この身砕けるまで(3)
風に含まれた砂が、頬を引っ掻いていく。髪も肌もざらざらとする。昼の光がそれを熱く照らして、汗と混じってまとわりつく。砂漠の空気を全身に感じながら、エイラはファフニルの上で胡坐をかいて座っていた。
「ああ、ここにいたんだ」
よいしょ、とラリッサがファフニルの側面を登ってきた。エイラはそちらに向かってちらりと一瞥をくれてから、再び遠くの空に視線を戻した。別に、明確な何処かを見ていた訳ではない。ただ意味もなく、真っ青な空と、高い場所にある細くて薄い雲を眺めていた。
「トンランちゃんから、定時報告が来ました。見込み通り、明日の正午に王の墳墓の守りが解けます。それと同時に、イクラスが前面に出てくるんですって」
「そうか」
結局、それ以外の結論には辿り着けなかったのか。レヴィニア王国の最後を華々しく飾るためだけに、派手に玉砕して命を散らせてみせる。エイラはイクラスのその考えを、「歪んだ自殺願望」と呼んだ。
イクラスにとって、レヴィニア王国はそれだけの価値を持った宝物だった。人間とワルキューレが協力して、ここまで歩いてきたという証。それがある日突然に、いとも簡単に引っ繰り返されてしまう。そんなのは、あってはならないことだった。
せめて、人はワルキューレと話し合いを持つべきではなかったのか。そこにはもっと平和的で、穏やかな変化の在り方だってあり得たはずなのに。
しかしレヴィニア王国は、ワルキューレを崇める王族の治める国として閉塞してしまっていた。
外部からもたらされる劇薬に、全てを委ねるしかなかった。エイラはこの駐屯地にいる間、食堂で兵たちが激論を戦わせている場面に何回か遭遇した。これからのレヴィニアはどうあるべきなのか。ワルキューレとどう向き合っていくべきなのか。彼らは彼らなりに答えを出そうとして、必死にもがいていた。
その葛藤が形となって表れているのが……今この先の王の墳墓で立ちはだかっている、イクラスとサファネだった。
「エイラとの最終決戦に臨むにあたって、サファネ王子とイクラスからそれぞれ嘆願が届いています。サファネ王子はイクラスの、イクラスはサファネ王子の命を助けてほしい、と」
「なんだよ、やっぱり助けてほしいんじゃんかよ!」
大声で吠えると、エイラはどすん、と大の字に倒れ込んだ。だからサマルディンでそう言ったのに。戦闘士の仕事は、殺しではない。魔女の罪やワルキューレのおこないを、人間の世界と折り合いが付くように丸め込んでやるのだ。
殴る必要があるならそうするし、話し合いで済ませられるならそれでも良い。命を奪わなければ止められないこともあるかも知れないが、それは本当にどうしようもない場合にのみ限られる。大体、一人を殺せばそれで万事解決するような単純な問題なら、戦闘士でなくても対処は簡単だった。
魔女だろうがワルキューレだろうが、生きているなら死ぬ。身体もそうだし、心だってそうだ。でもいなくなってしまえば、取り返しは付かなくなる。後に残るものは何だ。戦闘士は、常にその先を考える。エイラは師匠であるユジに、そう教わっていた。
「元から、殺すつもりなんてないんでしょ?」
「当たり前でしょー」
ラリッサがエイラの隣に腰を下ろした。ディノと同じ金髪が、きらきらと光を反射している。昔からラリッサは秀才で美人で、学校でもモテモテで有名だった。ラリッサみたいな魔女がいるから、魔女もまだ捨てたものではないと思える。
エイラは手を伸ばすと、ラリッサの髪の先をくるくると指先で弄んだ。ディノにこれをやると、滅茶苦茶に怒られる。こんなに綺麗なんだから、仕方がないじゃないか。ラリッサはいつだって、優しく微笑んでエイラの悪戯を許してくれた。
「ソミア王女からも嘆願を受けてますからね」
その通りだ。ヴァルハラに亡命したレヴィニアの王族ソミアは、巫女に頼み込んでファフニルとの通信を求めてきた。エイラはその時、初めてソミアの姿を目にした。
通信装置が浮かび上がらせたのは、砂の国の出身とは思えないくらいに色白で、褐色の髪にくりくりとしたコバルトの瞳を持つ可愛らしい淑女だった。近年までワルキューレと敵対していたワルプルギスの戦闘士とその仲間たちを前にして、ソミアはまず感謝の意を言葉にした。
「ファフニルの皆さん。この度は私のレヴィニア脱出のために尽力されてくれたと聞き及んでおります。皆様のお力添えもあって、私は今こうしてコリドールにて生き永らえることが出来ております。改めてお礼を述べさせてください」
「なんの。姫様のところのワルキューレのお陰でもある。二人でちょっくらはしゃいでやっただけのことだ」
エイラの返答に、ソミアは表情を曇らせた。ソミアを安全に逃がすために、イクラスはわざと自らの所在を明らかにし、戦闘士と激突してみせた。
エイラとしては騒ぎを起こす程度で構わないという認識だったが、イクラスの方はそうではなかった。二人程の力の持ち主が本気で戦えば、お互いに無事で済む方がおかしい。エイラはマナを切らして一時的に戦闘不能に、イクラスも手傷を負うという結果になった。
「エイラさん、イクラスが失礼をしました。全ては私と、兄であるサファネのためにやったこと。どうか、平にご容赦ください」
「そのことに関しては、怒ってはいないよ」
イクラスは、己の使命に対して忠実なワルキューレだ。それに、手抜きの陽動では怪しまれてしまう可能性もある。エイラとイクラスが手加減なしでぶつかったからこそ、レヴィニア解放軍の眼はそちらに集中してくれた。その甲斐もあって、ソミアの脱出劇は拍子抜けするほどすんなりと完了させることが出来ていた。
エイラがピンチになったのは、エイラ自身の慢心や修行不足が原因だ。戦闘士だ磁力制御士だなんて持て囃されて、心の中に油断が生じていた。エイラは自らの至らなさを痛感し、反省することしきりだった。
「ただ――あたしは自分の命を粗末にする奴が嫌いなんだ」
死ぬために、戦う。そんな理由で伝説の踏み台にされるなんて、エイラには御免だった。イクラスもサファネも、レヴィニア王国の限界を目の当たりにしたことで、自分たちの未来に絶望を抱いてしまっている。そのままレヴィニア王国と心中することが、二人に定められた運命なのだとでも言いたげだ。
エイラにはそれが――気に食わなかった。
「ソミア姫を生かす頭があるのなら、ちったあ自分たちのことも考えりゃ良いのに。あたしにはそこんところ、さっぱりだね」
ソミアをレヴィニアの外に置ける理由が付けられるとすれば、それはサファネにだって適用出来るだろう。そんなものは、屁理屈でしかない。死にたくないのなら、形振り構わず這いつくばってでも生きれば良い。王族だ何だと、妙なしがらみを持ち出してまで死にたがるなんて。そんなものは、ロマンチストの戯言だ。
「エイラ、言葉遣い」
ディノに指摘されて、エイラはおっと、と口をつぐんだ。久しぶりに、本気で殴り合える相手に巡り合えたのに。それが『あんなの』であることが、エイラには無性に腹立たしかった。
そんな胸の中のモヤモヤが、どうしても言葉や態度になって外に噴き出してしまう。レヴィニア兵たちの安い挑発に乗って腕相撲の大会なんて始めてしまうのも、そういった抑えきれない衝動に突き動かされてのことだった。
「――エイラさんのおっしゃる通りかもしれません」
エイラのあまりの暴言にショックを受けていたのかと思いきや、ソミアは真剣な眼差しでファフニルの乗員たちを見回した。凛として、決して物怖じせず。強い意志を持って、何ものにも揺るがされない。その立ち振る舞いはレヴィニアの王族の名に恥じない、堂々としたものだった。
「ファフニルの皆さん、レヴィニアの王女として、皆さんにお願いします。これがどれだけ無茶なことなのかは、正直に言って自分でも充分には理解出来ておりません。それでも私には、皆さん以外に頼れる方々を知らないのです」
レヴィニアの王女という言葉に、今どれだけの重みをあるのか。消えていく王国の姫であることなどに、価値なんて何もないのかもしれない。いやむしろ、それは負の遺産とも呼べる忌むべき過去と化してしまうのか。
ただ他の誰かの心に訴えかけようとする際に、ソミアには他に賭けられるものが何もなかった。財産も、家族も。持っていた全部を捨てて、コリドールの中に逃げ込んでいた。
そんなソミアを支えてくれるのは、レヴィニアの王女であったという事実のみだった。今となっては虚しさしか伴わないその肩書だけが、ソミアを突き動かす大きな力となっていた。
「お兄様と、イクラスをお助けください。私にとって二人は、かけがえのない家族なのです。ワルプルギスの魔女様、どうか――どうかお慈悲を」
跪いてぽろぽろと涙をこぼすソミアの姿が、いつまでも瞼の裏に焼き付いて離れなかった。平和な王宮での生活を銃声によってかき乱されて、ソミアは何もかもを失った。両親を目の前で殺害され、兄と、姉同然に親しくしていたワルキューレに連れられて逃亡を開始した。
その行きついた先で、ソミアはレヴィニア王国の崩壊を言い聞かせられ、たった一人でヴァルハラの下に身を寄せた。ソミアの故郷は、いよいよ最後の時を迎えようとしている。サファネとイクラスの二人、ソミアの大切な家族全員が命を落とすという結末によって。
「それで、どうするの?」
「決まってるさ」
戦闘士がやることは、明白だ。戦うことを許された魔女は、その力に他の魔女たちとは違う重い責任を負っている。星を追う者が、母星に生きる全ての者たちのために隕石を追いかけるのと同じように。
その力は、母星の平和を守るためにある。誰かが流した悲しみの涙を――打ち砕くために!
「ファフニル、応答せよ。こちら国際航空迎撃センター特殊装具開発部だ。ご注文の品を持ってきたぞ」
突然念話の声が聞こえて、エイラとラリッサは真上に視線を向けた。空船かと思ったら、一人の魔女がホウキに何かをぶら下げて飛んでいた。人一人がすっぽりと入ってしまいそうな大きさのコンテナだ。ラリッサの誘導を受けると、銀縁の眼鏡をかけた魔女はぶすっとした表情でゆっくりとファフニルの横に着地した。
「なんつー面倒臭いものを注文するんだ。運ぶのだって大変だったんだぞ」
「ええっと、これ、エイラが頼んだの?」
「僕だ、僕。やっと届いたのか」
ファフニルの中から、ばたばたとディノが飛び出してきた。コンテナの中を覗き込んで、何やら満足そうにうなずいている。その間、荷物を運んできた魔女は「うへぇ」としゃがみ込んで水筒の水をがぶ飲みしていた。
「ブツ自体は三日くらい前に仕上がってたんだけどさ、レヴィニアの飛行許可とか、あとこれをどうやって運ぶのかってところでずっとハマってたんだよ。もう頭の上に落っことしちゃえば良いんじゃないかって話もあったね」
レヴィニアの領空内は、相変わらず空船の飛行が禁止されている。ワルプルギスからの増援物資の搬入も、計画外のものは厳しい規制の対象となった。今回のディノの注文は完全に通常の貨物からは逸脱したもので、魔女による手荷物での持ち込みがなんとか許されたという代物だった。
「機能的な問題はないのか?」
「あたしゃそれのせいで何度も落っこちかけたよ。問題なし。っていうか、そんなのホントに使えんの? 戦闘士ってのはバケモンだね」
エイラは軽く肩をすくめた。ディノがこの作戦の開始時点から色々と動いていたのは知っていたが、具体的な内容についてはさっぱりだった。とりあえず、明日の決戦には間に合ったのだからありがたく使わせてもらう。エイラはディノの横に立つと、そこに何が入っているのかを確認した。
「抗魔術加工、だよね?」
今のご時世、輸出入にそれだけの規制がかかって、尚且つ魔女による輸送が手間となる荷物なんてそれぐらいしかない。ワルプルギスでは先のイスナ・アシャラの襲撃事件から、徹底的に抗魔術加工の分析作業がおこなわれていた。国際航空迎撃センターの中では、それを専門に扱う部署も存在している。それが、特殊装具開発部だった。
「極北連邦製じゃない、魔女オリジナルだ。ちょっとした細工があちこちに仕掛けてあってね」
ふぅん、とエイラはそこに仕舞われていたものを手にしてみた。ぎらり、と銀色の光が溢れ出る。真っ直ぐな形状の刃を持つ、がっしりとした長剣だ。刀身の部分からは確かに、抗魔術加工の気配が感じられた。
「……重っ!」
見た目通りに、長剣はかなりの重量級だった。抗魔術加工が施されているとすると、磁力制御は効かないか。そう思いつつ試してみると、エイラの魔力は難なく長剣の中に浸透していった。
「何これ、どうなってるの?」
「使い方はこれから説明する――って、もう一本あるじゃないか」
コンテナには、同じ形状の長剣がもう一振り収納されていた。重さも単純に倍になるし、そこから生じる抗魔術加工の効果も範囲が広がる。特殊装具開発部の魔女は、顔の前でぐっと親指を立ててみせた。
「サービスっす」
「そりゃどうも」
それで搬入が遅れたとかいうのならともかく、こうして間に合ったのだから文句はなかった。多い分には困らないだろう。エイラは既に満面の笑顔で、二刀流の構えを取っていた。あれを軽々と振り回してみせるのだから、戦闘士という存在は間違いなくバケモノだ。
これで、ディノの方の準備は一通り整いそうだった。この武器なら、相手があのイクラスであっても負ける気はしない。エイラにはこいつを使って、戦闘士としての正しさを存分に示してもらいたかった。
そのためなら、ディノはどんな協力だって惜しまなかった。必ず、エイラを守ってみせる。イクラスがレヴィニアという、消えるしかない王国を守護することにこだわるのなら――この力で、その夢から叩き起こしてやる。それが、ワルプルギスの戦闘士の仕事だ。
腕組みしたディノの前で、エイラの持つ二本の長剣が鋭く空を切り裂いた。その切っ先の向こうには、イクラスのいる王の墳墓があるはずだった。




