虹、あるいは浮遊する音楽 §3-2 |〈孤狼の領域〉|
§3-2
しばらくお互いについて話をした後、ゾエは先週の「体育活動」時間中の行動についてエンマに尋ねてみた。
エンマは思い当たったようすでうなずくと、隠したがるそぶりも見せずにあっさりと答えた。
「あの場合、どんなペースで走るのが自分にとって最高に効率的か計算で割り出せないか試していたんです」
ゾエは思いもよらないエンマの返答に少しばかり絶句した。
首を傾げて考え込み、でも、と異論を口にする。
「単純に全力疾走をすれば、いちばん走る時間が短くて済むじゃないの?」
「えぇっ……」
エンマは急に呆れ顔になったかと思うと、声を潜めて続けた。
「ゾエさんっていつもそんな考えでここの訓練を受けてるんですか。
忠告しますが、単純に全力を出しきるというのは、ここではいいことだと限らないんですよ」
語尾のほうでは叱りつける口調になっていた。
どうやら穏和そうな見た目はこの少女の性格そのままではないらしい。
ひそひそ話の理由は、〈領域A〉の中は常にさまざまな監視網が働いているからで、入所者どうしの休憩時間のおしゃべりの最中だとて気を抜くわけにはいかなかった。
エンマは自分の肩をとんとん叩くと、いっそう小さな声で言った。
「短距離走も長距離走も、5号棟入所者のこれまでの平均タイムは、事前に知らされていたでしょう。
だったら、平均よりほんの少し遅いタイムでゴールできるよう、走る速さを調節したほうが、全力を出すよりずっと効率的だとは思いませんか」
「でも、平均より遅かったら、周りより足が遅いやつだと思われるじゃない。
あたしだったら、そんなの、いや」
「そこじゃないんですよ。この〈領域A〉で大事なのは。
周りより優れた存在だと思われて、自分に利があるかどうか、ですね」
ゾエはまじまじとエンマの顔を見つめた。
「だから、目立ちもせず叱られもしないタイムで走るために、あらかじめ走るべき速度を計算してたっていうのね」
エンマはいかにも得意げににんまり笑い、それにね、と付け加えた。
「体力と気力はなるべく消耗しなくて済むように工夫するのが効率的、というものじゃないですか。
いつだって全力勝負なーんてご勘弁ですよ、優等生じゃあるまいし」
「……わかってきた。
学科の訓練で自分から質問することが多いのは、講師のほうから質問されて返答に悩むのを避けるためね?
運動だけじゃなくて学科の訓練でも同じことしてるってわけ」
「しいっ。……そのほうが効率的、なら。
言っときますけど、真似する気なら、無料はないですから」
ゾエはつんと顔を逸らして言った。
「しないわ。
それに結局、計算なんてしなくても、常々60%の出力で平均以上の結果が出せるのが真に優れた人ってものじゃないかしら」
「なれやしないものははじめからめざさないことにしてるんですよ」
「とにかく、あなたのやり方はわかったわ。
真似するつもりはないけど、参考にはなった」
それに、エンマが運動場で必死になってしていたことが何だったのかもわかった。