誇り高きレヴィニア(1)
親愛なるマリアンヌ。幸いなことに、僕はまだ生きている。地獄のような戦闘訓練と、それを遥かに上回る熱砂の戦場に送り込まれて。今なお自らの二本の足を使って、こうしてここに立っていられる。君に手紙をしたためることが出来るのは、僕にとって無上の喜びだ。
君は僕に、兵隊なんて向いていないと最後まで反対していたね。それについては、当時から同意している。僕はただの、貧乏な医学生に過ぎない。ひ弱だし、腕っぷしも強くない。検体の解剖授業で戻してしまうくらいの根性なしだ。自分で書いていて情けなくなってくる。そんな自分を、少しでも変えたいという想いがあったのは否定しない。
でも最大の理由は、君も知っての通り。僕は、極北連邦の正市民権が欲しかったんだ。
二等市民のままでは、医学校を卒業しても正式な開業医になることは出来ない。この先ずっと、大病院のインターン生として薄給でこき使われる毎日だ。奨学金だって返済しなければならない。何よりもそんな状態では、マリアンヌ、君と結婚することですら覚束なくなってしまう。
君は、僕が無理に正市民になる必要なんてないって言ってくれたけど――君のお父様のことを考えれば、僕はその言葉に甘えてしまってはいけないと思った。仮に僕に娘がいたとして、その婚約者が選挙権も持たない二等市民だなんて。僕はマリアンヌ、君を幸せにすると約束する。そしてそれを現実のものとするためには、ある程度の裏打ちがなければいけないんだ。
僕のような若者が手っ取り早く正市民権を手にするには、兵役に参加することが早道だった。最初の健康診断で落とされてしまったならば、それはそれで諦めが付けられる。実を言うとね、書類を提出して健診センターに出頭した時点では、そんな弱気なことも考えていたりしたんだよ。この手で、武器を持って誰かを殺すということが、どうしても自分の中で納得出来なくてね。
結果は君も知っての通り、合格だった。歩兵としての訓練を受けて、前線送りが確定だ。もう少し医学の実務経験があれば、衛生兵として後方勤めも可能だったと聞かされた。それを積むためには、先に正市民権を得ておく必要がある。世の中っていうのは、上手くいかないものだ。
その日のうちに、僕はほとんど身一つで新兵の訓練施設に送り込まれた。そこで徹底的に精神と肉体を鍛えられて、武器の使い方を教え込まれることになった。
軍隊というのは、実に機能的な集団だ。良くある軍隊に対する批判には、「人格的なことを否定して、殺戮のための機械を作成している」なんて意見があったりするよね。それは正確であるのと同時に、かなり的外れでもある。人を殺せる武器を持った人間に、ヒューマニズムなんて不正確な価値観に基づいて引き金を任せればどんなことになるか。そういう人たちは、人間の中には善意と悪意のどちらかしか存在せず、それは生まれた時から不変であるとでも考えているのだろう。
軍隊は暴力装置だ。だからこそ、兵士からは自由な意志を奪って血の通わない機械に留めておく。戦争とは、制御された殺戮行為に他ならない。兵隊は、戦争を行使するための道具以上の何かであってはいけないのだ。
上官の命令に従って、指示されただけの攻撃をおこない、指定された敵のみを殺し、帰還する。真に優れた軍隊には、その他には何も必要ない。僕はそのことを、身をもって理解した。いや、させられた。
後は重要なのは、生き残るための方策だ。上官が有能なら、それだけで部隊の生存の確率はぐんと跳ね上がる。駒である兵士は優秀であればある程、上官の言うことに従って動くことしかしないからだ。無能な上官ほど、自信に満ち溢れた自然な笑顔と共に兵士たちを死地へと誘ってくれる。こればかりは運しかない。
兵士が自分で出来ることとしては、装備の点検と所作の正確さ。咄嗟の判断力に、肉体的な頑強さ。徹底した合理性の追求と最適化だ。この辺りは訓練でみっちりと教えてもらえる。ついでに、命令違反がどんな結果をもたらすのかも、だ。僕たちは作戦行動中の自由意思をこそぎ落とされて、兵隊として完成させられていく。一年もしないで、立派な極北連邦の新兵の一丁上がりだった。
極北連邦は、いつもどこかで戦争をしている。そのための人手はどこでも足りていない。国際同盟が出来てからは、表立っては平和が世界を支配しているなんて顔をしているけど、出鱈目だ。母星のあちこちで、小さな火種は無数に転がっている。幾つかの候補地の中から、僕のいくべき戦場が選ばれた。
僕が配属されたのは、中央大陸の砂漠地帯にあるレヴィニアだった。
マリアンヌは、レヴィニアの名前を聞いたことがあるだろうか。新聞の片隅、スペースが空いてしまったのでどうしても何かで埋めなければならない場合なんかに、小さな記事が載ったりする。ワルキューレ信奉国、化石燃料産出国。極北同盟内でのテロ事件への関与。正直、あまり良い印象のない国だった。
可笑しな話だ。これから戦争をしにいくというのに、その場所に対して好印象である方がどうかしている。それでも、僕はレヴィニアという国にはあまり馴染めそうにないと感じていた。
訓練所の上官たちは口を揃えて、「レヴィニアは良い場所だ」と僕のことを祝福してくれた。現地では革命派のレヴィニア解放軍を支援し、極北連邦が誇る新兵器を用いてワルキューレを殲滅する作戦が進行している。補給路も確保されているし、戦況は悪くない。兵隊としての箔が付け安かろう、とのことだ。
この段階でも、マリアンヌ、僕は自分が兵隊に向いているとは思っていなかった。ただちょっとばかり装具の取り扱いが上手で、上官の命令にきちんと従っていただけだ。こんなのは、考えることをやめてしまえば大して難しい話ではない。
ただ実際に目の前に敵がいる時に、自分が殺される前に殺すことが出来るのか。兵士としての適性と完成度を最後に確認するには、それをこなしてみなければ何とも言えなかった。
レヴィニアでの僕の任務は、小さな集落でのパトロールだった。最前線はここからだいぶ離れている。とっくにレヴィニア解放軍の勢力下となっているこの村で、日々異常がないかどうかを見て回るだけだ。事あるごとに誰かに銃口を向ける必要がある仕事ではないと知って、僕は安堵した。
もちろん、戦闘行為が全くないなんて言い切ることは出来ない。レヴィニアの国内には王族派のゲリラ部隊や、王家に仕えている者以外にも複数のワルキューレたちが潜伏しているという噂もある。それでも牧歌的で長閑な砂漠の集落の眺めは、軍事訓練ですっかり尖っていた僕の神経を徐々に落ち着かせていってくれた。
ある日、僕は村の子供たちがこそこそと物陰伝いに移動しているのを発見してしまった。マリアンヌ、君は幼いころ、両親に隠れて野生の動物にエサをあげたことはあるかい? 僕は公園の茂みに住み着いた野良猫の親子に、ミルクを持っていったことがあるよ。最後には大人たちに見つかって駆除されてしまったのが、とても悲しかったのを覚えている。
それと、同じだったんだ。僕はピンときた。子供たちは村外れにある、農作業小屋に入っていった。そこの床板には、僕たちの部隊が知らない仕掛けがあった。地下へと続く階段だ。暗い穴の奥から、血の匂いと呻き声が聞こえる。僕は銃を構えて、単身その中に突入した。
行き止まりにいたのは、驚いて身をすくめる子供たちと――
それを庇うように覆い被さって、僕のことを凝視する傷付いたワルキューレだった。
極北連邦戦争資料館所蔵
ある兵士の手紙より
夜明けと共に、ファフニルで待機しているエイラに国際航空迎撃センターから通達が届いた。作戦総指揮官ユジ・メンシャンより、戦闘士エイラ・リバードへ。レヴィニア国内に混乱をもたらしているワルキューレ、イクラス・レリエを速やかに無力化せよ。これは国際同盟常任理事会による決定である。
レヴィニア解放軍の駐屯地でも、出撃の準備が始まっていた。王の墳墓の守りがなくなるのは、かなり確度の高い情報だ。歩兵が、戦闘車両が、飛行機械が。砂煙を立てて出撃していく。兵士たちの表情にも、いつにない緊張感が見て取れた。
「仇を取ってくれ、頼むぞ!」
外人部隊の極北連邦兵が、エイラに向かって声をかけてきた。まずは戦闘士が、ワルキューレの排除をおこなう。そこで状況終了の宣言が成されるまでは、一般戦闘員は介入出来ないというのが国際条約での決まり事だ。エイラはそれに手を振って応えた。外人部隊にとってイクラスは、沢山の味方を殺した憎むべき仇敵だった。
一方、レヴィニアの兵たちはエイラに対して無言で敬礼をしてみせた。これから彼らはかつての彼らの英雄と、主君をその手にかけなければならない。それが彼らの望んだレヴィニアだ。レヴィニアの民は背筋を伸ばし、一糸乱れぬ隊列を組んで砂の中へと進んでいく。その先に待っているのは、彼らの王国の最後の時だった。
「調子はどう?」
「ぼちぼちってところね」
ラリッサはファフニルの出発準備で忙しそうだった。エイラの問いにも、操縦席から気のない返事をしてくるだけだ。たまに、押し殺した唸るような声が漏れ聞こえてくる。
それもこれも、ディノの新兵器のせいだった。あの長剣はあまりにも抗魔術加工が強すぎて、小さなファフニルに積み込むと全体の制御にまで支障が出てしまう。色々と思案した結果、船底にある電磁石アンカーにくっつけてぶら下げて運ぶことにした。
これの消費電力は、意外と馬鹿にならない。重量もそこそこにあるということで、ラリッサは夜明け前からファフニルの機械部分の調整に余念がなかった。
ディノの方はといえば、船室の床で引っ繰り返って眠っていた。早く休めと言っておいたのに、結局徹夜作業になったからだ。完成した長剣二本を、エイラはファフニルの外に運び出した。注文通りの仕上がりにはなっている。後は実戦での応用だ。
「じゃあ、始めるか」
エイラは砂漠の彼方の方を見やった。その視線の向こうには、イクラスがいる。今度は負けない。ワルプルギスの戦闘士の名に懸けて。
ここで摂る最後の食事は、果物だった。イクラスとサファネは、プラムの実を食べていた。それに何か、特別な意味があるのかどうか。フミオには判らなかったが、不思議と二人は幸せそうに見えた。
兵たちにも食料が目いっぱいに振舞われ、それから金貨の詰まった袋が手渡された。
「これを逃せば、もう生き延びる機会はない。今ここを去る者を、レヴィニア王国は薄情とは思わぬ。皆良く仕えてくれた。命を大切にせよ」
サファネはそう演説して、兵たちに脱出を促した。サファネは道連れも、生贄も望んではいない。しかし、誰も王の墳墓から離れようとはしなかった。一人一人がサファネの前に進み出て、金貨の袋を戻した。レヴィニアを想う心は一つ。ここを全員が、自らの死に場所として定めていた。
フミオとトンランも、王の墳墓を退去することを拒絶した。いざとなれば、自分の力だけで逃れてみせる。ここでイクラスとサファネの最後を見届けることが、フミオの仕事だ。フミオの訴えに、サファネは最終的には折れて二人が残ることを許可した。
午前の内に、外部に繋がる秘密の通路は爆破された。これで、退路は完全に断たれた。レヴィニア解放軍の進撃が始まっているのは、トンランが定時連絡をおこなった際に判っている。後はただ、その時が訪れるのを待つばかりだった。
「砂嵐が、弱まってる」
レヴィニアのワルキューレたちが用意していた防壁が、限界を迎えようとしていた。砂で隠されていた景色が、ゆっくりと開けていく。一陣の風が吹き抜けた後を、轟音と共に飛行機械が横断していった。
ここは間もなく、戦場になる。嫌でもそう思い知らされる、不吉な駆動音だった。イクラスは一つ大きくうなずくと、王の墳墓の前へと歩き出した。全員が、その後ろに続く。ワルキューレは、レヴィニアを導く者。その姿は滅びを目の前にしてもなお、神々しく美しかった。
「ここでお待ちください」
遺跡の入り口にあたる大岩の門の前で、イクラスはそう言い渡した。兵たちが止めるのも聞かず、サファネは前へと身体を乗り出した。どうせ、この後の運命は決まっている。イクラスが死ぬのなら、サファネが生きてどうするのだ。更に一歩を踏み込もうとしたサファネを、イクラスは振り返って制した。
「サファネ、そこで見ていてください」
紅い髪が、さらりと音を立てて崩れた。黄金の瞳が、サファネを正面から捉えている。フミオはシャッターを切ることも忘れて、イクラスの姿に見入った。
その向こうに、懐かしいファフニルが見えた。戦闘士、エイラが飛び降りる。砂の大地に、決戦の舞台が整えられつつある。言葉もなく立ち尽くすサファネに、イクラスは――
「これが私と貴方の、結婚式です」
柔らかな笑顔を見せた。
レヴィニア王国は、ワルキューレと王子を最期に残した。その二人が、同じ場所で終わる。歴史の中に、母星の大地に、人々の記憶に。いつまでも並んで、二つの名前が刻まれる。
二人は一緒だ。いなくなっても、いつまでも。それはとても悲しくて、でも幸せで。
どうしても結ばれることなんてないと思っていたのに。こんな形で、永遠を手に入れられるだなんて。イクラスは正面に向き直った。誓いを告げなければ。ワルプルギスの戦闘士に。
イクラスの血と命を――証の指輪として。
「イクラス!」
サファネの叫びが、後ろから追いかけてきた。さようなら、愛しい人。出来ることなら、生きてください。
陽炎の中に浮かぶエイラに向かって、イクラスは無言のまま砂を踏みしめた。




