一章4 すねる姫様
レイルがなかなか戻らないので、ライラは退屈な時間を持て余していた。
夕方なので、すでにメアリーは城に戻っている。
ふと、部屋を見て変な感じがした。この部屋はこんなに広かっただろうか。がらんとしていて、殺風景に思えた。
「ああ、毒されているわ。さすがは悪魔ね」
ライラは独り言をつぶやき、お茶を飲む。喉を湿らせると、いつも退屈しのぎに口ずさむ歌を、ぽつりぽつりと歌い始めた。
どこで聞いたのか分からない、だが記憶の端にしっかりと残っている子守り歌だ。メアリーも知らない歌なので、実母ではないかとメアリーが推測していた。
草が風にそよぎ、太陽に輝く麦畑を歌う豊穣の歌だ。
歌ううち、テーブルの上に置いた洗面器の中で、しおれかけていた野花が薄らと光り輝き、元気さを取り戻していく。
ぼんやりと窓の外を見ていたライラはそれには気付かず、歌い終えて、静まり返った部屋にうんざりした。
幼い頃は、この静けさが嫌いだった。
この世界にライラはたった一人ぼっちのような気がして、寂しさが胸の中でひたひたと揺れていた。今でもたまに、思い出したようにその寂しさはやって来る。
「レイル様、まだかしら」
ぽつりと呟いて、自分の言葉にぎょっとした。たった四日で、日常の一部になってしまったせいだ。
「別に戻ってこなくていいし」
そう呟いた時、まさかのレイルの返事があった。
ぎこちなく振り返ると、いったいいつの間にそこにいたのか、レイルが扉の前に立っている。
「すみません、ただ今、戻りました」
困ったような、照れたようなレイルの顔を見て、ライラはレイルに独り言を聞かれたことを悟った。
「ふぎゃーっ」
思わず訳の分からない声を上げ、ライラは自分のベッドへ駆け寄った。
「もうもうっ、出ていってください! 出てってーっ」
羽がたっぷり入った枕で、レイルを叩いて追い払う。
「わ、いたた、そんなに慌てなくても。私は嬉しかったですよ」
「うるさーい!」
子どもみたいなところを見られ、恥で顔を真っ赤にし、ライラはレイルを部屋の外へ締め出した。
扉越しに、レイルが声をかけてくる。
「姫様、私の領地に来てください。きっと楽しいですよ」
「帰りなさい! この悪魔!」
ここ数日、お馴染みになったやりとりをして、ライラはしばらく扉が開かないように見張っていた。
◆
「本当に、子どもみたいな方ですね」
静かになったので合い鍵で部屋に入ると、ライラは扉の横で眠っていた。枕を抱えた格好で座りこんだままだ。どうも見張り疲れたらしい。
十九歳だというライラの外見は立派な女性であるが、こうしていると幼い子どもみたいだ。長く豊かな黒髪が、黒いドレスの上に落ちている。その対比で、肌の白さがいっそう映えている。
なんとなく心惹かれるままにライラの額に口付けようとして、レイルははたと我に返ってやめた。
(危ない。侍女に刺されるところだった)
あの時、鋏を手にしたメアリーは本気だった。
思わず部屋を見回して、その辺にメアリーが隠れていないか確認し、ほっと息をつく。
「名案だと思ったが、ルームメイトはまずかったかなあ」
今更撤回する気もないが、レイルは苦笑いをして、ライラをひょいと腕に抱えた。まったく起きる様子が無いので、ライラ用の長椅子に寝かせる。掛け布を取ってきて、寒くないようにすると、レイルはせっせと働きだした。
暖炉に火を入れ、廊下に行き、使用人が用意しておいた食事を中へ運び、テーブルへと並べていく。
ふと、洗面器の中の花が元気になっているのに気付いた。
塔に戻ってきた時に聞こえた歌声が耳に蘇る。
「良かったな、お前も姫に救われたか」
きっとこの花は長持ちするだろう。
ライラの強い魔力は歌に乗り、傍で聞いた者を癒すのだ。きっと、ライラは知らない。そしてレイルとステファンしか知らないだろうことだ。
その時、ライラが身じろぎした。
「ううーん、いいにおい」
「姫様、食事のご用意が整っておりますよ」
「あっ、戻ってきたわね、この悪魔!」
ぱちりと金の目を開けて、すかさずライラは眉を吊り上げた。しかしレイルもだいぶ扱いになれてきたので、構わずに返す。
「はいはい、手を洗って来てください。今日は鳥の香草詰めですよ」
「え、本当? すぐに用意するわ」
どうやら好きな食べ物のようだ。
先程まで怒っていたのも忘れて、ライラは上機嫌でぱたぱたと部屋を走り出す。
この変に素直なところがまた可愛らしくて、レイルは顔がにやけないようにするのに苦労した。