誇り高きレヴィニア(4)
地響きと共に、炎の柱が空高くそそり立った。赤と黒が絡み合い、混ざり合う。全てを飲み込み、燃やし尽くそうとする灼熱の塊。エイラの眼前で、イクラスはその中に消えていった。
猛烈な熱気に圧されて、エイラはたまらず後方に下がった。レヴィニア解放軍の兵士たちが、放心して頭上に視線を送っている。そこに何があるのかと見つめる先を追いかけて――エイラはようやく、イクラスが何をおこなったのかを理解した。
砂漠の只中に、巨大な炎で出来た人影が屹立していた。爆発は一瞬で消えてしまうことなく、勢いを保ったまま空間に残り続けている。真っ赤に燃え滾る炎そのものの瞳が、エイラを睨み付けてきた。これがレヴィニアを守護するワルキューレの、真の力なのか。
「炎熱虚人!」
爆炎魔術を得意としたカウハと、砂と風、そして虚人を操るイクラスの合わせ技だ。燃える巨体を持つ炎熱虚人は右腕を大きく後ろに引いて、エイラ目がけて突き出してきた。
連接剣が、エイラの手元で閃いた。炎を輪切りにし、その場にいくつもの爆発が生じた。炎熱虚人はまるで痛みを感じたかのように仰け反ると、激しい雄叫びを上げた。
エイラの方も、爆発の衝撃を受けてタダでは済んでいなかった。魔術的な繋がりを断てば、その時点で炎熱虚人の一部は自身の構成要素である爆炎に戻される。抗魔術加工で下手につつけば、倍どころかそれ以上のしっぺ返しをもらうという結果が待っている。こいつはとんでもない怪物だった。
「見るがいい。これこそがレヴィニア王国の力。レヴィニアの誇り。レヴィニアの栄光!」
イクラスの宣言が、辺りにいる全員の耳元にまで響き渡った。この炎熱虚人の恐るべき巨躯が、レヴィニア王国とそれを支えるワルキューレの化身だとでもいうのか。レヴィニアの民は一人残らずひざまずいて、頭を垂れた。トンランの防御壁に守られた後ろで、サファネはただ言葉を失っていた。
「ファフニル、こっちも奥の手でいくぞ」
「了解、追加武装、射出します!」
エイラの命令を受けて、ラリッサが操作盤のスイッチを入れた。ファフニルの側面に搭載された射出装置から、金属の塊がエイラ目がけて放たれる。狙いはそこまで正確である必要はない。ある程度のところで、エイラが磁力を発してコントロールしてくれるからだ。
抗魔術加工が効いていても、これをキャッチするぐらいなら造作もない。エイラは大きなトランクを思わせる形状の追加武装を手にした。縮めて長剣状にした連接剣を、挟み込むようにしてセットする。肩に担いだそれは、まるで剣を打ち出して使用する特大の銃だった。
「イクラス! あたしがあんたのレヴィニア王国を打ち砕く!」
エイラの叫びに、炎熱虚人が反応した。右腕が再生して、拳を振り上げる。そのまま喰らおうが、魔術を解こうが爆炎から逃れる術はない。
「やってみなさい! ワルプルギスの戦闘士!」
唸りを上げて、炎熱虚人の一撃がエイラ目がけて繰り出された。その眺めは、天空から地上に落下する隕石そのものだった。エイラは追加武装の銃口をそちらに向けると、意を決して大きくジャンプした。
炎に巻かれ、身を焼かれるのは想定内だった。そんなことを嫌っていては、イクラスの、レヴィニア王国の相手など出来るはずがない。エイラはこれから、ワルキューレの王国を一つ潰すのだ。それなりの覚悟を犠牲を示さなくて、どうするというのか。
エイラは炎熱巨人の拳の表面を切り裂き、そこから内部に突入した。道中は抗魔術加工と、防護服だけが頼りだ。無数の小さな爆発に晒されて、次々と装甲が破損し、剥離していく。まだだ。中心にいる、イクラスに辿り着くまでは耐えなければ。
肉体のダメージを検知して、麻酔剤の投与がおこなわれた。使用する薬剤の種類は、ディノに頼んで変えてもらっていた。こっちの方が、身体を動かす際の副作用が少なくて済む。その代わり、投与量を間違えれば依存症になって廃人確実な劇薬だった。
エイラはこの薬を使うのは初めてなので、具体的な限界量は判っていなかった。パッチテストの結果は良好だったが、実際にやってみなければ何とも言えないというのが正直なところだ。ディノは色々と渋りながらも、最終的にはこれを装備に組み込んでくれた。
ならば……結果をもってそれに応えなければならない。痛みなんて、その気になればいくらでも我慢出来る。エイラが手にしなければならない勝利は、その限界の向こう側にあった。
――見えた!
炎熱虚人の、心臓の位置だった。イクラスが両手を広げて、エイラを待ち構えていた。防御壁は最小限だ。魔力のほとんどは、炎熱虚人の制御に回している。これだけ巨大な虚人を生成して維持するのに、どれだけの力を要しているというのか。エイラは呆れるのと同時に――楽しくなった。
「いくぞ!」
イクラスの周囲は、どこよりも爆炎が濃かった。これを突破して確実に仕留めなければ、『次』はもうない。エイラは肩の追加武装を手に持ち替えた。連接剣の切っ先が、イクラスを目標として捉える。抗魔術加工の影響範囲をいかに読むか。エイラは躊躇うことなく引き金を絞った。
磁力制御士の力に反応して、機械仕掛けが動作する。魔術と科学。エイラとディノが一つになって、世界を新たなステージへと押し上げていく。これが、ファフニルが用意していた最終兵器だ。
「抗魔術――貫通兵器!」
勢い良く打ち出された連接剣が、炎熱虚人の中を突き進んだ。密度の高い心臓部近くでは、それ相応の激しい爆発が起きて全体のバランスを崩壊させる。イクラスの顔のすぐ横を通り過ぎて、連接剣は炎熱虚人の身体を刺し貫いて背中から抜け出した。
叫びが大気を引き裂いた。炎熱虚人が両手を持ち上げて、もがく。連接剣が飛び出した痕がぼこぼこと膨らみ、派手な音を立てて破裂した。巨体を保っている整合性が、それを合図に崩壊を始めた。
エイラは魔力が戻ってくるのを感じていた。連接剣との間に距離が生じて、抗魔術加工の範囲から外れたのだ。
ここからが本番だ。エイラは防御壁を全開にした。炎熱虚人の術を破られたイクラスが、炎の中に沈んでいこうとしている。イクラスの瞳からは、過剰なマナの存在を示す赤味が消えかかっていた。
「イクラス! こっちだ!」
エイラは武器を捨てると、防護服を強制排除した。装甲が焼け焦げてひん曲がって溶け合って、動くのに邪魔なだけで何の役にも立っていない。それよりもイクラスだ。一刻も早く救助しなければ、命に係わる。
「戦闘士……」
エイラの姿を認めると、イクラスは全身から力を抜いた。レヴィニアのワルキューレが持てる全てを用いて作り出した炎熱虚人は、ワルプルギスの魔女によって倒された。それも新しい世界を象徴する、抗魔術加工の武器を使用してだ。これを時代と言わずして、何と表現すれば良いのか。イクラスのやるべきことは、これで終わりだった。
「どうか……サファネをお願いします」
せめてもうひと暴れして、レヴィニア解放軍の包囲網に穴ぐらいは開けておきたかった。そうすれば、確実にサファネを逃がすことが出来たのに。戦場は充分に混乱している。今この時、イクラスが頼れるのはエイラだけだった。炎熱虚人が破壊されたどさくさに紛れられれば、或いは――
「お断りだ、バカヤロー!」
むんず、とエイラはイクラスの胸倉を掴んだ。危機一髪、イクラスはエイラの防御壁の中に取り込まれた。炎熱虚人はそろそろ限界だ。その大爆発の衝撃から身を守れるのかどうかは、五分五分といったところだった。
そちらはどうせ、なるようにしかならない。エイラはイクラスの顔を正面から覗き込むと、いきなり手加減なしの右ストレートをぶち込んだ。
イクラスにとってそれは、初めての感覚だった。頬がじんじんと、熱を持ったように痛い。奥歯がぐらぐらとする。口の中を切ったのか、血の味が一杯に広がってきた。何が起きたのか判らないでいるイクラスを、エイラはぐいっと引き寄せて自分の方に向けさせた。
「ワルプルギスの魔女なんかに、あんたの大事な王子さんを預けてどうするんだ。あんたはレヴィニア王国を守るのが使命なんだろう?」
そうだ。イクラスは、レヴィニア王国を守護するワルキューレだ。しかし――
「そのレヴィニア王国はたった今滅ぼされました。貴女の手で!」
残された最期の壁は、打ち砕かれた。夢は果てた。イクラスの守るべき王国は、消えてしまった。
「ならあんたは、ただのイクラス・レリエだ。あんたはどうしたいんだ、イクラス・レリエ! なくなった王国と一緒に死にたいのか! 王子さん一人を残して!」
ただの……イクラス・レリエ?
そんな者のことは、初めて聞いた。イクラスはずっと、レヴィニアを守護するワルキューレだった。王子であるサファネと一緒に、レヴィニアを治めるように教育されてきた。
そのレヴィニア王国が滅びるなら、イクラスも死ななければならない。ワルキューレの誓いが敗れ、その誇りが失われたのなら。
イクラスが生きている理由なんて、どこにもない。
「あのな、魔女もワルキューレも、魔力がなければただの女なんだ。あたしも、あんただって例外じゃない。あんたがレヴィニアのワルキューレでなくなったとしても、そこにはイクラス・レリエという女は残るんだ」
――残っている?
理由なんかなくても。イクラスはここで、こうして生きている。レヴィニア王国がなくなって。マナが枯渇して。それでもまだ、イクラス・レリエはここにいる。死んでいない。
ではこのからっぽな一人の女は、何を望む?
「私、私は……」
サファネ。
いつだって、傍にいてくれた人。もしイクラスがただの女なら、サファネのことをひたすらに愛したかった。気持ちを隠す必要もない。恋をしていると素直に告げて。その言葉に一喜一憂して。共に生きて、歩んでゆけるなら。
そこが――レヴィニアでなくても構わない。
「私は、サファネがっ!」
光と熱が、何もかもを覆い尽くした。レヴィニア王国の力を示す炎熱虚人は、その形状を維持することが適わなくなり、爆発四散した。その轟音と衝撃は、レヴィニアのどこにいても感じ取れるほどの凄まじいものだった。
空が青い。こんな風に見上げるのは、初めてかも知れない。今日はそんなことばかりだ。砂漠を渡る風が、心地好いとまで思えるなんて。倦怠感も、痛みですら愛おしい。それらは全て――この母星で生きているということの証だった。
「あたしにも好きな人がいるんだ。あたしのことを魔女じゃなくて、一人の女性として好きになってくれた人。戦闘士のあたしを『守ってやる』なんて言う、変な人」
隣では、エイラが大の字になって倒れていた。イクラスと同じ、マナ切れだ。炎熱虚人が、この辺りのマナを全部かっさらっていってしまった。当分の間、自然回復は見込めそうになかった。
「王国がなくなっても、レヴィニアはレヴィニアだ。今のイクラスがイクラスであるように。だからもうちょっとだけ、この国の人たちを信じてみないか?」
そうしてみても、良いのだろうか。イクラスにとって、レヴィニアはレヴィニア王国だった。レヴィニアが王国ではなくなって、ワルキューレを否定するようになってしまえばそれまでだと思っていた。新しいレヴィニアが望まれるのなら、古いものは壊されて、消えていくのが必然だ。サファネと共にそう考えて、王の墳墓に留まった。
「それは、許されることなのでしょうか?」
「さてね。許されなくたって、どうしようもないんじゃない? レヴィニア王国なんてもうないのに、そんな幻影に振り回されるなんて馬鹿げてる」
エイラの笑い声が砂の大地に染み込んだ。大体、許すとか許さないとか。そんなの誰が決めるというのか。例えその相手が神様だとしても、大きなお世話だ。
「レヴィニア王国を滅ぼしたのはあたしだ。苦情ならあたしが受け付ける。それが――戦闘士の役割だ」
戦うこと、そして倒すことによって生じた、いかなる責任をもその身に背負う。故に、ワルプルギスの戦闘士はただの破壊者ではない。エイラの憧れるユジ・メンシャンならきっとそうしたし、エイラにもそうであることを期待されていた。エイラにこのミッションが任されたというのは、つまりはそういうことだった。
「国際同盟だの王国派だのがなんか言ってきても気にするな。レヴィニアはあんたを全否定してはいない。それはちゃんと、感じられたんだろう?」
イクラスに捧げられた、無数の祈り。それがあったから、炎熱虚人は顕現した。レヴィニアを想う気持ちは、変わらずに人々の中にある。ワルキューレに対する信仰も、そう簡単には失われはしない。銃を持って、イクラスとサファネを討ち取りに来た者たちですらそうだったのだ。
レヴィニアの民の心に、ワルキューレの誓いは刻まれている。その事実を、イクラスはしっかりと受け取った。
「だから、安心して生きるんだ。助けてやるからさ」
イクラスの眼に、涙が浮かんだ。ずっと張り詰めてきた何かが、ぷつんと切れてなくなった。すすり泣く声を聴きながら、エイラは目を閉じた。こっちの仕事は、一段落だ。残っているのは――
遠くで倒れている二人を見て、サファネは崩れ落ちて両掌を砂の上につけた。
「大丈夫、二人とも生きてます」
トンランが嬉しそうに報告してくる。フミオも肩を落として、カメラを構え直した。
エイラはイクラスを救ってみせた。大したものだ。ワルプルギスの戦闘士は、やはり信頼に値する。
ファインダー越しに、ファフニルが動き出すのが確認出来た。エイラと、イクラスを回収するつもりだろう。そのままこちらまで来て、サファネ王子も拾ってもらえれば良い。それで、この作戦は終わりだ。フミオは安堵の息を漏らした。
「レヴィニア解放軍、前進せよ! 王族の生き残りを討ち取るのだ!」
突然、拡声器を通した怒鳴り声が砂漠の空気をつんざいた。トンランが、サファネがそちらの方を向く。サファネの護衛も、レヴィニア解放軍のレヴィニア兵たちも、皆同じその一点を見つめた。
指揮車両に乗ったジャコース将軍が、王の墳墓へと軍刀を振りかざしている。少し遅れて、外人部隊を中心としたレヴィニア解放軍が進軍を開始した。




