変わりゆく世界(4)
砦の外に出ると、エイラは大きく深呼吸をした。母星の大気は、マナを大量に含んでいて心地好い。ワルプルギスの環境もだいぶ完成されてきてはいるが、やはり本家にはどう足掻いても敵わなかった。『この星を母となし、母星と呼ぶ』とは、良く言ったものだ。
ついさっきまでは無人で静まり返っていた砦の前は、忙しく走り回るワルキューレたちで騒然としていた。大きな輸送用の空船が着陸している。確か、リントヴルムだったか。こんな大型輸送艦クラスの、それも空船公社にしっかりと船籍登録されているような船がヴァルハラの持ち物だったとは。国際同盟の監視体制というのも、存外あてにはならない。
仲が悪いとはいっても、魔女とワルキューレはもともと根は共通の『魔女の真祖』から派生した存在だった。母星なくしては生きていけないという事情も変わらない。空船の利用に関しても、同じだといえる。
病人運搬用の浮遊ストレッチャーに載せられて、砦の中から爆弾製造犯たちが運び出されてきた。彼女たちとエイラの間にだって、違いなんて何もなかった。ワルプルギスに所属して魔女となったか――この生きにくい土地に産まれて苦しみに抗うワルキューレとなったか。
それだけのことだった。
「戦闘士のお姉ちゃん」
足元から声をかけられて、エイラは目線をそちらに移した。小さな女の子、モラが黒いヘルメットを両手で持って差し出していた。その後ろに立つヴァルハラの執行者が、困ったみたいな表情を浮かべている。エイラはその場に膝を付くと、モラからヘルメットを受け取って小脇に抱えた。
「ありがとう。これを失くしたら怒られるところだった」
モラが、えへへ、と笑った。冗談めかした台詞だったが、実際のところディノはカンカンだろう。エイラは素早くヘルメットの内側にある通信機のスイッチを切った。これ以上余計な言質を取られるのは拙い。作戦は無事完了したのだから、お説教なんてノーサンキューだ。
「約束通り、誰も殺さなかったよ。君も一緒にあの船に乗るんだ」
モラの頭を、エイラは優しく撫でた。こんなことに巻き込まれて、子供たちが一番の被害者だ。爆弾製造犯たちは、子供に犯罪行為を強制したり、虐待をおこなっている様子はなかった。そこだけは、唯一この件で良かったことだ。この子たちの今後は、ヴァルハラなりワルプルギスなりがしっかりと考えてくれるはずだった。
「お姉ちゃんは、どうするの?」
「ん? お姉ちゃんも、あっちの小さい船でついていくよ。また後で会えるからね」
丁度、ファフニルが降下してくるところだった。リントヴルムに比べれば、踏み潰されて木っ端微塵にでもされてしまいそうな小型艇だ。定員数十名の大型輸送艦とでは、比較する方が間違っているだろう。
「じゃあね」と手を振って、エイラはモラと別れた。執行者に促されて、モラはリントヴルムに向かって歩き始める。他の子供たちが走ってきて、モラを囲んでおしゃべりをしだした。振り返ってその姿を遠目に眺めて、エイラは満足した。
「小さい船で悪うござんしたね!」
頭の中に、念話の声が飛び込んできた。ラリッサだ。耳ざとく聞いていたらしい。実に面倒臭い。エイラはファフニルの操縦席を見上げた。
「空船で重要なのは大きさじゃない。作戦遂行能力だ。あたしはファフニルをこの上なく高く評価しているよ」
「そいつはどうも。もたもたしているとタイムオーバーで厄介なことになります。さっさと移動しましょう」
そうだった。ヒパニスの政府に申請している作戦所要時間は、夜明けまでとなっていた。ワルプルギスの戦闘士やヴァルハラの執行者が、自国の領内で無制限にウロウロすることを許可するような酔狂な国はない。それに、国際的なテロ組織で活用されている高性能爆弾の製造者を捕縛しているのだ。引き渡しや尋問を要求される前に、さっさと退散しておくに越したことはなかった。
後部ハッチが開くのを確認すると、エイラはファフニルに乗り込んだ。リントヴルムも、そろそろ拘束したワルキューレたちの収容が完了する頃合いだった。さて、装備を外して一休みしようと思ったが――
「エイラ、どうして作戦行動中にヘルメットを取ったんだ」
ファフニルの船内では、ディノが鬼の形相で待ち構えていた。
「あー、ほら、小さい子供にあのヘルメットはちょっと威圧感がありすぎるかなぁ、って」
「抗魔術加工を機関銃で浴びせられたんだろう? 跳弾が頭に当たったらどうするんだ!」
あれは確かに危なかった。数年前に極北連邦で開発された抗魔術加工は、最早テロリストたち御用達の必須装備と化していた。イスナ・アシャラとその一派が、極北連邦のタカ派の馬鹿どもから騙し取ったのが可愛く思えてくる。今はワルキューレ信奉国内での抵抗運動向けに、国際同盟からの闇ルートが存在しているらしい。それが母星のどこまで拡散しているのかは、誰にも把握できていない状態だった。
「あたしはディノの技術を信じてるからさ」
エイラが着込んでいる防護服は、ワルプルギスで開発されたものをディノがエイラ用に独自に改修していた。防御壁なしでも、銃弾数発くらいではびくともしない。装甲としての頑丈さ以外にも防御や補助など、着用者を生かすための仕掛けが満載だ。
それを一部とはいえ投げ捨てたのだから、ディノが怒る気持ちも判らないでもなかった。ヘルメットを拾ってきてくれたモラに、エイラは心の中で心底感謝した。これがなかったら、この更に倍以上の怒りを買っていたことだろう。くわばらくわばら。
「防護服はともかく、エイラに何かあったら意味がない。本当に無傷なんだな?」
「大丈夫だよ。見て確認する?」
そう言うが早いが、エイラは手甲を腕から外してみせた。銃弾が当たったところがへこんだり、塗料が剥げたりしているが目立った異常はない。それに守られていた腕の方も、綺麗なものだ。ディノはエイラの手を取ると、あちこちから眺め回した。
ディノの金髪が、すぐ近くで蠢いている。ディノの青い瞳と金色の髪が、エイラはとても羨ましかった。ディノはエイラと同い年のニ十歳だが、エイラの方が背が高くて頭一つ分は身長差があった。並んで歩いていると、どっちが男なのか女なのか判らないとまで言われる。大きなお世話だ。自分が女らしくないとは、エイラは重々承知していた。
「ほら、大丈夫でしょ? 窮屈だし、みんな取っちゃうから好きなだけ確認しなよ」
防護服は大部分が重い金属製なので、着ているだけで疲労が激しかった。今日の荒事は終わったのだ。エイラはさっさと楽な服装になりたかった。
汗もかいたことだし、ざっとシャワーも浴びてしまいたい。この小さなファフニルにも、簡易シャワー室くらいは備え付けられていた。もしそれがなかったならば、一切の遠慮も躊躇もなく、あっちのリントヴルムにまで借りにいっていただろう。
「ちょ、エイラ、ここで全部脱ぐな!」
「ん? ああ、ごめん。気にしないで」
すっかり下着姿になってから、エイラは悪びれもせずにそう言い放った。戦闘士の訓練生時代は、周りはみんな魔女で女性だからそういうのを意識したことがなかった。ワルプルギスに於いては、華やかな星を追う者たちに比べれば戦闘士なんてのはむさくるしいばかりの集団だ。むしろディノみたいな反応は新鮮で、エイラには愉快にすら感じられた。
「とりあえずシャワー浴びてきて……それから自己申告でいいから、痛むところとかがあったら教えてくれ。改善案を検討する」
「了解」
ディノが顔を背けたのをいいことに、エイラは下着まで脱ぎ捨ててシャワーユニットに入っていった。散らかしっぱなしの惨状を見渡して、ディノはふぅと溜め息を吐いた。エイラと組んで一年ちょい経つが、相変わらずの奔放っぷりだ。出会ったばかりの頃と、何一つ変わらない。
「あちらさんの準備が終わったみたいだから、そろそろ動くよ」
操縦席にいるラリッサが声をかけてきた。後部ハッチは閉じてあるし、飛行準備は完了している。シャワーからはエイラの鼻歌が流れてきていた。あっちは、放っておいても平気だろう。無重力に切り替わることがあれば、それだけが問題だ。
「直接宇宙に上がるって話だっけ?」
「ううん。まずはヒパニスの国境を越えて、マルグスタンの空港に向かうんだってさ」
ディノは操縦席への扉を開けると、外の光景を確認した。リントヴルムが上昇を開始している。その左右に、ホウキに跨ったワルキューレが二人随伴しているのが見えた。
「ディノ君も、いい加減慣れれば良いのに」
ラリッサが、ディノの顔を見上げて意地悪く微笑んだ。続けて、ファフニルもゆっくりと地面から離れる。ワルキューレが一人減速して接近してくると、ついてくるようにとハンドサインを送ってきた。ラリッサは念話も交わしているのだろう。すぐに加速をかけて、ファフニルをリントヴルムのすぐ後方につけた。
「無茶言わないでくれ」
ラリッサならとにかく、エイラが相手では勝手が違った。エイラはまだ新人とはいえ優秀な戦闘士であり、ディノの相棒だ。エイラを極力死なせないようにするというのが、補佐役であるディノの仕事だった。
それが、あっさりと敵地のど真ん中でヘルメットを取ってしまったりする。こんなことは、これが初めてではなかった。エイラはやることなすこと、常にディノの想像の遥か上方を飛び越えていってしまう。エイラに何かがあれば、全責任はディノに降りかかってくるのだ。もう残された対策としては――防護服の装着後に、接合部に鍵でもかけておくしかない。
「戦闘士の戦術補佐として、毎日気苦労が絶えなくて困ってるよ。おまけに普段からあんなんで、一体どうしろっていうんだ」
「んー、お姉ちゃん的にはファフニルの中でだったら、ある程度の不祥事は見逃してあげてもいいけど?」
「なんだそりゃ? そういうのはないよ。ただちょっとでいいから、恥じらいぐらいは持ってほしいってだけだ」
ラリッサは、ディノの実の姉だった。弟と同じ眩しい金髪に、アイスブルーの瞳。それが地平線の向こうに顔を出し始めた朝日に照らされて、きらきらときらめいた。
「タイムアップだ。ぎりぎり国境線を抜けた。お疲れ様」
リントヴルムとファフニルは、ヒパニスの領空から脱した。そのまま空船公社の規定に従った航路に沿って、より北方にあるマルグスタンへと船首を向ける。その辺りは、酷く寒い土地だと聞いていた。そこにどんな用事があるというのか。
「リントヴルムより交信。爆弾製造犯の連行と共に、客人を帯同させる、だってさ。こっちに乗せてやってほしいって」
どうやらマルグスタンで、その客人とかいう人物をピックアップする計画のようだった。一応拘束してあるとはいえ、犯罪者と同じ船というのは気が引けるのだろう。一人か二人程度なら、ファフニルにも乗せられないことはなかった。
ただ、こちらもワルプルギスの戦闘士に関わる機密事項が満載の船だ。おかしな手合いに入り込まれて、トラブルを起こされてしまってはたまったものではない。相手が何者かなのかぐらいは、明確にしておいてもらいたかった。
「どうする?」
「ん、乗せるよ。今ワルプルギスに確認した。一人は国際航空迎撃センター所属の防御士だ。色々と手違いがあって、マルグスタンで待ちぼうけしてるんだって」
「なんだ、仲間か」
それなら尚更、ヴァルハラのワルキューレは自分たちの船には乗せたがらないだろうなとディノは推察した。魔女とワルキューレは、共闘関係になって高々数年だ。あっちにはあっちで、隠しておきたいことはいくらでもある。その辺りの溝が埋められるようになるまでには、まだ長い時間を要すると見込まれていた。
「へぇー、そうなんだ!」
国際航空迎撃センターの管制官と念話していたラリッサが、突然素っ頓狂な声を上げた。魔女同士の念話が聞こえないディノの眼には、どうにも奇行としか映らない。ディノの方を振り返ると、ラリッサは興奮気味にまくしたて始めた。
「ねえねえディノ君、今聞いたんだけどさ、マルグスタンで乗せることになるお客さんって、結構な有名人だよ。なんとあの――」
「ディノー、シャンプーが切れてるんだけどー?」
ラリッサの話を遮って、船室の方からぺたんぺたんと濡れた足音が近付いてきた。まったく、一度軽く拭いてから出てきたらどうなんだ。呆れて後ろを向いたディノのすぐ目の前に、全裸のエイラが突っ立っていた。
「あとタオルなかった」
「エ、エイラ! ちょっと、なんでそんな恰好!」
「ごめーん、多分ロッカーの方にあると思うわ」
「わかったー、サンキュー、ラリッサ」
「うわ、濡れたまま歩き回るな。僕が持っていくから、シャワー室に戻って」
「えー、悪いよー」
「もう充分に悪いよ! っていうかなんかもう、色々だよ!」
ディノがエイラを追いかけて、どすん、ばたんと船室の方が大騒ぎになる。仲が良くて大変よろしいことだ。うんうんと頷くと、ラリッサは船室に続く扉をそっと閉じた。