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二章4 考えならば変えられる



 その日以来、ライラは乗馬にはまった。

 一日に一時間ほど、ステファンやレイルとともに乗馬の練習をする。

 三日もすると、ゆっくり歩かせる程度だが、一人でも乗れるようになった。

 王宮前の道で乗馬していたのを、王宮の馬場へと変える。柵で仕切られている馬場を、馬を歩かせてぐるぐると回っていた。

 今日も乗馬に付き合ってくれているレイルが、ライラを褒める。


「姫様、お上手ですよ」

「ありがとう。ああ、髪が鬱陶しいわ、やっぱり切ろうかしら」


 外出する時は、床まで届く髪の毛が邪魔なので、三つ編みにした上に折りたたんでリボンで巻いてとめていた。塔で暮らしている時は何も思わなかったが、魔力で髪を浮かすという行動を人前でとると、周りにおびえられる。それで自室以外では控えるようにしたら、髪がやたら重いのだ。


「駄目です! せっかく綺麗なのにもったいない!」

「メアリーと同じことを言うのね」

「その長さまで伸ばしているかたは、貴婦人でもそういませんよ。ですが、お好きで伸ばしているのでは?」


 レイルの問いに、ライラは首を振る。


「好き嫌いではないわ。髪には魔力が宿るから、お父様に切るなと言われていただけ。だから髪の手入れ用の香油や石鹸は良いものを使わせてくれていたわ」


 薔薇の香油が特にお気に入りだった。石鹸にも薔薇の精油を混ぜられていた。あの頃は花を見たことはなかったが、香りは好みだったのだ。

 思い返していると、レイルが静かなことに気付いた。顔を上げると、レイルは険しい表情で口を引き結んでいる。


「どうしたの?」

「そんな理由とは知らず、失礼しました。切ろうが伸ばそうが、姫様の好きになさればよろしいですよ。ただ、もし切るのでしたら、貴婦人はだいたい腰辺りまでは伸ばしますから、その辺までにしてください」


 そう告げるレイルの表情には、痛みがにじんでいる。

 ライラのことになると、彼はすぐにこんな顔をする。ライラはそのたびに困惑するのだ。レイルを傷つけたいわけではない。

 気付けば馬を止め、互いに向き合っている。


「レイル様が気にすることはないのに。だってあなたとお父様は同じ血筋でも、違う人間だわ」


 レイルの冬空のような目が、はっと見開かれる。

 その目が歪み、涙の膜が張った。嬉しさと悲しさが入り混じったような、複雑な笑みを作る。


「……ありがとうございます、姫様。その言葉に救われます」


 大袈裟だ。そう言いたかったが、左側に馬を寄せ、レイルはライラの左手を取った。


「父があなたから奪ったものを、私が全て――いえ、それ以上をきっとお返しします。一生をかけて、あなたに、あなたがたの国につぐないます。お約束します」


 真摯な言葉と眼差しに、ライラの胸はなんだか切なくなった。

 ――ライラに良くしてくれるのは、全てつぐないのために過ぎない。

 そんな当たり前の事実に、ようやく気が付いて、心を寒風が吹き抜けていく。

 少しは親しくなれたと思っていたのに、それは全部まやかしだった。

 だが、父親の罪を背負うレイルには、何を言っても重荷にしかならないだろう。ライラは胸に生まれた悲しみに蓋をして、できるだけ温かく微笑んだ。


「ありがとうございます、レイル様。でも、無理なさらないで」


 そして、ライラはそっと左手を取り返した。馬の腹を蹴り、ゆるく歩かせる。


(どうしてこんなに胸が痛いの? 私には分からない……)


 うつむき加減に考えていると、突然、目の前の地面に何かが飛んできた。

 ――ドッ

 にぶい音がして、スノウライトが前脚を上げた。


「えっ。きゃあああっ」


 いななき声に混じり、ライラの悲鳴が響く。

 何が起きたか分からないまま、必死に鞍にしがみつく。スノウライトは興奮して暴れている。

 今にも放り出されそうで、恐怖に身を固くした。


(もう駄目っ)


 手がしびれて外れそうになった時、ライラの背中にふわりと温かい感触がした。

 レイルがライラを抱きかかえるようにして右腕で支え、左手で手綱を引いてスノウライトを落ち着かせる。


「どうどう! 大丈夫だ、スノウライト。落ち着け。ほら、しーっ」


 レイルになだめられるうち、次第にスノウライトは落ち着き始める。そこへステファンが駆けつけ、馬首を押さえた。


「大丈夫ですか、姫様」

「レイル様っ、怖かった!」


 思わず、目の前のぬくもりに飛びついて、ぎゅっと抱き着く。


「う、わ、だ、大丈夫ですよ、ライラ姫様」


 なぜかレイルは焦った声を出したものの、ライラの背中をポンポンと優しく叩く。そうしながら、ステファンに鋭い声で問う。


「いったい何が原因だ? この馬は滅多なことでは暴れない」

「陛下、こちらが地面に刺さっておりました」


 ステファンが差し出した矢を見て、レイルはますます怖い顔になり、ライラは青ざめる。鋭い切っ先は、人を傷つけるのに充分なものだ。


「つ、つまり、私を殺そうと……?」


 目の前がくらくらしてきた。

 幼い頃から、義父に言われ続けていた。

 外に出てはいけない。災禍の民は殺される。


「私がお父様との約束を破って、外に出たから……。私が、災いを……」

「姫様!?」


 ぎょっとしたレイルの声を聞きながら、ライラはふっと気を失った。


     ◆


 目が覚めると、見慣れた天蓋があった。

 そこは塔の部屋だった。狭くて小さな、ライラの王国。

 塔を出て、色んなものを見て回った。あれは夢だったのだ。

 ライラはベッドを下りて、暖炉のほうへ行く。

 ぺたっと裸足で床に降りる。その手足がやけに小さいことに気付いた。そうだった、大人のライラは夢の世界の人間で、ライラはまだ子どもだ。

 リカルド王が火を見つめて立っていた。


「お父様!」


 ライラはリカルド王に飛びついた。

 たまにしか顔を見せない義父に会うのが、ライラの楽しみだったのだ。

 リカルド王はライラを抱きとめ、頭を撫でる。


「ライラ、私の可愛い娘。いいか、決して外に出てはいけない。でなければ、お前は国に災いを――」



     ◆


 はっと目を開けると、青い天蓋があった。

 レイルの顔が覗き込んだ。


「姫様、良かった。目が覚めたんですね!」


 ライラは混乱した。


(夢? あっちが夢? それともこちらが?)


 どちらか分からなくて怖くなる。どちらが夢なら良いのか。そんなの決まっている、こちらのほうが夢であるほうが良いのだ。そうであるべきだ。ライラが塔から出たって、誰も喜ばないのだから。


「姫?」


 だというのに、レイルが心配そうに、手の甲でライラの額を撫でると、こちらが現実だと分かって安心した。

 ――情けない。

 周りを思うなら、ライラは引っ込んでいるべきなのに。

 じわりと目に涙が浮かんで、レイルに背を向ける。


「……ごめんなさい」

「何を謝るんですか?」

「私、塔を出なければ良かった。ずっとあそこにいれば良かったの。そうすれば、私を怖いと思う人もいない。殺そうと思うほど、悪意を持たせることもなかった。私がいけないのよ」


 矢にひそんだ殺意を思い出すと、体が芯から凍りつくようだ。


「そんな、違いますわ、姫様!」


 メアリーがレイルの後ろから叫ぶように言った。


「姫様になんの非があるんですか。周りを気遣ってらっしゃるのは、メアリーはよく存じております。どんな理由があろうと、誰かを傷付けようとする者が、その考えが悪いのです!」

「メアリーの言う通りです、姫。私が傍についていながら、こんな目にあわせて申し訳ありません」


 レイルは悔しそうに謝った。そして、力強い調子で言う。


「しかし、考えならば変えられるのです、姫。姫の言う通りです。父は長い年月をかけて、この国に毒をしみこませました。あなたがたが悪だという呪いのような毒を! ですがこれは考えだ。私は、我が国の民は、心根は優しい者が多いと信じています。いつかきっと、彼らも分かってくれるはず」


 レイルの言葉に、ライラの心は動かされた。

 ライラは自分がもたらす影響ばかりを怖がっていたが、レイルはそれよりも深い愛で国民を見ているのだ。ライラがここで逃げてしまったら、アンバーガット国の人々が冷酷だと決めつけてしまうことになる。


「でも……私、怖いわ。誰かを傷つけたくないの」

「ええ、ええ。分かっております。あなたの優しさは、ここにいる三人が。私とメアリー、ステファンは分かっています」


 レイルがそう言うと、後ろからニコラが否定した。


「いいえ、陛下! 私も分かっております。四人です」


 ニコラの憤然とした物言いに、レイルの顔に笑みが浮かんだ。


「ああ、四人だ。こんなふうに、少しずつ、理解者を増やしていけばいい。時間をかけて、誤解を解いていきましょう。私はその助けになりたい」


 そう言うと、レイルは肩を落とす。


「本来ならば、我が国の民で解決すべきことなのに。申し訳ありません」

「でも、この圧倒的な不利の状況で、レイル様は変えようとしている。動いているものを動かすのは簡単だけれど、止まっているものを動かすのは難しい」


 ライラはゆっくりと起き上がり、レイルのほうを向いた。


「最初に始めるのは、勇気がいる。あなたはそんな素晴らしいことをしようとしているのよね」


 正直言えば、ライラは怖い。

 だが、彼らが差し出してくれる心まで、否定したくなかった。


「私も勇気を出すことにします、レイル様。始めたのはあなただけど、私にも手伝わせて」

「姫様……」


 唖然としたようなレイルの顔が、次第にやんわりと緩んでいく。


「当然のことなのに。ですがそう言っていただけて、私がどれだけ嬉しいか」


 ライラはそーっとレイルの右手を両手で包む。


「私の国は負けた側です。だというのに、こうして私の国のことを考えてくださって、こちらこそお礼を言うべきでしょう。ありがとうございます、レイル様。あなたは私にやたら低い態度をなさいますけど、私は対等でありたいの。協力者として、共にがんばりましょう」


 そしてライラは苦笑する。


「まあ、生活の全般を世話になっていて、対等も何もありませんけど」

「いいえ! そんなことはありません。あなたがそう望むなら、これ以降は、私と姫様は対等ということにします」

「ありがとう」


 希望を聞いてくれたのが嬉しくて、ライラは微笑み返す。

 するとレイルの頬に赤みが差した。複雑そうに、頬をかきながらぼそりと呟く。


「……しかし私は、色々と負けているんですがね」

「え?」


 よく聞き取れなくて、聞き返すと、レイルはなんでもないと首を振った。




 それからしばらく談笑しながら、ライラは温かいお茶を飲んだ。

 メアリーが着替えさせてくれたようで、いつの間にか絹のネグリジェを着ていたが、肩から温かなショールで上半身を覆っているので気まずさはない。


「そういえば、あの矢の犯人は……?」


 しばらくしてから思い出し、恐る恐る問う。話を蒸し返すみたいで気が引けたが、気になったのだ。


「取り逃がしました。しかし、城の勤め人でしょう。でなければ、こうも簡単に逃げられません。犯人が捕まるまで、乗馬は控えましょう」

「ええっ、でも、そんなことをしたら、私が怖気づいたと示しているようなものだわ」


 頑張ると決めたのだから、ライラは負けを認めたなんて思われたくない。不満をあらわにするライラに、レイルは悪戯っぽく笑い返す。


「いえ、戦略的撤退ですよ、姫」

「どういうこと?」


 僅かに前のめりになって、ライラは問う。


「元気だと示せば、神経を逆なでするかもしれません。しかし、ここで怖がって部屋に引きこもったと思われたとしたら、相手も少しは納得するはず。実際は、お部屋で楽しく過ごせばよろしい。後日、単に乗馬に飽きただけだと公言すれば……?」


「私のわがままに過ぎなかったと、相手ががっくりするわけね! それは良いわね」


 間の抜けた顔を想像して、ライラはにまりと笑う。

 見事な案だと、レイルの斜め後ろに控えているメアリーとニコラが拍手した。


「ですが、今日は精神的なショックで倒れられたのですから、安静にお過ごしください。また夕食時にまいりますね」

「ええ、分かったわ」


 公務で忙しいのに、ずっと傍にいてくれたらしい。レイルの優しさに、ライラは無意識に微笑みを浮かべていた。




 ストックがあるのはここまでです。

 

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