人を呪わば穴二つ
──あなたに呪いをかけましょう。
貴方と二人で遊んだ幼い頃の、秘密の言葉。きっともう、貴方は憶えていない。
***
幼い王子は、庭園で独りうずくまっていた。彼はこの国の次の王となるべく、朝から晩までのほぼ全てを勉学に費やしている。
勿論、幼い王子は頑張った。王たる父、王妃たる母の期待に応えようと家庭教師の授業に必死で食らいついた。けれど王は、もっと頑張りなさいと言ったのだ。
幼い王子は、それをどうしても褒められていると受け取ることができなかった。
「ひっう、うぅ……っ」
静かな庭園の隅で、幼い王子は王家特有の紫の瞳を涙で濡らす。
静まり返っているその庭園は、冬の庭園と呼ばれている。この王宮には四季の庭園があり、季節ごとに使用する庭園を変えていくのだ。
今は春。この冬の庭園には誰も来ないだろうと思って、幼い王子はここに逃げ込んだ。
だから、ガサリと音がした時、幼い王子は思わず心臓が止まりそうになるくらいに驚いたのだ。
「っだれ」
幼い王子が振り返る。視線の先にいたのは、どこかの令嬢らしき艶やかな明るい茶色の髪の女の子。驚いたように青い瞳を真ん丸にしていて、あどけない表情をしていた。
ありふれた色を持つ少女は、視線を左右させて、それから変なことを口にした。
「わたしはふゆのまじょです」
「ふゆの、まじょ?」
童話に書かれるような、魔女。幼い王子はすぐにそれが嘘だとわかった。そんなものが現実にいるはずがないから。
「そうです、ふゆのまじょです」
だから、真面目に言い切る少女の姿に、思わず涙が引っ込んだ。
「なんでここにいるんだ」
「まよい……えっと、ないている子がいるからです」
迷い込んだと言いかけて、それからすぐに言い直す。どうやら泣いていた所を見られていたらしかった。
そのことに恥ずかしくなった幼い王子は、むっと唇を尖らせた。
「魔女がぼくに何の用だ」
「きまっています。呪いをかけるのです」
良い感情を見せない王子に臆した様子もなく、少女は王子に近寄った。
「貴方に呪いをかけましょう。貴方はいやなことでもちゃんとこなさなければなりません」
頭を撫でられ、王子の金の髪がさらさらと揺れる。
少女は幼い王子に向かい合って、唇の前に人差し指を立てて微笑んだ。
「みんなにはないしょです」
幼い王子は、なんとなく馬鹿にされたような気がした。けれど、満足げに笑う少女がとても楽しげで。
思わず少女の発言に合わせた返事をしてしまった。
「魔女のせいでいやなこともやらなくちゃいけなくなったじゃないか」
「まじょの呪いは強力なのです」
得意げに笑う少女を横目に、幼い王子は立ち上がった。思えばそこで少女を家族の元へ送るなり、人を呼ぶなりすればよかったのに、幼い王子は魔女の呪いのせいで嫌なこと──勉強をしなければならない気がしたのだ。
そのまま、振り返らずに幼い王子は自室へと歩んだ。
それから幼い王子は幾度か家庭教師の目をかいくぐって授業を抜け出し、時折少女に見つかっては呪いをかけられて仕方なく戻るということを繰り返した。
見つかった日は魔女に呪いをかけられたから仕方ない、と思いながら嫌いなことをやったりしたし、少女がいなかった日でも呪いのせいと思いながら勉強をこなしていった。
少女の名前すらも聞いていないことに気が付くのは、少女が幼い王子の前に現れなくなってからのことだった。
***
幼い頃の戯れだったと今でも懐かしむ。それに乗っかってた自分も恥ずかしいが、なんと夢見がちな少女だろうと思う。
けれど、少女の言うことに救われた面もあった。周囲の期待は幼い王子にはとても重く、同じ年頃の子供は親に愛されて育っている。愛を感じなかったわけではないが、それよりも王と王子という立場の方が強く感じられていたように思う。
魔女に呪いをかけられたからこうなってしまったのだと、自分のせいではないのだと、思えたことが王子にとっては数少ない小さな救いとなったのだ。
……だからあの時の少女と同じ色彩をした男爵令嬢を好きになったのも、魔女の呪いかもしれないと王子はくすりと笑った。
もしくは、男爵令嬢があの少女であればいいと思っているのかもしれない。
この恋は諦めなければいけない。王子には既に婚約者がいた。くすんだ茶色い髪の、かすれた青い瞳を持つ令嬢と婚約を交わしている。既に話は公になっていて、理由もなしに取り消せるわけじゃない。
だから諦めなきゃいけないのに、王子の恋心は育まれていった。
「冬の魔女、僕に呪いをかけてくれないか」
そうしたらこの恋すらも諦められるのにと、幼い頃の戯れに縋った王子は歪な笑みを浮かべた。
***
「貴女との婚約は破棄させてもらう。彼女に振るった仕打ちの数々は此方が把握している。中には殺人未遂ととられてもおかしくない物があることも確認済みだ」
広間で声を荒げ、怒りに染まった王子が叫ぶ。その王子に身を寄せるようにして、愛らしい令嬢が悲痛そうに顔を歪めてとある令嬢を見ていた。その目は、よくよく見れば笑っているように見える。
「貴女が私にあんなことをしたなんて、信じられないんです。でも、証拠がいっぱいあって…」
「君は何も言わなくて良い。大丈夫だ」
果たして、これは何の茶番だろうかと向かいに立つ令嬢は思った。
確かに自身の婚約者たる王子に、たかだか男爵令嬢が気安く話しかけるなといった内容のことを言ったこともある。けれどそれは貴族社会において当然のことで、その当然のことも出来ていないのを注意しただけだ。
階段から突き飛ばしたりなんてしたことはないし、記憶を探っても自分が一人で行動したこともない。
「私には何のことかわかりません」
「まだしらばっくれるか! 彼女を地下に連れて行け!」
地下なんてそれはあんまりですと男爵令嬢が言う。その唇は酷くゆがんでいて、明らかに笑みを堪えている。
そう見えるのは私の気のせいかと思うほど、王子は彼女に心を砕いているようだ。
王子の婚約者として、いずれ王妃となる者として、ずっと頑張ってきた。
嫌なことも辛いことも誰にも言わずに、頑張ってきた。けれど、それも否定されてしまった。
「私はずっと、頑張ってきました」
「おい、さっさと連れて行け! あいつの話など聞きたくもない!」
嗚呼、頑張ってきたのに。自分に呪いと称して言い聞かせてまで、頑張ってきたのに。
「──貴方に呪いをかけましょう」
「──────、」
絶句する王子の気配が、背後でした。
***
──貴方に呪いをかけましょう。
魔女の呪いに縋った二人のお話。
その道が交わることは、もうない。
この後のことは考えていません。
呪いに縛られる物語を書きたかっただけです……()