私とあなたの生きる場所(5)
レヴィニア解放軍の駐屯地に帰還して、エイラが最初に向かったのは食堂だった。まずは不足しているマナを、可能な限り経口摂取しなければならない。包帯ぐるぐる巻きの女が、無言で山盛りの飯をかき込んでいるのは異様な光景だ。それが終わってからようやく、エイラはしぶしぶという態度で医務室の世話になった。
外傷関係は全て魔術で治療済み。麻酔による副作用も抜け始めている。何より、あれだけ飯が食える人間が異常なはずがない。医療担当官に呆れられながら、エイラは念のためにと医務室のベッドに寝かされることになった。
「暇だ。つまらん。ファフニルの方が落ち着く」
などと散々ごねておきながら、十分後にはエイラはぐっすりと眠ってしまった。魔女はマナが枯渇すると活動力が鈍る。今までの傾向からして、一晩睡眠をとればエイラは元通りに回復するだろうと見込まれた。ディノはその間に、エイラの防護服を突貫作業で修復しなければならない。ジャコース将軍の恨み言は、ラリッサが独りで引き受ける流れになった。
「あのオッサン、絶対に頭おかしいって」
ファフニルに戻ってくるなり、ラリッサはばったりと床の上に倒れ込んだ。もうとっくに日が暮れて、辺りは夜の闇に包まれていた。空船の操縦士にはちゃんとした食事と休憩を与えておかないと、ちょっとしたうっかりミスから大事故に繋がりかねない。そこのところを、あのアブラギッシュハゲにはもっとしっかりと認識しておいてもらいたかった。
「お疲れ様」
「並のお疲れじゃないわよ……って、これエイラも言ってたわね。ああもう!」
ジャコース将軍の言い分も、ラリッサには判らない訳ではなかった。戦闘士が来たからには、確実にワルキューレを仕留めてもらわなければ困る。今回エイラたちがレヴィニアに送り込まれてきた目的は、イクラスの『排除』ではない。ただしそれはワルプルギス側の都合の問題であって、国際同盟を介して依頼を出してきたレヴィニア解放軍にとってはあずかり知らぬことだった。
あと数日で、王の墳墓を取り巻いている魔術的な嵐は消滅する見込みである。その時サファネとイクラスがどんな手を使ってくるのかは、現時点では未知数だった。戦闘士はレヴィニア解放軍の先陣を切って突入を敢行し、イクラスの無力化を必ず達成すること。
わざわざ口を酸っぱくしてそう言われなくても、他に手立てはなさそうだった。エイラは明日の朝には回復する。イクラスの方もエイラとあそこまで派手にやり合っておいて、またすぐ今夜中に攻勢に出てくるとは考え難かった。
決戦の時は近い。泣いても笑っても、次に対面した時にはイクラスの側には何らかの答えを出してもらう必要があった。
大人しくエイラに降伏して、ヴァルハラに保護されるか。
そうでなければ、徹底的に交戦して――破滅するか。
「イクラスとサファネ王子は、王の墳墓にいるのか?」
「一応レヴィニア解放軍の観測班が、イクラスが帰還するのを目撃してる。後はまあ、ちょっとした裏情報がね」
へろん、とラリッサは舌を出しておどけてみせた。
「なんだそれ?」
「トンランちゃんから定時連絡があってね。今あの記者さんと一緒に、なんとびっくり王の墳墓にいるんだってさ」
「はぁ?」
ディノは手に持った工具を落としそうになった。一体どこでどうやったらそんな結果になるのか。大体あの砂嵐は魔術的な力を持っているので、魔女でも簡単には越えられないという話だった。それにそもそも王の墳墓の周辺は、レヴィニア解放軍が人っ子一人通さない包囲網を形成している只中だ。いくら『ブリアレオス』の英雄とはいっても、そこまでやってしまってはインチキも甚だしかろう。
納得がいかないという表情で固まっているディノに向かって、ラリッサはトンランからの報告をかいつまんで説明した。
いくら少人数とはいえ、王の墳墓に一週間以上も立てこもるにはそれなりの水や食料の蓄えが必要になる。それなのに、そういった大きな荷物の移動は事前に全く見つかっていなかった。ソミア王女を亡命させた際もそうだ。王の墳墓から外に出た気配はまるでなかったのに、あっさりとレヴィニアの国境の外にまで辿り着いている。
フミオは王の墳墓には秘密の出入り口があると踏んで、周辺の調査をおこなった。
相手はレヴィニアを長い間治めてきたワルキューレだ。ちょっと探して見つかるような間抜けな仕掛けではないだろう。しかしいかに素晴らしいタネを持つ手品であったとしても、素人が使ってみせれば丸見えの台無しとなることがある。フミオは王の墳墓に報せが入るような嘘の噂を流して、その伝令の後を尾けるという手段を取った。
「で、王の墳墓に無事潜入成功。サファネ王子とイクラスが健在であることを確認。この後、夕食をご一緒させていただくのだそうですよ」
「無茶苦茶だ」
ファフニルから離れて何をしているのかと思えば、あの二人はとんでもないところにまで到達していた。まさかあの嵐の内側、サファネとイクラスのすぐ近くにまで迫っているとは。これでは対ワルキューレの専門家、戦闘士の方が形無しだった。
「抜け道に関しては、残念ながら情報は出せないってさ。それを教えちゃうと、イクラスに八つ裂きにされるって」
「いらない、いらない。エイラだってきっとそう言う。ジャコースとか、その辺にも話してないんだろう?」
「もちろん」、とラリッサはウィンクした。戦闘士の仕事は、ワルキューレを殲滅することではない。当初に言い渡されていた情報収集という命令は、未だに有効だった。だったら、可能な限りイクラスについて知ることが最優先だ。その意味に於いて、今回のフミオとトンランの働きは賞賛に値するものだった。
「さっすが、『ブリアレオス』の英雄は違うねぇ」
「こういうのを期待されてたんだから、当然のことをしたまでだろう」
「またまた、悔しいくせに」
ディノは防護服の修繕作業に再び集中した。悔しい……に決まっている。ディノはエイラに勝たせたかった。そのための力を与えてやりたかった。
それなのに、エイラは一歩間違えれば命を落とすような目に遭わされた。イクラスも取り逃した。挙句の果てには、医務室のベッドで横になる事態にまで陥った。
次は必ず、あんな惨めな戦いはさせない。エイラを守るのは、ディノなんだ。
無言で一心不乱に手を動かすディノの背中を、ラリッサは温かい目で見守っていた。
夜が明けて、エイラは完全に回復した。医療担当官の診察も問題なく、朝食もそこそこにジャコース将軍に呼び出しを受けて軍議へと重い足を引きずっていった。可哀相だとは思うが、こればかりは本人がいかないことにはどうしようもない。それさえ済ませてしまえば、後は決戦の日までは静かなものだろう。殴り合いで解決出来ないこともあるのだと、達観しておくしかなかった。
防護服の修復が一段落して、ディノは外の空気を吸おうとファフニルを降りた。最初にこの駐屯地に来た時よりも、戦闘車両の数が増えている。イクラスとの戦いに備えてのものだ。今度はエイラがやられたとしても、レヴィニア解放軍が間髪を入れずに攻撃を開始する。戦闘士が事態を収拾出来なければ、それまでだった。
イクラスは今度も、エイラを相手に戦いを挑んでくるのだろうか。仮にそうなったとして、エイラはそれに対してどう応じるのか。フミオたちの、王の墳墓での振る舞いにも影響される。とにかく一度、エイラとは話し合いを持っておいた方が良さそうだ。
エイラを探していると、食堂の方で歓声が聞こえた。その中に混じって、エイラらしい雄叫びが上がった気がした。何をやっているんだ。ディノが食堂を覗き込むと、そこではレクリエーションの真っ最中だった。
机を一つ中央に置いて、他の椅子やら何やらは全て隅の方に積み上げられている。二人が向き会って右腕を差し出し、肘を下に付けてがっしりと力いっぱいに握り合う。単純な筋力自慢のパワーゲーム、腕相撲だった。
片方は確か外人部隊に所属している、矢鱈とガタイの良い軍曹だ。もう一人はむさい集団の中にすっかり溶け込んでいる一応は女性の――我らが戦闘士、エイラ・リバードだった。
「なんだてめぇ、魔術なんか使ってんじゃねぇぞ、このクソ魔女が!」
「使ってねぇって言ってんだろうが、この見掛け倒しの青筋ダルマ!」
――これはダメだ。
ディノは思わず眉間に手を当てて、首を左右に振った。こうなってしまっては、手の施しようがない。エイラの表情を見れば、それは火を見るよりも明らかだった。
エイラは……この上なく面白がっている。楽しくって仕方がないという顔だ。
ジャコース将軍との打ち合わせで、恐らくはエイラのストレスは完全に上限値を突き破ってしまったのだろう。むしゃくしゃしているところに、大方レヴィニア解放軍の誰かが変なちょっかいをかけたのだ。エイラのこのスイッチが入ってしまっては、もう簡単には止めることが出来ない。この馬鹿げたお祭り騒ぎの末路は、屍の山の頂上に立って拳を突き上げるエイラの勇姿だ。間違いない。
「おー、ディノ、いいところに来た。ジャッジやって、ジャッジ!」
エイラがあっけらかんと言い放つのと同時に、相手の青筋ダルマが床の上に横倒しになって転がった。肩の関節が外れて、腕が変な方向を向いている。エイラ曰く、この手の肉体を使った勝負ごとに魔術を用いたことはないのだそうだ。ディノはエイラの性格からして、その発言の真偽を疑ってはいなかったが。
それにしたって、出鱈目な強さにも限度というものがあった。
「あのな、エイラ――」
現在は王の墳墓の砂嵐がやむまで待機という状態だ。予測では、それは明日の日中帯ということにはなっている。
しかしイクラスの側で、突然嵐の守りを解除するという可能性も十分にあるのだ。こんなレクリエーションをしている場合では、絶対にない。しかもストレスの捌け口として、レヴィニア解放軍の兵士たちをボコボコにしてどうするのか。これでまたジャコース将軍に呼び出されでもしたら、また初めから同じことの繰り返しになる。どこまでいっても負のスパイラルだ。
文句を言おうと一歩前に出たところで、エイラがひくっと頬を引き攣らせた。ああ、念話か。付き合いが長いので、ディノにはそういうのはちょっとした仕草だけで悟ることが出来た。兵士たちの大ブーイングを背に受けながら、エイラはディノに連れられて欲求不満全開のままファフニルに戻ってきた。
「お楽しみのところゴメンねー。ヴァルハラから緊急通信」
ラリッサは食堂で何が起きていたのか、粗方は察している様子だった。止めようとして止まるものでもないし、今回は緊急通信に助けられた格好だ。その溢れんばかりのエネルギーは、イクラスとの戦いまで取っておいてもらいたい。ディノが通信装置を起動させると、巫女の姿が浮かび上がった。
「ごきげんよう、ファフニルの皆様。先日は大変な目に遭われたようですね」
お気楽なものだ。それをけしかけたのは、ヴァルハラだろうに。
レヴィニアの王族を逃すという人命最優先の立場から、エイラはイクラスとの陽動に協力した。イクラスとはある程度本気で戦いはするが、キリの良いところで降伏を勧告。逮捕拘束という形で、今回の件は幕を降ろすシナリオであると認識していた。
ところが国外脱出を試みたレヴィニアの王族は、ソミア王女だけだった。王位継承権を持つサファネ王子はレヴィニアに残り、それを守護するワルキューレであるイクラスはまだやる気充分だった。説得になんて応じる意思もない。死ぬまで戦い抜いて、戦闘士を倒して伝説になるとまで言ってきた。
そこで「はいそうですか」と殺されてやるほど、ファフニルチームは寛大な心を持ってはいなかった。
「今日は皆様とどうしてもお話ししたいという方がいらっしゃいますので、こうして通信をさせていただきました」
巫女が横に動くと、そのまま姿が見切れて消えた。フミオがいたらきっと大騒ぎだ。ディノがそう思っていると、ぴょこん、と小さな女の子が顔を覗かせた。
「戦闘士のお姉ちゃん!」
「おお、ヒパニスの子だ。確か、モラだっけか」
レヴィニアの前の作戦で、ヒパニスの爆弾製造犯たちが養っていた魔女の力を持つ子供だった。確かエイラがヘルメットを投げ捨てた後で、それを拾って持ってきてくれた子だ。それのお陰で現場に忘れ物をすることが回避されて、エイラは始末書を一枚書かずに済んだのだった。ある意味エイラにとっては、大恩人であるともいえる。
――そのモラと話をさせるために、わざわざ緊急通信を?
作戦に関わった子供たちのその後は、ディノも気にならない訳ではなかった。たまに国際航空迎撃センターに、可愛らしい便箋が届くこともある。それらはエイラたちだけではなく、ワルプルギスの魔女全体のとっての宝物だった。
巫女は傷付いたエイラを気遣って、元気を出させるためにモラと会話する機会を設けたのだろうか。
「あのね、モラは今日はおまけなの。大事なお話の前に、ご挨拶だけ。お姉ちゃん、またね」
もちろん、それだけではなかった。モラは「ばいばい」とエイラたちに向かって手を振って、脇に退いた。その後ろに別な、もう一つの人影がある。その人物は静かに、それでいて強い存在感を伴って前に歩み出てきた。
「ご紹介いたしますわ、ファフニルの皆様」
姿の見えない巫女の声が、通信装置から聞こえてきた。美しく滑らかな絹のドレスに、豪奢な金糸の刺繍が映える。優雅なドレスに身を包んだ少女が、力のこもったコバルトの瞳で正面を見据えた。
「先日レヴィニア王国よりヴァルハラで保護させていただいたレヴィニアの王族――ソミア姫でございます」
第4章 私とあなたの生きる場所 -了-




