四章 レイルの過去と、ライラの羽化 1 レイルの過去
――五年前、南部の国境際で戦があった。
リカルド王の命令を受け、当時十九歳であったレイルは、軍を率いて敵軍と戦っていた。
アンバーガット国は勇猛さを誇りとする。十五歳の頃には、とっくに初陣を済ませていたレイルにとって、王宮をあけて兵とともにいるのは日常だった。
レイルはトンボ族の中でも飛ぶのが速く、空中戦では負け知らず。王太子の身ながら前線に出ていることもあって、兵にもしたわれていた。そのせいで、いつの間にか、おごっていたのかもしれない。
部下の危機を見過ごせずに前に出て、敵の魔法をくらってしまった。
他の部下のおかげで落下の衝撃で死なずに済んだものの、大怪我を負い、魔法の攻撃は羽を直撃し、見るも無残な羽に変わり果てた。
レイルの様子を聞き、リカルドはレイルを王宮に呼び戻した。
松葉杖をついてぼろぼろなありさまで現れた息子を、玉座で頬杖をついたリカルドは冷たく見下ろした。
「ずいぶん無様な格好だな、レイル。その羽では、もう飛べぬか。嘆かわしい」
トンボ族にとって、羽は誇りそのもの。飛べないトンボ族は恥なのだ。
しかし、戦で羽を失う者は多い。勇猛に戦った結果であり、前線に出た者は称賛される。今回の戦、部下が奮戦して、国境は守り通した。
レイルは直系の血をつぐ唯一の王子で、次の王となるため、すでに王太子に選ばれていたから、戦に出ず、政治に専念すればいい。
だから、父にはこう言ってもらえるのではないかと期待していた。
「よくやった、レイル。生きていてくれて、うれしい。今後は政務に専念するがよい。勇猛な騎士は我が国の誇りだ」
そんな夢は、一言でくだかれた。
あんまりな言葉に、何を言われたのか飲み込めず、しばし呆然と父親の顔を見つめたくらいだった。
「お前がいなくとも、遠縁を跡継ぎにするから構わぬ。離宮で養生するがよい。お前は王家の恥さらしだ。顔を見せるな」
大きな宝石がはまった人差し指が、追い払うようなしぐさをする。
「……失礼します、陛下」
レイルは礼をとって退室したが、心は荒波のようになっている。
王太子が廃位されるかもしれない。そのうわさはあっという間に王宮を駆け巡り、王宮の人々ははれものを扱うように遠巻きにし、ひそひそと悪言をかわす。
「レイル殿下はいずれ廃位されるようだ。王太子を解かれるとはな」
「見て、あの羽。なんてみっともないのでしょう」
「英雄もああなってはどうしようもないな」
王宮には悪意がひそんでいるのは知っていた。しかし、唯一の王子であったレイルは幼い頃から大事にされてきたので、こんな寒波にみまわれたのは初めてだった。
そもそも、羽がこうなってもっとも落ち込んでいるのはレイルだ。怪我もいえきらず、心はよどみ、レイルがかばった部下が土下座をして涙を流しても、何も思うことがない。
ほとほと嫌になったレイルは剣の稽古ができるまでに回復すると、リカルドに災禍の塔の警護につきたいと名乗り出た。
近づけば、災厄に見舞われる。黒アゲハの民が住まう塔の警護は、騎士にとって最悪の左遷場所だ。不名誉だろうが、王宮のわずらわしさからのがれ、静かにすごせるならなんでも良かった。それくらい自暴自棄になっていた。
どうしてかリカルドは、レイルが興味を示したことをしつこく疑った。災禍の民を逃がすのではないかと心配したようだが、レイルがやけになっているのだと気付くと、それを許した。
それから、レイルはライラの住む塔に、昼間だけ詰めていた。
塔の前に、槍を持って立っているだけ。
忌み嫌われる場所にわざわざ近づく者はいない。食事や衣類を運び込む侍女のメアリーとだけ、顔を合わせる程度だ。
この塔に住むのが黒アゲハ族の王女だと知ってはいたが、姿はまったく見えない。最初は不気味だった。どんな化け物だろうかと、想像をめぐらしていた。
だが、ある日、開けられた窓の向こうから、美しい歌声が聞こえてきた。
のびのびとした歌は、少しだけさみしさを含んでいる。それがまた心をゆさぶった。
災禍を呼ぶ、悪魔の歌声だろうか。
それで死んでも、別に構いはしなかった。王太子として築いてきたものが全て無駄になったレイルには、人生に希望がみいだせなかったのだ。
その日、とんでもない不幸が来ることを期待したのに、何も起きなかった。
不思議に思いながら、毎日、塔に通った。
次第に、歌を聞くのを待ちわびるようになった。
そして、気付いた。侍女のメアリーが短時間しか来ない日に、彼女は歌うのだ、と。さびしさをごまかすために歌を口ずさんでいるのだと悟るや、レイルはなぜだか涙が出てきた。
――さびしい。
そうだ。レイルは悲しくて、さびしいのだ。
あんな暴言を吐く男でも、レイルにとっては父親だ。
優しくしてもらいたかったし、がんばったとねぎらって欲しかった。
レイルは次代にふさわしい功績を積むことを期待され、前線に行かされていたのだと、ずっと思ってきた。だが最近の王宮のうわさで、王が優秀な王子にとってかわられるのを恐れ、王子を遠ざけていたのだと知った。
父親にまったく信頼されていないことが、羽がボロボロになったことよりもずっと痛かった。
レイルは勝手に彼女に共感して、歌になぐさめられていた。
そして夏から冬へと変わるにつれ、レイルは自分の変化に気付いた。
体調はすっかり回復し、盾を持つには厳しいといわれた左腕の怪我も元通りになった。それから何より驚いたのは、ボロボロの羽が少しずつ元通りになってきたことだ。
羽が自然に治癒することなどない。
失った羽の代わりに薄絹を貼って、見かけを整えるのがせいぜいだ。
災禍の塔に来たこと以外、思い当たることがなく。レイルに起きた奇跡は、災禍の王女のためではないかと疑いを抱いた。
ひとまず、羽を見せるのはしのびないと嘘をついて、羽を隠すようにマントを着ることにした。
それから、リカルドの目を盗み、ひそかに災禍の民について調べた。さいわい、まだ王太子の身なので、希少な本が多い書庫にも自由に出入りできる。
レイルが人目をさけているのは、すでに王宮の人々の知るところだったから、書庫に逃げているのだと思われただけで済んだ。
「もしや父上は、魔力の多い黒アゲハの民を、生きるエネルギー源として利用しているのか!」
その事実にぶち当たったレイルは衝撃を受けた。少しだけ残っていた父親への情がかき消えた瞬間でもあった。
あまりにも人道にそむいた行いだ。彼の血を引いていることに、吐き気を覚えた。とても受け入れがたい。生きている人間を閉じ込めて魔力を取り出し、国の生活向上に当てている、など。
レイルはまず、信頼できる仲間を作ることにした。
目をつけたのは、前線で常に共に戦った部下だ。レイルが大怪我を負う原因になった部下から、まずは引き込んだ。レイルに対して負い目を感じていた彼は――当時はまだクローブ伯爵の跡継ぎに過ぎなかったステファンは、羽が治癒しているという奇跡に涙した。
そしてレイルの腹心におさまり、レイルの野望を助けることを約束してくれた。
「殿下、良かった……。そういうことならば、このステファン。必ずや力になりましょう。姫君を助け出すため、ともにがんばりましょう」
レイルの野望は、塔に住む姫の救出だ。
そのために、いずれ廃位される王太子という立場は、皮肉にも好都合だった。
リカルドの警戒は薄れ、王宮でも誰もレイルに期待していない。いるのにいない存在として扱い、幽霊にでもなった気分だった。
四年半をかけ、現王をたおすための下準備をじっくりと慎重に進めた。途中で王太子の位を取り上げられた後も、離宮でひっそりと過ごしながら、水面下で味方作りにほんそうした。
新たな王太子は、かつてのレイルと同じように前線に追い払われ、権力を欲しいままにするリカルドは悪政をしいて、民から金や命をさくしゅした。
徐々に不満が満ちていく中、追われた元王太子を旗頭に、反乱を起こしたいと思う仲間は増えていった。
そしてようやく時が満ち、レイルは自らの力で王位を奪いとったのだ。