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シェリ、激安で買われました

薄暗い地下牢の片隅で、少女が一人、何も無い宙を見つめて座っている。

首には鎖が付いた鉄製の首輪が嵌められており、鎖は壁に埋め込まれたリング状の金具と繋がっている。手足にはそれぞれ手錠と足錠が付けられており、手には麻袋も被せられている。

髪は僅かに紺色がかった黒色で、長い間手入れされていないにも関わらずサラサラである。瞳も紺色がかった黒色だが、左目に限り、陽の光の下では鳶色に変わる。体躯は全体的に薄っぺらく、その顔つきは年の割には若干幼く見えた。

少女の名前はシェリィ。名字を失った為、ただのシェリィ。

かつては豪商と呼ばれた商人の家の娘だったが、両親の不審死をきっかけに五百年続いた家は呆気なく没落し、シェリィは親戚の手によってあっさりと売り飛ばされ、今は奴隷市の残り物をやっている。

シェリィはその愛らしい容姿から売られた当初は高値が付いていたが、粗悪な環境により直ぐに病気を患ってしまった為、今は半額以下の値段で売られていた。


「もう夜かな…」


昨日の夜から、シェリィは何も食べていない。

シェリィは、自分が忘れられている事に気付いていた。

回収されないまま檻の外に放置された空の皿が、何よりの証拠である。


「もうすぐシェリは、“コドクシ”するのかな…」


シェリィはため息を吐く。

誰からも忘れられて一人で死ぬ事を孤独死と呼ぶ事は、シェリィも知っていた。

まさか自分がそうなるなどとは、一年前のシェリは夢にも思っていなかったが。


「…そっか。残念。」


シェリィは目を閉じて、その身を冷たい石の床に横たえる。

シェリィにはもう、何かを考える元気も無かった。



ーーー



緑色の肌の太ったゴブリンの男が、葉巻を片手に奴隷店の受付で新聞を読んでいる。

この奴隷店の店主である。

この店は、元は地下街の工事の際にたまたま出来た穴を改造して作られた物で、床も壁も天井も一様に岩壁である。

その為、店主が今居るこの受付だけが店の唯一の出入り口で、唯一の警備すべき場所だった。


「何か忘れてる気がするが…もう動きたくねぇ。」


今日の分のオークションは済み、従業員も帰って行き、店主は今暇だった。

この店の主な収入源は、オークションによる奴隷の販売。

一応はこの店も販売店としては機能するが、わざわざ店に赴いて商品を買いに来る様な客は殆ど居ない。

筈だった。


“コンコン”


店と外を繋ぐ、木の板にドアノブを付けただけの安物ドアが外側から叩かれる。


「うお…まじか…どうぞ!営業中ですよ!」


店主は慌てて新聞をしまい、葉巻を消し捨て、ドアの前に急いで移動し接客体制を整える。

ギィと音をたてドアが開かる。

客の姿を見て、店主は一瞬その背筋を凍らせる。


「此処で、人間が買えると聞いてきた。」


長く伸びた銀色の顎髭と、長く立派な角が印象的な黒山羊の頭。その体は人間の様な二手二足で、身長は2m程の痩せ型。服装は、上下スーツの上から魔導師風のトレンチコートを袖を通さずに羽織っている。両手の5本の指全てに嵌められた豪華絢爛な指輪や、胸ポケットから覗く煌びやかな懐中時計といった様々な金品は、その者がどれ程の身分かを誇示している。


「ゴゴッシュ奴隷店本店へようこそ旦那!ささ、汚い所ではございあすが、一先ず中でおくつろぎ下せぇ。」


店主は、山羊頭の紳士を一先ず店の中まで招く。


「では、あっしは少々準備をしてきますので、その…」


店主は先程まで自分が持っていた物を思い出し、受付の机の下に隠しておいた新聞と新品の葉巻を取り出し、それをそのまま客へと差し出す。


「こちら、つまらんものではございあすがサービスって事で。」


エントランスの中には、岩を掘って作った受付用の机が一つと、使い道は定まっていないが惰性で置いてある、年季は入っているが上等なソファが二つある。

客はソファの一つに腰掛けると、黙って新聞を広げ読み始めた。

店主はそれを見ると、大急ぎで店の倉庫へと駆け込んで行った。


「おいおいおいどうすんだよ。ありゃどっからどう見ても相当高位な悪魔だぞ。対して今あるのは売れ残りの粗悪品ばかり、おまけに此処には俺一人しか居ないと来た。どうすんだよ…最悪俺が奴隷にされちまう…」


店主は冷や汗まみれになりあがら、倉庫の扉の鍵を次々と開けて行く。


「いや待てよ。こりゃもしかしたら、ゴゴシュ奴隷店開業以来の好機かも知れねえぞ。悪魔への販売実績がつくだけで、ブランド力も上がるし店の宣伝にも使える。こりゃきっと、商神コンガー様が俺に課した試練だ!」


この店の商品倉庫は、一本伸びた長い廊下と、そこから繋がる無数の小部屋から成る。

小部屋一つにつき檻一つ、人間一人を収容する創りである。

一見無駄に思える創りだったが、孤独に弱いと言う人間の特性を加味して作られた構造だった。


「ん?待てよ?そんな高貴な悪魔様が、どうしてわざわざ人間なんて買うんだ?山羊は肉は喰わないから、食用では無いよな。」


「人間の新鮮な臓器が必要になったんだ。」


「そうなんですか。…うおあ!?」


背後から突如声を掛けられた店主は、驚いて尻餅をつく。


「こ…ここここりゃ旦那様。まさか付いてきておられたとは、気付きませんでしたよ。」


「ついて来てなどいない。今来たのだ。」


客は懐中時計を取り出し少し眺める。


「悪いがあまり長居は出来ないのだ。生きて動けば言い値で買おう。」


「さ、左様でございますか!では早速。」


店主は体制を立て直すと、一番近くにあった扉を開ける。

店主は、どの部屋に商品があってどの部屋が空なのか程度ならば把握していた。


「先ずはこちら、行商隊が先々月に、集落の掃討の際に捕獲した物でございます。」


店主は最初に、シスター服に身を包み、目を閉じ。檻の真ん中で、外を向き、祈りを捧げる姿勢で座っている15前後の少女を客に紹介する。

二人が入って来てもなお、少女はその身をピクリとも動かさなかった。


「幾らだ。」


「は、聖魔力への適性が確認されたので、お値段は少し高めの92万ゴールドでございます。」


「では20万で買い取ろう。」


「へ…はい?申し訳ございませんが旦那、幾ら何でもそれは…」


「俺は、生きて動けば言い値で買うと言った。よく見てみろ。」


客は檻の前まで移動し屈むと、檻の中にフッと息を吹き込む。

少女の遺した体は、後ろに向けて倒れる。


「とっくに死んでる。ほら、手を出せ。」


客は懐から、金貨で詰まった麻袋を一つ取り出し店主に渡す。

あらかじめ用意されていた、きっかり20万ゴールドである。


「あ…ま…毎度あり…」


店主は力無く返答する。

最も、この店では死んだ商品はただのゴミ。

端金でも儲けが出る分、結果オーライではあった。


「では早速、檻からそれを取り出しますので少々お待ちを。」


「その必要は無い。」


不意に、客の体が一瞬で黒い霧状に変化し、鉄格子を通り抜け、鉄格子の中で元の姿に戻る。

客はその死体を肩に掛けると、今度は死体ごと霧状に変化し、檻の外で再び元通りに戻った。


「確認するが、此処は生きた人間が買える店なんだよな。」


「ささ左様でございます!次は昨日生きているのが確認された個体ですので、きっと大丈夫でしょう!」


「頼むぞ全く…」


店主はおびただしい量の冷や汗をかき、ひきつった笑顔を顔に貼り付けながら、客を次の小部屋へと案内する。

ゴブリンの文明では、家畜や菜園と言った生産的な文化は発展しなかった。

と言うのもゴブリンは、生き物の世話が不得手だったのだ。


「次はこちら、山菜採りの一団がたまたま発見し捕獲した個体でございます!」


店主は、客を次の小部屋に入れる。


「もうあんたの出すパンなんて要らない!早くここから出しなさいよ!」


檻の中には、鉄格子を両手で握りしめる17歳程の赤毛の少女が居た。

この少女が発見当初纏っていた服が良質な生地だった為、少女はボロボロの麻布のワンピースを着ていた。


「これは中々良さそうだ。幾らだ。」


客は顎に手をあて、少女を値踏みする様に眺めながら店主に問う。


「魔力の適性はありませんが中々に活発な個体ですので、お値段は69万ゴールドでございます!」


「ふむ、悪いが端数の用意はしてこなかったんだ。」


客は懐から、二つの麻袋を取り出し店主に渡す。

50万ゴールド袋と、20万ゴールド袋が一つづつ。

客が店主に支払ったのは、合計で70万だった、


「毎度あり!」


店主は重たい麻袋を抱えながら、満面の笑みを浮かべる。

トラブルはあったものの、これでこの店は堂々と、悪魔様御用達を名乗れる様になったのだ。


「え…何…どういう事?あたし、そいつに買われたの?」


少女は、買い手の顔を確認する。


「ウソ…悪魔!?」


少女は震えながら後退していき、背を背後の壁にぴったりとくっつける。


「嫌だ!悪魔になんて買われたく無い!そいつに買われるくらいなら、一層、死んだ方がマシ!」


そう言うと少女は、背中から割れた皿を取り出し、鋭利な部分を首に当てる。


「うおあ!?見当たらないと思ったらいつの間に!」


店主は慌てて止めに入ろうとする。

こんな大一番で。立て続けに商品がダメになって仕舞えば店の存続にすら関わるのだ。


「クソ…この檻の鍵はどれだ!?」


店主は無数の鍵のかかったキーホルダーをガチャガチャといじるが、目的の物は見つからない。


「解った。」


客は一言、少女に向けて呟く。


「え…?…あ…」


少女の瞳からハイライトが消え、少女はそのまま割れた皿を手放しながら倒れる。

少女に外傷は無い。


「だ…旦那!何が起こったんでやすか!」


店主は少女の状態を確認しようと、檻にへばりつく様にしながら客に問う。


「殺した。心をな。」


いつの間にやら少女は、店主の隣に立っている客の、腕の中で眠っていた。


「肉体自体は生きてはいるが、これにはもう魂は無い。植物と同じ状態、と言えば解るか。臓器を採る分にはこれで充分なのだよ。」


「な…成る程。」


邪法を目の当たりにした店主は、思わずゴクリと喉を鳴らす。


「もう一体ほど欲しいのだが、生きているのはまだ居るか?」


「いえ申し訳ございませんが、今店にある在庫はこれで全てでして…」


ふと店主は思い出す。

そう言えば、不良品だがもう一匹居た筈だと。


「居ることには居ますが…その、品質としては劣悪でして…」


「生きて動けば何でもいい。案内してくれ。」


「は…はい。こちらです。」


店主は客を、自分も忘れていた売れ残りの部屋の前まで案内する。

正直のところ店主は、件の売れ残りが生きている自信が無かった。


「こちら、えっと…どっかから売られてきた物でございあす…」


檻の隅の方で、少女が一人眠っている。

シェリィである。

店主は一瞬シェリィの死亡を疑ったが、シェリィのお腹が呼吸に合わせて僅かに動いていた為、一先ず胸を撫で下ろす。


「何だ。そこまで悪い状態では無さそうだが。」


客は檻の前まで歩いていくと、懐からスネークウッド製のステッキを取り出し、ステッキで鉄格子をカンカンと叩いた。


「…ん…?」


物音に気付いたシェリィは、その身をゆっくりと起こす。


「…へへ。」


シェリィは、壁と首輪を繋ぐ鎖の限界まで山羊頭の紳士に近付き、僅かに微笑みかける。

シェリィは恐れも怖がりもせず、ただ微笑んでみせた。

一年ほど商品として過ごしていた為、シェリィ自身にも商品としての自覚が芽生えていたのだ。


「幾らだ。」


客は、店主に問う。


「ええ?えっと、1万ゴールドでやす。」


店主は、たった今考えたら値段を客に伝える。

店主はシェリィの値段を、タダ同然という事以外忘れてしまっていた。


「1万?人間にしては随分と安いんだな。」


客は、1万ゴールドの入った袋を店主に渡す。

少しして、シェリィは今目の前で何が起こったのかを理解する。


「シェリ、貴方に買われたんですか?」


シェリィは山羊頭の紳士に問う。


「気に入った。お前は今日から、俺の(しもべ)だ。」


山羊頭の紳士は答えた。

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