そして明日が来る(5)
レヴィニアの動乱から、二年の月日が流れた。先日、レヴィニアの王族であったサファネ王子とソミア王女の里帰りが実現し、レヴィニアは大いに沸いた。共和国制が敷かれたレヴィニアに於いて、旧王族はレヴィニアの象徴として名誉国民という立場に置かれることになった。これはヤポニア政府協力の下、現在のヤポニア皇室、スメラギの制度を参考にして考え出されたものだ。
サファネ王子はかつての王国の守護者であるワルキューレ、イクラス・レリエとの婚姻をヴァルハラで発表していた。それによって自らはワルキューレの側に入り、レヴィニアの主権や政治活動からは一切身を引くと宣言した。ソミア王女も同時にヴァルハラに籍を置く身分となり、レヴィニアの王家は事実上消滅していた。
レヴィニアで起きた革命については、国際同盟で連日重要な議題として話し合いが持たれた。レヴィニア解放軍のジャコース将軍は国際条約違反の罪と、極北連邦との癒着問題で厳しい追及を受ける立場となった。当の極北連邦の方は、非難を受けてもさして動じる様子は見られなかった。極北連邦からしてみれば、レヴィニアの新体制との間で自国の兵士たちの犠牲に見合った化石燃料の良好な取引関係さえ結べれば、その辺りの些事は構うに値しないものばかりだった。ワルキューレや魔女たちに逆らってまで極北連邦への忠誠心を示そうとした、ジャコース将軍の行く末も含めて、だ。
レヴィニアで起きたことの分析も大事だが、これからのレヴィニアのことはもっと重大だった。ワルプルギスとヴァルハラの共同提案により、レヴィニアでは民主制導入のための最初の選挙がおこなわれる運びとなった。選挙活動の監視は、ヴァルハラが担当する。事務的な手続きについてはワルプルギスから多くの人員が派遣され、レヴィニアの地を賑わせた。
レヴィニア国内の治安は、想定していたよりも遥かに安定していた。王の墳墓での戦いを最期に大きな衝突は鳴りを潜め、主に極北連邦から送り込まれていた外人部隊は、その大部分が引き上げた。レヴィニアの国軍は再編成されて、レヴィニアの国民が自らの手でレヴィニアを守ることとなった。その中心に立ったのは、詳細は定かではないがかつての王国派の近衛兵たちだったという。
投票の結果、レヴィニアには穏健派の政権が樹立された。レヴィニア共和国初代大統領はその所信表明演説で、レヴィニアを平和的にワルキューレと国際同盟諸国を繋ぐ、橋渡しの役割を担うものにしたいと述べた。レヴィニアはかつてワルキューレ信奉国であったことを、むしろ誇りに思う。そしてその上で新世界である列強諸国との間に太いパイプを持ち、他のワルキューレ信奉国との仲立ちをしていきたい、とのことだった。
それは、言う程に簡単なことではない。レヴィニアの革命を、周辺のワルキューレ信奉国たちは警戒心を持って受け止めている。今回のサファネ王子の帰還は、そういったワルキューレの側に立つ国家群へのメッセージであるとも見ることが出来た。レヴィニアは国際同盟と協調はしているが、ワルキューレも否定はしない。これを玉虫色と呼んで非難するか、新秩序と呼んで称賛するのかは意見の分かれるところだ。
「我々の帰還を望んでくれた、全てのレヴィニアの民に感謝の意を表する。我がレヴィニアの地を離れてから、この日が訪れることをどんなに夢視たことか。レヴィニアの王家の在り方は、もはや過去のそれとは違う。どうか我々の存在を、レヴィニアの新時代を開拓するために存分に役立ててやってほしい」
また、レヴィニア共和国はサファネ王子の帰還セレモニーに、特別ゲストとして国際航空迎撃センターの戦闘士、エイラ・リバードを招待した。これは事情を知らない者の眼には、単純に魔女の実戦部隊とワルキューレを同席させることで、両者間の友好関係をアピールしているのだとしか映らないだろう。
しかし実際には、この人選にはそれ以上の意味があった。エイラ・リバードはかつてレヴィニアが革命による混乱の中にあった際、国際同盟の要請を受けてイクラス・レリエを無力化するために送り込まれた戦闘士その人だ。
王の墳墓と呼ばれる場所で、二人は壮絶な死闘を繰り広げた。イクラス・レリエはレヴィニア王国の威信を示すため。エイラ・リバードはイクラスに新しい世界の在り方を伝えるため。血みどろの戦いの末に、戦闘士とワルキューレは共に力を使い果たし、その場に倒れた。エイラ・リバードの決死の説得によって、レヴィニア王国はそれ以上の無為な争いを続けることから解放されたのだ。
これが、「旧世界との別れ」である。
エイラ・リバードとイクラス・レリエの再会は、ただの戦闘士とワルキューレの同席以上に歴史的な意義を持っている。イクラス・レリエは王族と共に、二度と戻ることがないと思われていたレヴィニアの地に足を付けた。そしてそれを迎えたのは、実際に命を懸けて戦った相手、エイラ・リバードだ。二人の固い握手は、魔女とワルキューレの両者が、たとえどんな過去を背負っていたのだとしても、お互いの共存が可能であるということを人々の前に示してみせた。
「イクラス・レリエ、そしてレヴィニアの王族がこの地に戻れたことを、ワルプルギスの魔女は心から喜んでいる。戦闘士の使命は、敵を殺すことにはない。レヴィニアという国が変わろうとしている時、古い体制の中から抜けきれないでいる者たちを、どう救済するべきなのか。私たちは常にそれを念頭に置いて、これまで活動をしてきた」
「再びレヴィニアの地に戻れたことを、とても幸せに思います。それから、ワルプルギスの戦闘士エイラ・リバードには特段の感謝を。私が今こうして夫であるサファネと、愛すべき義妹のソミア、そしてレヴィニアの民と共にいられるのは、全て貴女方の勇気ある行動の結果です。本当に、ありがとう」
レヴィニアを巡る情勢は、未だに安定しているとはお世辞にも言い切れない状態にある。レヴィニア共和国に対して不信感を持つワルキューレ信奉国は、まだ数多く存在している。国際同盟の中にも、レヴィニアの国軍は解散させるべきだとの主張を持つ国もある。こういった声に対して、レヴィニア共和国は時間をかけて応えていかなければならない。
そんな中、我がヤポニアはレヴィニア共和国との間に友好通商条約を締結した。レヴィニア共和国は、魔女と、更にはワルキューレとも共に生きていくことを望んでいる。ヤポニアの良き友となってくれることを願ってやまない。
さて、末筆ではあるが、筆者の近況について報告しておきたいことがある。既に幾つかの報道で述べられている通りのことだ。時期が来れば、これについては明確に本紙にて取り上げることになる。これもまた、魔女と人類の明るい未来を示す話題の一つとなってくれれば幸いだ。
筆者はこれまで、仕事柄多くの人たちを記事として取り上げ、面白おかしく書き連ねることで糊口をしのいできた。事がここに至って、自分のことだけは人知れずひっそりと、などと戯言を述べるつもりはない。充分に見世物になり、自分が始めたことの結末として読者諸兄にお伝えするつもりだ。
どうか、期待していてほしい。
降臨歴一〇三一年、十一月二〇日
フミオ・サクラヅカ
けたたましい目覚ましのベルの音で、フミノはゆっくりと覚醒した。窓からはすっかり高くなった光が射し込んでいる。昨日は夜中まで空船の教本を読んでいたので、眠くて仕方がない。なんで目覚ましなんかかけたんだっけ? 寝ぼけ眼で時計を覗き込んで、それから一発で覚醒した。
「ち、遅刻だぁ!」
そういえば今朝は、母親が出かけて留守にしているのだった。いつもなら二回くらいは優しく起こしてもらって、三回目にベッドから放り投げられるといった具合だ。フミノは慌てて制服に着替えると、どたばたと部屋の外に飛び出した。食卓には冷めたトーストが一枚だけ置かれていた。これを咥えていけってことか、畜生め。
「いってきまぁーす」
声をかけたところで、家の中には誰もいなかった。昨夜の賑やかさが嘘みたいだった。フミノは玄関のドアを開けると、脇に立てかけてあるホウキを握った。直線距離でかっ飛ばせば、まだ余裕はあるか。
トーストをもがもがと口の中に押し込んでから、ホウキに跨って地面を蹴る。ふわり、と宙に浮かぶ感覚が心地好い。学校までは、山を一つ越えなければいけない。魔女でなければ遅刻は必至だ。フミノは少々乱暴にホウキを急発進させた。
山道は蛇行しているが、空にいる限りそれは関係ない。このペースならなんとかなりそうか、と落ち着いてきたところで。そいつの姿が視界に入った。
一台の自転車が、えっちらおっちらと坂を登っている。前かごに重たそうに膨らんだ学生鞄が乗せられているのも、致命的な要素だ。これはフミノどころの遅刻コースではない。やれやれ、見つけてしまったのが運の尽きか。フミノは自転車に向かって急降下した。
「トモヒロ、引っ張るよ」
「おお、フミノ、悪い!」
自転車を漕いでいたのは予想通り、フミノと同じ飛行研究部に所属している同級生のトモヒロだった。フミノは自転車のハンドルの真ん中部分を掴むと、ホウキの飛行速度を調整した。
持ち上げて飛ぶとなるとやや大変だが、牽引程度なら軽いものだ。トモヒロの方は、タイミングよく左右にハンドルを切るだけで良い。木々の隙間から、煌く春の海が見えた。風を切って走るのは、なかなかに楽しい。途中ですれ違った化石燃料車が、挨拶のクラクションを鳴らしてきた。
島の暮らしは、静かで長閑なものだった。ヤポニアはどこにいても、全体的に田舎っぽい。ニシミカドまで行けば都会を感じることは出来るが、そちらはどうにもごみごみしていてフミノはイマイチ落ち着かなかった。南国生まれのフミノの母親は、自身の故郷に似ているこの島のことがお気に入りだった。
引っ越してきた当初は、父親はフミノがこの何もない島に退屈しないかどうかを気にしていた。それは考えすぎというものだ。フミノは充分にここでの生活を満喫していた。綺麗な海で泳いで遊べるのは、母親と一緒で大好きだった。後はもうちょっと学校が近くにあれば、何も文句はない。それだけだ。
「うおお、ぎりぎりセーフッ!」
フミノはトモヒロの自転車と共に、予鈴が鳴るのと同時に校門を潜ることに成功した。
「まだだよ。駐輪場に置いて、教室までダッシュ」
一年生の駐輪場所は、昇降口から一番遠い場所に割り当てられている。適当なところに停めておくと、後で先輩やら生活指導まで色々と面倒なことが山盛りだ。ついでだし、そこまでは運んでやろうとフミノが思ったその時――
爆発音に似た激しい轟きが、島中の地面と大気を振動させた。
「六号機!」
フミノは思わず叫んで、空を見上げた。真っ白い煙を巻き上げながら、光が遥かな高みへと昇っていく。トモヒロも、片手を額にかざしてそれを眺めた。ごぉー、という音がどんどんと遠ざかる。塔のように地上から一直線に伸びた雲が、やがて風に散らされて消えていくのがどこか物悲しかった。
「打ち上げって今日だったんだな」
「そうだよ。お父さんも今頃、島の展望台辺りで写真を撮ってるはず」
フミノの父親は新聞記者だった。普段は取材で、母星中を飛び回って留守にしている。今回、六号機を記事にするために久しぶりに家に帰ってきた。それで昨日は、母親がはしゃいで大変だった。
いくつになっても仲が良い夫婦というものは、良いことである反面正直鬱陶しくもある。両親が年甲斐もなくいちゃいちゃとしている場面は、思春期の娘が見せつけられるにはちょっとつらいものがあった。
六号機の打ち上げは、世界的にも話題になっている。フミノの父親は、一号機の時からこのプロジェクトを追いかけ続けていた。だから打ち上げが近付けば父親は必ず家に帰ってきて、母親の機嫌も良くなる。それならば、フミノにしてみれば毎日でもやってもらいたいくらいだった。
「それでか。サトミおばさんも昨日から帰ってないんだよな」
サトミ伯母さんは、トモヒロの父親の姉にあたる人だ。独身で、下手をすればフミノとあまり変わらない年齢に見える色白の美人だった。不用意に「おばさん」などと呼ぶと、物凄い形相で睨み付けられる。何というか、名実共に魔女って感じだ。
フミノの父親や母親とは、古い知り合いらしい。聞くところによると、昔はすごい魔女だったという話だ。プロジェクトにはその時の経験を生かして、スーパーバイザーとして参加している。フミノにも、会う度に珍しい話をあれこれと聞かせてくれた。特に宇宙に浮かぶ魔女の大地、ワルプルギスについては色々と興味をそそられた。
「六号機の検証結果次第で、夏に打ち上げる八号機が有人になるかどうかが決まるんだって」
フミノの母親も、プロジェクトに関わっていた。そのせいで今朝は起こしてもらえなかった。あれは人類の未来がかかった、特別なプロジェクトなのだ。フミノの遅刻と比べて、どっちが大事なのかは比べるまでもなかった。
「――あ、遅刻!」
そこでようやく、フミノは遅刻のことを思い出した。もう形振りなんて構ってはいられない。フミノはひょい、とトモヒロと鞄をまとめて魔術で掴み取ると、ホウキの後部にぶん投げて積み上げた。
「ちょ、おま、フミノ!」
苦情は後で聞く。助けてやるんだから、むしろ感謝してもらいたいくらいだ。フミノはホウキに跨ったまま、トモヒロと共に昇降口に突撃した。
一つ、校舎内でホウキに乗ってはいけない。一つ、一本のホウキに複数人で乗ってはいけない。どちらも立派な校則違反だ。ごめんなさい。あちらを立てれば、こちらが立たないんです。比較検討の結果、今は遅刻の方がより重要度の高い案件であると判断されました。
教室の前まで来ると、丁度出欠を取っているところだった。担任のアゴメガネが、神経質そうな口調で一人一人生徒の名前を呼んでいる。
「フミノ、フミノ・サクラヅカ」
「はい! フミノ・サクラヅカ、ここにいます!」
降臨歴一〇四七年。
ヤポニアの離島、シュシガ島宇宙開発センターでは、母星初の有人ロケットの打ち上げが計画されていた。人類は、いよいよ魔女の世界へと手をかけつつある。
その先に待っているのは――魔女の世紀だ。




