誇り高きレヴィニア(5)
マリアンヌ、僕には到底理解しがたいことなのだが、世の中には喜んで戦争に参加したがる人間というのがいる。僕が配属された小隊にも、そんな男がいた。
戦争は楽しい。街中で人を殺せば罪に問われ、様々な責任を負わされることになる。それが戦場になった途端に、殺せば殺すほど称賛を浴びて、最後には勲章まで貰えるのだ。
――正直、彼の語る理屈は僕には納得出来なかった。どんな理由があったとしても、人が人を殺すことは罪だ。戦争とは国家や民族の間の問題を解決する上で、可能な限り取るべきではない手段の一つに過ぎない。僕がそう述べると、彼は「難しく考えすぎなんだよ、兄弟」と笑った。
彼の言葉は、今でも僕の中に残って燻り続けている。なあ兄弟、これからいくレヴィニアは良いところだ。例えばお前さんが街中で欲しい物とか、女とかを見かけたとしよう。そうしたらそいつがなるべく人気のない場所を通りかかるまで、後をつけるんだ。
そうしたらもう、簡単な話だろう? 俺たちの手には充分過ぎるくらい強力な武器がある。ノーって言える奴はまずいない。たっぷり頂いたら、仕上げにズドン、と一発強烈なのをお見舞いする。上官には「便衣兵を発見した」とか「利敵行為を発見した」とか報告しておけば、綺麗さっぱり問題なしってなもんよ。
そうなんだ、マリアンヌ、これは紛れもなく戦争犯罪と呼ばれる行為だ。僕が驚いたのは、彼がその話をしている場には小隊長も同席していたんだよ。小隊長は彼に対して、まるで親戚にいるやんちゃすぎて困った子供でも見るかのような目線を向けただけで、何も咎めはしなかったのだ。僕はぞっとした。これから僕がいく場所は、そんな恐ろしい無法地帯なのだと思い知らされた。
そして……僕の前には傷付いたワルキューレの少女がいた。この付近でレヴィニア解放軍と衝突した、手配中のワルキューレに間違いなかった。魔女やワルキューレの使う魔術は、僕たちの持っている武器よりも遥かに高い殺傷力を持つ。僕は恐怖に駆られて、少女に向かって手にした銃を構えた。
引き金にかけた指に、どうしても力が入らなかった。そのまま数秒が経過したが、ワルキューレは僕を攻撃してこなかった。いや、出来なかったのだ。
事前に、僕たちは与えられた装備についての説明を受けていた。ワルキューレの国であるレヴィニアに侵攻するにあたって、僕たちの武器にはワルキューレにとって毒となる要素が付け加えられた。魔女やワルキューレは、見えない盾でこの銃から身を守ることが出来ない。弾が体内に残れば、魔術の発動を阻害させる。傷も治せないし、反撃すらおこなえないワルキューレが相手なら、例え新兵であっても恐れるに足りないという訳だ。
目の前にいるワルキューレは、明らかに力を失っていた。血走った眼で、ただじっと僕のことを睨み付けてくる。魔素がなければ、ワルキューレはただの女だ。そんな言葉が思い出されて、僕は一歩前に踏み出した。
マリアンヌ、僕は兵隊には向いていない。軍規というのは、兵たちが統制された暴力であるために必要不可欠なものだ。頭ではそう判っている。でも目の前の状況は、僕にそうであることを認めさせてくれなかった。
この場にいるのは、僕とワルキューレの少女と、数人の子供たちだけだ。誰も見ていない。誰も、僕のすることを止められない。そう考えた時点で、負けだった。自分がこれからしようとしていることが、どんな意味を持つかなんて想像もしていなかった。
僕はそっと銃をその場に置くと、ナイフを取り出した。刃物の扱いに関しては、新兵の訓練施設で教官からも一目置かれていた。医学生時代に培った技術の賜物だ。外科的に人体をどうすれば良いのかも、忘れずに把握している。怯えて後ずさるワルキューレの少女に、僕はナイフの切っ先を向けた。
「怖がらないで。弾はどこに残ってるんだ?」
拙いレヴィニアの言葉で、僕は問いかけた。僕たちの使っている武器のせいで、このワルキューレは傷付いたまま衰弱している。彼女の中に魔素が少しでも残っているうちに、それを取り出してしまわないといけない。それさえ出来れば、彼女は自分の力で回復が可能なはずだった。
ワルキューレの少女は、自分の脇腹を示した。血で、衣服がべったりと汚れている。さぞかし苦しかったことだろう。消毒用に持ち歩いているアルコールの瓶を取り出すと、僕は弾丸の摘出手術を開始した。
マリアンヌ、僕が優れた兵士なら、このワルキューレが力を発揮出来ない内に捕縛しておくべきだった。そしてそのまま上官に報告する。彼女はしかるべき場所で尋問されて、レヴィニア解放軍に反抗する勢力に関する、少なからぬ情報を僕たちにもたらしてくれる可能性だってあった。その功績を認められれば、僕の年給には僅かばかりの賞与が加えられることになったかもしれない。
そう、これは立派な利敵行為だった。敵であるワルキューレを助ければ、そのせいでこの後レヴィニア解放軍の誰かが彼女に殺されることになるかもしれない。兵隊として、あるまじき裏切りだ。もしこれが明るみに出たなら、僕は軍法会議にかけられる。
でもね、マリアンヌ。僕にはどうしても、目の前で苦しんでいる命を放っておくことは出来なかったんだ。
君の言う通りだ。僕に兵隊は向いていなかった。ワルキューレに、人に初めて銃を向けて自覚した。僕にこの引き金は引けない。自分の中にある獣性を解放して、闘争本能の思うままに生きるなんてことは……僕には不可能だった。
手術は無事に成功した。痛みに喘いでいたワルキューレは、弾が身体の外に出ると急に元気になった。切開した傷口があっという間に塞がっていく様は、圧巻だった。僕はほっとしてナイフを投げ出して。
それから、その場にすっくと立ったワルキューレの姿を見上げた。
ワルキューレにとって、僕たちは異国からの侵略者だ。名目上はレヴィニアの独立を助けること、なんて言っているけど、それが方便なのは百も承知している。王国の後に作られる傀儡政権から、化石燃料の輸入で特権を与えてもらうつもりだ。そんなのは、極北連邦の市民の間では常識だった。
僕は兵隊としては出来損ないだ。このワルキューレの少女は、どうだろうか。ここで僕を殺しておいた方が、後々の面倒は少ない。そう判断されたとしても、僕の方では反論の余地は一切なかった。
当然だけどね、マリアンヌ。彼女は僕を殺さなかった。だったらこの手紙は、一体誰が書いているんだって話だ。
下っ端の一兵卒でも、自軍の大まかな配置くらいは聞かされている。僕は彼女に、レヴィニアの国境まで見張りの少ない道筋を教えてやった。力を取り戻したワルキューレは、僕に礼を述べると大空へと飛び立っていった。
僕と一緒に彼女を見送った子供たちは、何も言わずに逃げていってしまった。彼らとは、もっと仲良くしたいとも思ったけど。僕一人のせいで、極北連邦の兵隊が怖くないとの誤解を与えてしまっても良くない。次の日からはまた、退屈な見回り任務の始まりだった。
マリアンヌ、僕はこの兵役が終わるまで、もう少し頑張ってみるつもりだ。自分が兵隊に向いていないというのは、今回の一件で嫌という程思い知らされた。これからはせいぜい死なないように、地面を這いつくばってでも生き延びることに集中する。
そして僕は必ず君の下に帰って、極北連邦の正市民権を取得してみせるよ。医者になって、一人でも多くの傷付いた人たちを助けるためだ。マリアンヌには今後、色々と苦労を掛けてしまうかもしれない。もしこんな僕に愛想が尽きたというのなら、いつでも遠慮なくそう言ってくれ。
どんなにつらくても――僕は君と君の暮らすこの母星が、一番幸せになれる選択をするつもりだ。
極北連邦戦争資料館所蔵
ある兵士の手紙より
砂煙を上げて、戦闘車両が前進する。飛行機械が次々と地上すれすれを飛び去った。ファフニルのすぐ横からも、歩兵隊が王の墳墓に向かっているのが見て取れた。
「ジャコース将軍、戦闘士はまだ状況の終了を宣言してません!」
「王族を守護するワルキューレが戦闘不能となったのは明白だ! 我々は我々の作戦を遂行する!」
「クソッ!」と悪態を吐いて、ラリッサはファフニルの操縦席に蹴りを食らわせた。もしラリッサが魔女ではなくワルキューレだったなら、ファフニルの速射砲できっついのをお見舞いしてやるのに。戦闘士のチームで働いていて、こういう時に手が出せない程腹立たしいことはなかった。
ジャコース将軍は、恐らく判ってやっていた。ファフニルがイクラスたちに同情し、サファネを逃がすために結託していると踏んだのだ。ソミア亡命の際に、陽動作戦に引っかかったことを訝しんだ結果だろう。
悔しいことに、ビンゴだ。エイラのリクエストは、イクラスとサファネの両方を助けることだった。上手くいく可能性は低いが、エイラは何とかしてイクラスを生かしたまま戦闘不能にまで持ち込む。そうしたら状況終了宣言をぎりぎりにまで引き延ばして、イクラスと共にサファネを連れ出そうという計画だった。
レヴィニア解放軍にしてみれば、王族の討伐はこれまでに多大な犠牲を払った悲願の作戦だ。イクラス一人に殺された兵の数は、外人部隊だけとはいえかなりの数に上る。これでサファネを国外に取り逃したとなれば、面子の問題以外にも、旧王国派が勢い付いてレヴィニアの政治的混乱は必至だった。
条約違反は百も承知だ。サファネを守るイクラスが行動不能となれば、それはまたとない機会だった。ワルプルギスの魔女たちは、人間同士の戦争行為には加担出来ない。後でどれだけ国際的な非難を浴びようが、ここでサファネの命さえ奪ってしまえば、やった者の一人勝ち。全ては後の祭りだった。
飛行機械が銃撃を放ってくる。あれが自分に向けられる日が来るとは、フミオは夢にも思わなかった。
「トンラン!」
「はい!」
言われるまでもなく、トンランは防御壁を全力で展開していた。ワルプルギスでは抗魔術加工への対応策が、日々研究されている。防衛の専門家である防御士にしてみればここが力の見せ所、正念場だった。
足の速い飛行機械は、重量の関係上搭載出来る弾薬に限りがある。恐らくはこの第一波ぐらいならば、トンラン一人で防ぎ切れる見込みだ。
問題は、その後だった。戦闘車両や、歩兵隊が相手となるとそうはいかない。とにかく数が多すぎる。防戦一方となると、いつかは隙を突かれるか、マナが切れるだろう。何らかの形で、脱出を考慮しなければならなかった。
「サクラヅカ殿、トンラン殿、もう構わぬ。我は覚悟を決めた」
サファネは一人、王の墳墓から一歩踏み出した。すぐ頭上で、銃弾が防御壁に弾かれて火花を散らす。サファネはそれを一瞥しただけで、少しも動揺を見せなかった。
「ワルプルギスの戦闘士殿は、イクラスを救ってくださった。我の願いを聞き届けてくれて、感謝に堪えない。後は我が身を差し出して、この混乱に終止符を打つだけだ」
レヴィニア王国の力は、消え去った。次は、その血脈だ。年端もいかぬソミアは捨て置いても、サファネのことはそうはいかない。生きていてはレヴィニアの今後に禍根を残す。レヴィニア解放軍が血道を上げてサファネを追う理由が、サファネ自身にはよく判っていた。
「お二人はすぐにここを離れてください。サクラヅカ殿には我の言葉を託した。どうか、それを世界に伝えてください」
イクラスが生きてくれるなら、それで充分だった。レヴィニアの名を持つのは、他でもないこのサファネだ。ここで死ぬべきなのはワルキューレではなくて、人の子であるサファネで間違いなかった。かつてワルキューレと契約を交わした、古い王国の末裔の死体を踏み越えて。
レヴィニアは――新しい国になる。
飛行機械が旋回した。真正面にサファネの姿を捉えている。トンランは防御壁を強化した。ワルプルギスの防御士の名に懸けて、絶対に止めてみせる。
飛行機械の操縦士が、速射砲の狙いを定めようとしたその時。
「そこまでだ」
銀色の輝きが、飛行機械の前を掠めて飛んだ。途端に、金属製の骨組みがバラバラに分解して、勢いを失って落下する。何が起きたのかと確認しようとしたところで、続けてもう一機が原形をなくして墜落した。
良く見ると、砂漠の上空を駆ける光は一つではなかった。飛行機械が一通り撃墜されると、今度は戦闘車両の前方に巨大な穴が穿たれた。砂の渦に飲み込まれて次々と車両が擱座し、歩兵たちの足が止まる。
とどめに、轟音と共に火柱が一つ立ち昇った。ジャコース将軍の指揮車両のすぐ鼻先だ。驚いて顔を出したジャコース将軍の禿げあがった頭の上に、ぼとぼとと飛行機械の操縦士たちが落とされてきた。
「……間に合ったみたいだな」
フミオの言葉に、トンランはうなずいた。不確定要素が多すぎて不安だったが、概ね計画通りに事は進んだ。防御壁を張ったままで、トンランとフミオはサファネに歩み寄った。何から訊けば良いのかと戸惑うサファネに対して、フミオは自分の真上を指で示してみせた。
光学迷彩が解ける。真っ黒い、巨大な船体が降下してくる光景が地上にいる人々の視界に入った。このサイズの空船には、早々お目にかかることは出来ない。光が遮られて、フミオたちを中心にして辺りはすっかり影に飲み込まれた。
「国際条約に対する重大な違反行為を確認した。双方武器を捨て、その場から動くな。こちらはワルキューレの裁定機関、ヴァルハラである!」
凛とした女性の声が、王の墳墓を包囲するレヴィニア解放軍の兵士たちを席巻した。威厳ある漆黒の空船の名前は、ティアマト――ヴァルハラを統括する巫女の乗艦だ。
舞い降りたヴァルハラの執行者たちが、レヴィニア解放軍の武装解除を開始した。その圧倒的な佇まいは、有無を言わさぬ迫力を伴っていた。
第6章 誇り高きレヴィニア -了-




