誇り高きレヴィニア(3)
誰も、何も言葉に出来なかった。しわぶき一つ上がらない人の群れの間を、風がすり抜けて砂を運んでいく。その先では、レヴィニアのワルキューレが戦闘士に打ちのめされていた。
白銀の刃が翻るごとに、砂の人型が崩れ去り、青空に赤が映える。純白のケープは無残に切り刻まれて、原形を留めていない。どう見ても勝負の趨勢は判っている。戦いはあまりにも一方的だった。
それでも、イクラスは果敢に挑みかかった。レヴィニア王国の希望の星。ここでイクラスが倒されれば、それで王国の全ては終わりを告げてしまう。
誰かが銃を落とした。砂の上にひれ伏して、嗚咽を漏らす。かつてのレヴィニアの英雄が、今まさに目の前で蹂躙され、駆逐されようとしている。レヴィニアに産まれ育った者としては、見るに堪えない光景だった。
隊列を乱し、涙を流すことを咎める者はいなかった。その気持ちは、同じレヴィニアの民には良く判るものだった。
レヴィニアは、ワルキューレ信奉国ではなくなる。人が人の手だけで治める、人の国の仲間になることを選んだ。レヴィニア解放軍に参加した者は、皆そうだった。革命によって、王族とワルキューレからこの国の全てを奪い取った。
新しいレヴィニアに、ワルキューレは必要ない。古い体制の生き残りである王族と、それを守護するワルキューレは倒すべき敵だった。レヴィニアの新時代の幕開けに、その犠牲は絶対に必要なものだと信じて疑わなかった。
……知らない間に、頬が濡れていた。判っている。本当は、何もかも判っていた。気が付かないふりをしていたんだ。手に持った銃の冷たさが憎い。このまま、握り潰してしまいたくなる。
そうだとも。あの日、高熱を出した自分を医者の所まで運んでくれたのは――ワルキューレだ。
他に可能性なんかない。それなのにとぼけて、なかったことにして。こうやって、恩も恥も知らずに武器を突き付けて遠巻きに眺めている。レヴィニアの過去を守ろうと必死で戦うワルキューレを、殺そうとしている。
そんな自分に、今出来ることなんて何がある。王国と決別し、弓引く者となった自分に。それとも今更、ワルキューレの側に味方でもすれば良いのか。やはりワルキューレに導かれる方が望ましいと、掌を反して。
レヴィニアの愚かさを、この母星中に知らしめれば良いとでもいうのだろうか。
「イクラス様」
ぽつりと呟く声が聞こえた。ひざまずいて、祈りを捧げる者がいる。誰が最初にそうしたのかは、判らない。レヴィニアの兵たちは、武器を手放して我先にとそれに続いた。かつて、自分たちを支えてくれた英雄。いつだって隣にいてくれた力強い味方。それが消えていこうとしていることに対して敬意を表さない程に、レヴィニア人は無知蒙昧な民などではない。
勝利を願うことも、死を望むことも出来ない。レヴィニアの兵たちは、ただ無心に祈った。イクラス・レリエに、レヴィニア王国に栄光あれ。ワルキューレに守られた偉大なる王国は、確かにここにあった。レヴィニアの民は、決してそれを忘れることはしない。
母の揺り籠から離れて――
レヴィニアは、世界へと巣立っていく。
連接剣による攻撃は、執拗で容赦がなかった。抗魔術加工を操る魔女というのが、ここまで厄介な存在だとは。イクラスは致命傷となり得ない傷の再生を取りやめた。このくらいの痛みなら、耐えられる。今はマナの消費を抑える方が先決だ。
それに対してエイラの方は、まだまだ余裕がありそうな雰囲気だった。ワイヤーを操っていればそれで事足りるので、本体の方はほとんど動いていない。このままいけば、イクラスのマナがジリ貧になるのは疑いようもなかった。
――いや、動けないのか。
強力な抗魔術加工をすぐ近くに置いていては、どんな魔術だって阻害されてしまう。エイラは連接剣に集中している分、他は完全にお留守の状態だった。具体的には、エイラからは防御壁が張られている気配が感じられなかった。やりたくても出来ないのだ。そこがあの武器の弱点ではなかろうか。
勝機がある。イクラスが顔を上げた時、その声が耳に届いた。エイラとイクラスを包囲するレヴィニア解放軍の中に、イクラスの名を呼ぶ者がいる。一人や二人ではない。無数の祈りの言葉が、イクラスに向かって投げかけられていた。
「これは?」
イクラスは王の墳墓の方を振り向いた。そこでは、サファネが掌を合わせていた。レヴィニアの民が、ワルキューレに強くあれと願っている。イクラスは拳を握り固めた。レヴィニア王国が、ここで安易に倒れてしまって良いものか。イクラスはただ死ぬために出て来たのではない。
戦闘士と戦い、これを倒して更にその先へと進むのだ。
「エイラ、マナがすごい勢いでイクラスに流れてる」
母星に満ちたマナの動きは、魔女たちにも予測が付けられないことがあった。それは時として、膨大な奔流となって特定の術者への追い風と化す。一般に奇跡と称される現象の原因は、ほとんどがそれだった。
「ああ、判ってる。大きな波だ」
ディノの通信に応えるエイラの声色は、どことなく楽しそうだった。連接剣を手元に引き寄せて、長剣の形にして構える。イクラスが何をするのかは判らないが、まだ次の手を出してくるのは確実だ。
エイラにはそれと戦い、受け止める義務がある。
そして、打ち破る。歴史あるレヴィニアのワルキューレが、敗北したと認められるような完璧な勝利。それが得られなければ、エイラもイクラスも終わることは出来ない。この一戦には、勝敗だけでは語れない重大な意義があった。
「奥の手に……と思っていたのですが。仕方ありません」
イクラスの身体が、ふわり、と宙に舞った。魔力が大幅に増大している。その収束の度合いは、今までの攻撃とは一味も二味も違ったものを感じさせた。
当初の予定では、イクラスはエイラとそこまでぎりぎりの戦いを展開するつもりはなかった。エイラに対してはある程度痛めつけて、追撃が困難な状態にでも陥らせてやれればそれで良い。次の段階として、イクラスにはサファネを逃がすためにレヴィニア解放軍の包囲網に穴を開ける必要があった。
この方策は、その計画を確実なものにする予定であったイクラス究極の戦術だ。
エイラは、イクラスの足元から何かが浮かび上がってくるのに気が付いた。半透明の、球体だ。砂煙を閉じ込めた、茶色い斑模様のシャボン玉みたいに見える。それが無数に宙を舞い、イクラスの周りでぴたりと静止した。
「覚悟なさい、ワルプルギスの戦闘士!」
砂の球体たちが、エイラ目がけて高速で飛来した。連接剣が素早く反応し、それを迎撃する。球体には呆気ない程の軽い手応えしかなく、破裂して煙幕のような細かい砂粒を辺りに漂わせた。
「何? こんなのが――」
そこまで言ったところで、エイラは球体の一つに他とは異なる感触があるのを察知した。はっとしたその瞬間には、もう手遅れだった。にやり、とほくそ笑んだイクラスの表情が見えるのと同時に。
猛烈な爆発音と共に、エイラのいる一帯は炎に包まれた。
爆発は一つではない。連鎖的に、二度三度と衝撃が走る。空間の全てを舐め尽くす、凄まじい破壊だった。火柱は砂漠の遥か彼方でも見える程で、地鳴りはレヴィニアの全土を揺るがす勢いだ。レヴィニア解放軍の兵士たちは立っていることが出来ずに、砂の上を転げまわった。王の墳墓ではトンランが防御壁を張って、フミオやサファネ王子と、その兵たちを爆風から守った。
「メイドインワルキューレ!」
ファフニルの操縦席で、ラリッサが声を上げた。ワルキューレたちがテロリストを相手に商売道具にしている、高性能爆弾の俗称だ。確かレヴィニアの王宮にいたもう一人のワルキューレ、カウハ・レリエが得意としていたのは爆炎系の魔術だった。本人が最後に自爆をした際にも、犠牲者の判別が困難になるくらいの強い爆破魔術が使われた形跡があったという。その養女であったイクラスが、カウハの教えを受け継いでいたのだとしても何の不思議もなかった。
「それにしたって、これは威力があり過ぎる」
破壊の魔術で最も優れているのは、星を追う者が隕石を砕くのに使う隕石破砕だ。あまりの強力さに、星を追う者以外にその使用方法は開示されておらず、専用の触媒も厳しく管理されている。それと比べれば、確かに見劣りはするのだろうが――これは一人の魔女、ワルキューレが作り出したにしてはあまりにも膨大なエネルギー量だった。
「……そうか、粉塵爆発だ!」
ディノはイクラスが直前に浮かべていた砂の球体から、その考えに思い至った。あの球体の中に詰まっていたのは、恐らくは可燃性のガスと引火しやすい物体の微粒子の混合物だ。エイラがそれを壊して、辺りにぶちまけてしまったのが間違いだった。球体の一つには、メイドインワルキューレが隠されていた。それが爆発すると、辺りに飛び散ったガスに引火して連鎖的に二次爆発が起きるという仕掛けだ。
「エイラ! 無事か?」
これはかなり危険な事態だった。連接剣の抗魔術加工は、直接的な魔術の攻撃に対しては無敵を誇っている。風や砂を主体としたイクラスが相手ならば、それだけで全てに対応可能だと思っていた。
しかし爆炎系魔術が相手となれば、話は別だ。それもメイドインワルキューレのような爆弾や、粉塵爆発といった間接的な破壊をもたらしてくるものとなると、むしろ不利に働いてくる。抗魔術加工の効果は、連接剣を持っているエイラ本人にまで及ぶのだ。連接剣の操作以外には、今のエイラには何も出来ない。魔女にとっての守りの要である、防御壁の展開すら不可能な状態だった。
「やっべー、これかなりきっついわ」
ディノの手元にあるエイラの装備状況モニターは、装着者が無事であることを示していた。通信の声も元気そうだ。ディノはほっとするのと同時に、今が予断を全く許さない状況であるということを思い知らされた。
レヴィニアのワルキューレを、甘く見てはいけない。イクラスは、ディノの予想を遥かに上回った存在だった。
砂が溶けて、真っ赤な飴細工みたいになっている。エイラはそれを跳ね飛ばすと、灼熱の地上に姿を現した。咄嗟に砂の中に潜ったのは、正解でも不正解でもあった。死にはしなかったが、無事でも無傷でも済んでいない。特に、ワイヤーが一本焼き切れてしまったのはいただけなかった。潔くそれを手離すと、エイラは残された連接剣を両手で握り直した。
エイラの武器は数を減らしたが――上空でゆっくりとエイラの方を向いたイクラスの周囲には、まだ砂の球体がいくつも浮かんでいた。どうやらメイドインワルキューレは、複数個準備されている。エイラはごくりと唾を飲み込んだ。
「当たりは後、何個あるんだい?」
「ご自分で確かめてみたらいかがですか?」
砂の球が迫る。なるべく離れた位置で破壊しても、イクラスは風を起こしてエイラの方にその中身を流してきた。大きく飛び退いたその足元で、メイドインワルキューレが炸裂する。
地雷だ。防護服がなければ下半身を吹き飛ばされて死んでいた。あっても、負傷は避けられなかった。治療するには武器を離す必要がある。だがイクラスを前にしてのその行為は、自殺を意味する以外の何ものでもない。
――なら、攻める!
抗魔術加工の範囲に、イクラス自身も取り込んでしまえば良い。そうすれば防御壁も使えなくなって、おいそれとメイドインワルキューレを起爆させることも出来ないはずだ。
エイラは地を蹴ると、一気に間合いを詰めた。砂の球には極力触れない。イクラスの目前にまで肉薄して、長剣モードにして叩き伏せる。振りかぶったその鼻先に、小さな砂の球が浮かんだ。
超至近距離での爆発だった。エイラのヘルメットにヒビが入り、外装が吹き飛んだ。これではもう防御効果は見込めない。ヘルメットを脱ぎ捨てた正面で、巻き添えを食らったイクラスがゆらり、と立ち上がった。
顔の半分が、火傷で爛れている。口角が持ち上がると、元の美しいイクラスに戻った。そうだ。イクラスとは、こういう相手だった。己が傷付くことも、死ぬことですらも恐れない。ここで戦闘士と刺し違えられるのなら、喜んで我が身を差し出してしまうようなワルキューレだ。
「色々と口惜しいこともあるのですが……そろそろ終わりにいたしましょうか」
イクラスはマナの暴走が抑えられなくなってきていた。今のイクラスの体内には本来のキャパシティを越えたマナが蓄積されて、魔力を放出している。本体の方がそれを制御しきれずに、オーバーヒート寸前の状態だった。
黄金色の瞳の奥に、紅い輝きが見え隠れする。それはイクラスの内部に、戦闘士や星を追う者に匹敵する程の魔力が渦巻いていることを示唆していた。このまま戦い続ければ、どう転んでもイクラスの命はない。
「あんたはもう充分にレヴィニアの威光を示した。ここで倒れたって、誰もあんたを責めたりしない」
イクラスの目的が、消えていくレヴィニア王国の強大さを誇示することであるのならば。それはもう、達成されたとみて良いだろう。抗魔術加工を武器に用いる戦闘士をここまで追い詰めて。敵となったレヴィニアの民から、祈りの言葉を引き出して。イクラスは既に、レヴィニアの伝説と化していた。
これ以上、何を望むのか。イクラスはエイラの言葉を聞いて、うっすらと微笑んだ。
「貴女には判らない。ここでこうするしか、私には愛を貫き通す道がない」
レヴィニアのワルキューレの使命は、王国を守ること。レヴィニアが滅びるなら、それと共に命を捧げよう。イクラスの愛した相手がレヴィニアの王族だというのなら、尚更だ。
生き残って、墓碑の前で泣き崩れる毎日など欲しくない。イクラスはレヴィニア王国として息絶える。サファネの命は、サファネの意志に任せた。一緒に死んでくれるなら嬉しいし、生きてくれるならそれはそれで幸せだった。
イクラスは手元にあるメイドインワルキューレを全て起爆させた。最大規模の爆炎に包まれながら、レヴィニアの過去に想いを馳せる。そこには常に、サファネの姿があった。




