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吾輩は猫でもある

作者: 倉本保志

皆様、ご無沙汰しております。少し仕事が忙しくて、ついでにお盆に親戚が来たりして、日常に埋没しておりました。ようやく、自分の時間が少しもてるようになったので、投稿することにいたしました。

暫くのブランクは、近似的な表現や、作品のストーリー、文体などから、決別できるというメリットもあるのかと思っています。初心に帰った気持ちで、新たな視点から小説にチャレンジしたいと思っています。・・・っちゅうわけで、三島云々、倉本保志の新作短編、ここに投稿いたします。

吾輩は猫でもある


吾輩は、作家である。いや、自称作家というべきだろうか・・? とある地方新聞のコラムや、殆どの人が、図書館・公共機関などで、目にするも、おそらくはその中身を、わざわざ見たりしないような、チラシやパンフレット、そういうものの、小さなスペースに、記事をたまに書いている。

当然、その収入だけでは食っていけないので、近くの小さなスーパーマーケットで、品出し レジ打ち 商品管理、その他の雑用一切を行う、いわゆる店長という仕事を、定職としてもち、かれこれ その仕事も10年ほど続けていたりする。

ごくごく簡単な自己紹介を、まじめに聞いていただけたなら、吾輩が人間・ヒトであるということは、自明、瞭然のことだと理解いただけるであろうが・・・実は・・・・吾輩は猫でもある・・・・

もし、ここで、吾輩は、時折 まるで、猫のようである・・・と書いたのなら、それを読んた多くの方が、幾許かの共感なり、また別のある種の感情を、なんら、違和感を持つことなくスムーズに抱かれるのではないかと思うが、そういった比喩を使っているわけではない。

つまり、事実上の、猫、物理学的というか、生物学的というか、実存主義的に(あ、これは違う・・・)あのなじみの深い動物、幼児でさえ、ときに親近感をもち、その鳴きまねをしたりして、近くの大人たちを和ませたりする、ときに、発情期などに夜中、オドロオドロしい声で鳴き、古来、妖怪の仲間として、庶民に、広く、その名を馳せたりしている、例の生き物・・・

吾輩はあの・・猫でもあるのだ。

つまり吾輩は、自分の意志とは別に、日常の生活空間の中で、時折、猫に変化する。

それが、自宅でのんびりと昼寝をしているときなどは、なに不都合が生じるわけではないのだが、それが、人前にいるとき、何より店長として、スーパで仕事をしているときに、その事態が生じてしまうと、現場はかなり深刻な状況に逼迫してしまう。

幸い、吾輩が、猫に変化するその瞬間を見られたことはなく、どうにか、クビは、繋がっているのだが、店員たちからは、雲隠れ という、どうにも情けない渾名を頂戴することに、なってしまった。

そのくせ・・・といってはなんだが、私が猫の姿で、仕方なく店の裏をうろうろしていると、女子社員・パートたちが 「にゃんこちゃん~」などと、まさに猫なで声を発して、私に近づいて来ては、賞味期限の切れた、ちくわや、はんぺん、かまぼこなどいわゆる練り物の類を、私に食べさせようと躍起になる。

当然私は、それを拒絶するのだが、向こうとしても、ある意味自分勝手な義務・責任感を感じたりするのか・・(私を、ノラ猫と思っているので、)なんとか、その廃棄物を食べさせようと、わが身を預けるように、無造作な、体位・しぐさで猫の私に、ぐいぐいと迫ってくるのだ。

そんなとき、吾輩は、鬼気迫る、恐怖に似た感情を、化粧品の濃い臭いとともに感じてしまい、何ともやりきれない気持ちで、仕方なくとぼとぼと、その場を立ち去っていくことになるのだ。

吾輩は猫でもある・・・

しかし、こうして書くと、頭のいい読み手の方は、私が本物の猫でないことに

忽ちに気付かれたであろう・・

そう、頭の中、思考回路は、 私が猫である時でさえ、やはり本来の人格、人間、ヒトなのである。

吾輩は、たまにこう考えるときがある。自分が猫である時はいっそのこと 猫の思考に変化してくれたのなら、そして、その時の記憶の一切が、人間である吾輩のなかに、残留することがなかっとしたら・・それはそれで、吾輩は ある意味幸運なのかも知れない・・・と。

なぜなら吾輩は、猫に変化し、その場から忽然と姿を消し、あるいは音信不通となる、という、この難解な事象について、それを、雲隠れならぬ、神隠しだということを、堂々と、嘘偽りなく、その自明の意識の中で、スーパーの店員、新聞社の編集者、その他諸々の人たちに、訴えることができるはずだからである。

もし、そうなれば、あの賞味期限の切れた、廃棄物を、なんの躊躇もなく、かわいらしく ニャアと鳴いたりして女子店員のまえで、彼女たちのまさに意に沿うような形で、食することも、全く厭わないはずなのである。

・・・・・・・・

そうなると、今現在の状況よりは、幾分ストレスも解消できるかもしれない。

また別の類のややこしい問題が噴出してくることも、一応考えられるのではあるが、人権問題にことさら注視するようになってきた、今の社会は、漫然とその状態の自分を、すんなりと受け入れてくれたりもするような気がして、とにかく、今の状態よりは、少しは 心労が改善される・・・そんな風にも、勝手ながら思ったりするのである。

・・・・・・・・

ふと机の上の小さな手鏡を見る。

そうこう言っているうちに、私はまた、猫に変化してしまったようだ。

今、私は、自分の書斎にいて、書き物をしていた。よって、さほどの不都合は生じて

いない、いや、そうはいっても猫のときは当然ながら、筆が進まないだろうと、わが身を心配して下さる方もおられると思うが、実際は、原稿はパソコンで打っているので、猫の手でもなんとか、仕事ができるのだ。

「あ、そうか・・・」

私は思わず、声を出した。そうそう、言い忘れていたが、私は猫である時も何不自由なく、言葉がしゃべれる。

そのため、スーパーで、ついうっかり正体がばれそうになってしまったことがあった。

女子店員が、私に餌を差し出してきたとき、不意に、彼女の・・・が見えてしまったのだ。

「おっ・・花柄」

その子は、身震いし、目をまるくして、辺りをキョロキョロと何度も見まわしたが、ほかに誰もいないことを確信すると、おそらく幻聴であったのだと、自分に言い聞かせているようだった。

話を元に戻そう・・・「あ、そうか・・」と思わず声をあげたのは、つまりこういうことだ。

もし、自分が、もの書き、作家だけで、飯が食っていけたのなら、今の苦境は大きく変化する。私が、生きていく上での不都合が、かなりのウエイトで解消するのではないのだろうか・・?

もし、それができるのならば、スーパーでの、ある意味、綱渡りのような逼迫し

た緊張感から逃れられる。(なにより、廃棄物の処理をしなくて済む。)

「なんだ、そういうことか、ハハハハ・・・ハハ・・・・・」

・・・・・・・・・・・・・・・

私の、一瞬希望を掴みえたかのような、高らかな笑いは、やがて欝蒼とした、失意のもとに佇む孤独な中年の、力無いそれへと変わっていた。

言葉で言うほど、それは簡単なことではない。

「それができる位なら・・・」

私は次の言葉を、敢えて口に出すのをやめた。

作家なんて職業は、そんなに甘い世界ではない。最近の芥川賞デビュー作家が辿る末路(この表現は、さすがにちょっと言い過ぎか・・?)というものが、はたしてどんなものか・・・それだけでは、十分に物書きとして生計を立てて、いけるものではないということが、たとえ、その方面の従事者でなかったとしても、容易に推測できたりするものである。

・・・いや、だからといって、今の状況に甘んじるのも、はたしてどうか。

いずれ、自分が猫に変化することがばれてしまうかもしれない。そうなったときの女子社員達に、合わす顔がない、特に彼女・・・あの女子社員においては、あの事件を、うまく整理して、承諾してもらう自信が、私にはない。

またひとつ、悩みが増えてしまったような気がする・・・

ああ、私の、この憂鬱なる悩みを、せめて一人でいいから、分かち合える人がこの世にいたなら、どんなにこの心が救われることだろう・・

・・・・・・・・

ずいぶんセンチメンタルになってしまった。気持ちをなんとか切り替えたい、そう、そんなときは、この目の前のパソコンで小説を書くに限るのだ。

今書いているのは、「解決、猫星人」 子供向けの雑誌に投稿しようと頑張っている。

主人公は、猫の星からやってきた猫星人、地球の猫の余りの境遇のひどさに発奮し、地球の猫(とりわけノラ猫)たちを救う物語だ。

なんでわざわざ、猫なのか・・・と疑問に思う方もおられるかも知れない。

できるなら、猫 というフレーズに触れずに生活したいはずでは・・?

実際、私が、猫に変化するようになってしまった当初は、やはりそうであった。

しかし、そういった状況(猫と人を交互に変化していくような奇特な状況)に暫くわが身を委ねていると、なんだか、猫についても、少しづつ親近感がわくようになってしまい、それまで、何度投稿しても、振るわなかった成績が、もしかしたら、改善されるのでは・・? つまり、通常の人間よりは、幾許か猫に近いモノになっているわけだから、猫もの・・を書けば、純粋の人間が書くよりかは、よりシュールで、リアルなものが書ける気がしたのだ。 

そう、そんな、浅はかな気持ちからである。

先ほどの、落ち込んだ気持ちはウソではないが、すでに私は、ある意味次のステップへ進みつつあるのかも知れない。

いままでの私の境遇に対する、ストレス、憂鬱、それらを払しょくするような新たな、チャレンジを始めているのかも知れない。

ネガテイブ思考は、小説を書いているときにだけは、私の前に立ちはだかることは、これまで一度もなかった。

私には、やはり、これしかない。

いずれこれ一本で食っていけるように、何年かかろうが、地道に頑張ろう・・・

・・・・・・・・・・・

ふと、目の前にある小さな鏡を見る。

おっと、また人間の吾輩に戻ったようだ。今日はスーパーの棚卸、閉店後にもう一度、出勤しなければならない。

そろそろ、準備をして、でかけるとしよう。


                  おわり



まあ、ウオーミングアップ程度に書いたものです。ほとんどの方がその題名を知る、文豪 夏目漱石先生の小説の題をちょっといじってみようと・・・ただそれだけの発想です。ただそれだけの発想から、書いた小説です。深みはありませんが、さらっと気楽に読むには、いいのではないかと思います。

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