虹、あるいは浮遊する音楽 §6 |〈孤狼の領域〉|
§6
次の日の夕食後のことだ。
食堂棟を出て、普段なら夜道を足早に、まっすぐ寮舎である5号棟に戻るところだったが、今日は途中でエンマから耳打ちされた。
「このまま真っすぐ進んでください。寄る場所があります」
5号棟の脇は素通りし、7号棟の角で左に曲がる。
照明の届かないくらい建物の陰で、数人の少女たちが固まってひそめきあっているのが見えた。
――あといくつ?
――あぁ、これがいいわ
――ほかの味はないの?
よく見ると、地面に座った一人の少女を囲んで、次々に話しかけている。
エンマは中央の少女のほうを示して再びささやいた。
「魅羅の夜市です。〈領域A〉の機密情報の中でも第一級の極秘情報」
「ミラ?」
「はい、魅羅さんです。7号棟の一止魅羅さん。
ここの店の店主の」
ゾエは、だれかが手にしたペンライトの明かりを頼りに店主と言われた少女のほうを眺めてみた。
制服をかなり着崩し、胸元まで届く黒髪は、長さを変えて真っすぐに切りそろえている。
細面の顔立ちに、吊り上がった目つき。
「でも、」とゾエは首を傾げた。
「売れる物なんてここで手に入るものかしら」
「どうなんでしょうね。
ま、その気になれば抜け道はあるってことでしょう」
〈領域A〉でこっそりと商売品を仕入れる方法についてゾエは考えを巡らせてみた。
方法があるとすれば、支給品の横流しか、こっそり外から持ち込まれた品の買い取りといったところか。
もしくは、ここに出入りしている業者のどれかと魅羅という店主が密かに通じているのか。
エンマはずかずかと少女たちの間に割って入り、魅羅の前に屈み込んだ。
「ペッパーポットはいつ借りられますか?
来週の金曜までにぜったい必要なんです」
次にエンマが口にしたのは、大手情報通信企業が販売している立体映像通信機器の商品名だった。
「そんなに急に仰られましても、もう来週は予約でいっぱいでしてよ」
魅羅は渋るようすだったが、エンマが頼み込むとどうにか貸し出しは約束してくれた。
しかし貸してくれるといったのは、保存期限前日の1月19日木曜日午前1時間と、当日の1月20日金曜日夜1時間の、合わせてたった2時間だけだった。
ゾエは通信機器を借りると聞いて、芹那にメールで連絡が取れるかもしれないと淡い期待を抱いたが、その案はすぐにあきらめた。
通信記録からゾエたちのしていることが〈領域A〉に漏れるのはすごく困る。
それに、2日以内に芹那がメールに気づいて返信をくれるとは思えなかったし、店の不祥事を従業員だった芹那が迷惑に感じているとしたらゾエとはもうかかわりたがっていない可能性だってあった。
魅羅が示した対価の量にゾエとエンマは顔を見合わせた。
ペッパーポットの2時間貸し出し料は、未使用のノート5冊(BM社社用ノート、BMS女子教導所支給品)に、書簡箋10帖(実習訓練のいくつかで成果により報奨品として供与される)。
貨幣の使用が許されず、物の売買も表向きは禁じられている〈領域A〉で、来週の水曜までの間に、二人はこれだけの物を集めなくてはならないのだ。