この身砕けるまで(4)
王の墳墓でサファネ王子を護衛する兵士たちは、筆者の取材時点では十名たらずといったところだった。年配の者が中心で、全員身体のどこかしらに傷跡があるのが印象的だ。左眼が義眼であるという近衛兵の男性は、快く筆者のインタビューに応じてくれた。
「カウハ様には、命を助けていただきました」
カウハ・レリエは、レヴィニア王国を守護していたワルキューレだ。レヴィニア解放軍のクーデターでは第一攻撃目標とされて、自らの住まう宮殿で壮絶な死を遂げた。隻眼の男性はカウハの死亡を伝え聞いて、サファネ王子と合流することを心に決めたという。
「今の若い者は知らないかも知れませんが、一昔前のレヴィニアでは砂漠の凶賊に手を焼いておりましてな」
男性は砂漠の中にある、小さな集落で生まれた。いつ枯れるかも判らない井戸の周りに出来た、地図にも載らないような村だ。痩せた土地に、豆を育てて食いつないでいる。今日明日を生きることだけで精いっぱいな、貧しい毎日だった。
ある時、村を凶賊が襲った。他の街から追い払われて、気が立っているところで運悪く近くを通りかかっただけだった。武器も、争う力もない。村の住民たちは、荒れ狂う暴力によってあっさりと蹂躙されてしまった。
男性の家族は、残らず目の前で殺された。次には自分が死ぬということを、男性は覚悟した。名もない場所で育った人間が、何者にもなれないままに刈り取られていく。それは運命なのだろうと、生きることを諦めかけた。
「その時です。カウハ様が、凶賊共を全て薙ぎ払ってくださった」
一方的な虐殺は、一方的な殺戮によって覆された。普通の人間が、ワルキューレを相手にして勝てる道理はない。無数の屍の上に立ったカウハは、力なく立ち尽くす男性を抱き締めて涙を流した。
「『すぐに気付けなくてすまなかった。さぞや怖かったろう』と。その時私は初めて、自分がワルキューレに守られた国に生きているということを自覚しました」
家族を失った男性は、カウハに伴われてレヴィニアの首都へと移り住んだ。ワルキューレへの恩返しがしたいと思って、レヴィニアを守る兵士を志した。凶賊たちはまだ、レヴィニアの砂漠地帯を我が物顔で荒らして回っている。男性はレヴィニアの軍隊に加わって、カウハと共に凶賊たちと戦った。
「この眼を失ったのはその時です。恥ずかしながら、カウハ様には二度も助けられました」
深い傷を負ったのは、無理な突撃を敢行したツケだった。戦場で突然目の前が真っ赤になって、男性は自分が撃たれたことを悟った。元々は、レヴィニアのワルキューレに助けられた命だ。レヴィニアの兵士として戦って死ねるならそれで本望だと思って、その時は自らの死を受け入れた。
意識を失って、目が覚めれば男性はベッドの上にいた。聞けば戦況不利を察知したカウハが駆けつけて、ぎりぎりのところで救助されたのだという。男性が長じて立派な青年となっていることを知り、カウハは驚き、喜んだ。
「『あの時の子供か』と笑われました。覚えていてくださったんですね。カウハ様は、変わらずにお美しかった。レヴィニアの全てを見通しておられて、まるでレヴィニアそのもののようなお方でした」
数々の功績を認められて、男性は最終的には近衛兵の一員にまで抜擢された。男性にとってはただ愚直に、レヴィニアという国が平和であれという己の願いに従っただけのことだった。そしてレヴィニアにその安定をもたらしているのは、ワルキューレの存在であると信じて疑わなかった。
「カウハ様が亡くなられても、その意志は私の中で生きております。私には妻も子供もいません。人生の全ては、レヴィニア王国に捧げました。このままサファネ様、イクラス様と御一緒出来るのなら、それが一番の幸せです」
今この場にカウハ・レリエがいたのならば、この男性に向かってどんな言葉をかけただろうか。筆者には判らなかった。ただはっきりとしているのは、この男性にとってレヴィニア王国とは、生きていることの全てだった。
王の墳墓にいるどの兵士たちも、異口同音にカウハ・レリエやイクラス・レリエ、レヴィニアの王族たちを讃えた。彼らにとってレヴィニア王国は恩人であり、自らの存在意義だった。それを失うくらいならば、死を選択する。それだけの想いがあるからこそ、彼らはレヴィニア解放軍に包囲された中にあっても平静さを保っていられるのだと思われた。
ではその彼らの拠り所である、ワルキューレが敗北すればどうなるのか。レヴィニアには国際同盟からの要請で、ワルプルギスの戦闘士が派遣されてきている。筆者が王の墳墓を訪れた時点で、レヴィニアのワルキューレであるイクラス・レリエは二度、戦闘士と刃を交えていた。
ワルキューレと戦うための専門職である戦闘士の噂は、レヴィニアでも知られていた。戦闘士との戦いは、イクラスにとっても苦しいものであったようだ。王の墳墓にいる兵士たちは、初めてレヴィニアのワルキューレが酷く傷付いている姿を目撃することになった。
「イクラス様が負けることはない。私はそう信じています。戦闘士だろうが何だろうが、相手が卑怯な手段でも使わない限りそんなことはあり得ない」
兵士たちはイクラスの勝利を信じていた。たとえ戦闘士を退けたとしても、その後には抗魔術加工の武器を装備したレヴィニア解放軍が攻め込んでくる。万が一、それもまたしのげたものだと仮定してもだ。ワルプルギスの魔女たちは自らの汚名を返上しようとして、次の戦闘士を寄越してくるだろう。そんな果ての見えない戦いを、イクラスとここにある戦力だけでいつまでも乗り切れるはずもない。
サファネ王子は、この王の墳墓でレヴィニア王国の歴史に幕を下ろそうとしている。そのことを、ここにいる兵士たちは充分に理解した上で残っていた。
「サファネ様は事あるごとに我々に郷里に帰るように言ってくださいましたが――私たちの故郷はレヴィニア王国なんです。そこ以外に帰る場所を知らないんですね」
兵士の一人が、そう言って微笑んだ。不器用な生き方しか出来ない男たちは、このままここで死を待つのみなのか。この時、王の墳墓を囲むワルキューレの守りは、刻一刻とその力を失いつつあった。
降臨歴一〇二九年、十一月二十四日
フミオ・サクラヅカ
心なしか、嵐がその勢いを弱めてきている気がした。砂煙の向こうに、微かに星が瞬いているのが見える。つい一週間ほど前までは、フミオはそこに浮かぶワルプルギスにいた。
そう考えると不思議な気分がした。世界はどこまでも広く感じられるのと同時に、とても窮屈に思える程に狭い。ワルプルギスから見上げる母星と、こうして母星の上から仰ぐ星の海。ただ自分の存在だけが、どうしようもないくらいにちっぽけであると思い知らされて――
フミオは、隣に座っているトンランの掌を握った。
「不安ですか、フミオさん?」
トンランの声は落ち着いていた。こういう時、トンランはフミオの考えを読むのが上手かった。いつでも先回りして、フミオが欲しい言葉をかけてくれる。ちょっとは悔しいとも思うが、それだけ一緒にいる時間が長いということでもある。素直に甘えておけば良い。そのために、こうして二人で旅をしているのだから。
「そうだな。すっきりとはしないよ」
二人は王の墳墓にある建物の、屋根の上に登っていた。松明の灯りが、一つ二つと下の方で揺らめいている。兵士たちが歩哨に立つのも、今夜が最後の見込みだ。明日になれば、ここにはレヴィニア解放軍が雪崩を打って攻めてくることが確定していた。
サファネはフミオとトンランには見張りを付けなかった。人数的にそんな余裕はないし、そんなことをする意味もない。フミオにはレヴィニアの王族最後の一人として、重要なメッセージも託してあった。大切な客人であり、同時にこの戦いからは何としても生きて戻ってもらわねばならない生き証人でもある。むしろこんな危険な場所からは、さっさと立ち去ってもらいたいくらいだろう。
砂嵐の外に通じる秘密の通路は、明日の午前中には爆破して封じてしまうとのことだった。フミオたちがそれを使って脱出するのなら、そこがタイムリミットだ。一応、トンランに守ってもらいながらファフニルに助けてもらうという手段も、考えられないことはない。ただ乱戦状態の混乱の中にあっては、不測の事態が生じた際には対応が極めて困難となる。安全にここを離れたいと望むのであれば、抜け道を使うのがベストな判断であるといえた。
「トンランは、どうしたい?」
「あたしはフミオさんに従います。護衛ですし、相棒ですから」
意地悪でも何でもない、それはトンランの本心だった。フミオは、フミオのやりたいように動いてくれて構わない。トンランはそれを全力でサポートする。フミオのやることは、きっとこの母星を良い方向に導いてくれる。今までそうだったし、これからだってそうだ。
もはやどこの誰であったのかすらはっきりとしない『魔女の真祖』なんかよりも、トンランにとってフミオはすぐ目の前にいる真理だった。
「俺は――あの二人を、見届けたい」
トンランからイクラスの頼みごとを聞かされて、フミオは改めて二人の説得を試みた。レヴィニア王国がもう存続出来ないことは、サファネとイクラスの中では共通の認識として確立されている。それが判っているのなら、レヴィニア王国へのこだわりは一切捨ててしまっても良いのではないか。サファネも、イクラスも、もう無駄に血を流す必要はない。ヴァルハラやワルプルギスだって、二人を生かすことについては助力を惜しまないはずだ。
フミオの進言は、二人に揃って却下された。風前の灯火とはいっても、レヴィニア王国の王子であるサファネはここに健在なのだ。王国の力の象徴であるイクラスも、変わらずにそれを守護し続けている。その炎が燻っているままでは、レヴィニアの内乱はいつまでも終わりを見ない。
伝説には、それに見合った幕切れが必要だ。強く栄えたレヴィニア王国の終わりが、王族とワルキューレの逃亡で締められてどうするのか。レヴィニアを支えてきた民たちと、共に歩んできたワルキューレたち。その全員の意志を汲んで、レヴィニア王国は名誉と誇りのある最期を世界に示さなければならない。
「レヴィニア王国が滅びる瞬間をこの目で直接見なければ、俺にはその語り部になる資格はないよ」
それはサファネが死ぬことか、それともイクラスが死ぬことか。
最悪なのは、両方がそのまま帰らぬ人となることだ。王の墳墓にいる兵士たちも、全員がここに骨を埋めるつもりだった。兵士たちはフミオに、レヴィニア王国での輝かしい思い出話を語ってくれた。彼らはみんな、過去に生きていた。口にするのは昨日までのことばかりで、誰も明日については言及しない。未来を捨てて――ここで終わることのみを考えている。
「ワルキューレは、人を導く存在なんだろう?」
人にはない力で、母星に住む人類を正しき道へと誘うこと。フミオはこれまでの取材で、ワルキューレについて多くの知見を得た。最初は魔女に敵対する、恐ろしい存在だと思っていたのが。今では、魔女よりもずっと人間に近くて、理解しやすい者たちだとさえ思えるようになった。
傷付くし、悩むし、間違いだって犯す。人を愛して、その人のために命を投げ出したりだってする。善もいる。悪もいる。だからこそ、そんなワルキューレを信じて付いていく人類がいるのだ。
「なら、最後まで彼らの手を放さずに、希望のある場所まで連れていってやってほしい。俺は、ワルキューレに失望したくない」
人はワルキューレを越えようとしている。そこまでは至らなくても、争うことが出来るまでにはなった。力ずくでワルキューレの支配を覆して、自分たちだけの未来を掴めることを証明しようとしていた。
イクラスはそれを否定しなかった。むしろ肯定するために、死地へと赴こうとしている。サファネは歴史が転換期に入ったことを、自らの命をもって世の中に知らしめるつもりだ。人が母星の主導権を得て、その舵を大きく切る。
ではその大いなる流れの中で――ワルキューレたちは不要なものとして、全て排除されていってしまうのだろうか。
ワルキューレとは、そんなやわな壁ではない。強くて、気高くて。先頭に立つ者にどんな責務があるのかを、その身をもって表している。ワルプルギスの戦闘士にだって、その信念を簡単に曲げてみせることはしない。
だからこそ、イクラスは逃げる訳にはいかなかった。
たとえその先に待っているのが、敗北と絶望であったとしても。
「大丈夫ですよ、フミオさん」
トンランが、そっとフミオの肩に頭を乗せた。フミオはいつもそうだ。魔女のことも、人類のことも。ワルキューレのことだって、信じようとする。母星にいるみんなが、等しく幸せになれる未来を夢視ている。
それはとても……難しいことだ。でもフミオは、それが可能だと考えている。子供じみてるとも思うし、素敵だとも感じる。トンランはそんなフミオが好きになった。その夢を実現するために、今だってこうして一緒にいる。
流れ星が一つ、落ちた。フミオもトンランも、かつては英雄とまで呼ばれたことがあるのだ。このまま黙って何もかもが消えていくのを見過ごしているほど――無力であるつもりはなかった。




