一章3 ドレスを注文しよう
それから三日後、レイルが三人の人間を連れてやって来た。
「今度はいったいなんなのです、レイル様」
読書を邪魔されたライラは、レイルに渋い顔を向ける。
「姫様、どうか私にドレスをプレゼントさせてください。仕立屋と針子を連れてきました」
「そういうことは事前に聞くものではなくて?」
「すみません、驚かせたくて」
「あなたには充分に驚かせられっぱなしよ」
ライラはちくりとやり返したが、レイルは気にした様子はない。
「では私は外に出ていますので、採寸をお願いしますね」
「ちょっと! もう、勝手なのだから」
腹は立つが、ドレスは嫌いではない。
「し、仕方ないわね。採寸させてあげるわ」
「ありがたき幸せ。よろしくお願いします」
三人の女はお辞儀をして、仕事に取り掛かった。彼女達が採寸を終えて部屋を出て行くと、入れ替わりにレイルが服飾見本の冊子を手に戻ってくる。
「姫様、どんなドレスがよろしいですか? こちらが最近流行しているデザインで、こちらは布の見本。それから刺繍やレースです」
レイルの差し出した見本の布に、ライラは目を奪われた。
「なんて綺麗なのかしら。私、黒しか着たことが無いの。こんな色、着ていいのかしら」
疑問を口にして顔を上げると、レイルが怖い顔をしているのに気付いた。
「まったく、ひどすぎます。いいですよ、好きな物を選んでください。あなたは髪が黒いから、青が似合いそうですね」
「青? これかしら。見て、この布。あなたの目にそっくりね」
ライラが無邪気に冬空のような水色を指差すと、何故かレイルは顔を赤くして、横を向いてしまった。
「どうしたの?」
「急に可愛らしいことをおっしゃるので」
「よく分からないわ」
そんなことを言っただろうか。ライラは首を傾げたが、すぐに興味は見本に戻った。
「この色なんて綺麗ね」
「コーラルピンクですか。柔らかい色合いがお好きなんですか?」
「分からない。でも好ましく感じる。似合うかどうかは知らないわ」
「いいですよ、好きな物をどんどん選んでください。私はあなたを甘やかしまくると決めていますので」
レイルの言葉に、ライラは戸惑いを覚える。
「私を甘やかして、いったいあなたになんの得があるの?」
「私はライラ姫様に救われたので、恩返しをしたいのです」
「でも、私達は初対面でしょう?」
ライラはレイルと初めて会った、それは間違いない。レイルは意味深に微笑んで、首を横に振る。
「いずれお話しします。ところで姫様、こんな布を使ったドレスを売る店が、城下町にはたくさんあるんですよ。外に出たくなりました?」
すっかり油断していたライラは、見本をレイルに押し付ける。
「そうだったわ。悪魔さん、出て行ってちょうだい!」
「また駄目でしたか」
レイルは肩をすくめると、見本を受け取った。
「では先ほどの色で注文しておきますね」
そして懲りた様子もなく爽やかに微笑んで、部屋を出て行く。
ライラはちょっぴり落ち込んだ。もう少し見本を見ていたかったのに、自分で不意にしてしまった。
「外はこんなに彩で溢れているのね」
窓から外を眺め、惹かれる心を押さえこむ。
――ライラ姫、外に出てはいけない。災いを呼ぶぞ。
養父であったリカルド王の声を思い出す。
幼い頃から繰り返し受けた言葉は、ライラに呪いのように染み込んでいる。
「駄目よ、私は外には出ない。出られないの」
ライラのささやくような声が、ぽつりと部屋に落ちた。
◆
レイルは仕立屋と針子を連れて、意気揚々と王城の門へ向かった。
ライラの住まう塔は敷地の隅にあるので、出入りの商人は一度城まで送らないといけない。門前で、彼女達に声をかける。
「では、よろしく頼むよ」
「承知しました。腕によりをかけて、お作りしますわ」
三人の女は深々とお辞儀をして、興奮冷めやらぬ赤い頬のまま帰っていく。彼女達は一目でライラの美しさのとりこになったようだ。
「さて、戻るか」
レイルが馬車を振り返った時、ちょうど馬に乗った騎士が門から入ってくるところだった。
「これは陛下! いかがですか、姫君の件は」
明るい金髪を持った青年が馬を降り、レイルの前までやって来て膝を折る。あいさつを終えると、琥珀色の目を笑みにした。理知的な雰囲気のある伊達男だ。
「相変わらず頑なだよ、ステファン」
レイルは気安く返す。ステファンは幼い頃から共に育ち、今ではレイルの近侍をしている騎士だ。しかし、レイルが本来の身分――現王だという事実を隠すため、彼に成りすましている間は、お役御免となっている。
ステファンは忠義者なので、嘘でもレイルを部下扱いできない。おまけに演技がど下手なので仕方がないのだ。
「変に嘘などつかず、王だと名乗ればいいのでは? その辺の女なら、身分だけでころっといきますよ」
ステファンは軽口を叩いたが、レイルは首を横に振る。
「あの方は賢い。礼儀を示すかもしれないが、本音を隠してしまうかもしれない。それならば邪見にされているくらいが楽しい」
「はあ、陛下は変わってらっしゃいますね」
ステファンは理解できないと言いたげに、肩をすくめる。
「ライラ姫は、赤子の頃からリカルド王に養育されたせいで、すっかり嘘が真実だと信じきっているんだ。塔を出たくない理由はなんだと思う? 災いを外に出したくないからだそうだ。あんな優しい方をこんな目に遭わすなんて許せない。私は、あの男の血を引いていると思うだけで、血を入れ替えたくなる」
実の父親ながら、レイルはリカルド王を嫌悪している。
後継者がレイルしかいなかったから、王太子として傍に置いていたのだろうが、そうでなければ、戦で起きた事故で大怪我をした際、とっくに廃嫡されていただろう。親子の仲は完全に冷え切っていた。
ステファンも暗い顔になる。
「リカルド王の足跡は、いまだ掴めません。空を飛んで逃げたわけでもないですし、徒歩なら尚更遠くには逃げられないはずなのに。煙のように消えてしまいました」
「各地の災禍の塔は厳重に監視しろ。あの男のことだ、もし利用するなら、黒アゲハ族の捕虜だろう。本当はすぐにでも解放してやりたいのに、国民は嘘を信じきっているんだからな」
災禍の塔とは、災禍の民と呼ばれている黒アゲハ族を幽閉している塔だ。リカルド王があの国を攻め落として以来、アンバーガット国の各地に点在している。
「逃がすほうが危険とは、皮肉なものですよね」
不愉快な声音で、ステファンは呟いた。
近侍としてレイルの傍近くにいたので、彼は黒アゲハ族が災いを呼ぶのは嘘だと分かっているのだ。
「他にも高官から順に説得しなければな」
すでに動いているが、結果は芳しくない。レイルは溜息をついた。
「根付いた考えを改めるには時間がかかるもの。地道にまいりましょう、陛下」
「ああ、そうしよう」
ステファンの励ましに、レイルは頷いた。
「我が国の発展は彼らのお陰だ。おいおい状況を整えて、黒アゲハ族には元の小国にお戻りいただこうと思う。その後の支援は手厚く行うつもりだ」
ステファンは気遣いを込めて、レイルを見つめる。
「お姫様には、ご両親といつ再会させてさしあげるんです?」
「まだ無理だ。王族は特に魔力が強いから、周りが警戒する。それに、相手は王族だ。知識以外に興味がないような無垢な方々だから父上が制圧できたものの、もし王を中心に団結してかかられたら、我が国のほうが滅んでしまう。それは避けなくてはならない」
「ええ」
まるで息を吸うみたいに、難なく魔法を使うライラを思い浮かべて、レイルは暗澹たる気持ちになった。
アンバーガット国に住むトンボ族は、飛行と武術に長けるが、魔法は火の玉を撃ちあう程度の簡単なものしかできない。それに比べて黒アゲハ族は、魔力と知見に富む賢い民だ。王族ならば、一人で大魔法を扱える才を持つ。
リカルド王は、彼らを捕まえ、塔に閉じ込めた。塔は彼らの魔力を吸い取る仕掛けがあり、それは国中に張り巡らされ、アンバーガット国の繁栄を助けたのだ。
だが、そんな非人道的な真似を民が許すわけがない。そのため、リカルド王は嘘を吐いた。災いを呼ぶ民を、封印の塔に閉じ込めているのだ、と。そしてその噂のため、他国も警戒して、アンバーガット国を攻めてこなくなった。
戦いのさなか、塔から出された黒アゲハ族により、災いをもたらされることを恐れたのである。民は災禍を恐れながら、災禍に守られてきた。なんという皮肉だろうか。
「私も、最初は父上にだまされていた。だが、あの方の魔法で羽を取り戻した。それで気付いたのだ。彼らは悪しき者ではないと。彼らを助けられるなら、私にできることはなんでもするつもりだ」
「ええ、特に姫様を、ですね」
「茶化すな」
レイルは文句を言ったものの、ステファンの目は応援していると告げているので、悪い気はしない。
「では、私は塔に戻る。何か用があれば、護衛に連絡を」
「畏まりました」
ステファンのお辞儀に頷き、レイルは馬車へ乗り込む。
塔にいるライラのもとへ、早く戻りたい。
顔も知らないのに、レイルは彼女に恋焦がれてきた。最初はただ、恩人を助け出したい気持ちのほうが強かった。だが初めて会った時、一目で恋に落ちたのだ。
まるで黒曜石のような、美しく気高い佇まい。話をするうちに、彼女の知性と隠しきれていない優しい性格に、どんどん惹かれていくのを止められない。
ライラはレイルを追い出そうとするし素直ではないが、レイルにあっさりと礼を言ったりもする。わざと怖い顔をしているライラも可愛らしい。綺麗な顔立ちのために、黙っていると冷たく見えるのだが、ふと見せる純粋さや無邪気さは子犬みたいだ。
「あ、そういえば猫をプレゼントする約束をしていたな」
動き出した馬車の中で、どんな種類がいいだろうかと考えて、レイルは頬をほころばせる。きっとライラは驚いた顔をして、そして笑うだろう。その顔を見てみたい。