一章7 風邪
翌朝、ライラはベッドでうめいていた。
起きた時にはすでに熱が出ていて喉が痛く、咳も出る。最悪な気分でうなるように呟いた。
「うう、わたくしにも災厄が……」
「ただの風邪ですよ、馬鹿を言わないでください」
レイルはそう返し、洗面器に入れた布巾を絞って、ライラの額に載せる。ひんやりとして心地良い。
「消化に良い食事を用意させますね、それから医者も呼びます。メアリーの風邪がうつったんでしょう。実は城でも流行してるんです」
「あなたは大丈夫なの?」
「ええ。鍛えてるので」
「……関係ないと思うわ」
ライラはぜいぜいと息をしながらも、ツッコミを入れる。レイルは肩をすくめ、食事や医者の手配をしに、一度塔を出て行った。
そして、初老の宮廷医を連れて戻ってきた。灰色の髪に白いものが混じった男は、分厚い丸眼鏡をかけており、白衣を着ている。
「風邪ですなあ。お薬をお出ししますので、食後にお飲みください。食欲はいかがですか?」
「食べたくありません」
「無理して食べなくても結構ですが、薬は飲んでくださいね」
宮廷医はそう言うと、薬の入った袋をテーブルに置き、レイルにあれこれと言い付けてから帰っていった。
レイルはベッドの脇に椅子を運んできて座ると、ライラの様子を覗きこむ。
「ほら、言った通り、風邪ですよ。傍についていますので、ゆっくり休んでください」
「傍にいられると休めないわ」
「そうですか。では、あちらにいますので」
レイルは大人しく寝椅子の方に引っ込んだ。ライラはほっとする。いくら体調が悪かろうと、傍でじっと見ていられると落ち着かないせいだ。
レイルは水を入れた鍋を暖炉の火にかけて部屋を加湿したり、水差しの水を入れ替えたりと動いているが、動作が静かなのであまり気に障らない。
鍋が沸騰する音や、衣擦れの音。
それらが部屋に優しく響き、ライラはなんだかほっとした。一人でいると、部屋はしんと静まり返る。そのせいか、体調が悪い時に一人で寝ていると、世界に置き去りにされたみたいで、余計に寂しくなるのだ。
ようやく眠気が訪れ、目蓋を閉じる。
「お父様……」
幼い頃の夢を見た。リカルド王に頭を撫でられて微笑む。
ライラを置いて逃げたなんて、悲しい。
養父に会いたいと思うと胸が切なくなり、ほろりと涙が零れ落ちた。
一晩寝込んですっきりしたライラと入れ替わるように、今度はレイルが風邪を引いた。
ライラが風邪と聞いて、様子見に来たメアリーに事情を話すと、昨日の宮廷医を呼んでくれた。彼の診断でも、ライラの風邪がうつったと判明した。
また風邪がうつるのを防ぐためにメアリーを帰らせると、ライラはレイルがしてくれたことを思い出して、レイルの看病をしてあげた。
「ほら、ごらんなさいよ。きっとわたくしのせいで、あなたに災厄が降りかかったのですわ」
塔を出たほうが良いと、胸を張って言うと、寝椅子に横たわっているレイルは眉をひそめる。
「姫様の風邪がうつっただけで、こんなのは災厄とは呼べません。変な痣でもできて、呪い殺されるんでしたら、災厄といえるかと」
「それだけ口が回るのでしたら、大丈夫そうね」
レイルの憎まれ口に、ライラは安堵した。
寝込んでいる人間を見るのは初めてだ。随分苦しそうで、見ていると胸が痛む。
「昨日、世話をしてくれたお礼です。何かして欲しいことはあります?」
「ここを出て、領地に来てください」
「それ以外で」
きっぱりと返すと、レイルは舌打ちした。体調不良でも変わらない男だと、ライラは呆れる。それからしばらく考えて、レイルはちらりと寝椅子の傍を見る。
「では、傍にいてください」
「同じ部屋にいるじゃない?」
「そこにいて欲しいんです」
子どもみたいに催促するレイルの様子に、ライラは仕方ないなあと椅子を引っ張ってきて、傍に座った。
「寝椅子では苦しいのではない? 私のベッドを使います?」
「姫様に寝椅子を使わせるわけには……」
「一緒に眠ればいいじゃない。スペースならあるわ」
「は?」
レイルは唖然とライラを見上げた。彼が何にそんなに驚いているのか分からず、ライラは首を傾げる。
「ベッド、半分を使わせてあげても良くってよ?」
「……!?」
ぽかんと間の抜けた顔をしたレイルの顔が、一気に赤く染まった。
「あ、あな、あなたはなんてことをおっしゃって」
「顔が真っ赤ですわ、レイル様。熱が上がったみたいね、大丈夫?」
「まさか、意味を分かってらっしゃらない?」
「意味って?」
レイルは何を言ってるんだろうと首を傾げたライラだが、自分のベッドに行って、毛布をめくった。
「奥のほうに寝ればいいわ。枕と掛け布も持ってきてね」
「……そうですね、あなたの世間知らずぶりをなめてました。王と侍女にしか会ったことがないのだから、邪推するほうがおかしいというものですよね」
「何をぶつぶつ言ってるの?」
ライラは怪訝に思いながら、レイルの傍に戻る。
「嫌なら別にいいけど。お節介で悪かったわね」
レイルがあんまりにも悩むので、ライラは好意を無下にされたと感じて、むすっとした。するとレイルは慌てて返事をする。
「いえ、お節介だなんてそんな! では、甘えさせて頂きます。実は寝椅子は寝苦しくて」
「いいわよ。あら、ふらついてるわね。掴まりなさいな」
「姫様はお優しいですね」
レイルを支えてあげると、彼は涙ぐんだ。ライラはぎょっとする。
「大袈裟ね。調子が悪いから、気が緩んでるのではなくて?」
ベッドにレイルを押し込むと、彼の枕と掛け布も運んであげた。
「姫様、このご恩は必ずお返しします」
「昨日のお礼だって言ったの、もう忘れたの? 相当ヤバイわね。食事して、薬を飲みなさいな」
深刻にとらえたライラは、生まれて初めて、病人の世話を焼いた。
そして、夜になると、レイルの隣で眠りについた。
ライラは咳こんで苦しそうなレイルを気遣って、何回か夜中に起きた。そのせいで、朝方になってから眠ってしまい、思い切り寝坊してしまった。
「な、なんてことですのー!?」
次の朝、メアリーの悲鳴と、食器が割れる音で目が覚めたライラは、目をこすりながら半身を起こす。メアリーはうろたえていた。
「どういうことですの、何故、ベッドを共にされてるんです、姫様! とうとう伯爵がやりやがりましたのねーっ」
「おはよう、メアリー。何を言ってるのかよく分かりませんけど、具合が悪いので、ベッドを半分貸したのよ」
「いいえ、言い訳は結構です。どうせ口車に乗せられて、たたみかけられたのでしょう? おいたわしい姫様」
ヒステリックに泣き叫ぶメアリーの声で、レイルは目が覚めたらしい。
「あんまりじゃないか。そんな風に思ってたのか、君……」
ごほげほと咳き込んで、疲れたように息をつくレイルを、ライラは覗きこむ。まだ調子が悪いのか、青ざめてぐったりしている。レイルはメアリーに問う。
「こんな状態で、どうこうできるとでも? 頼むから静かにしてくれ……」
ふらついているレイルを見て、メアリーはころりと態度を落ち着かせた。
「まあ、本当に具合が悪そうですわね。普段が元気な方ほど、寝込んだ時はきついといいますものねえ」
そして、安堵のあまり笑顔になって声をかける。
「お水を持ってきて差し上げますわ、レイル様」
「はい……」
返事をする気力もないのか、レイルは再びベッドに横たわった。ライラはメアリーに問いかける。
「ね? メアリー、寝椅子ではかわいそうでしょう?」
「仕方ありませんわね。姫様、手洗いうがいをしっかりなさって、着替えてくださいませ。窓を開けて空気を入れ替えましょう」
「ええ、分かったわ」
ライラは言われた通りに身支度をして、部屋を換気した。それから、飲み水をレイルに運ぶ。
「やっぱり私の災厄だと思うの」
確信を込めてライラは主張したが、メアリーはきっぱりと否定する。
「いえ、ただの風邪ですわよ、姫様。私の風邪をうつして申し訳ありませんでしたわ」
「メアリーは大丈夫だったの?」
「ええ、風邪は他人にうつすと治るといいますが、本当みたいですわね」
メアリーは肩をすくめ、てきぱきと料理をテーブルに並べる。
「私のせいですから、今回は目をつむって差し上げますわ」
「……ありがたき幸せ」
レイルが皮肉っぽい返事をした。