変わりゆく世界(5)
マルグスタンの天候は雪だった。この地方は冬季になると、記録的な豪雪に見舞われることがある。空港の職員があちこちで雪かきの作業をおこなっているのが見えた。着陸している空船の大部分には、既に雪が降り積もっていた。
「空船公社によると、一般の便は全て欠航だって。それで足止め食らっちゃったのかな」
空港の管制と通信しながら、ラリッサはファフニルの着陸準備を開始した。リントヴルムは上空で待機している。ワルキューレたちは、わざわざ寒い思いをするつもりはないということだ。ラリッサの方も、可能な限り滞在時間は短くしたい所存だった。
「滑走路の除雪作業が追い付かないから、着陸スペースが確保出来ないみたい」
「じゃあどうするんだよ?」
ファフニルがいかに小型船とはいえ、安定した着地をおこなうのにはある程度の平地が必要だった。柔らかい雪の中にずっぽりと嵌ってしまえば、発進時にも大きな負荷になる。小さなホウキ一本で飛ぶのとは違って、空船は様々な環境的要因の影響を受けやすかった。
「直接飛び乗るから、後部ハッチを開けろ。だってさ」
「正気か?」
そうしろというからには仕方がない。ラリッサはハッチを解放した。ディノが船室の方に移動すると、エイラが毛布にくるまって「どしぇー」と奇声を発していた。横殴りの雪が、船内に大量に吹き込んできている。ついさっき、エイラがびしょびしょに濡らしたのを掃除したところだったのに。なんとも迷惑千万な客人だ。
空港の建物から、一人の魔女が飛び立つのが判った。良く見ると、後ろにもう一人乗せている。二人乗りだ。エイラがヒュウッと口笛を吹いた。この天気の中、なかなかやるじゃないか。
少しもぶれることなく、ホウキは真っ直ぐにファフニルに到達した。そういえば、客人の一人は防御士だと聞いている。それも超一流ということだから、こんな雪程度ではなんてことはないのかもしれなかった。
二人が船内に入ったのを確認すると、ラリッサは急いでハッチを閉めた。一人で全部をやりくりしている関係上、船内環境にまでは今一つ気が回らない。合流した防御士にも、ファフニルにいる間はたっぷりと協力してもらいたかった。
「ご迷惑をおかけいたします」
ホウキをしまうと、国際航空迎撃センターの制服を着た若い魔女は踵をくっつけて敬礼した。くるくると縮れた髪に、雪の結晶が付着している。南国風の日焼けした肌に、琥珀色の瞳はエキゾチックな魅力を醸し出していた。
「国際航空迎撃センター所属、トンラン・マイ・リンです。任務に同行させていただき、感謝します」
「ああ、仕事は一段落したところだから。気にしないで」
毛布に巻かれたまま、エイラが小さく手を振った。一応この部隊の責任者は、戦闘士であるエイラだ。それがこんなんで良いのだろうか。ディノがエイラを睨み付けたところで、トンランの後ろからもう一人が顔を出した。
「ヤポニア新報のフミオ・サクラヅカです。えーっと、ここって撮影はしても良いものなんでしょうかね?」
ハンチングからコートから、何もかもが雪まみれの男だった。それでも手にしているカメラだけは、ぴかぴかと光っている。細身だし、どちらかといえばひ弱そうな印象を受ける。それなのに、男からは奇妙な逞しさが感じられた。心なしか、眼力も強い気がする。新聞記者というのは、そういうものなのだろうか。
フミオがファインダーを覗き込んだので、ディノは慌ててそれを制した。
「船内の撮影は禁止です。ここには戦闘士の機密が満載なんですから」
それ以上に、こんなに散らかっていては恥ずかしくてそれどころではなかった。エイラが脱ぎ捨てた下着や使用済みのタオルが、剥き出しのまま放置されている。あれほど仕舞っておけと口を酸っぱくして注意しておいたのに。
「ほら、ダメだって言ったじゃないですか」
「戦闘士の戦闘艇なんて、なかなか乗る機会がないんだけどなぁ」
それならせめて、もうちょっと格好がつく時にしてもらいたい。エイラはずっと毛布を取らないでいるが、まさか服を着ていないなんてことはあり得るだろうか。ディノの不安などどこ吹く風で、エイラはばさっ、と毛布を翻させた。
最初に肌色が目について、ディノは真っ蒼になった。しかし、流石のエイラもそこまで恥知らずではなかったようだ。半袖のシャツに、短パンというラフな格好だった。ほっとするのと同時に、戦闘士してはどうなんだという疑問がディノの脳裏をよぎった。
「ファフニルにようこそ、『ブリアレオス』の英雄たち!」
トンラン・マイ・リンにフミオ・サクラヅカと言えば、三年前の『ブリアレオス』事件の功労者だ。トンランはヤポニア政府から勲章まで授与されている。そんな英雄を相手に、こんな出迎えで良かったのだろうか。ディノはいよいよ胃がキリキリと痛み出してくる気がした。
フミオとトンランの乗船を終えると、ファフニルはリントヴルムと合流し、母星の大気圏から離脱した。船内はラリッサの制御で無重力状態になった。トンランが船体の防御壁と気密を担当することになったので、ラリッサの負担はぐんと減った。後は遅れずにリントヴルムに追従すれば良い。気楽な旅路だった。
リントヴルムの目的地は、ヴァルハラの本拠地である宇宙要塞、コリドールだ。ワルプルギスと同様に、母星を囲む輪の中に建造されている。その存在を魔女たちが知ったのは、つい最近のことだった。
「コリドールまで飛んでくれる空船をチャーターしてたんですけど、直前でモメてしまって」
フミオは民間のジャーナリストとして初めて、コリドールでの取材を敢行する予定となっていた。そのためにヴァルハラの巫女とは連絡が付けられても、肝心のコリドールまでの足の確保が問題だった。
コリドールはワルプルギスと違い、頻繁に移動してその座標が変化する。正確にコリドールに辿り着くためには、一般の空船に頼っていてはまず無理だった。ヴァルハラに通じるワルキューレの助力が不可欠だ。フミオは色々なルートで粘り強く交渉を続けて、ようやくなんとかなりそうだ、というところまで漕ぎつけたのだが。
「護衛の同行に難色を示されてしまいましてね」
フミオの護衛をしているのは、国際航空迎撃センターに所属する防御士のトンランだ。ワルプルギスの魔女をワルキューレの船に乗せて、コリドールまで連れていくというのはいくらなんでも請け負えない。足元を見られて吹っ掛けられて、結局マルグスタンくんだりまできて決裂となってしまった。
「フミオさんを一人でなんて行かせられる訳がないでしょう。危なっかしいったらないんだから」
最初にワルプルギスを訪れた時から、トンランはフミオ専属の護衛となっていた。一度フミオがヤポニアに帰国した後、ワルプルギスに再上陸した際にはフミオの方からトンランを指名したとのことだ。『ブリアレオス』事件での目覚ましい活躍を評価して……というよりは、もうちょっと俗な理由によるものだというのが、ワルプルギスの魔女たちの間ではもっぱらの噂だった。
「そんな時、丁度ワルキューレを連行中の戦闘士がいると聞いたんだ。正しく渡りに船だったよ」
コリドール側は、トンランの同行を特には問題視していなかった。ネックとなるのは足だけだ。そこに良いタイミングでファフニルが仕事でコリドールに向かうというのだから、利用しない手はない。土壇場でのギリギリの判断の末、フミオはようやくの思いでコリドールに辿り着ける運びとなった。
「戦闘士は、ワルキューレを拘束したらコリドールまで必ず一緒に行くんですか?」
「拘束状況を説明する義務が課せられているからね。勝手にとっ捕まえて、監獄衛星にブチ込むのはナシってことだ」
フミオの質問に、ディノがすらすらと答えた。その隣では、エイラが舟を漕いでいる。実戦の後で疲れているのは判るが、この後は巫女に報告をしなければならないのだ。もう少し頑張って起きていてもらいたい。
魔女がワルキューレと共存を進めていく上で、戦闘士によるワルキューレの鎮圧は重要な議題となった。ヴァルハラとしても、害悪としかならない行為に手を染めたワルキューレに対しては、罰を与える必要があるとは認識している。戦闘士は優れた戦力として確立されており、これを用いて一部のワルキューレの暴走を食い止めることは有効であると判断された。
その代わり、戦闘士の運用には数多くの条件が付けられることになった。まず、戦闘士によるワルキューレ鎮圧作戦が実行される際には、事前にヴァルハラとの情報共有をおこなうこと。次に、戦闘行為によってワルキューレを拘束した場合には、その護送はワルキューレたちによって人道的に実施されること。そして最後に、作戦完了後には速やかにヴァルハラに対して直接状況の報告がなされること、だ。
魔女がワルキューレを不当に扱ってきたという歴史を鑑みれば、この要求は至極当然のものだとも考えられた。国際航空迎撃センターと、その上位組織である国際同盟はヴァルハラの提案を承認した。それでワルキューレによる犯罪が僅かでも減少するなら、安いものだった。
そしてワルキューレ側はその代価として、ヴァルハラの情報をワルプルギスの魔女や国際同盟に対して公開していくと約束した。実際に、戦闘士たちはコリドールに出入りして作戦の報告をおこなっている。国際同盟の調査団も何回か派遣されており、その実情が常任理事会を通じて報告されていた。
「で、民間のジャーナリストとしては俺が最初にコリドールへの立ち入りを認められたんだけどな」
フミオは『ブリアレオス』事件において、その背後にあった様々な過去を記事として公開してきた。ヤポニアの親魔女の世論の形成や、マチャイオ紛争の解決への入り口を作った功績も認められている。ヴァルハラはそんなフミオに、取材の許可を出してきた。ワルキューレの真実を伝える担い手として、フミオを選んだのだ。
「それにしちゃ塩対応だよね。来れるものなら来てみろ、みたいな」
トンランの言う通りだ。そして恐らくはこの段階から、フミオはヴァルハラによってその力量を試されていた。
ワルキューレは自らが認めた者だけを導く、厳しい存在だ。フミオは招かれたからといって、無条件に巫女の前に立てる訳ではない。ありとあらゆる手段を使うことで、何としてでもコリドールに到達しなければならないのだ。そうでなければ、ヴァルハラの取材など毛頭させるつもりはない。これはフミオに与えられた、ヴァルハラからの試練だった。
「はぁーい、みなさーん。そのコリドールが見えてきましたよー」
操縦席から、ラリッサが間の抜けた声をかけてきた。カメラを手にすると、フミオは勢いよく立ち上がって、そのまま天井に頭をぶつけそうになった。無重力慣れしていない人間は、これだから。トンランが素早くフミオの腕を握って、バランスを取った。
「ほら、焦らない」
「すまん」
良いコンビネーションだ。トンランに引かれて、フミオは操縦席に向かった。やけに静かだと思ったら、エイラは完全に眠りこけてしまっていた。コリドールまではまだ少し間があるし、寝かせてあげた方が良いだろう。ベッドスペースに固定だけしておいて、ディノもフミオたちの後に続いた。
「写真撮りたいなぁ」
「リントヴルムに問い合わせました。ファフニル入港時の角度からであれば、外観の撮影は許可出来るそうです」
「ありがたい」
フミオが早速シャッターを切り始めた。コリドールの写真はまだあまり出回っていない。その正体も含めて、母星では知られていないことの多い謎めいた存在だ。
普段は光学迷彩を使っており、肉眼では観測することは不可能となっている。こうやって空船が入港する間だけ、一時的に姿を現してくれる。ワルプルギスのパトロールによって、目視出来ない異常な重力場として稀に報告されていた事象が、このコリドールであると目されていた。
ワルプルギスは虚空に浮かぶ岩塊に、街そのものが構築されていた。それに比べればコリドールはもっと無機質で、無骨な構造をしている。いくつもの銀色の回廊が、複雑怪奇に絡み合ったような形状だ。草木や大地の色を見て取ることは出来ない。構成している全てのものが人工物であり、あらゆる計算がされ尽くした直線と曲線によって幾何学的な意匠を作り上げている。
「あれが――コリドール」
トンランがそう呟いて、息を飲んだ。魔女たちにとっても、このワルキューレの本拠地はまだまだ未知の領域だった。その内部には、大勢のワルキューレたちがひしめき合っている。まるで、凶悪な殺人蜂の巣の中に飛び込んでいくみたいな感覚だ。トンランは無意識の内に、フミオの手を強く握っていた。
「コリドールより入港許可が下りました。ファフニル、入港します」
ぽっかりと開いた黒い穴の中に、ファフニルが吸い込まれていく。その船影が完全に消えたところで、コリドール全体が霞んで姿をくらませてしまった。
後には、無音の宇宙だけが広がっていた。
第1章 変わりゆく世界 -了-