三章9 沈黙
レイルの回です。
ライラの体が光に包まれ、レイルはまぶしさに目を細めた。羽ばたいて空中で止まる。
「くっ」
光は細い糸へと変わり、しゅるしゅると伸び、ライラをくるんで繭を作り上げた。
そして、光がやむ。そこには真っ白な繭があった。小屋ほどの大きさをした立派なものだ。
「繭化か……」
光の正体が分かって、レイルはほっと胸をなでおろす。
繭化はちょっとした刺激で起きることがある。落下の衝撃で、繭化が起こったようだ。しばらく待てば、ライラの背に羽が生えて、自然と繭から出てくるだろう。
今は眠っているはずだが、ひと目でいいからライラの無事を確認したかった。だが、繭に手を出すのは禁忌だ。中途半端に羽化が終わると、命の危険もある。
深呼吸をして自身を落ち着けると、レイルは頭上をにらんだ。バルコニーから、ステファンがこちらへと飛び降りてきた。羽ばたいて、ふわりとレイルの前に着地し、膝をつく。
「シェーラ・ランドは捕縛しました」
「すぐにつながりを調べろ。手引きがなければ、あの箱入り娘には、ああして使用人の格好で近づくことなどできない」
「はっ、畏まりました。陛下、あの女の愚行を止められず、申し訳ありません」
深々と頭を下げるステファンの腕を、レイルは上へと引いた。ステファンが顔を上げる。
「刃物を持ち出さなかっただけマシだ。まさかあんな細腕で、女を抱え上げて外に落とすとはな」
「姫様への危害を警戒していましたから、部屋に入る前に、簡単にチェックしています。刃物を持っていれば分かります」
「しかし、部屋に食器があっただろう。お怪我がないと良いのだが……」
「繭化したのが幸いです。あの時だけは、怪我も病気も癒えますからね」
ステファンの言葉に、レイルは頷く。
この世界の種族は、生まれた時には羽を持たない。成人して羽化する時、魔力があふれ出して変容するのだ。羽化を生まれ変わりと呼ぶ者もいる。
手足を失うような大怪我をしていても、羽化すれば五体満足に戻る。病気で内臓が弱っていても、羽化すれば健康になる。
羽化した後に怪我や病気をするとどうにもならないが、羽化する前ならば健康を取り戻す望みがあった。
だからこそ、ライラの癒しの歌は特別なのだ。周りに知られれば、良からぬ者に狙われるかもしれない。塔に閉じ込められていたから被害がなかったのだろう。皮肉な話だ。
「私はここでライラ姫を見守っている。ステファンはあの女のことを調べろ。調査のためといえど、顔も見たくない」
ライラが許せと言うから温情をかけたのに、恩をあだで返す愚かさには腹が立つ。もう容赦しない。厳罰にかけるつもりだ。
「陛下、外は冷えます。どうか中にお戻りを」
ステファンの吐く息は白い。レイルは首を振る。
「断る」
「しかたありませんね。では外套と、ストーブをお持ちします」
レイルが言い出したら聞かないのは、従者をしていたステファンはよく分かっている。すぐにあきらめて、風邪を引かない対処を提案した。
「ああ、頼む」
レイルはそう返し、ステファンがお辞儀をして去っても、ライラのいる繭をじっと見つめていた。
*
ここは温かくて心地良い。
やわらかくて羽毛に包まれているようだ。
魔力が溶けて、新しい形を作っていく。背中に羽が生えて、ゆっくりと形作っていく。
ライラの視界には闇があり、光を追いかけると、塔の暖炉の前に出た。
リカルド王が気を付けろと言う。
「災いを呼ぶから、外に出てはいけない」
――ああ、確かにそうだった。お父様!
ライラの胸に悲しみが浮かび上がる。
「お前なんか、死んでしまえ!」
彼女の怒りの表情が、突き刺さってくる。
――塔から出たから。言い付けにそむいたから。私が悪い子だから……。
お父様、どうかここに来て、大丈夫だと言って。
生きているだけで、誰かを傷つけるトゲになんて、なりたくない。
ライラは膝を抱えて丸くなる。
――もう、こんな思いをしたくない。それならずっとここにいよう。
この繭の中は安全だ。
ここに閉じこもっていれば、きっと忘れてもらえる。
*
「陛下、いかがですか?」
朝食を運んできたステファンに、レイルは首を振る。
ライラが繭化してから、すでに一週間が経った。
レイルががんとしても動かないため、天幕が設置され、ベッドやテーブルや椅子まで運び込まれた。身なりを整えたり、謁見や会議など、どうしてもその場を離れなければいけない時だけ、ステファンやメアリー、ニコラに任せ、終わるなり急いで戻る。
「こんな生活を続けていては、陛下が倒れてしまいます」
そう言うステファンやライラの侍女達も、疲れで少しやせたようだ。
「姫様の無事を確認するまで、ここにいる。医者は大丈夫だと言うが、こんなに長く繭から出てこないなんて心配だ。やっぱりあの時、どこか怪我をされたんだ。あの女めっ」
「国賓の殺人未遂で、ランド公爵家は失墜。伯爵への降格の上に、領地は一部没収。彼女は、元敵国へ側室として嫁ぐことに決まりました。王家に姫はおりませんでしたが、彼女はいとこなので面目も立ちます。あちらで友好関係を築かなければ、彼女の身も危うい。こんな真似をしでかしたことを、一生悔やむでしょう」
にこやかな顔でステファンは冷たく言った。
国賓の殺人未遂なら、処刑されてもおかしくなかった。だが、ちょうど同盟の人質として親戚の姫を送りださねばならなかったので、シェーラに決めたのだ。何か問題が起きて事故死したとしても、まったく気にならない。そういう意味では、すっきりする人選だった。
「陛下のお怒りは分かりますが、処刑したとあっては、ライラ姫様の心の傷になりますよ」
「分かっていても、腹が立つのだからしかたがないだろう!」
「公爵家につながる手引き者は一掃しましたし、これで王宮には陛下の味方が増えました。意外な者まで引きずりだせたので、私としては怪我の功名ですね」
「あとは父上の隠れた味方を見つけて、追い払わなくてはな。――そういえば、父上の行方は何かつかめたか?」
レイルの問いに、ステファンは首を振る。
「いいえ。王宮を出た痕跡がないんですよ。しかし敷地内はくまなく探しましたからね……。上手いこと外に逃げたのでしょうか」
「父上は王宮を増改築していたからな。まだ城内にひそんでいても、驚かないが」
「しかし陛下がご存知の秘密通路にはいなかったのでしょう?」
「私が知らないだけかもしれん」
「引き続き捜索させます」
「ああ」
レイルはリカルド王を思い浮かべると、胸にどす黒いもやが浮かぶ。
あの冷酷な王でさえ、ライラには良き父だった。リカルド王を慕う様子には複雑な気持ちにさせられる。
リカルド王はレイルには冷たかった。ライラに向ける優しさの少しでもあれば、王位簒奪などしなかっただろう。
王太子として戦にも出ていたレイルだが、大怪我をして帰還した。羽がボロボロでみすぼらしくなったレイルを見て、リカルド王はなぐさめるどころか、王家の恥だから顔を見せるなと言ったのだ。
あの時、湧きあがったのは失望だった。この人とは一生合わないのだと、心に壁を築いた。歩み寄りも、理解も、全て無駄だとさとったのだ。
父に大事にされていたライラが少しだけうらやましくもあるし、親切にすることでライラを洗脳し、塔に閉じ込めることを正当化していた父にはへどが出る。
ときどき、全身の血を入れ替えたらどんなに楽だろうかと思うことがあった。ナイフを見つめ、馬鹿馬鹿しいと鞘にしまう。
これで自傷でもすれば、今度こそ廃嫡され、どこかの城に幽閉されるだけだ。そんな機会をくれてやる気はない。
あのすさんでいた時期に、ライラを知ったのだ。
(会いたい……!)
胸に湧き上がる衝動のままに、レイルは繭に近付く。
「ライラ姫、起きてください。どうか繭から出てきて、顔を見せてください!」
レイルの呼びかけに、ステファンやメアリー、ニコラも続く。
「陛下、ずっとお傍で待ってるんですよ。意地悪はやめて、出てきてくれませんか」
「そうですわよ、姫様。怖いことはもうありません。安心してください」
「姫様、元気になってくださいませ……」
ニコラなんて、涙目だ。寒い中でライラが風邪を引かないかと、右往左往していたのを思い出した。
だが、繭にはうかつには触れない。
その時、中からライラのか細い声がした。
「嘘よ」
「姫様!」
レイルはうれしさのあまり、繭に触りそうになって、慌てて立ち止まった。繭の中から、ライラが沈んだ声で言う。
「お父様の言う通りだった。私はずっとここにいるわ。もう外になんて出たくない。誰かの災いになんてなりたくないのよ」
「それは違います、姫。あなたは私にとって希望で、奇跡だったんです」
自分を悪だと決めつけているライラに、レイルはそうではないのだと、あの日のことを話し始めた。
体調不良でお休みしてました。四月中は仕事のほうで更新ゆっくりかと思いますが、マイペースに再開します。