ヴァルハラの光輝(2)
コリドールのドックは、無重力状態になっていた。管制官の指示に従って、ラリッサはファフニルを接舷する。固定が完了するのと同時に、作業員たちが一斉に取り付いてきた。
「補給はどうします?」
「ファフニルは機械部品がてんこ盛りで大食いなんだ。燃料満タンでお願いね」
「了解。請求書はワルプルギスに送っておく」
ドックにいるのは、大部分が男性だった。ということは、魔女でもワルキューレでもない。ここでは機械の操作や力仕事が中心になる。魔術のような特殊すぎる技能は、むしろやり過ぎで不要だった。
ラリッサはファフニルに対して施される作業の監督をしなければならない。コリドールに開示出来ない部分の点検については、ディノの方で担当する。二人とも余計なおしゃべりをする暇もないくらいに忙しそうに動き回っていた。
「じゃあ、報告にいってくる」
「失礼のないようにな」
「サクラヅカさんとトンランさんもついてきてね。くれぐれもはぐれないように」
ヴァルハラへの報告は、ファフニルの船長でもあるエイラの仕事だった。フミオはエイラに従って、コリドールの地を踏み締めた。金属製の、硬質な床材だ。磁力靴があれば、カチンと音を立てて静止出来る。首からカメラを提げたフミオを、コリドールの住民たちが物珍し気に眺めてきた。
「あそこの通路から重力区画に入るから、つまずかないでね」
エイラの言う通り、狭い回廊に侵入すると不意に身体が重くなった。ワルプルギスでは重力がある方が当たり前なので、宇宙にいるという実感があまり得られなかった。コリドールでは空船のメンテナンスに都合が良いということで、ドック周りのみ重力制御士の影響範囲から外されているとのことだった。
「コリドールは基本的に実利優先だから」
遊び心がない、ということか。飾り気のない綺麗な長方形の廊下に、等間隔で並んだ扉を見てフミオは納得した。歩哨に立つワルキューレたちの姿も、どことなく厳つくて物々しい。コリドールとは人類の上にあって、それを導くワルキューレの居城だ。母星から離れながらも、そこと同じ暮らしを求めたワルプルギスとは根本から異なっていた。
「写真はマズいかなぁ」
フミオとしては、ここの風景そのままを母星の人間たちに届けたかった。言葉では、どんなに尽くしても正確には伝えきれないところがある。特にこのコリドールのピリピリとした雰囲気は、フミオの祖国であるヤポニアでは微妙に共感が得られ難いかもしれなかった。
「後で巫女に訊いてみるんだね」
このコリドールの主であり、ワルキューレの最大派閥ヴァルハラのリーダーが巫女だ。『魔女の真祖』の遺志を継ぎ、母星とそこに住まう人類全てに対する導き手となる。古い文献にその呼称を見ることは出来たが、魔女たちにとってはまだ謎多き存在だった。
「巫女って、どんな人なんですか?」
トンランの質問に、エイラはふーむと腕を組んで考え込んだ。フミオとトンランは、以前魔女との和平のために母星の中立国を訪れた巫女の姿を見たことがあった。美しいプラチナブロンドの、小柄な女性であったことは覚えている。その時はワルキューレたちの護衛が厳しくて、近くに寄るどころかまともな写真さえ撮ることが出来なかった。ベストショットを他の国の特派員に奪われて、フミオはヤポニア新報の編集長にどやされたりもした。今回はその雪辱戦だ。是非ともその実態に迫っておきたかった。
「あたしも仕事の話以外はほとんどしないからさぁ」
エイラは戦闘士の業務の都合上、何度となく巫女と対話していた。ワルキューレとやむなく交戦した場合は、必ずヴァルハラにて報告をおこなうこと。これは魔女とワルキューレの間で交わされた、重要な約束事だった。そしてそれを忠実に履行するために、ファフニルは月に二、三度はコリドールまでやってきていた。
「とりあえず今の代の巫女は、襲名してから五年目ってことぐらいかな。それが若手なのかベテランなのかもわかんないよ」
以前フミオが遠目で見た限りでは、巫女はまだまだ年若い女性という印象を受けた。国際航空迎撃センターの迎撃司令官と同じだとすれば、巫女の任期もそれほど長くはないと予想される。その辺りの話を聞くことも出来れば、面白い記事が書けそうだった。
フミオが頭の中でインタビューの質問事項をまとめていると、エイラが足を止めた。もう結構な時間、コリドールの内部を歩き続けていた。周りの風景が変化しないので、位置の感覚は今一つ掴めていない。ただ、相当な深部にまで到達しているのは確かだった。
「ほら、着いたよ。失礼のないように」
ディノがいれば、「それをエイラが言うのか」とツッコんだところだろう。他とは違うと一目で判る大きな観音開きの扉の両脇には、ワルキューレの番兵が無表情で直立していた。
「ワルプルギスの戦闘士エイラ・リバード、ヒパニスでの制圧作戦の報告に参りました。それからこちらはヤポニア新報の新聞記者と、その護衛です」
「姓名を述べよ」
扉の奥から声が響いてきて、フミオはびっくりして飛び上がった。衛兵たちは正面を向いたままだ。トンランと目を合わせると、早くしろ、という感じで顎をしゃくってきた。フミオは小さく咳払いをした。
「ヤポニア新報特派員、フミオ・サクラヅカです」
「その護衛を務める、ワルプルギスの防御士トンラン・マイ・リンです。本日はお招きいただきまして、誠にありがとうございます」
ああ、そう応えれば良いのか。フミオがぼんやりとそう考えている内に、扉が重々しく開き始めた。トンランの表情が、「しっかりしてください」と語っている。そうは言われても、フミオにはこういう畏まった場だけはどうにも慣れなかった。
そんな二人にはお構いなしに、エイラはさっさと部屋の中に入っていった。眩しい光で満たされた広い室内には、大きなテーブルとそれを囲む立派な椅子が並べて置かれていた。
中でも一番奥に据えられている一脚には、一際豪華な印象を受ける。そこに腰を下ろしている女性が、優しい笑顔を浮かべて首を傾けた。
その隣では気難しい顔をしたワルキューレが、一心不乱に手元にある書類に何かを書き付けていた。ペンを持ったワルキューレはほんの瞬き程度の間だけ手を止めて、エイラたち三人を睨めつけてきた。が、それは自分の仕事とは関係ないとばかりに、再び書き物の作業に没頭し始めてしまった。
「ようこそ。お疲れ様です、ワルプルギスの皆さま」
呆気にとられていたフミオとトンランに向かって、大きな椅子に座った女性――巫女はころころと愉快そうに声をあげて笑った。エイラはそんなやり取りには興味を示さず、さっさと最寄りの席に陣取った。若い、というよりもむしろ年端もいかぬ少女のような巫女の姿に、フミオは完全に毒気を抜かれてしまった。
「……なるほど、一通りの事情は了解いたしました」
エイラの報告を受けて、巫女はそう応じた。真っ直ぐで腰にまで届く金色の髪。鋭くて、それでいて穏やかな意志を感じさせる深紅の瞳。若いとは思っていたが、ひょっとするとトンランよりも年下なのではなかろうか。いやしかし、ワルプルギスにもクゥ・ワン・タオとかいう若作りの化け物がいる。それと比較してしまうのは失礼千万とは百も承知で、間近で見る巫女の御姿はフミオには意外すぎるものだった。
意外といえば、エイラの報告がしっかりしたものであったことも驚きだった。ファフニルにいる間は、適当な服装でぐぅぐぅ寝転がっているだけだったのに。これでもワルプルギスの戦闘士であり、厳しい試験を受けて選考されたエリートだ。ヴァルハラの巫女と対峙しても何一つ物怖じすることなどなく、堂々としたものだった。
「リントヴルムからの報告はどうなっているか?」
巫女が声を発すると、書記官がようやく顔を上げた。どうやら念話でワルキューレ側の報告を聞きつつ、書類に起こしていたらしい。数枚を手に取ってざっと流して読み、それから「ふむ」と鼻を鳴らした。
「報告事象と一致します。リントヴルム内で治療及び簡易的な尋問をおこなった結果、爆弾の製造とテロリストへの販売を認めております」
「そうですか」
返事は、どことなく愁いを帯びていた。ワルキューレたちが、徒に人類を傷つける行為に加担している。それは本来、ワルキューレたちが望むところではなかった。これからのワルキューレは、国際同盟の存在を認めた母星の上で活動していくことになる。ワルキューレの手によるこういった犯罪は、例外なく許す訳にはいかなかった。
「それから、行動を共にしていた児童三名の恩赦を求めております」
「ああ、それについてはこちらからもお願いしたい」
すかさず、エイラが話に割り込んだ。書記官が不機嫌そうに眉を寄せる。ワルキューレの事情に首を突っ込むなとでも言いたいのだろうが、その点に関してはフミオも気になっていた。
かつてのワルプルギスであれば、ワルキューレの子供に対する教育プログラムの不備から、大人と変わらない監獄衛星への収監が実施されていた。それがお互いに悲劇しか生み出さないということは、フミオには痛いほどに判っている。ワルキューレを罰する機関がヴァルハラになったことで、それは少しでも改善されたのか。フミオの視線に気が付くと、巫女はやれやれと肩を落とした。
「サクラヅカ氏の心配は杞憂というものです。我々がイスナ・アシャラの件から何も学んでいないとでもお思いですか?」
助けを求めるものを、見捨てることはしない。人間でも、魔女でも。ワルキューレであったとしても。それが例え、誰であってもだ。ヴァルハラの巫女はそのことを確認するために、過日ワルプルギスとの会談を設けたのだ。
「まずはコリドールにて落ち着くのを待って、それから彼女たち自身とどうしていくのかを相談いたします。大きな罪に問うことは致しません。今までと同じ。それでよろしいですね?」
エイラは満足げにうなずいた。
子供たちにとって、ワルキューレというイデオロギーはまだ十分に理解しきれるものではないことが多い。まずは、今までの保護者が逮捕されることで受けたショックから癒えるのを待つ。それからゆっくりと時間をかけて、彼女たちが望む未来を実現出来る支援を考えていく。当人たちに自由な選択肢が与えられるやり方を、今はワルキューレと魔女が協力して模索している真っ最中だった。
「ワルキューレに対する考え方、というのはなかなかに払拭出来ないものですね」
誰にという訳でもなくそう発言すると、巫女は眼を閉じて黙考した。本来、ワルキューレは魔女よりもずっと人間に近く寄り添って生きてきた者のはずだった。それが今や、得体の知れない恐怖の代名詞のような存在に成り下がってしまった。
人が自らの意志を持って立ち上がろうとする時代においては、これまでのようなやり方では通用しないのか。世界が変わろうとしている事実を、巫女はその身をもって感じ取っていた。
エイラがファフニルに戻ってくると、燃料の補給と全体の整備が一通り終わったところだった。後は操縦士のラリッサが回復すれば、いつでも出発可能だ。当のラリッサは、マナを回復するためと言ってたらふく食事を取って、すやすやと仮眠ベッドで横になっているところだった。
「おかえり。あの二人は?」
ディノはエイラの防護服を広げて、何やら調整作業をおこなっていた。抗魔術加工が出回ってからは、こういった装甲が活躍する場面が増えてきた。軽量かつ頑丈な防弾素材の開発は、戦闘士にとっては文字通り死活問題だ。痛んだ部分はすぐに劣化して脆くなるので、こまめなメンテナンスは必須事項だった。
「巫女にインタビュー中。長くなりそうだから、終わったら向こうさんに送ってもらうことにしたよ」
あのガツガツとした記者は、自分の番となると猛烈にやる気を発揮した。普段余計なことは何一つ口にしない書記官がキレて文句を言ったのだから、相当なものだ。一方巫女にしてみれば、ヴァルハラやワルキューレについて理解してもらう良い機会だ。コリドール内の施設を撮影がてら案内するという話になったので、エイラはそそくさとその場から退散してきた。
「護衛の子ってあれかな、付き合ってんのかな?」
「さぁなぁ。でも昔デイリーワルプルギスで読んだ感じだと、あの記者さん、ヤポニア出身の星を追う者に惚れてるんじゃなかったっけ?」
先の極大期でも大活躍だった、確か名前は――サトミ・フジサキだ。そもそもフミオが最初にワルプルギスにやってきたのも、サトミに取材をするためだった。当のサトミは、新人星を追う者として忙しくて色恋どころではない。極大期を終えた今だって、訓練に次ぐ訓練で毎日飛び回っているはずだった。
「まあでも……防御士の子の方がずっと一緒にいるんだから、情は移るか」
ディノの見たところ、フミオとトンランの距離感は護衛とその対象というものではなかった。もう一歩踏み込んで、お互いのことを完全に信頼している。付き合っていないとしても、それに準じる関係であることは間違いなかった。男女といえば常に恋愛、とは限らない。そこには色々な形があるだろう。「ふぅーん」とエイラは体全体でハテナマークを表現した。
「おーい、ワルプルギスの戦闘士、戻っているか?」
外から声がかけられて、エイラは何だ、と顔を出した。数名のワルキューレたちが集まって、手招きしている。あの白銀の外套は、執行者だ。まさかどこぞのジャーナリストの問題児が、立ち入り禁止区域に足を踏み入れたとかは言い出さないよな。
これ以上の面倒は勘弁してほしいと願いながら、エイラはファフニルから降り立った。寝ぼけたラリッサが、もぐもぐと毛布を噛んでいる。エイラもそろそろ美味いものでも食べて、落ち着きたいと思っているところだった。