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日本の民間伝承  作者: 高橋はるか
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福島県 二本松市 山姥

先に投稿させてもらいました、『信夫の里』の『いもくり佐太郎』のお話でも紹介させてもらいましたが、二本松市、と言うのは、福島県の中通りに位置しております。

白河市は、関東と東北を隔てる関所としても有名です。

郡山市は、東北第二の都市、とも呼ばれて活気づいており、それに見劣りしないのが福島市ではないでしょうか??

しかし、そんな郡山市と福島市のちょうど真ん中ほどに位置していながら、城下町として栄えつつも、今では二つの市に大きく水を開けられている二本松市。

そんな街のお話です。



二本松市は、そのために、歴史が長い土地でもあり、今から物語として語られる『山姥』のお話も、随分と古いお話だとされております。


その伝承は古く、七百二十六年のころ、つまりは、平安京に都が遷都するよりも以前のお話として伝わっているようです。


今では、【黒塚】となり、安達ケ原に住み着いた鬼婆を葬った墓として祀られておりますが、その近くには大きな寺院が建立されており、その塚を見ることができるはずです。


さて、物語は、七百二十六年。


紀州の僧、東光坊祐慶と言う修行僧が安達ヶ原を旅していた時の話です。


ちなみにですが、

『陰陽師』の作品でも有名な夢枕獏さんや、能の演目、更には、手塚治虫さんの『安達が原』の中でも『安達ケ原の鬼婆』の話が語られているそうですので気になった方、私の物語がつまらない、と感じた方は、そちらをご覧になってください。






「随分と遅い時間になってしまったが・・・・・」


そもそも、この時節、まだまだ行ける、もう少し、と日が沈むのが遅いばかりに横着してしまったのがいけなかったのか。

それとも、ただ単に天の気に恵まれなかっただけなのか。

それは私にはとうと分からないが、それでも、川沿いの道を北へ、北へと歩き続け、安達太良山の麓、大いなる河川が流れ行く大河の側を歩いて行く。

川の匂いは僅かに湿り気を帯び。

普段であればまだまだ日が暮れるような時分ではないにもかかわらず、空は真っ暗。

それはひとえに、突然に分厚い雲が、それこそ、幾重にも折り重なり、秋の日に、山を燃やして濛々と吹き上がる不吉で真っ暗な煙みたいに空を覆ってしまったからではなかろうか。


今にも降り出しそうな、そんな曇天を見上げて、


「ああ、振りそうだなあ・・・・」


なんて、そんな厄体もないことを考えるよりも何よりも、それよりも、いくらこんな時節とは言え、雨に打たれたまま野宿なんてしようものなら風邪でも引いて、最悪の場合野垂れ死んでしまうかもしれないというに。


「なんでこの辺りは、人の気がしないのだろうなあ・・・・??」


見渡せど、見渡せど、広がるのは煤けた荒れ野だけ。

それでも水は豊富にあるからだろう。

草葉は生き生きと生い茂り。木々は燦々と空へと枝葉を伸ばす。

花は、誰に手入れをされることもなく、それでも負けじとその色を誇るかのように咲き乱れ、まるでそれらを吹き飛ばさんとでも言うかのように、轟々とうなりを上げながら風が強く吹き始める。


そも、大河の側は田畑を作るのに最適のはずだ。

古今を見渡せばそんなことはすぐに分かることだろうし、歴史を紐解き、世の在りようを学ぶべくもなく、目端の利く者がいれば、河川の側、すぐに水を引き込める土地に田を広げ、畑を耕し、そして起居するのが、いかに都合がいいかは、気付くはず。


・・・・だというに。


「やはり、このような、都から随分と離れた土地へと来ると、どうしても知恵のない者達が多くなるのだろうなあ・・・・」


気の毒なことだ。

だからこそ、こうして、我ら修行僧が、村々を回り、御仏の心と、そして生活を豊かにする知恵を与えてあげなければなるまい。


ぽつり、ぽつり、とついに降り始めた雨は、次第に水かさを増し、終いには大粒の雨となって、まるで滝のように行く手を阻む。

唸りを上げる風音。

大地を叩く雨音。

それらがまるで世界を別なものであるかのように作り変えてしまった。

進めども、進めども、先行きすらも見えない真っ暗闇の中。

季節外れの大雨と、大風に、体は凍てつき、芯まで凍え、それでも、日頃の修験のおかげか、ぶるぶる、ぶるぶると震える体はついには、何も感じることもなく、全て、全て、どうでもよくなっていく。


・・・・ああ、さっきの村人の忠言を聞き流すものではなかったかもしれないな・・・・。


思い出されるのは、こちらに向かって出立してくるおよそ昨日のこと。

宿を求めて泊めてもらった人のよさそうな農夫に、明日はどちらへ向かうのか?と聞かれたときの話だ。



「あんた、明日はどこさ行くんだ??」

「私は明日にでも、この安達太良の川を目印に北へ、北へと向かうつもりではありますが、それが何かありますでしょうか??」

「うーん・・・・、いや、何・・・・。問題ってわけではねえどもな・・・・」


嫌に煮え切らない言葉尻が気になったので、続きを待っていると、不思議なことを言うのです。


「朝から北さ向かって歩いても、日が沈むころには、もしかしたら、不吉の土地へ着いちまうかもしれねえからな・・・・。悪いことは言わねえ、もしできるんなら、昼か、もしくは日が傾く前にどこかで宿を求めるがいいべ」

「はあ・・・・??不吉の土地・・・・??ですか・・・・??」


『不吉の土地』、とは一体何を指すのでしょうか??

そう思って聞き返してみたのですが、


「おらも良く分かんねえどもな、皆がそう言っているんだ。旅人が行って戻らない土地があるって・・・・。んだから、ぐるっと遠回りになるども、できる事なら、こっからまっすぐ北さ向かわずに一旦東か西へ向かって、そうすると、峠道になって大変かもしれねえども、そっちの方がよっぽどいいと思うべ」

「そうですか・・・・」


不吉の土地、旅人が帰らない土地、ですか・・・・。

にわかには信じ難い話ですが、嘘を言っているような節もない。

むしろ、善意からのその言葉を無下にするのはどうかとは思いましたが、それでも・・・・。


「実は急ぐ旅ですので・・・・。あまり時間もかけていられないのですよ」

「そうかい・・・・。あんたがそう言うならおらは止めはしねえども、止めた方がいいと思うどもな・・・・」



やはり、私は、道を違えたのでしょうか??

あの農夫が言っていたように、遠回りでもぐるっと迂回して峠の道を辿った方がよかったのでしょうか??

ここまで宿りを求めることができる民家が無いともなれば、それは一層真実味を帯びて来て・・・・。

更にも増してこの天候。

この天の気ばかりは、前々から予期できたとは思えないが、それでもやはり、無理をするべきではなかったかもしれない。

そんな後悔ばかりが、頭をよぎるが、それでも、もうここまで来てしまったからには、後は進むことしかできない。


吹きつけてくる風に体を押し戻され。

叩き付ける雨に全身を打たれ。

酷くぬかるんだ大地は、容易に足を止め。

震える体は、力すらも入らなくなっていく。


視界は不明瞭で。

顔を上げることすらも、まともにできない中。

見る間に水嵩を増していく川に、いつ飲み込まれるや、と怖気を掻き立てられ。

濡れそぼった草葉は、一歩間違えればその身を容易に川底へと引きずり込む罠へと変わる。


御仏よ。

どうかこの身を。

この身をお救いください。


何度祈っただろうか??

何度願っただろうか??

真言を幾重にも唱え。

ただ、ただ、御仏への信心を懐に携え、ひた進む。


「オン・ハンドマ・シンダマニ・ジンバラ・ウン・・・・・」


びゅうびゅう吹き込む風は、今しがた口から吐き出した真言すらも掻き消してしまう。


「オン・ハンドマ・シンダマニ・ジンバラ・ウン・・・・・」


轟々と唸る雨は、僅かに開いた口の中、まるで滝のように流れ込み、一瞬でも気を抜けば息ができないほど。


「オン・ハンドマ・シンダマニ・ジンバラ・ウン」


ああ、それでも・・・・・。

それでも、御仏が導いてくれたのでしょうや。


びゅうびゅうと吹き荒ぶ風が、一瞬弱まり、轟々とうなりを上げる雨足がぱらぱらと疎らになったかと思って顔を上げたら、目の前に、洞窟があるではないか!!

ぽっかりと薄暗闇の中に、まるで化け物かなにか大口を開いて獲物を飲み込まんとでもするかのように闇を湛え。

しかし、それでも人一人十分に通り抜けられるほどの大きさの入り口に、嘆息してしまうほどには、困窮していたのは確か。

だからこそ、濡れそぼって重くなった衣を絞りながら、ゆっくり、ゆっくりとその洞窟の中へ、風雨をしのぐことができる奥へ、奥へと足を進めていく。


「いや、助かった、助かった・・・・・まさかこのような場所に、洞窟がおあつらえ向きにあるとは・・・・。これも御仏の思し召しでしょうや」


そんなことをつらつらと独り言ちながら、ずんずん、ずんずんと進んで行けば、すぐに、突き当たりへとぶつかり、そこへは、非常に粗末ながらも、どうにも人の手で作られたとしか思えない、板張りの扉があるではないか!!


まあ、扉、とは言え、それが人の手によるものだろう、と言うだけで、決して立派なものではない。

粗末な木の板は、黒く変色し、ところどころ、節くれが目立っていて、ぼろぼろ。

隙間からぴゅうぴゅう、ぴゅうぴゅうと、まるで笛でも吹いているみたいな、そんな甲高い音を響かせるくらいには、ところどころに小さな穴くれが開いている。

そして、その穴くれの中。

戸の奥から、僅かに灯のほの明かりと、そして濡れそぼった体に優しい暖気が漏れ出てくる。


ははあ・・・・。


誰かがこの岩屋に起居しているのは間違いない様だ。

もしかしたら、と。

この戸を開けて、まともな者ならば、このように全身をまるで滝か何かでも浴びたかのように濡れそぼった僧が一人、旅をしていて、一晩の宿を求めたら、応じてくれるのではなかろうか??


そんな考えが沸き上がってきた。

それと同時に。


このような辺鄙な所で、一体家も建てずに岩屋に籠って、どのような者が住んでいるのだろうか??

よほど偏屈な者か、もしくはやむに已まれぬ事情があるのではなかろうか??

それだとすれば、一夜の宿りを求めることは、むしろ迷惑なのではなかろうか??

と、そんな不安と縋るような気持ちに縛られ、一瞬、逡巡の中で動きが止まった私の目の前で、その戸口がゆっくり、ゆっくりと。

まるでこちらの気配を窺うように、開いた。

戸口から、ほの明るい灯の朱と、爆ぜる薪の橙色。そのせいで、顔は判然とはしなかったが、背格好はそれほど大きくはない。


「どなたでしょうや??」


ガラガラにしゃがれた聞き取り辛い声。

掠れたその声は、普段から人と接することを極端に避けてきたのだろう。

だからこそ、久方ぶりの言葉に、僅か、緊張が宿っている気がしないだろうか??

それとも単に、このような夜更けに突然訪ねてきた無作法な者へ警戒心をあらわにしているのだろうか??


「すみません。私は、諸所を旅する修行僧なのですが、このような夜に、突然の豪雨で足止めされてしまいました。どうか、一晩、一晩だけで結構ですので、こちらの岩屋の中で止めてはもらえないでしょうか??」

「それは、それは・・・・!?」


私の問いかけに、一瞬、考え込むようなそぶりを見せた、主は、恐らく、その声音の高さから、老婆なのではなかろうか??

このような侘しい岩屋に一人、老婆がなぜ??と思わなくもなかったが、そんなことよりも、


「岩屋の中で、とは言いません。こちらの戸口の前、それこそ、雨風さえ凌げればそれで結構なのです。ですので、どうか、この洞窟の中に一晩だけ寝起きさせてもらっても構わないでしょうか??」


再三にわたって、妖しい者ではないのだ、と。

言葉を重ねれば重ねるほどに、韜晦じみてくるのはどうしたものか。

頭をひねって、次の言葉を探そうとしたその時。


「それは、大変でしたねえ・・・・。さ、どうぞ。侘しいあばら家ですが、一晩だけ暖を取って、疲れた体を休めることはできるかと思います。ささ、どうぞ、どうぞ・・・・」


まるで招き入れるように、体を横向きにして初めて、その顔かたちを見ることができたが・・・・。

人のよさそうな笑み。人好きのする、笑ったときにくしゃり、と歪む皺くちゃな顔。猫なで声のその言葉に至るまで、どこからどう見ても、人のいい老婆だというのに・・・・。


・・・・どうしてこんなにも違和感が拭えないんだ・・・・??


がりがりの手足。粗末な衣服から僅かに覗くあばらは、骨が浮き出ていて、彼女をどこか、人ならざる物へと見せているからなのだろうか??

それとも、一体何歳なのか??一見しただけでは、分からないほどに、精力に満ち満ちており、腰が曲がるようなこともなく、背がぴんと張っているからだろうか??


・・・・このような所で、ろくなものを食っていないから、老けて見えているだけで、実は老婆、と言うほどに、年取ってはいないのだろうか??


そんな疑問がわずかに浮かんできたが、しかし、そんなことよりも何よりも、ぐっしょりと濡れた体、寒さに震え、感覚が無くなった手足に、ぱちぱちと爆ぜる薪の暖が、何よりも心地よく、何かを考えることもできないまま、ふらふら、ふらふらと、誘われるように岩屋の中、老婆の住処へと足を踏み入れていく。

入ったとたんに漂ってきた、香ばしい匂い。

これは・・・・、恐らく囲炉裏にかけられた鍋から漂ってくる匂いではなかろうか??

これは・・・・。

この匂いは・・・。

臭み取りをきっちりとした肉の匂いではなかろうか??

僅かに残った獣臭さと言うか、何と言うか。

普段食べ慣れていない私だからこそ、はっきりと感じることができる。

脂の中に残った臭み。


・・・・熊か・・・・??もしくは猪肉なのか・・・・??


どちらかは分からないが、それでも、こんなあばら家に。

しかも老婆しか住んでいないだろう粗末な屋の中。

食う物も困っていそうな、骨と皮だけの見るからにやせ細ったこの老婆が、どうして肉を食うことができるのだろうか??


「腹が減ったのではないかい??今丁度、鍋を火にかけたところだからね。もうすぐで煮立つと思うから待ってくれないかい??」

「ああ、いや、私は、修行僧ですので、肉食(にくじき)をすることは禁止されておりますので・・・・」


匂いを嗅いだ途端に口の中に溢れてきた唾液を飲み込みながら。

情けないことに、目は鍋に釘付けだったけれども、それでも、何とか固辞したが、ちょっと食ったところで、誰にも気付かれはしないだろうに、と思わなくもなかった意志の弱い自分が情けなくて、情けなくて・・・・・。


「あら、あらそうかい、そうかい・・・・。だったら仕方ないねえ。どれ、でも体が冷えているだろうから、汁だけでも飲んだほうがいい」

「そ、そうですね・・・・。それでしたら・・・・。あ、ですが、肉だけはできれば入れないでくださいませんか??我儘ばかりで申し訳ありませんが・・・・」

「なに、そんなのは我儘でもなんでもなかろうに。むしろ儂は少ない肉を食らうことができて嬉しいわいな。しかし、儂は修行僧、と言う物がどんなものか知らんから何とも言わんが、随分と不自由なもんなのですなあ・・・・」


しみじみと、そんなことを笑顔で語る老婆に手渡された椀の中。

そこら辺の土手で取って来たのではないか?と思うようなくたびれた細切れの青菜。そして、塩の味も薄い、濁った汁物。

それでも、何だろうか??

腹が減っていたからか??それとも出汁を取るのに使った獣肉が優れているのか??口に含んだ瞬間に広がる奥深い味わい。

塩気が少ないというのに、満足感は強く。

味気ない吸い物を想像していただけに、これは感動的だった。

気付けばごくごく、ごくごくと。

一息に飲みほしていて、物欲しそうに汁物が残った鍋なんかを見つめていたせいで、


「ほっほっほ・・・・。随分とご満足いただけたようで」

「あ、いえ、そのう・・・・」


しまった!!と思ったときには時すでに遅く。

人の夕餉に想定外の客としてきただけにとどまらず、何杯もお替りを求めるなんて、なんて恥知らずな欲深いことをしてしまったんだろうか、と言う後悔が押し寄せてくる。

かあ、と顔を朱に染め、恥じらいから下を向く私に、しかし、老婆は、その親切そうな笑みを引っ込めるどころか、益々嬉しそうな表情を浮かべ、


「なに。所詮年老いた老婆の一人身です。何を遠慮することがあるでしょうや。遠慮せずにどんどん食べてくださいな。久方ぶりにお若い方の食いっぷりを見て、むしろ心地よい思いをさせてもらっておりますのでね」

「・・・・そう、なのですか・・・・??」

「ええ、勿論!!ささ、もっと食べてくださいな」


進められるままに。

一杯、もう一杯と箸を進めていたが・・・・・。


「おや!?」


ぱち、ぱち。ぱち、ぱちと爆ぜていた薪が大きく崩れたかと思ったら、ついには、灰だけが囲炉裏の中に落ち、火が小さく、小さく落ちていってしまう。


「ああ、すみませんねえ・・・・。薪が無くなってしもうたみたいで・・・・。岩屋の外に行けばあるんですがねえ・・・・。取って来ましょう」

「岩屋の外・・・・ですか・・・・??それは大変でしょうから、そこまでしなくとも結構ですよ・・・・??」


岩を叩く豪雨の音がこちらにも伝わってくる。

外は大雨、風はびゅうびゅうと季節外れに冷たくて、濡れそぼった体は、冷えて、凍えるように冷たくて、正直に言えば囲炉裏の火がどれだけ有り難かったか。

体にぴったりと張り付いたままの粗末な法衣は、気持ちが悪くて、気持ちが悪くて・・・・。

一刻も早く乾かすためには、もっと火の熱を浴びなきゃいけないんだろうけれども、この親切で人のいい老婆にも同じを思いをさせてしまうのかと思うと、不憫すぎて断る以外にないだろう。


・・・・だというに。


「いえ、いえ。そんな、そんな。儂なんてこんな豪雨慣れていますから安心してくださいな。それに、岩屋の外と言っても、すぐそこです。ちょっとひとっ走り行って、帰って来るだけなのですから」

「・・・・それでも薪を持ってくるのですから、それは随分と重労働ではないですか??とてもあなた一人にさせるわけにはいきませんよ。だから、もしどうしても行くというのなら、私もお手伝いくらいはできると思いますが・・・・??」


正直に言えばありがたかった。

今ここで凍えるような寒さに打ち震えているよりも、ほんの僅か、我慢を重ねて、薪を持ってきて火にあぶられる方がよほどいいに決まっている。

そう思ったが、それでも・・・・。


「いえ、いえ。客人にそのような真似はさせられませんで。何せ、あなたは随分と凍えていらっしゃる。風邪などひかれても困りますからね。だったらこちらで待っていてもらった方がよほどいい。そうではありませんか??」


ひょい、とまるで何でもないことのように随分と衰えを感じさせない身軽さで立ち上がった彼女に、その後何度も、何度も問答を重ねるが、返ってくる言葉はしかし断りの文句ばかり。

ついには頑として聞き入れてくれなかったので、老婆だけで薪を取りに外へ出かけることになったのだが、


「一つだけ。一つだけどうしてもお願いがございます」

「なんでしょうか??私にできる事であれば、何でも致しますが??」


何でもしてあげたいのは山々だが、私は万能な人間では決してない。だからこそ、できることとできないことがある、いやむしろできないことの方が大半だと、そう思っていたのですが、


「なに、簡単なことです。そちらの奥の」


指さされた屋の奥を見て、あっ!?と内心で驚いたのは言うまでもない。

と言うのも、そこには先ほど私が入ってきたのと同じ、いや、それよりもわずかに狭いだろうか??小さな引き戸があって、炎の影になって隠れていたけれども、確かに扉があったからだ。

ここに入って随分と時間を過ごしたが、全く気付かなかった・・・・。


「その扉ですがね。その奥は儂の寝所となっておりますれば、できましたら覗かないで置いて貰えるとありがたいでな」

「ああ、何。そのようなことでしたか。それくらいのことは造作もありません。それに、寝所ともなれば、見られたくないのは重々わかります。ですのでご安心を」

「そうですかい、そうですかい」


満面の笑みで。


「それならば儂は言うことはありません」


どうしてだろうか??光の加減なのか??それとも、ただ単に皺くちゃな顔がそう見せているだけなのか??


「絶対にその扉を開けて中を見てはいけませんぞな??」

「は、はあ・・・・・」


その目は一切笑っていないように見えるのはいかなことなのか??

ぞっとするほどに恐ろしい冷たさを湛えているようにも見えるのは??

歪に歪んだ口元は、ともすれば、何かを待ち望んでいる様でもあり。

居ても立っても居られない、と言わんばかりに必死にこぼれ出る笑みを抑えている様でもあり・・・・。


・・・・とてもこの世の者とは思えなかったのは、もしかして、私の見間違えなんだろうか??


「しばしお待ちくだされ」


そう言い残すと、闇の中へと掻き消えていった彼女の、小さいながらも老婆のそれとは思えないほど素早い身のこなしを眺めながら、何とはなく視線は奥の扉へと向かってしまう。


「ひいっ!?」


薄暗がりの中。

開くはずもない扉の影から何か、人のような、獣のような、何か得体のしれないモノがこちらをのぞき込んでいたような気がしたが、気のせいだろうか・・・・??


ごしごしと瞳をこすってもう一度、今度はじっくりと見つめ返して見ても、何も見えない・・・・。

じゃあ、やっぱり気のせいか、なんて、そんなことをつらつらと思っていたら。


寒いのなんの。

最初は、濡れそぼった体のせいかな??なんてそんなことを思っていたけれども、もしかしたら、凍えるほどに、それこそ寒風吹きすさぶ外よりも寒いかもしれない。

これはいかなことか??と思って、囲炉裏を見やれば、


「あっ!?なんだこれは・・・・!?」


一体どういうことなんだ・・・・??


そこに使われていた薪の量は尋常ではない量で、とてもではないが、この手狭な岩屋の中を温めるだけに使ったとは思えないほど。

まるで公家かもしくは豪農ではないか?と思うほどに、轟々と薪をくべ、炎を燃やしているんだから、すぐに無くなるのは当然と言えよう。


・・・・汁を温め直すために??


いやいや、そのようなことがあるはずが無かろう。

何せ、あの程度の汁物を温めるためだけに、一体これほどの薪を必要とするものか。

だとすれば一体・・・・??


この岩屋か??

この岩屋が寒々しいのが原因なのか??

そうとしか思えないが、そう考えればもっとわからなくなるのは、じゃあどうしてこの中はこんなに異常に寒いのか?と言うことに尽きるわけなのだが、とんとその原因は分からない。


「ひいっ!?」


まただ・・・・。

また、何か、に見つめられたような、そんな気がして振り返ったけれども、そこには何もいない・・・・。


・・・いや、ちょっと待て。

何かがいるというよりも・・・・??


「こっちから冷気が吹き込んできているのか・・・・??」


閉め切られた奥の扉の隙間から。

すうすう、すうすうと。

冷たい風が吹き込んできている。

それはつまり、その扉の先が、もしかしなくとも洞窟の外に通じているからに違いない。

だからと言って確認できるわけでもないし、確認しようとも思わなかったが、何故か目が離せなくなってしまい、じい、と部屋の影。

薄暗闇の中を透かし見ていたら、がたがた、がたがた、と確かに扉が揺れたんだ!!??


「なに・・・・、大したことはない。きっと風だ。風に違いなかろう」


さっきから凍えるほどに冷たい冷気が流れてきているんだし、きっと外とつながっているに違いなかろうから、かたかた、かたかたと、まるで小さな、何か赤子のような何かが、這いずり回るような、引き戸の下がゆっくりと揺れ動いていたとしても、それはきっと風のせいに違いないんだ。


それでも不思議なもので。


一度気にし始めたら、どんどん、どんどん気になってくるもので、かたかた、かたかたと揺れ動いていたのが収まったかと思ったら冷気が強くなるし、その逆もまたあるし、何がなんだかわけがわからなくなってきた。


・・・・絶対に、見るな、か・・・・。


そうは言われたけれども、絶対に、をそこまで強調するほどの何があるというのだろうか??

いや、そもそも寝所だと言っていたが、仮に万が一、そうだったとしよう。だとしたら、どうして外と繋がっていて、ここよりもよほど寒い場所にわざわざ作ったのだろうか??

それとも、あの親切そうな老婆の言っていたことは、嘘で、本当は何かのっぴきならない秘密でも本当にあるのだろうか??


「まただ・・・・!?いや、今度はもっとはっきりと、か・・・・??」


泣き声が聞こえはしなかったか??

いや、空耳かもしれない。

洞窟の中に吹き込んだ一際強い風が、甲高い赤子の泣き声に似て聞こえただけなのかも。

でも、それ以上に、この、ひた、ひた、と歩くような音はなんだ??

湿った何かが、柔らかい何かが、乾いた石を叩くような、そんな音。地面近くから聞こえてくるから、もしかしたら、人が床を歩いている音かと思ったけれども、だとしたら、誰が??何のために??


「それにしてもずいぶん遅いな・・・・??一体どこまで出かけたんだ・・・・??」


老婆が戻ってくる様子はない。

薪をすぐそこまで取りに行く、と言って、それが例えどれだけの束なのかは分からないけれども、戻ってくる様子はまだない。

だったら・・・・。


「ええい!!何もなければそれまで!!ほんの少し、ちょっと覗いてみるだけだ!!別に全部をまじまじと見るわけでは無し!!何事もなかったように扉さえ閉めてしまえば所詮分からないだろう!!!」


ついには堪えきれなくなって、引き戸を開けてしまう決意をしたが、どうにも老婆が今にも帰ってくるんじゃないか?と今度は後ろが気になって気になって仕方がない。


それでも・・・・・。


それでも、奥の引き戸に近づけば近づくほど。

手をかければ、まるで雪か氷にでも触れているんじゃないか!?と疑うほどに冷たくて、もはや(うつつ)とは到底思えなくなってきた。


・・・・・大丈夫!!一瞬開けてみるだけだ!!!


両手をかけ、すぐに閉められるように心の準備もしながら、引き戸を思い切りよく、それでも外に音が漏れ聞こえないように静かに開け放つ!!



「うひゃああああぁぁぁぁ!!!!!?????」



それは寝室なんかではありえない。

寝室なんて、そんな生易しいものではない。


決して。


絶対に見るな、覗くな、と言われて、気付かれないように、隠れて覗いているということすらも忘れて大声で悲鳴を上げてしまったのは無理からぬことだっただろう。

およそ、僧となって、この世の不可思議や、理屈では説明できない者共とも出会ってきた。

高僧の中には、生死の狭間を、まるで目隠しか何かでもしながら、それでも悠々と歩いているのではないか!?と見ているこちらがはらはらする者もいる。

そうかと思えば、長の年月を修験に明け暮れた僧は、道力、とでも言うのだろうか??不思議な力を身に着け、超常の人には決して叶えられぬことをする者もいる。

そこまではいかずとも、私のような大した力も、ましてや信心も持たぬ僧であっても、およそ人の生き死ににはそこら辺の農夫よりも立ち会うこと甚だしく。


だからこそ、慣れているつもりではあった。


だからと言って、人が死ねば悲しいし、そこに残った怨念のようなものに気分を害される、時には身体すらも毒されるときすらもある。


・・・・それでも随分と、慣れたつもりだったんだ。


「うえええぇぇぇ・・・・!!!」


思わず床にさっき給された汁物を胃の腑からぶちまけてしまうほどには、気分が悪い。

今まで見たことも、体験したこともないほどの死臭に、気を失うほどの溜まりに溜まった怨念に、そして死者が吐き出す苦痛や憎悪と言った負の情動に・・・・・。



「これは・・・・なんて酷い・・・・」


壁にはあちこちに赤黒い染みが、いや、染みなんてものではない。

べったりと返り血がこびり付いている。天井にまで跳ね上がっているのは、恐らくそれだけ勢いよく血が吹き上がったからに違いない。

何より、人の白骨がごろごろ、ゴロゴロ山のように積みあがっているし。

ぼろぼろにさび付いた、包丁よりも刃渡りの長い肉切り包丁が何本も、何本も地面に転がっている。

殺した人間から血を抜くためなのだろうか??

天井には一本、頑丈な梁がめぐらされ、そこから太い縄が垂れ下がり、真っ白に血の気が失せ、腹回りの肉を一切こそげ落とされた若い女性の死体がぶら下がっている。

その下には、それこそ、人一人楽に浸かることができるくらいの大きさの寸胴鍋が置かれていて、大雨の翌日氾濫した大河のようにどろどろの泥みたいな汚い煮汁がぐつぐつと煮えたぎっている。


「あの話は・・・・真の話だったのか・・・・・」


思い出すのは、先日のこと。

ここの近くを不吉の土地、と語っていたあの農夫。

怯えていたような、怖がっていたような。それこそ、眉唾な話だと、軽く考えていたが、こんな事情があったとは・・・・。


おぎゃあ、おぎゃあ、


赤子の泣き声がどこからともなく聞こえ、


ぎゃあ、ぎゃあ、ぎゃあ、


それは、段々、段々大きく、強く、とてもではないが、両の耳をふさがなければ耐えられないほどの大音場となって襲い掛かって来て、


「・・・・っ!?もしかしてまだ生きている赤子がいるのか!?」


そうだとすれば何とか救わなければいけない!!


そう思った矢先に、


ぎゃあああああああああぁぁぁぁぁぁ!!!!!!?????ぎゃあああああああああああああ!!!!!!!!??????


耳をつんざくほどの苦痛の声音に変わる。

それは、まるでこの世の者とは思えないほどにおぞましく。ともすればただの赤子とはまるで違う、若い女のように甲高くも聞こえ、かと思えば、壮年の男性の断末魔の叫びのようにも聞こえて来て、一気に全身に冷たいものが駆けあがっていった。


「うひゃああっ!!??」


冷やり、と。

足下から冷たい何かが触れたような気がして、視線を下へと転じると、


そこには赤子が一人。

しかし、それは、生きてはいない。

ずるずる、ずるずると。

骨がむき出しになったあばらを地面に引きずりながら、両足は捩じ切られ、残った両腕だけで、もがくように、逃げるように、泣きながら這いずっている。


その手が。

ゆっくりと足に伸びて来て。

今まさに、血まみれの小さな手を伸ばして、掴もうとする間際のことで。


おぎゃあ。


泣きながら乞うように。

苦悶の表情を浮かべるその顔には、両の眼が無い。



「ぎゃああああああああああああああああああああぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!!!!」



・・・・逃げなければ!!


自分だけ逃げだすつもりなのか??

否。

あの赤子はすでに死んでいる。

そも、あの中に連れ込まれて生きている者はすでにいない。

だとすればあれは何なのか!?

あれは、怨念のようなものだ。

自分の死すらも実感できていないからこそ、生への執着が、妄念があのような形となって現世へと何かしらの形をとどめているだけ。

あの岩屋の外へと出ることはできないだろうし、そも、生きてはいないのだから、連れ出すこともできないだろう。


気付けば岩屋の外へ。

どこをどうやって開け、どこをどうやって駆けたのか、そんなことすらも真っ白な頭には全く分からないまま。


・・・・逃げ切れるのか!?


運のいいことに老婆の姿は全くない。

だとすれば、逃げ出した私のことを、いつ見つけ出すだろうか??

もう間もなく帰っていき、獲物が逃げ出したことを知るか??

そうしたら、諦めてくれるだろうか??

これだけの土砂降りの雨だ。

どこへ逃げたのか、その痕跡を全部、全部きっと洗い流してくれるに違いない。


そう自分に、きっと大丈夫だ、と言い聞かせる自分とは相反するように。


・・・・いや、あの老婆のことだ。およそ地獄の底までも追いかけて来て、きっと私を八つ裂きにするまで諦めないだろう。


と言う何故か知らないがどうしてか確信だけはあって。

だからこそ、前も見えない豪雨と、暴風の中。

冷たくなってほとんど動かない手足を必死に動かして、前に、前にと只がむしゃらに、足を動かす。


・・・・死にたくない・・・・。


ここがどこかも分からない土地で、自らの故郷から遥か旅をしてきた。

そんな自分が、こんな見も知らぬ土地で、死ぬのは嫌だ。


・・・・死にたくない・・・・!!


死への覚悟はいつでも、なんどきでも持ち合わせてきたつもりではある。それでも、あんな老婆に八つ裂きにされて、食われるなんて、そんな惨たらしい死に方は嫌だ。


・・・・死にたくない!!!


徳を積んだ者は、死後に浄土へと還ることができる、とそう教わってきたが。

それでも、あの人ならざる老婆に、いや、怪異に魅入られて、食い殺されたら、この身は、この魂は一体どこへと還るのだろうか??

憎悪や、悲哀、苦しみに囚われて、あの者らと同じように、一生あの岩屋の中を彷徨い続けやしないだろうか??

それは、ともすると地獄よりも、むしろ地獄なのではないだろうか・・・・??


・・・・死ぬのがこんなに怖いとは!!!


・・・・・まて


声が聞こえた気がする。

まさかそんなはずはない、と思いながらも、背がぞくぞくと粟立つのを鎮められない。


・・・・・待て


そんなはずはない・・・・。そんなはずはないんだ!!!

この暴風と大雨の中で、一体声が聞こえるなんて、そんなことが果たしてあるのか!?いや、あって堪るか!!!


・・・・・・待て!!


「ひいっ!?」


それでも、そのガラガラにしゃがれた声音が、やっぱり風に乗って耳に届く。

思わず耳を塞いでも、幻でもなんでもなく、確かにこの耳に聞こえてきたんだ!!


「ああ・・・・!?御仏よ!!どうか・・・!!どうか、私をお救いください!!!」


しかし。

そんな私をあざ笑うかの如く。

ごろごろ、ごろごろと。遠雷が轟き、それがまるで不吉の前兆のように、腹の底に響く。

その遠雷の音にすらも掻き消えることなく、


・・・・・・まあああぁぁぁてえええええぇぇぇぇ!!!!!!


確かに聞こえてくるのだ!!あの声が!!もうすぐそばまで迫っているとでも言うかのように!!

悪夢だ!!

これはそう!!

悪夢なんだ!!!

悪夢を見ている時。

どうして、こんなにも自分自身の足は、体は思う通りに進まぬというのに、追いかけてきているおぞましい何かは、そんな私をあざ笑うかのようにずんずん、ずんずんと近づいて来るのか、と思ったことが何度あっただろうか!!

もう駄目だ!!と諦めた時に。

はっ!?と覚める夢ならばまだ知れず。

これがもし、現のことなのだとすれば、どうしてそんなことがあり得るというのだ!?

だとすれば、これは悪夢なんだ!!

そう考えるのが当然のこと!!

一夜の夢幻。

知らぬ土地で。

知らぬ世界で。

豪雨の中。

生死の境をさまよう私が見せた死と生の狭間の悪夢でしかないんだきっと!!

およそ、自らは、露に濡れた草葉の中に、まるで死んだように寝転がっているに相違ない!!

熱に浮かされ、疲労に蝕まれ。

岩屋なんてそんなもの見もしなかっただろう!?

老婆なんてそんなもの会いもしなかっただろう!?


それでも・・・・。


・・・・・・まあぁぁてええええええええぇぇぇぇぇ!!!!!


「オン・ハンドマ・シンダマニ・ジンバラ・ウン・・・・・」


御仏よ!!覚めぬ悪夢なら、どうか目を覚まさせてください!!


「オン・ハンドマ・シンダマニ・ジンバラ・ウン・・・・・」


御仏よ!!私がもし、死の淵を歩いているのならば、どうか安らかな安寧を!!もしくは、死に打ち勝つだけの力をお与えください!!


「オン・ハンドマ・シンダマニ・ジンバラ・ウン・・・・・」


御仏よ!!!どうか!!どうか、あの老婆が罪を咎め、償いを!!!



「死いいいぃぃぃねええええええええぇぇぇぇぇ!!!!!!!!」



追いつかれた!!!???


一体どれだけの身軽さだというのだ!!??


まるで耳元で叫ばれたのか!?とでも思うほどの大音上に、憤怒の怒声に、体が一瞬硬直してしまう!!!


どん!!!


その隙を逃さじ、とばかりに、重たくて硬い何かで思い切り肩口を叩かれ、気付けば、体勢を大きく傾がれて地面に額を打ち付けていた・・・・。


その瞬間に、自分が今どこに居て、何をしているのか?何から逃れようと必死に逃げ回っているのか??すべて頭の中から吹き飛んで、遠く、雷鳴がちかちかと光る曇天の空を見上げる。


・・・・ここは一体どこなんだっけ・・・??


空は、黒々と真っ黒で、明ける気配はなし。


・・・・私は何をしているのだったか・・・・??いや、何をしなければいけないのだったか・・・・??


顔に打ち付ける大粒の雨が、鬱陶しくて、鬱陶しくて・・・・。目も開けていられないほど、いや、上手く息が吸い込めないほど。


・・・・あれ??どうして私はこんな泥だらけになって大雨の中に寝転がっているんだ??


修験の旅路を急いでいたはず。

目的地はどこだったか??

ずきずきと痛む頭の中は、靄か霞でもかかったかのように朧で、定かではない。

溺れるように息継ぎしながら、まるで、大海原に何の手もなく放り出されたかのよう。

普段見飽きるほどに見慣れた星空が、自分が今いる場所を教えてくれないから。まるでここが、地獄の底か、もしくは黄泉の世界ででもあるかのようで、ただ、ひたすらに恐ろしかった・・・・。


「ようやく捕まえたよ!!手間を取らせやがって!!!」


ぎょろぎょろと、まるで化け物か化生の類でもあるかのように。

この曇天の闇をそのまま映しこんだかのような真っ暗な瞳が私を上から睨みこんできた。


「ひいっ!?」


その瞳に、普通は相対する私の姿が映しこまれるはずだというのに、ただ、闇が、ぽっかりと口を開いているだけで、そこには何も映っていはしない。

ただ、ただそれがひたすらに恐ろしく。


「全く!!あれだけ開けるなと言っておいたのに!!儂がこの肉切り包丁を研ぎに行く隙に逃げられるとはな!!!!ちっ!!こんな大雨だったから油断しちまったよ!!!」


大きく開いた口元。ガサガサに乾燥して皺だらけの薄い唇。そこから覗くまるで獣の牙のようなギザギザにとがった歯先から、言葉を発するたびに、漏れてくる生臭い、いや、血生臭い死臭に、鼻が曲がりそうだ。


「は、離してくれ・・・・!!!」

「いいや、離すもんか!!お前は今から儂に、生きたまま臓物を引きずり出されて、もがき苦しみながら死に行く運命なんだよ!!!でも安心するといい!!!儂の腹の中で、一生糧となって生き続けることができるからな!!!」

「そ、そんなこと・・・・!!!」


がりがりと痩身の老婆など、簡単に蹴飛ばしてしまえばいいと、そう思っていたのに。


・・・・どうしてこんな体のどこに、これほどの力があるというのだ!?


一切動きはしない。身動きの一つすらも取れないのだ。

こんなことがあっていいのか!?

どれだけもがこうが、胸元を膝で押し付けられ、むしろ、動こうとすればするほどに苦しさが増してくる。

投げ出された腕は、どうしてか右だけピクリとも動いてくれない。

どころか、さっき殴りつけられた右肩が、真っ赤に熱した鉄でも押し付けられているのか!?と思うほどに、焼けるように痛む。


「御仏よ・・・・!!御仏よどうか・・・・・!!」


助けてください・・・・。


祈っても叶わないことなど、果たしてどれだけあっただろうか??

真摯に祈り続けても、それでも病に侵された善人は、あっという間に死んでしまったこともあったし。

苦労を続けた親兄弟思いの女郎が、逆恨みで無惨にも客に斬り殺されたこともあった。

だからこそ。

仏門に生きるこの私が、誰よりもなお、御仏の存在を疑ってしまっていて、だからこそ、こんな窮地にあいても、決して助からないと、気付いているだろうに。


それでも・・・・。


「へん!!!仏に祈ったところで助かったことがあったか!?無いだろう!?そりゃそうさ!!この世に仏なんてそんな御大層なもんは居やしないよ!!!」


それでも、この老婆にだけは・・・・・。


「どいつもこいつも死の間際になると、仏、仏って・・・煩いったらありはしない!!!」


この老婆にだけは、どうか・・・・!!


「所詮はてめえら坊主どもが金と信心を集めるために創り上げた妄信だろうにねえ!!!」

「お前・・・だけは・・・・許されないぞ・・・・!!」

「誰が許さないって言うんだい!?仏とやらかね!?それとも何か!?あんたがかい!?ほら!!精々祈りな!!祈り続けるんだね!!!!死ぬその瞬間まで!!!ああ・・・・!!死ぬ瞬間ってのは一体どれだけのもんなんだろうかねえ??どんな奴らも、最後の最後、生きたまま臓物を引きずり出したときには、泣きながら失神するんだよう??」


きゃらきゃら、きゃらきゃらと。

耳障りな甲高い声で、笑い転げるこの老婆だけは、絶対に許さない・・・・!!


「お、オン・・・・ハンドマ・・・・し、シンダマニ・・・・ジンバラ・・・ウン・・・・・」


「どんなに綺麗な女だって・・・・!!!どんなに逞しい男衆だって!!!どんなに幼い子供だってそうだ・・・・!!!あんたみたいな生臭坊主は初めてだ!!!一体どんな声で鳴くんだろうねえ??」


「オン・ハンドマ・シンダマニ・ジンバラ・ウン・・・・・」

「さっきからがたがたうるさいねえ!!!」

「オン・ハンドマ・シンダマニ・ジンバラ・ウン!!!」

「今すぐに、その減らず口きけなくしてやるさあああああああ!!!!!!」


御仏よ・・・・!!!



ピシャアアアアアァァァァァァァ!!!!!!!!!!!!!!



眩いほどの光が満ちて。

目も開けていられないほどの、その光量に、真夏のぎらぎら照り付ける陽光よりも眩いその光に、何が起こったのかも分からずに、目を固く閉じるしかできない。


・・・・もしかして、これが死ぬということなのか??


それにしては痛みも、苦痛も全くありはしない。

それでも、体が嘘のように軽くなった。息が上手く吸いこめないような、息苦しさも、胸を圧迫する老婆の重さも、全部全部、綺麗さっぱり無くなって、今なら飛び起きることもできるんじゃないか、と言うくらいに軽い。


もし、自分の体を八つ裂きにされているところを上から見下ろしていたらどうしよう??とか、そんなことは一瞬頭によぎったけれども、それでも駄目だ。

どうしても気になってしまう。

事の顛末が。

全ての、私の人生の帰結が。

流れ、流され、たどり着いたその先が。


ゆっくり、ゆっくりと瞳を開けると。

雲がゆっくり、ゆっくりと晴れて、見知った星空が、どんどん、どんどん顔をのぞかせていくところ。

それは、最初、深い闇の底を覗き込んで、見えるか、見えないか、というあいまいな程度のものだというに。

どんどん、どんどん広がって、終いにはさっきまでの、世界を覆い隠すようなぶ厚い雲も、そして、この年の雨を全てかき集めて、振りしきらせたんじゃないかと疑うほどの豪雨も、全て、夢か幻だったのではないか、と言うほどに。


だったら・・・・。

だとしたら・・・・??


老婆のことも夢か幻だったのか・・・・??

熱に浮かされた自分自身が見せた、突拍子もない悪夢だったのか??


いや、違う。


確かに、胸元には、一体どれだけの力でねじ伏せれたのだろう??べったりと踏みつけにされた足の痕が。

肩口も、深々と切り裂かれて、今もまだ、血がどんどんと流れ出ていっているし。

左の腕には、細い女性の手の痕が、これでもかと黒々残っているのだから。


だとしたら、どこへ・・・・??


消えた・・・・??何のために・・・・??


ゆっくりと、視線を転じて、そこに、その草むらの影に、黒々と焦げ、僅かに煙を噴き上げる、元は人だった何か、を見つけて、ようやく自らの身に降りかかった災厄を逃れたことを知る。

しかし、それでも、今にでも、にたり、にたりと、喜色の悪い笑みを浮かべながら、そこら辺の草むらから、飛び出し来るんじゃないか!?と思って、近づきたくもなかったし、ようく注視したくもなかったけれども、恐る恐ると近づいて、見やれば、


「死んでいる・・・・のか・・・・??」


大きく開いた口の中まで真っ黒。

全身が炭のように黒く変色して、まるで絶叫したままこと切れたその人型の何か。

生きとし、生けるものすべてを恨むような絶叫が、怨嗟の声が、轟きそうなほど。

それでも確かに、間違いなく。


「落雷に・・・・打たれたというのか・・・・??」


それは必然だったのか??それとも偶然だったのか??

それは私には到底分からないし、ただ、物の怪のような老婆が死に、自分自身が生き残った、と言う事実だけが眼前と残されていて。


「ああ・・・・!!御仏よ・・・・!!感謝いたします・・・・!!!」


・・・・足りぬことばかりのこの身をお救い頂き・・・・。


いや、きっとそうではないに違いない。

私など、信心の足りぬ修行僧など、きっと御仏は歯牙にもかけぬに決まっている。

だとしたら、これはひとえに、あの老婆の罪の重さではなかろうか・・・・。


殺され、無残にも食われた彼ら彼女らを、祀ってやろう。

私は運よく生き残ることができただけで、誰も彼も、死にたくはなかっただろうし、運が無かっただけで、死んでしまうなど、哀しい話ではないか。

もしかしたら、この世の中は、ちょんのふとした拍子に、簡単に命なんて粗末なもの失ってしまう程度のことでしかないかもしれないが。

だからこそ、こんなにも大切で。

だからこそ、こんなにも離れがたいのだろうに。

だからこそ、最後の最後、死の間際まで、いや、死んでしまってからも、魂だけは、みっともなく足掻き続けるのだろうに。


それが、人だけではなし。命を持ち、そして力を持たぬ弱い生き物に許された最後の祈りではないだろうか・・・・??


・・・・まあ、今はそんなことよりも何よりも。


「無念の内に殺され、食われた者共よ・・・・。あなたたちの冥福を、祈らせてもらいます・・・・・」




ホラーとか、サスペンス的なお話は、とても難しかったです。

何せ、私自身が怖いの、苦手ですから。

ここで名前を出すのは気が引けますが、『世にも奇妙な~』とか、『本当にあった~』とか、とか・・・・。あとは、幼少期の話ですけど、アニメで放送されていた『週間ストーリーランド』、とかですかね。たまに、怖いお話があって、夜、暗いところが怖くなったり・・・・。

見たくていつも見るんですけれども、怖くて、怖くて・・・・。

ですので、どうやって書けば怖いとか、恐ろしい、とか、そう思っていただけるのかな?と試行錯誤の物語になってしまいました。

怖い話を期待していた分、気に食わなかった方は、申し訳ありません。


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