シェリィの頭をポンポンと撫でる。
「さあてシェリィ。貴女の苦痛で、悲鳴で、絶望で、私を満たしておくれよ。」
「ひっ…!い…いい…」
嫌だ。
やめて。
その言葉が出ない。
果たしてそれが首輪による呪いなのか、自身の恐怖心による物なのかは、最早今のシェリィには判らなかった。
「バルフェアは本当に冷たい主人ね。せっかく奴隷を買ったんだから、もっとゆっくりじっくり味わってあげるべきだと思うの。その方が、貴女も本望ってものでしょ?」
「ひ…いい…」
逃げられない。
首輪でその場に固定されていた。
最も、逃げる先など何処にもないが。
悪魔が支配する世界。
人間にとってそれは、地獄を意味した。
「さあて。最初は何が良い?引き裂き棚?犬歯の椅子?それとも…アイアンメイデン!?」
シェリィにとって、この世界は地獄そのものだった。
~~~
魔界の一等地に聳える高級レストラン。
その一等席で、二柱の悪魔が昼食をとっていた。
「しかしまさか、君がこんなに早く返事を返してくれるとは思っても見なかったよ。」
赤ワイン片手に、カブのステーキをメインディッシュにしたコース料理を楽しんでいるのはバルフェア。
「"ルイスシュリモア"で昼飯奢ってくれるってのに、未読スルーなんてする訳ねーじゃん。ヒヒ。」
16歳程度の少女の様な容姿。何処か華奢な体躯に、あどけなさの残る可愛らしい顔立ち。紅いぼさぼさの髪に、ワインレッド色の瞳。
身に纏っているのは、どこかカラスの羽を連想させる様な黒いロングドレス。椅子には大きな魔女帽子も立てかけられている。
彼女の名前はミリア・ガーテン・ツィハイア・ツィキュリウス・ミヌ・フギルレルン。
かつては魔王軍最高幹部、"国看取りのミリア"として、人々より恐れられていた大魔女である。
「でバルフェア。例の奴隷の話、詳しく聞かせておくれよ。」
「ふむ。乗り気になってくれた様で何よりだ。」
「ったりめえじゃん。オレとバルの仲だろ?喜んで手ぇ貸すとも。」
「借金。幾らあるって?」
「ギャリス銀行に300万ゴールドに、ミロイス商事に500万ゴールド。あとイリオスとルドガの銀行にも100万づつ。後は…」
突如、レストランの扉が吹き飛ぶ。
当然客も店員も驚き動揺するが、バルフェアとミリアだけは平然と食事を続けていた。
「あいつらに、二億。」
棍棒やサーベルを持った三体のオーガが、店に乱入してきた。
「おいミリア!ここに居るのは判ってんだぞ!」
「こんな高そうな店で食事たぁ、良い御身分になったもんだなぁ!」
「利子込みできっかり七億ゴールド、耳揃えて返しやがれ!」
静かだった店内は一転、喧騒に包まれる。
バルフェアはあきれ返った様子でワインを飲み干す。
オーガの一団はミリアを見つけると、すぐさまその席を取り囲む。
「見つけたぞミリア。」
「今度こそ逃がさねえからな。」
「大領主ゴッゴグ様からの借金を500年も滞納するなんて、良い度胸だなぁ!」
普段のミリアであれば、彼ら借金取りを前に大慌てで逃げ出すだろう。
然し今回は状況が違うので、態度も違った。
「まぁまぁまぁお三方。此処は一旦おちつきなさいな。」
ミリアは余裕の表情で、漕ぎイスをしながら白ワインを飲む。
「んだとテメェ!」
そんな様子を見て、バルフェアは一つため息を吐く。
ミリアに関しては魔法の才能は本物だが、根本的な性格はただのろくでなしだった。
「幾らだ。」
バルフェアは、オーガに向けて呆れたように呟く。
「ああ!?」
「そいつの借金だ。幾らだ。」
「二億を五百年滞納したんだ。大体七億…いや、十億だ!」
「本当に十億か?」
「は?…あいや、たった今十二億になった!」
「…」
バルフェアは懐より、神秘的な紫色の輝きを放つ水晶のブローチを取り出し、オーガに向けて放る。
「それを然るべき場所で売れば、大体それくらいになるだろう。」
「はぁ!?こんなガラクタが何になるって…」
オーガは、バルフェアから渡されたブローチを見る。
大きな紫色の水晶が太陽の形に加工された物に、服に取り付ける為の金具が取り付けられただけの簡素な物だった。。
「な…こりゃ…まさか…」
「使われているのは本物の【紫煌水晶】だ。解ったらとっとと出て行ってくれ。」
オーガ達はそれ以上何も言えなくなり、そそくさと退散していった。
「流石、魔族一の外科医は懐も違うねぇ。」
「お前なぁ…」
「で、バルちゃん。日取りとかはもう決まってる感じ?」
「ああ。ビルジライミに自制心が少しでも残っていれば、シェリィは今夜にも俺の元に戻ってくる。なので明日から頼むよ。」
「あいよ。へへへ。やっぱ持つべきは大悪魔の友達だねぇ。こんな簡単な仕事で、あたしの魔女生においての悩みのタネが一つ、綺麗さっぱり解消されるんだから。」
〜〜〜
吸う空気も吐く息も、流れる汗と涙すらも焼け付く熱さまで加熱されている。
真鍮製の小さな部屋は高温の空気で満たされ、哀れな受刑者を徐々に蒸し焼きにしていく。
「ああ…あう…あづいい…ひっぐうあああ…うう…うあああ…はぁ…はぁ…」
悶え苦しむ声は振動板によって変調され、雄牛の鳴き声の様な音となって外界に放たれる。
温められた空気もそこから抜け出ていくので、室内の空気は薄くなる一方だった。
(ああ…ビルジライミ様の声が聞こえる…すっごく楽しそう…)
真鍮の雄牛の中で、シェリィはじっくりと炙られていた。
「はぁ…あ…いい…いひゃあああああ!」
シェリィの叫び声が、そのまま雄牛の雄叫びとなる。
断末魔で全ての力を使い切ったシェリィはそのまま、死へと向かう昏倒の中に落ちた。
あと数分もすれば、シェリィは照りつく宝石の様な骨だけを残してこの世を去るだろう。
“ジュウウウウウ…”
然し、実際はそうはならなかった。
シェリィが意識を失った瞬間に雄牛を炙っていた火は掻き消され、シェリィを閉じ込めていた錠前も解かれ、痛々しい赤色に染まったシェリィが雄牛の腹から転がり落ちてくる。
「【ダークナイトヒール】」
ビルジライミがそう唱えると、夜闇を練り固めた様なオーラがシェリィに纏わり付く。
オーラは少しの間シェリィの体の表面を這うと、そのまま体内に染み込む様にして消えていった。
「…う…」
身体だけはすっかり元どおりになったシェリィは、ゆっくりと目を開ける。
「ふぅ。ファラリスの雄牛、中々に楽しかったわね。でも次は何にする?」
シェリィはこれまで7度処刑に掛けられ、その度に全回復させられを繰り返していた。
首を締め上げられ、体を左右に引き裂かれ、肌や筋肉や骨を引き裂かれ、腹をネズミに食い破られ、断頭も経験した。
「もう…もう…」
もう嫌だ。
シェリィの口から、その言葉が出てくる事は無い。
魔族には決して逆らうなと、首輪がそう定めたからである。
しかしそんな事は、シェリィは知る由も無い。
(何で…何で嫌って言えないの…なんで…!)
「もうもうって、どうしたの?もう一回雄牛をやってみたいの?」
「あ…いえ…その…」
シェリィは既に、全身がつぎはぎだらけになっていた。
様々な形で、何度も死を経験したのだ。
常人ならばとうの昔に気が狂っている。
(何で嫌って言えないの…無駄だって解ってるから…?それとも怖いから…?それとも…)
なのでシェリィも、狂った。
(本当はシェリ…嫌じゃないのかな…?)




