この身砕けるまで(2)
レヴィニア王国は、中央大陸の中でも相当に長い歴史を持つワルキューレ信奉国だ。いや、ワルキューレ信奉国だった。この記事を執筆している現在、レヴィニアは共和国化のための体制作りの真っ最中である。そこには王族も、ワルキューレもいない。選挙によって選ばれた代表たちが政治をおこなう、民主国家として生まれ変わろうとしていた。
王制が敷かれていた当時、レヴィニアは独裁者による困難な時代であったかと言えば、そうでもない。国際同盟諸国との接点が近い故のいざこざすらあれ、国内はむしろ豊かで、平和そのものだった。国民は王族たちを敬愛し、ワルキューレを崇拝していた。
「変革を促したのは、母星全体の流れ、とでもいうべきものでしょう」
国際同盟に与する魔女たちは、ワルキューレと和解した。国際同盟自体の動きも、徐々に軟化しつつある。一方的な侵略でないのならばと、商人たちを中心にして経済圏の拡大を望む声も上がり始めた。
世界が仮に一つにまとまるのだとすれば、それはワルキューレによって治められた世の中だろうか?
――答えは、『否』だった。
「我々、中央大陸のワルキューレ信奉国家群は、それを読み違えた。父は国際同盟との対立を激化させる方向を望みました。恐らくはそれが、レヴィニア国内で気付かない間に大きな反発を産んでしまった」
レヴィニアの王族、サファネ王子はそう語った。レヴィニアの革命には、国際同盟側とみられる多くの外人部隊がレヴィニア解放軍に参加していた。これだけ大規模な手引きが、王族に知られない内になされるというのは相当なことだ。国王、王妃、そして王家を守護するワルキューレの一人までもが一夜の間に命を奪われた。サファネ王子はその混乱の中、もう一人のワルキューレと何人かの協力者の手助けによって、王宮の外へと逃げ出すことに成功した。
「王族を愛してくださる、数多くの皆様に改めて感謝を申し上げます。皆様のお力があって、レヴィニア王家の血筋は今もこうして生き永らえていられるのです」
サファネ王子は、レヴィニアに残る『王の墳墓』と呼ばれる遺跡に避難した。ここにはかつてレヴィニア王家と共に歩んできたワルキューレたちが建造した、魔術的な防御設備があったからだ。そこに立てこもって王国復興の兵を挙げるのかと思わせて、サファネ王子はただじっと動かないままでいた。
「時代を、誤った方向に進めてはいけない。それが今のレヴィニア王家である自分の考えです」
レヴィニアの革命には、明らかに外部からの力が干渉していた。筆者はレヴィニアの国内を取材して回り、その方々で極北連邦の兵士たちと出会った。彼らは外人部隊という名目でレヴィニアに駐留し、王国派の兵たちやワルキューレと戦っている。傍から見ればこの革命はレヴィニアの民が望み、レヴィニアの民が自らの意志で起こしたものではないと思えることだろう。
実際に、これが極北連邦による南進政策の一環であることは確かだった。レヴィニアの治安維持のためと称し、国際同盟から次々と軍隊が派遣されてくる。レヴィニアの地は、異民族たちによって踏み荒らされた。この行為を侵略と呼ばずして、何と表現すれば良いのか。筆者は他に言葉を知らない。
ただ同時に、レヴィニアに入った国際同盟の部隊はどれも規律正しく行動していた。戦争犯罪が一切おこなわれなかった――などと妄言を吐くつもりは毛頭ない。それでも侵略という言葉を使うのが憚られるほどには、レヴィニアにおける市民生活の秩序は保たれたままだった。
後に国際同盟の議場で、極北連邦の代表はこの出征を「レヴィニア解放軍の要請によるもの」であると説明した。レヴィニア国内には、王制やワルキューレの支配から抜け出したいと願う一派があった。極北連邦には、レヴィニアを軍事的に制圧する意思はない。レヴィニアはレヴィニアの人民によって統治され、国際同盟の諸国と友好的な経済関係を構築することを期待している、と。
何のことはない。レヴィニアに今後作られる新政府との間で、化石燃料の貿易で有利な条件を示したい。それが極北連邦の偽らざる真意だった。
「魔女との友好関係を深めている国際同盟諸国と貿易関係を強めていくには、ワルキューレも、それを信奉する王族も邪魔だったのでしょう」
レヴィニアで最も力を持っているのは、化石燃料を扱う商人たちだ。かつて砂と岩以外に何もなく、限られた水場を巡って命懸けで争っていた時代とは事情が異なっていた。
レヴィニアの国民は、最早ワルキューレを必要とはしてない。むしろ国際同盟との余計な火種となるような存在は、邪魔と受け取られても文句は言えなかった。数多くの栄光は過去のものとなり、レヴィニアの街中には銃を携えた兵士たちが並ぶことになった。
「レヴィニアが手足をもがれ、口を封じられているというのなら、ワルキューレはその状況を打破するために戦いもします。でも現実は違う。レヴィニアは自らの意志でそれを選んだ」
サファネ王子は自身と共にあるワルキューレからの報告や、筆者の取材メモから熱心に市民の様子を知りたがった。そしてレヴィニアの現状が大きな混乱の中にないことを知って、ほっと胸を撫で下ろしていた。
「レヴィニアがこれから、どう変わっていくのかはまだ時間が経たなければ判りません。何が良かったとか、悪かったとか。そういった判断が出来るようになるまでには、数十年の歳月を要するでしょう」
革命は、レヴィニアが望んだものだ。サファネ王子はそう受け取っていた。レヴィニアの王族は、退場するべくして退場する。それがいつまでも燻っていては、レヴィニアは次の時代へと進んでいけない。
「レヴィニアの王家は、レヴィニアの選択を尊重する。新たな枠組みの中で生きていくレヴィニアの民に、ワルキューレの加護のあらんことを」
この時サファネ王子は王の墳墓にてレヴィニア解放軍による包囲を受けており、自身の死がすぐそこにまで迫っていることを覚悟していた。それでも尚、筆者にレヴィニアの未来を語るその姿は、毅然として少しも揺るぎないものだった。
降臨歴一〇二九年、十一月二十三日
フミオ・サクラヅカ
インタビューを終えると、サファネはぐったりと背もたれに体重を預けた。フミオはまだ、手元の帳面にペンを走らせている。自分の中にある全てを、吐き出すことは出来ただろうか。伝え忘れたことがあるなら、今少しの時間はある。ここにあの魔女の罪の告発者、フミオ・サクラヅカが現れてくれたことは、サファネにとっては僥倖であった。
伝説には、語り部が必要だ。サファネとイクラスがここでどんなに戦ってみせたとしても、見ているだけの者にはその意志までは伝えられない。レヴィニア国内を逃げ惑って、ここに追い詰められてただ滅びた、というのでもあながち間違いではないが。可能であるなら、自分の言葉でその意図するところを残しておきたかった。
その目的を果たす上で、フミオは最適の人物だった。ワルプルギスの魔女と共にありながら、その罪を記事にして世界に公開し、人類の進むべき道までを示唆してくれる記者だ。魔女とワルキューレ、そして人間も含めた母星全体の平和を考えていくという思想の持ち主。サファネはフミオの目指している世界のことを、素晴らしい理想郷だと思っていた。
「サクラヅカ殿、我の言葉は、世界に届けてもらえるだろうか?」
「はい。それは間違いなく、記事にさせていただきます」
良かった。それならば、サファネにはもう思い残すことはなかった。人知れず消えていくのでは、レヴィニアの歴代王たちに申し訳が立たない。サファネには最後の王として、果たすべき義務があった。
目を閉じて微睡もうとして、ふと思い立った。フミオはようやく書き物を終えて、鞄に荷物を仕舞い始めていた。後は扉の向こうに声をかけて、席を外してもらっていたイクラスを呼べば全てが完了だ。
「――待ってくれ、サクラヅカ殿」
人払いした室内には、サファネとフミオの二人しかいない。異変があればイクラスがすっ飛んでくるだろうが、静かに話をしている分にはそれもなかった。こんな機会は、これを逃せば二度と得られないだろう。
「どうかされましたか?」
再び帳面を取り出そうとしたフミオを、サファネは手で制した。そういうことではない。これはむしろ、記録不要であってほしいものだ。怪訝な顔をしたフミオに、小さく手招きをする。インタビューの時よりもずっと近くに寄って、二人は膝を突き合わせた。
「サクラヅカ殿は、ここに派遣されてきているワルプルギスの戦闘士と繋がりがあるのだな?」
確か、ファフニルとかいう部隊だったか。フミオはその一員として、レヴィニア国内に侵入してきた。今フミオが羽織っているのも、国際航空迎撃センターの制服だった。護衛の防御士トンランが定時連絡をおこなっている相手というのは、その戦闘士の部隊員だろう。
「はい、そうです。あの、ここへの抜け道とか、イクラスさんの情報とか、そういうのは流していませんので」
そんなのは、今更だった。いつかは誰かに知られる程度の話だ。抜け道の存在に至っては、これまでフミオとトンラン以外に発見されなかったのが奇跡に思えるくらいだった。
「そうではない。だが、そうか。戦闘士の部隊とは連絡が付けられるのか」
「可能です。トンランに伝言を頼むことになります」
小さな光明が見えた気がした。心の中で引っかかっていた、小さく尖った棘。それがするりと抜けて、落ちていく。これで、何もかもは万事解決だ。サファネは無意識の内に、ほくそ笑んでしまっていた。
「では、どうか頼まれてほしい。明日にはこの王の墳墓の守りは消える。こちらからはイクラスが防衛のために前に出ることになるのだが――」」
砂の中に燃え上がる、真紅の髪。サファネは何度、その後姿を見送っただろうか。この場所に留まっていることしか出来ない、無力な王族に価値なんかない。サファネに守れるものがあるというのなら、それはたった一つだった。
「イクラスを、殺さずに捕縛してほしい。我の……僕の命は、その後どうなろうと構わない。とにかく、イクラスの命だけは助けてくれ」
「サファネを、ここから連れ出してください。それだけの混乱を、私が作ってみせます。戦闘士が使っている空船、あれに乗せてヴァルハラにでも飛んで運んでください」
イクラスは穏やかな声で、トンランに訴えた。
「レヴィニアの王族が生きていれば、レヴィニアの分裂は長く続くことになる。でもそれは、王族がワルキューレの力を失ってしまえば、そこまで根強いものになるとは思えないのです」
戦闘士がイクラスを排除してしまえば、サファネを守る者はほとんど無力に等しい。生きてこの国に留まれば争いの元だろうが、単身でヴァルハラにでも逃げればそれまでだ。王国の再興でも望まない限り、サファネ自身は静かな余生を過ごすことが出来る。レヴィニア解放軍も、そこまで無理な追撃はしてこないと思われた。
エイラ・リバードは、恐るべき強敵だった。ワルプルギスの戦闘士は伊達ではない。イクラスはあと少し、サファネとの時間を過ごしたかったのだが、それはもう無理な願いだった。
次にエイラとぶつかれば、イクラスは負ける。そうと判っているのなら、次の一手を打っておく必要があった。
それがどんなに悪手と思われるものであったとしても、だ。
「サファネは優しい人です。レヴィニアが平和でいてくれるなら、きっと余計なことはしません。それに――」
視線を上げて、空の彼方を見つめる。眼には映らなくてもその先にはヴァルハラの居城、コリドールが浮かんでいるはずだった。
「ソミアから、大切なお兄様を取り上げてしまう訳にはいきませんから」
「イクラスが傷付いて帰ってくる度に、震えて心が折れそうになった。今日は生きて帰ってくれた。明日は戻らないかもしれない。それが苦しくて、すごくつらかった」
サファネの独白は、血を吐くようだった。
「それがイクラスの使命だってことは、百も承知している。レヴィニア王国を、約束された未来へと導く……そんな夢はもう、失われてしまったんだ。今の道が破滅へと続いているって判っているのなら、それに盲目的に従う必要なんてないじゃないか」
レヴィニア王国は、ここで終わる。それは人間の側による、身勝手な理由によるものだ。ワルキューレの過失であるとは思えない。ならばこの先に待つ地獄へは、人間だけが落ちれば良いのではなかろうか。
「イクラスがいてくれるから、僕はここに立っていられる。レヴィニアの王族でいられる。イクラスには感謝してもし切れない。だからこそ――イクラスには生きていてほしい」
サファネにとってイクラスは、誰よりも近くにいてくれる友人であり、そして――
「僕は……イクラスを愛している」
誰よりも、愛する女性だった。
「レヴィニアの王族はここで絶える。レヴィニア解放軍はその目的を果たせるし、イクラスはその呪縛から解き放たれるんだ。イクラスには、あの子にはこんな戦いは似合わない」
王宮の中庭でプラムの実を齧ったイクラスの表情が、今でもサファネの脳裏に浮かんでくる。美しいと思った。可愛らしいと思った。イクラスと共にいられるのなら、レヴィニア王国という国の王族でいられることを嬉しく思えた。
「僕は生きている限りレヴィニアの王族だ。この命が果てたなら、レヴィニア王国はそこまでとなる。その時は――イクラスをよろしくお願いします」
深々と頭を下げたサファネの小さな背中を、フミオは呆然と見下ろしていた。




